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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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中間試験三日目

 嫌な気分になる言葉を聞きつつ、一日を乗り切る。それは三日目の今日も同じだ。そんな私たちの気分をさらに下げるように、朝から雨が続いていた。昨日同様提出物を出しに行く道中も、屋根がある部分に人が集まるため、滑らかには進めない。人の流れに乗るようにすれば少しは歩きやすいが、後ろから押してくる人もおり、窮屈だ。

 何とか少しずつ事務棟に近づくが、入口でやはり詰まっている。ぎゅうぎゅうとしており、反対に出て来ようとする人もいて非常な混雑だ。強引に進もうとする人だろうか、私も人の列から押し出されてしまう。

 一瞬でずぶ濡れだ。提出物は濡れないよう抱えているが、少し湿ってしまうかもしれない。人の隙間に自分も入ろうと様子を伺うが、無理に横入りすれば自分が先ほど受けた背後からの押し出しという迷惑行為をすることになってしまう。一度諦めて、また後で来よう。


「羽衣、傘も差さないでどうしたの。風邪引くよ。」

「人が多くて入れなかっただけ。すぐ教室に戻るつもりだし。」


 栄お兄ちゃんが自分の傘を差しかけてくれる。既に運動靴に変わっているため、もう寮に戻るところだったのだろう。試験を受けるだけにしては膨らんだ鞄を下げており、教室にも時計はあるというのに腕時計を着けている。

 来た道を引き返し、私に同行してくれた。しかし、近い側の入り口からは入ろうとしない。


「一回一年の昇降口のほうに行ったほうが通りやすいよ。みんな提出しに行ってるからそっちは人が少ないはずだし。」

「ああ、そういう。そうだ、昨日と一昨日、すっごく嫌なことがあったの。」


 クラスでの出来事を話そうとするけど、誰か聞いているか分からないここで話しても良いものだろうか。私が悪口を言っているように受け取られてしまいそうだ。これはやはり週末にしよう。代わりにその嫌な気分からどうやって立ち直ったかを話した。必然的に赤坂くんの話になるのだが、なぜか栄お兄ちゃんは良い顔をしない。


「まあ、仲がいいのはいいんだけど。自分の求めるものと、すべきことは忘れないようにね。」

「分かってるよ。」


 私は鏡の向こうの家族に会いたい。赤坂くんは友達でもあるが、その協力者でもある。鏡の向こうの友達のようにただ一緒にいて楽しいとか、また会いたいという思いだけではいられない。実際に学内を探検してみて、一人での探索は困難だと知ってしまったならなおさら、もう一人での探索はできないだろう。

 自分の求めるものなのだ。忘れるはずがない。今も鏡の向こうでは家族が私を心配してくれていることだろう。一刻も早く帰還できるようにしなければならない。


「やる気になってくれて嬉しいよ。ほら、葉月くんも待ってくれてる。」


 指し示された昇降口の前には黒江さんと話す葉月くんがいた。今日はしっかりと顔を出し、鞄を盾にするように抱き締め、対峙している。一方の黒江さんは片手を腰に置き、まるで見下す姿勢だ。

 二人とも私に気付かず、何やら話し続けている。提出物を栄お兄ちゃんに預け、私は駆け寄った。


「お待たせ!まだもう少し待っててほしいんだけど、何かあった?」

「いや、ちょっと。気にしないで。」


 弱々しい笑みだ。本当に気にしないことは難しいが、追及してほしくないならこれ以上話題にはすまい。かといってこのまま黒江さんと二人にして教室に戻るのも心配だ。豹寮の人たちと比べて暴言は少なかったが、視線の鋭さは木葉くんや桃園さん以上だ。

 雨に打たれながらこのまま放置しても良いものか思案する。黒江さんはSA生徒連続行方不明事件をどう捉え、葉月くんに対してどう思っているのだろう。


「ずぶ濡れじゃないか。そんな細い体で駄目だろう?」


 一転して心配を目に宿した黒江さんが傘を私に差してくれる。入れてくれるというものではなく、黒江さん自身はもはや傘に入れていない。その手を押し返し、追いついてきた栄お兄ちゃんの傘に入った。


「それじゃ黒江さんが濡れちゃうでしょ。」

「私はいいんだ。そんなに脆くない。」

「頑丈でも風邪は引いちゃうよ。」


 こうして話していても葉月くんはこの場に留まっている。黒江さんは話したくない相手ではないのだろうか。しかし鞄を抱える腕には力が入ったままだ。今日は提出物を後回しにして、先に葉月くんと一緒に寮に戻ろう。


「一瞬だけ待ってて。鞄だけ取ってすぐ戻って来るから。」


 栄お兄ちゃんにも手を振って、教室に走って行く。提出を終えた生徒や朝に提出していた生徒はこちらに向かって歩いているが、廊下の端ならさほど危険もなく走れた。

 ロッカーの上に置いたままの自分の鞄に提出物を放り込む。後で私が提出するのだから、葉月くんの提出物も返さなくて良いだろう。


「羽衣ちゃん今日も忙しそうだね!たまには私とゆっくりお話しよう?もう羽衣ちゃんたらいつも私のお話最後まで聞いてくれないんだから。積もり積もったお話があるの!何から話そうかな?あっ、まずは最新情報、昨日の放課後デートから!」

