もう少しの辛抱
業間も先生のいない時は暴言が飛んだ。隣の空き教室に連れて行けば、わざわざついてくる人なんていなかったから避けられたが、こんなものは解決にならない。華道部の高松さんの話を思えば、別のクラスに替えてもらうことが可能でも状況が変わるとは期待できない。
三限目が終われば、鞄も置き去りに葉月くんの手を引いて教室を出た。筆記用具を片付けている間にまた何か言われても嫌な気分になるだけだ。
「えっ、ちょっと、花房さん!荷物が教室に」
「後でいいよ、そんなの。どうせ使わないでしょ?」
筆記用具くらいしか入っていない鞄だ。試験のため授業も進んでおらず、予習も復習も必要ない。明日以降の試験科目の勉強道具は寮に置かれているはずだ。
試験終了直後のため、廊下の人もまだほとんどいない。他クラスの人たちに干渉されることもなく、昇降口に辿り着いた。
「提出物もあるんだよ。集配棚に出しに行かないと。」
「午後でも間に合うよ。」
他の人たちが校舎を離れてからで良い。提出期限は今日の午後五時だ。十分間に合う。あんな言葉を浴びせられ続ければ体調を崩してしまう。私に向けて言われているわけではないのにそう感じるのだ。その言葉の矛先となっている葉月くんはもっと辛いはず。私も聞きたくなく、葉月くんにもこれ以上聞かせたくない。
私は運動靴に履き替えるが、葉月くんは躊躇している。今、教室や鞄に執着する理由はないと説得できるだろうか。
「提出物って、提出期限の時間ぐらいに、先生が集配棚に回収に来るんでしょ?だったら提出期限より早めに出すかぎりぎりに出すかは関係ないと思うよ。期限までに出てれば十分じゃないかな。」
「それはそうなんだけど。鞄に悪戯とかされないかな。」
私の気が回っていなかった。あんな言葉を平気で投げつけられるような人たちなのだ。私に対する態度とは大きく異なると理解すべきだ。そんなことをする人たちには見えないなどという私の感覚を信頼すべきではない。私に対しては嫌なことをせずとも、葉月くんにならしていても違和感はない。
しかしやはり葉月くんを教室に戻したくない。ここにも間もなく他の生徒たちが来るだろう。
「葉月くんは先に戻ってて。いや、零ちゃんの秘密基地って行ってもいいかな?」
「うん、いつも試験後はそこで待ち合わせてるんだ。花房さんもおいでよ。」
「なら先に行ってて。私が真っ直ぐ鞄持ってくよ。今日は荷物も軽いし、心配しないで。」
「え、でも、悪いよ、それは。」
「いいから!」
葉月くんの学生証を奪い、靴箱を開ける。すると渋々ではあるが、上履きから運動靴に履き替えた。私も一度履き替えたが再び上履きに戻す。私一人なら教室に戻っても暴言を聞くことにはならないはずだ。
背中を押して昇降口からも葉月くんを追い出し、自分は小走りで自教室に戻る。何人も廊下を歩いているが、昇降口とは反対方向、事務棟のほうへ向かっている人が大半だ。提出物を出しに行くのだろう。その流れに乗り、私も障害なく教室前に着いた。
廊下のロッカーの上に置かれた鞄の中から自分の鞄を取る。既に他の人たちは自分の机に持って戻っているのか、残っている個数は少なく、探し出すのも容易だ。緑のレースが目印の葉月くんの鞄もすぐに見つかった。
出た時より人の減った教室。私の机も試験が終わった瞬間のままで、葉月くんの机も荒らされた様子はない。鉛筆が数本に、消しゴムが二個と予備まで置かれたままだ。それらを筆箱に片付け、古賀さんや赤坂くんとも言葉を交わすことなく昇降口に戻る。
今度は人の流れに逆らって進むことになる。教室で話をしてから出てきた人たちばかりであるため、急いで歩いておらず、人数も先ほどよりは多くない。端を通れば早足でも歩ける程度だった。やはり昇降口から出る人は少ないが、試験で荷物が少ないはずの日に鞄を二つも持っている私は目立っている。
「花房さん、お疲れ様。」
とんとんと肩を叩かれて振り向けば、高松さんが微笑んでいた。試験で憂鬱な表情の生徒が多い中、部活中より緊張を感じていなさそうだ。
「あ、おはよう。どうしたの、高松さん。」
