頼りになる人
桃園さんとの話し合いの間に生徒は随分減っている。二年生の階も教室の中をこっそりと覗ける程度の人数しかいない。
「何をしておりますの?廊下の人からは丸見えですわよ。早く中に入るか、声をかけるかしまいなさいませ。」
窓際に立っている後ろ姿は見える。京極先輩と並んで話しているが、今呼んでも良いだろうか。教室には他にも数人残っているが、その中に栄お兄ちゃんは当然いない。昇降口にももういないだろう。自分で教室へ向けて大きな声を上げなければならないため、数回深呼吸を繰り返す。
「もう、のんびりさんですわね。もし!このクラスに柊木千尋様がおられるでしょう?出てらっしゃい!花房羽衣様がお待ちですわ!」
何という呼び出し方だ。口調こそ丁寧だが、出てらっしゃい、とは喧嘩でも売っているようだ。上級生の教室で躊躇なく大声を出し、先輩に対してそのように呼びかけられるとは驚いた。勇気があると表現して良いものだろうか。
教室にいた全員がこちらを向く。柊木先輩と京極先輩もこちらを振り向き、私の姿を認めると怪訝な表情を浮かべつつも来てくれた。
「君は?」
「豹寮、一年Sクラス、瀬名芹那と申します。花房様の付き添いで来させていただいただけですので、これで失礼しますわ。」
さっと身を翻すと本当にその場を去った。これではただ失礼な呼び出し方をしただけになってしまう。私が躊躇していたために瀬名さんが悪く思われるような事態は避けたい。
「あ、あの、急にごめんなさい。人がいっぱいだったから、どう声かけようかって思ってたら瀬名さんが代わりに呼んでくれただけなんです。」
「ああ、羽衣が謝ることじゃない。何かあったのか?」
先ほどの話を伝え始めると、長くなりそうだと席に案内される。その間も説明を続けようとするが、桃園さんの妨害が入る。先ほど瀬名さんが対処してくれていた代わりに、今度は柊木先輩が黙らせてくれた。おかげで私は無事に説明を終わらせられる。
一息吐くと、桃園さんが柊木先輩の制止を振り切って一気に話し出した。
「いくら羽衣ちゃんでもこれは良くないですよね、亜希子先輩!私だったら恋人に異性を部屋に入れてほしくないですもん!もちろん、異性の部屋に入るのだって駄目です。同じクラスで同じ寮の女の子同士で仲良くするのに異性の先輩が一緒じゃないと嫌ってのはおかしいですよね?」
クラスや寮、性別など関係なく、危険な相手と二人きりになることを避けようとしているだけだ。避けるために、信頼でき、かつ同じ寮という点で頼みやすい柊木先輩に頼んでいるに過ぎない。桃園さんに力で勝てそうな相手という選び方をするため、異性にはなりやすいかもしれないが、黒江さんくらい力強そうなら性別など些細な違いだ。ただし黒江さんはそこまで信頼できるほど親しくはないため、除外だ。
桃園さんの訴えを聞いて、柊木先輩は深く溜め息を吐き、京極先輩はなぜか楽しそうに笑う。当事者でなければ愉快に見守れるのだろうか。
「モテモテやなあ。」
「なんでそうなる。話を聞けばそういった類の話じゃないとは分かるだろう。」
声に苛立ちが透けている。迷惑だっただろうか。信頼という点では京極先輩にも頼みたいが、朱鷺寮は杜鵑寮から最も遠い。少々気が引ける。
「つまりこういうことやろ?梨々花ちゃんは羽衣ちゃんと一緒がいい。羽衣ちゃんは梨々花ちゃんと話す時は千尋におってほしい。けど、梨々花ちゃんは千尋の恋人に気ぃ遣ってその状態はあかんって言うとるわけや。やったら妥協案として、うちも一緒に過ごそうか。四人で一緒なら、梨々花ちゃんも問題やとは思わんやろ?」
「そうですね。亜希子先輩がそれでいいなら。」
「うちとしては三人で過ごしてもろうてもええねんけど。」
気を遣われている対象はここにいないが、京極先輩が認めるなら桃園さんは納得するようだ。談話室なら他の人の目にも付くのだから三人で過ごすとは表現しても、実際には周囲に他の人がいる可能性はある。何事も起きていないという証人としての京極先輩なのだろうか。柊木先輩の恋人からの信頼の差があるのかもしれない。私は面識がなく、桃園さんもどの程度親しいのかが分からない。