「ごめん、人待たせてるから。」


 今日も桃園さんに足止めを食らう。忙しそうだねと話しかけておいて、ゆっくり話そうとは不思議な繋がりだ。忙しいのだから桃園さんと話す時間などない。しかし桃園さんも有瀬さんのように腕を掴んで引き留めてくる。手首を一周するように掴み、私が動きを止めてもまだ離さない。そんなに大事な話なのだろうか。それでも掴み続けられるのは不快だ。

 わざとらしい笑みも私の選択権を認めていないようで不安になる。掴まれた手を外そうとすると、むしろ力が強められた。


「昨日、Gクラスのほうの空き教室でイチャイチャしてたんだって?寮に戻るまで我慢できなかったのかな〜?恭弥くんの手に頬擦りして、恭弥くんも嬉しそうだったって。ラブラブだね〜。そのままキスでもしちゃえば良かったのに。」


 もう話が広まっているのか、それともGクラスに友達がいるのか。昨日の出来事は不安になっていたから起きてしまった事故のようなものだ。私と赤坂くんは口付けるような関係ではまだない。

 にまにまとした笑みはそのことを追求したかったからか。中学でも他人の関係性に首を突っ込みたがる子はいた。きっと桃園さんもその手の話題を好むのだろう。すぐさまこの場を離れたい。


「もう、そんなこと話しに来たの?悪いけど急いでるから。」


 振り解こうとするが反対の手首まで掴まれてしまう。その上、振った手が近くにいた人に当たってしまった。ふわりとした柔らかな感触に受け止められる。


「全く何をしていらっしゃいますの?廊下は暴れる場所ではございませんわよ。」

「ご、ごめん。でも、桃園さんが離してくれなくて。」

「子どものような喧嘩をしていらっしゃいますのね。まず桃園様は手をお放しになって。花房様も落ち着いてお話し致しましょう。」


 瀬名さんに促されると素直に手を離してくれた。しかし、この様子では早く葉月くんの戻ってあげることは難しそうだ。手を引かれて教室の椅子に座るよう促された。

 対面する形で着席した私と桃園さん。それを瀬名さんは横から見て、私に説明を促す。なるべく簡潔に説明しようと私はしたが、桃園さんによって阻まれた。


「試験終わったー、残り一日だーって思ってこの解放感を羽衣ちゃんとも分かち合いたいと思ったんだけど、気が付いて教室見回したらもう羽衣ちゃんはいないし、廊下見たら提出物持って早歩きする羽衣ちゃんの後ろ姿しか見えないし、戻ってきたらって思って待ってたらなんでか昇降口のほうから来るし、やっと話せると思ったら冷たい対応しかしてくんないし。梨々花ちゃんは寂しかったですー!」


 全て桃園さんの都合だ。私は息の詰まる教室から早く出たかった。葉月くんには先に出てもらったため、早く迎えに行ってあげたかった。提出物は出せなかったが、教室で雑談に興じる気などなかった。いきなり手首を拘束されれば、警戒もする。親しい人同士で手を繋ぐこととは訳が違うのだ。


「桃園様のお気持ちは分かりましたわ。では、花房様、お話を中断させてしまい申し訳ありませんでしたわ。ぜひ、続きをお聞かせいただけませんこと?」

「うん。それで、すっごい力で掴まれて、ちょっと怖かったから振り解こうとしたの。そしたら瀬名さんにあたっちゃって。ごめんね。」


 机の上の私の手に、瀬名さんは自分の手を重ねた。優しい表情を浮かべており、謝罪を受け入れてくれたようだ。すぐに真顔に戻るが、桃園さんに対しても責めるような表情ではない。私としては文句の一つでも言いたいところだが、今は瀬名さんが話し合いを進めてくれているため、黙って聞こう。


「そういう事情でしたのね。桃園様、強い力で花房様を掴んだことに異論はないということでよろしくて?」

「だって掴んで引き留めないとすぐ羽衣ちゃんどっか行っちゃうんだもん。もちろん恋が大事なのは分かるけど、友情だって大事にしよ?恭弥くんとは毎日一緒にいるんだから、今日は私と一緒にいようよ。寮もクラスも同じなんだからいっぱい話せるはずでしょ?」


 恋や友情という問題ではない。第一、今急いでいる理由は赤坂くんではなく、葉月くんを待たせていることだ。たくさん話したいかどうかも寮やクラスが同じかどうかだけで決まるわけではない。確かに同じ寮やクラスなら接点が多く、親しくもなりやすいかもしれないが、それだけだ。親しくしなければならないわけではない。親しくなれるかどうかは、双方がそうなりたいと思っているかどうかにかかっている。