「特に何ってわけじゃないんだけど、花房さんが見えたから。いつも話す時って先輩がいたでしょ?だからあんまりきちんと話せてなかったなって。」
先輩がいても気にせず話せば良いが、煩くしないように気を付けていたのだろうか。もっと話したいと思ってもらえるのは有難いが、今は葉月くんを待たせている。試験中は高松さんとの時間を確保することも難しそうだ。部活後、部室を出て話せば先輩のいない状態で話すことも可能だろう。
「ごめんね、人を待たせてるんだ。また部活が終わってからゆっくり話そうよ。」
「そっか、こっちこそごめんね。じゃあ、また木曜日に。」
ばいばいと手を振って、秘密基地への道を急ぐ。途中までは舗装された道を進めるが、途中からは道なき道を進むことになる。あまり頻繁に同じ道を通ってしまっては獣道のようなものができてしまうかもしれない。そうなっては場所が他の人に知られてしまうだろう。
舗装された道を進んでいくが、やはり人はまばらだ。視界から他の生徒がいなくなった時、茂みの中に入る。これで零ちゃんの秘密基地を知られる心配なく向かえる。そうこっそり動き始めると、鞄を何者かに掴まれた。
私が向かっている方角は禁域とほぼ一致している。そして葉月くんも零ちゃんも禁域に出入りできる存在だ。私は警告文を受け取ってなお禁域や世界を越える鏡について探り続けている。まだ明るいが、人気のない場所で孤立しているという点では条件を満たしている。これは、鏡界の番人に捕まってしまったのだろうか。
「花房さん。俺、葉月だよ。そんなに怖がらないで。」
「ああ、なんだ。びっくりした。待っててくれたの?」
「本当に置き去りにするのは申し訳なくて。ここなら他の人も来ないし。」
念のため声を潜めているが、こちらに誰かが近づいて来る様子はない。大きな話し声が私たちの声や物音を掻き消してくれているのだろう。
二人でこそこそと零ちゃんの秘密基地に向かう。他の人には知られないように、密やかな行動だ。和気藹々と向かうのも良いが、こうした緊張感もたまには楽しい。
「ありがとう、花房さん。編入してきたのが花房さんで良かった。あと三年、何とか乗り切れそうだよ。」
心が痛い。私はここで三年も過ごすつもりなどないのだから。その上、純粋に友達として頼ってくれている葉月くんの言葉に、私は禁域に近づいたという喜びを感じてしまった。自分の秘密を抱えたまま、葉月くんの秘密は暴こうとしているのだ。だけど、私はただ待っていても家族に会えない。少し不誠実でも、葉月くんと親しくなることは家族に会うための努力の一つなのだ。葉月くんは卒業すれば家族に会える。会えないわけではなく、会わないことを彼自身が選んでいる。
私の目的のためではあるが、葉月くんも傷ついておらず、むしろ喜んでくれているのだから、罪悪感を抱く必要などないはずだ。
「少しでも気休めになったなら良かったよ。」
「すっごく心強かったよ。卒業したら家族に報告したいことができた。こんな優しい子がいたんだよって言うんだ。」
あくまで卒業したら、らしい。私の行動は決して優しさからではないが、それでも葉月くんのためになったのだと思うことにしよう。試験最終日になれば、今日のような思いをすることも無くせるはずだ。クラスで話し合うと決めているのだから。大谷先生もそれは把握してくれている。
あと三日の辛抱だ。そうすれば私は葉月くんから禁域の情報を聞き出し、ここでの出来事など思い出に溶かせてしまえる。
「花房さんもお兄さんと仲いいんだってね。学校でのこととか、色々話してるの?」
「うん。楽しかったこととか、授業で聞いたこととか、探索したこととか。葉月くんのことももちろん話してるよ。」
嘘ではない。世界を越える鏡や禁域に関する情報は特に重要だが、それ以外のこともたくさん話している。特に何の情報を求めているかなど全て明らかにする必要はない。何の裏もなくとも、友達に全てを話すことなどしないのだから、これはただ話が長くなり過ぎないように省略しただけだ。
「その、ご両親のこととかは聞いても大丈夫かな。」
「うーん。私は覚えてないから何にも答えられないんだ。栄先輩も特に教えてくれないし。」