理由はよく分からないが、桃園さんと京極先輩の間で話はついたようだ。ただ、柊木先輩が黙って聞いていることが気にかかる。夕食後に私たちの相手はしたくないのだろうか。
「あの、柊木先輩。晩ご飯の後に時間を取ってもらうことはできますか?」
「仕方ないな。悪いな、亜希子。今夜の予定はまた明日にでも。」
「お風呂の後にでも時間はあるで?」
「お前はいつまで俺の部屋にいる気だ。」
三人でも桃園さんは恋人に悪いという感覚を持っていたようなのに、さらに遅い時間に私室にいても、京極先輩なら問題ないと感じるようだ。それとも先輩には指摘し辛いのだろうか。あるいは私と一緒に過ごすための口実だったか。しかし、それなら京極先輩が一緒なら問題ないと即答できた理由が分からない。
ひとまずこれで問題は一つ解決だ。後は実際に桃園さんと話す時だが、それはその時考えよう。柊木先輩も京極先輩もいてくれるなら何とかなるだろう。
「ありがとうございます、お二人とも。」
「じゃ、また夜に。行こ、羽衣ちゃん。」
それが当然とでも言うように桃園さんは私の手首を掴んで歩き出す。私がその場に留まろうとすれば、振り返った。先輩たちの前では力尽く連れて行こうとはしないようだ。しかしそんな攻防に先輩たちは気付かず、見送るように見ていてくれている。
「私、桃園さんと二人になりたくないんです。」
一瞬何のことだと言うような沈黙が降りた。しかし、先程の説明を思い出したのか、京極先輩が一番に反応してくれる。
「梨々花ちゃんはうちと一緒に帰ろか。千尋は羽衣ちゃん送ってったり。」
「ああ。少し遅れて行くか。」
黙って頷けば、京極先輩が桃園さんを連れて教室を出てくれた。掴まれた手首には何の痕も残っていないが、二度も強く掴まれた感覚は残っている。それを消すように擦っていると、柊木先輩も心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫か。痣にはなってないみたいだが。何があったのか詳しく聞かせてくれるか。」
「さっき話した分だけです。両手首を掴まれたのが怖かったので、二人にはならないようにしようと思って。」
それ以上のことはされていない。されていないが、何かされてからでは遅い。自衛できるようであればしておきたい。先に備えられるだけ備えておく。後から桃園さんを責めることができたとして、その前に辛い目には遭ってしまうのだから。
「栄には、自分で伝えられそうか。」
「はい、土曜日にでも話します。」
桃園さんと京極先輩がいなくなっただけで急に静かになった。教室には他の生徒が変わらずいるが、桃園さんのように声を上げて話す人はいない。もう注目もされておらず、自分たちの教室にいる時のような緊張感もない。上級生の教室だというのに、声を掛けようとしていた時には想像もできなかったほど力が抜けてしまう。
試験中でも、この教室は過ごしやすいのだろう。だから今も何人も残り、ここで雑談に興じている。きっと柊木先輩と京極先輩もそうして話していた。そんな時間を私は邪魔してしまったわけだ。
「すみません、お邪魔してしまって。」
「いや、大きな怪我をする前で良かった。また何かあったら、何もなくても、こうして来るといい。」
大きな怪我を。柊木先輩もこう言うということは、ただ私が心配しているだけではなかったのかもしれない。試験が始まってから見た葉月くんへの態度を見て、不安になっただけではなかったのだ。
窓の外ではまだ雨が降っている。今日一日は止みそうにない。晴れの日よりは時間を空けずとも近くにいると気付かれにくいだろうか。葉月くんも待たせているのだ。早く行ってあげなくては。
「そろそろ行きましょう。葉月くんが待ってるんです。」
「ああ、どこで?」
「昇降口の前です。」
急く気持ちを抑えて、濡れた廊下で滑らないようゆっくりと歩く。提出物も出さなくてはならないが、すぐ戻ると言ったのに待たせすぎだ。しかし、集配棚と一年の昇降口は反対方向にある。先に葉月に伝えてあげたい気持ちもあるものの、行ったり来たりするのも面倒だ。
こんなことを考えている間に伝えて出しに行ける。
「どうした?」
「まだ提出物も出せていなくて。」
「出してくるといい。葉月には俺から伝えておく。」