 仮に今急いでいなくとも、力尽く引き留めようとする相手と話したいとは思えない。一刻も早く離れようとするだろう。話すのならば、桃園さんより力のある信頼できる人に同席してもらいたい。瀬名さんは桃園さんより運動が得意だったはずだ。走って逃げようにも追いつかれてしまうだろうが、現状確認は重要だ。


「桃園様は花房様と放課後を過ごしたい、とおっしゃっていますのね。花房様は放課後のご予定が決まっていらっしゃいますの?」

「うん。約束してるの。」

「毎日でしょー!今日の約束は変更!予定が入ったって、変わったって言えばいいじゃん!一日くらいイチャつかなくたっていいよ。女の子同士の友情も大事なんだよ!羽衣ちゃんも特定の相手とばっかラブラブするんじゃなくって色んな子と仲良ししようよ!」


 約束の相手も言っていないのに、桃園さんの頭の中では赤坂くんとの約束になっているようだ。先約が入っているのに変更するよう求めてくることも理解できない。恋とか友情とか関係なく、この行動は受け入れられない。また、私自身はクラスメイトと親しくしているつもりである。放課後は他の人たちが部活に使っている時間を赤坂くんとの探索に費やしているが、業間などには会話をしている。

 何と返事しようか。先約を伝えてなお食い下がって来る相手など初めてだ。こうして悩んでいる間も葉月くんを待たせているというのに。


「我が儘ですわね。ここは先の約束を取り付けるということで妥協すべきですわ。花房様は約束を守ることができ、桃園様は花房様との時間を確保できますわよ。」

「うー、じゃあ晩ご飯の後!今日からずっと!期末試験とか二学期の中間試験とか全部の試験の後ずっと!夏休み中も私の部活がない時はずっと一緒にお話しよう。今日まで全然話せてないんだから、その分一緒にいるくらいはいいよね?」


 良いわけがない。私の生活の大部分が束縛されることになる。今日の夕食後程度なら、柊木先輩にも同席してもらえるなら話す時間を設けても良い。試験後の時間を桃園さんとの会話に費やすなど、桃園さんは私が暇を持て余しているとでも思っているのだろうか。提出物は既に終わっているとはいえ、復習もしていれば、探索もしている。葉月くんや零ちゃんとの交流もある。授業の日よりまとまった時間を確保できる今は良い機会なのだ。

 本音を言うなら先の約束もしたくない。しかしそれを言えば話し合いは長引くだろう。


「花房様はいかがですの?少しでも受け入れられる部分はありましたの?」

「えっと。桃園さんと二人は、怖いなあ。」

「怖がることなんて何もないよ!こんなに可愛い梨々花ちゃんを恐れる理由なんて何もないでしょ?可憐でか弱い乙女は恐怖の対象じゃないよ!女の子二人でないと話せないことだってあるんだから!」


 桃園さんと二人でなければ話せないことはなさそうだ。拒否しているのに二人を要求されると、より避けるべきにも感じられる。この点は譲らずに行こう。同席する人は夕食後なら同じ寮の人が頼みやすいが、私としては栄お兄ちゃんでも赤坂くんでも良い。他は信頼できる人でも桃園さんより力があるか分からないため除外しよう。

 言葉の勢いに負けてしまわないよう、気合を入れて自分の要求を伝える。声の大きいほうの要求を通すなどということを、瀬名さんはしないはずだ。


「柊木先輩にも一緒にいてもらえるなら、今日の晩ご飯の後、少しだけなら一緒にお話ししてあげてもいいよ。」

「えぇ?羽衣ちゃんは千尋先輩にも晩ご飯の後みたいな夜の時間に会おうするの?駄目だよ、そういうのは!恭弥くんが焼きもち妬いちゃうよ?それに千尋先輩にだって彼女がいるんだから、羽衣ちゃんも焼きもち妬かれちゃって危ないかも!」


 面倒なことになっている。赤坂くんが妬くという話は置いておくにしても、同じ寮の先輩後輩という関係の相手に妬いたからといって危害を加えるだろうか。そんな曖昧な危険より、私にとっては今目の前にある危険を避けようという意識が働く。柊木先輩の恋人が誤解して嫉妬したなら、後日誤解を解くこともできる。その誤解を解くには赤坂くんとの噂が役に立ってくれるだろう。

 一時的に誤解されたとしても問題なく対処できる。問題は今晩急に時間を作ってくださいと頼んで、柊木先輩が受け入れてくれるかどうかだ。少しでも早く頼みたいが、今はどこにいるだろう。


「柊木先輩に頼んでみよう。それで誤解されるとか何とかで嫌って言われたら、栄先輩に一緒にいてもらうことにするね。」


 文句を言い続ける桃園さんを引き連れ、瀬名さんにも同行してもらい、二年の階へと向かった。軽く一本の指先を絡めるだけでも、瀬名さんはついて来てくれるのだ。これを見て、桃園さんも私が拒絶していたと気付いてくれないだろうか。


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