これは嘘だ。私の両親は鏡の向こうにいる。よく抱っこしてくれて、ぱらりとした炒飯を作ってくれた、ボードゲームに付き合ってくれたお父さん。手芸を教えてくれて、いつも美味しいご飯を作ってくれた、私に似合う服も考えてくれたお母さん。だけど、鏡のこちら側にはいないから答えられない。栄お兄ちゃんが知っているはずのない人だ。
本当は覚えているのに、ここには存在しないから答えられない。いないことにしなければならないことが悲しくなった。
「ごめん、辛いこと聞いた。」
「気にしないで。そうだ、葉月くんのご両親はどんな人なの?」
栄お兄ちゃんの両親のことも聞いてないため、話を逸らすために問いかける。葉月くんは両親との関係が悪くないようであるため、聞いても不快にはさせないだろう。私が自分の両親に会いたくなってしまうかもしれないが、一生会えないわけではない。早く会いたいという思いが強まるだけだ。
「普通の人だよ。鏡操適性がなくて、鏡操適性ってのは赤坂美恵子さんのような選ばれた人しか持てないんだって思ってたって。だから俺にもそんな立派な鏡操士になってほしいって。」
水島くんの話では鏡操士の社会的地位を向上させた人だ。葉月くんは随分ご両親に期待されているようだ。嬉しそうな表情を見るに、その期待が重くはないらしい。私は将来の職業の話など真面目に話した覚えがない。まだ先の話だと思っていた。
「親族もみんな無適性なのに一級適性を持つ子どもが生まれて来るとは思わなかったって。でも、そんな高い適性を持ってる俺を誇りに思うよ、その力を正しく使いなさいって。だから俺は鏡界学校を卒業して、赤坂美恵子さんも所属されていた有瀬鏡操士派遣会社に入るんだ。」
その会社を経営している人が有瀬さんのような人ではなかったら良い。きちんとした大人なら、証拠もない学校での噂話など真に受けずにいてくれるだろうか。
葉月くんも水島くんも、まだ高校一年生だというのに目的が明確だ。卒業後どうしたいかが決まっている。特定の会社を目指しているとはっきり言えるから、すぐ前の目標も立てられるのだろう。葉月くんなら理不尽に耐えて卒業すること、水島くんなら試験で高い点数を取ること。
私はどうだろう。今はただ家族の下に帰りたいだけだ。そのためにできることしている。だけど、もし、万が一、帰ることができなかったら。あり得ない、あってほしくないとは思っているが、そもそも帰る方法など存在しなかったら。私は彼らと同じようにこの場所で就職して、生きていくのだろうか。三年間をこの鏡界学校で過ごし、二度と鏡の向こうの家族や友達に会えないまま。
「卒業するまで、そのために家族とは会わないんだね。」
「そのつもりだよ。心配かけたくないってのもあるし、いい報告を持って帰りたいってのもあるから。」
会わないことと、会えないことは違う。会っていない点は同じでも、感じる部分が全く異なるのだ。私は自分の意思に反して、家族と顔を合わすことが叶わない。
今会えないだけだ。きっと卒業までにはまた会える。鏡を越える方法は見つかり、何事もなかったかのように日常が始まる。ここでの出来事など、夢でも見ていたのかもしれないと思える日がやって来る。
人が通る道からはもう随分離れた。声も潜めていない。どんなに物音を立てても、秘密基地に向かう姿を見られることはないだろう。
「ほら、秘密基地まで競争しよう!零ちゃん待ってるかもね。」
落ちかけた気分を無理に上げ、走り出す。考えていても行動しなければ帰り道は見つからないのだ。今できることは中間試験を無事に終わらせ、葉月くんの望むように解決すること。そうして、私は禁域の話を聞くのだ。
「こんな所で走ると危ないよ!また躓いちゃうって!」
慌てて追いかけて来る。またとは言うが、以前怪我したのは葉月くんであって私ではなく、躓いたわけでもない。平地ばかりの杜鵑寮側で気を付けるべきは木の根や石ころ程度だ。
零ちゃんも一緒に追いかけっこをしても楽しいかもしれない。明日も憂鬱な時間がやってくるのだから、今だけでも明るい気分で過ごせるようにしよう。
「大丈夫だよ!先に着いたほうが勝ちね!」
葉月くんも来ていることを確認して、そこからは振り返らずに秘密基地を目指した。