「いいんですか?」
柊木先輩も待たせてしまうことになる。確かに柊木先輩なら葉月くんも警戒せずに話すことができ、伝言だって頼めるが、集配棚に行く道中で桃園さんと遭遇する危険も気になる。桃園さんは提出を済ませていただろうか。京極先輩が付いているため待ち伏せなどはないだろうが、手首を掴む強引さからは何をしてくるか想像できない。
「何か他に気になることでもあるのか。」
「桃園さんに今遭遇したら嫌だなって。」
「あの二人が校舎で何分も待っていられるわけがないだろう。朱鷺寮にでも連れて行ってくれているよ。」
ここは京極先輩を信じよう。葉月くんへの伝言は柊木先輩に任せて、自分は再び集配棚を目指す。既に人はまばらで、私と同じように時間を置いて提出しようとしている生徒がパラパラと歩いている程度だ。誰かに声を掛けられることもなく、無事集配棚に提出ができた。昇降口までの道も何事もなく通過できる。クラスの人たちもみんな教室を出ており、廊下ですれ違うこともなかった。
ようやく、と昇降口を出るが、そこには葉月くんの姿も柊木先輩の姿もない。ただ葉月くんの傘が折れた状態で転がっているだけだ。何があったのだろう。拾い上げ、周囲を見渡せば、舗装された道の茂み近くには開いた状態の傘がもう一つ放置されていた。
「嫌だ!保健室には行かない!こんくらい何ともない!」
「ああ、ああ、分かったよ。せめて傷口を洗わせてくれないか。傷が悪化する。」
感情的になっている葉月くんの叫び声と、落ち着かせるような柊木先輩の声。茂みを覗き込めば、ボタンも無くなり、乱れた服装の葉月くんが柊木先輩にしがみ付いていた。二人ともずぶ濡れで、葉月くんの腫れた頬を伝う雫も涙なのか雨なのか分からない。
二人に落ちていた傘を差しかけると、柊木先輩は私に気付いてくれた。
「あの、何があったんですか。」
「狼寮の奴らだ。一回こってり絞られて懲りたと思ったんだが。」
服の下から覗く体も傷だらけだ。それをタオルで傷まないよう拭いてあげている。時折宥めるようにポンポンと腕を叩き、葉月くんも大人しくされるがままだ。
狼寮。私のクラスなら熱田一輝くん、赤坂恭弥くん、黒江佐紀さん、姫野百合子さん。だけど赤坂くんは除外できる。残る三人はどうだろう。運動能力という意味では可能だが、それだけで彼らの誰かがやったと言ってしまうことは、状況だけで葉月くんがSA生徒連続行方不明事件の犯人だと決めつけた人たちと同じだ。しかし、もし黒江さんなら、私があの場で教室に戻らなければ防げた事態だ。私は葉月くんと黒江さんを二人で残してその場を立ち去ってしまった。
「よし、今できるのはこれくらいだ。羽衣、荷物を持ってくれないか。」
「はい。」
二人の荷物を受け取ると、柊木先輩が葉月くんを背負った。一度地面に置いた傘も葉月くんに手渡し、杜鵑寮へ向けて歩き出す。
「別に、自分で歩けるし。」
「気付かなかった怪我もあるかもしれないからな。きちんとした手当ては俺の部屋でしよう。分かったな。」
言い聞かせるような声にも、ごにょごにょと文句を言っている。いつもより小さな子どものようだ。怪我をさせられ、おそらく暴言も浴びせられ、弱っているからだろう。試験が終わってからなど悠長なことを言っていて良いのだろうか。あと一日。明日さえ終われば全て変えられる。しかしその明日を、葉月くんは教室で過ごしたいと思うだろうか。
「葉月。」
「うん、けど、」
「けどじゃない。」
「平気だし、このくらい。」
声も弱々しい。平気だと言いながら、その声は震えている。どうしてもっと早く戻ってあげなかったのだろう。桃園さんとの話し合いなど瀬名さんがいても関係なく、廊下を全力疾走し、鞄だって置き去りにして良かった。友達に代えられるほど大事な物など入っておらず、校則を守ることだって友達の身の安全より優先すべきことではない。
私に何がしてあげられるだろう。それとも、すぐ戻るという約束を守れなかった私は今信頼を得られていないだろうか。葉月くんに怪我をさせた本人を追及しても良いだろうか。それとも手当てを済ませるまで待つべきだろうか。
答えが出せないまま、黙って隣を歩いて行った。




