中間試験一日目
今日はいよいよ中間試験一日目。中学までは試験であろうと、高校受験の日であろうと普段通りに起床し、朝食を取れていたのに、今日はなぜか緊張してしまい、早く目が覚めた。いつもより丁寧に髪を梳かしてもまだ時間に余裕がある。少し早いと分かりつつ食堂へ向かった。
人はまばらだ。それぞれ距離を置いて食事をしている人が多く、会話も少ない。その中で一人、食堂の隅の席で特に周囲の人と距離を取っている子がいた。
何はともあれ自分の朝食だ。今朝はパンにしよう。トーストにバターと、炒り卵。野菜も取らなければ。茹で人参も乗せておこう。飲み物には牛乳を取って、先ほど見かけた隅の席に向かう。
「おはよう、葉月くん。ここ、座っていい?」
「え、あ、うん。おはよう。」
話しかけられると思っていなかったのか、少々反応が鈍い。食事中だからというのもあるかもしれない。許可は得られたため、斜め向かいに座った。今日は試験という話もしたいが、先に食事を済ませてしまおう。
「いただきます。」
運んでいる間にトーストにバターが染み込み、非常に食欲をそそる匂いを発している。炒り卵も乗せて、バターと卵の濃厚な味が今日の午前中を乗り切る活力を与えてくれる。間に茹で人参を摘めば、口の中の脂っぽさが一掃され、代わりに野菜の甘さがまた濃厚な味を楽しめる状態にしてくれた。牛乳も朝の気合を入れるために一役買ってくれる。
「花房さん、朝からよく食べるね。」
葉月くんのお皿にはパンが一枚乗っているだけだ。試験は三限のため、通常授業より短くはあるが、私なら二限くらいでお腹が空いてしまいそうだ。朝はあまり食べない派なのだろうか。
口の中に物が入っているため、頷くことで返事に代える。葉月くんと比較すればよく食べる部類に入るだろう。
「今日から試験か。憂鬱だね。」
教室でどのような扱いを受けているのだろう。それも心配だが、食べている時に話されても、首の角度程度でしか返事はできない。私自身が憂鬱なわけではないが、葉月くんが憂鬱な理由は何となく想像できるため、これにも頷いておこう。
「花房さんも試験は嫌い?」
どの程度覚えているか、理解しているかを試す絶好の機会だ。自分で答え合わせをする必要もなく、点数も先生が付けてくれるため、問題集を解くより手間もない。問題集と異なり百点満点で点数が出されるため、自分の暗記度や理解度も分かりやすい。その上、午後が全て自由時間になるため友達と遊ぶ時間も増える。
試験自体に嫌な記憶はあまりない。点数が揮わず残念な時もあったが、それは試験という時間のせいではないため、首を横に振った。
「俺も試験自体が嫌いなわけじゃないんだけど、教室に行くのがさ。狼とか豹に何言われるかと思うと行きたくなくなるんだ。っと、ごめん。食べてる時にこんな話したら不味くなっちゃうね。」
悩み事や嫌な事を聞いてほしいなら聞こう。その意図を込めて、また首を横に振る。葉月くんが私を、弱みを見せられる相手と認識してくれているなら喜ばしいことだ。友達として何か支えになれるのなら嬉しいことであり、禁域への情報に近づくという意味でも有意義な時間になる。
今は呑気に朝食を楽しんでいる場合ではないかもしれない。もっと聞くよという思いを込めて、人参を口に含みつつも葉月くんを見つめた。
「可愛いね、花房さん。」
微笑んでくれるが、先ほどの話はもう良いのだろうか。葉月くんは食べ終わったようだが、他の人もいる食堂に留まってくれている。ここでは話しにくいことなのかもしれない。
突然の話題変更に対する疑問を伝えるため、首を傾げた。やはり微笑むだけで、何も言わない。本人から何も言わないなら、私から追及することもやめておこう。遅かれ早かれ分かることなのだ。
葉月くんに観察されつつ、私も朝食を終えた。寮の食事も美味しく食べられるもので一安心だ。おかげで勉強や探索に集中できる。
「ごちそうさまでした。」
トレイを返却棚に戻し、階段を上がる。葉月くんはいつ頃教室に行くつもりなのだろう。狼寮や豹寮の人たちを警戒しているなら、始業間際だろうか。一人より二人のほうがきっと怖くない。大きく声を上げるのは明々後日でも、その場で苦言を呈することくらいはできるはずだ。
「一緒に教室行く?本鈴に間に合うくらいにすれば、何か言う隙なんてきっとないよ。」
「ありがとう、心強いよ。一限目だけでも気分良く受けられそうだね。」
気分が悪くなる何かを言われるのだろう。業間も傍にいれば、彼らの発言も抑えられるだろうか。幸い席は近い。一限目終了直後から傍に居続けることも可能だ。
「じゃあ時間になったら呼びに来るね。」
一度別れ、それぞれの私室に向かった。
予鈴を校舎に入る前に聞き、教室に入っても葉月くんの傍にいるようにした。クラスの人たちは、私には挨拶をしてくれるのに、葉月くんにはやはりそこにいないような態度を取っている。しかし葉月くんは何事もないかのように自席へ向かった。
試験前のせいか、普段より緊張感に満ちた教室だ。今更読んだところでどうにもならないだろうに、教科書を開いている人もいる。いつもは賑やかにお喋りしている桃園さんや姫野さんも、今日は少しでも点数を上げようとしているようだ。教科書ではない本を読む古賀さんのような人もいる。
「葉月くんも勉強するの?」
「他にすることもないし。」
クラスの人たちとは話せる雰囲気ではない。少しでも緊張を和らげようと、話題を探す。しかし、先ほどまで教科書を読んでいた水島くんが近づいてきた。葉月くんの表情も強張っているようだ。
「よくもまあ、のうのうと教室に来られたものだ。追い返さないだけありがたいと思うんだな。」
少し離れた席から、教室全体に聞こえるような声も届く。
「こういう時だけは拓海とも意見が合うんだよな。クラスメイトを殺しておいて、同じ教室に来るなんて、まともな神経じゃないな。」
熱田くんに続くように、騎士のようと評された黒江さんでさえ、敵意を露わにした。
「ああ、本当に。人としてあるまじき行いだ。償うこともせず、厚顔無恥にも程がある。」
今は空いている染谷さんの席の向こうからは、瀬名さんが悪意に満ちた声を上げる。
「同じ教室にいると思うだけでぞっとしますわね。姫野様も殺されないように十分お気を付けなさい。」
「ほーんと、用心しなきゃねー。」
これを黙って聞いていろと言うのか、古賀さんは。まだ試験は一日目。四日間の日程のため、今日を除いてもあと三回。いや、業間ごとに同じような言葉が投げつけられるなら、十回以上だ。
すぐ隣からは、木葉くんの机に腰かけた有瀬さんが蔑みを隠さずに言う。
「この鏡界学校の恥さらしね。私のお婆様の鏡界学校を穢さないでくれるかしら。」
有瀬さんのお婆さんが鏡界学校の経営者か何かであったとしても、有瀬さん自身は一生徒に過ぎない。
あまり話したことのない清水蓮という豹寮の男子生徒まで、この多対一の構造に加わった。
「教室に来るだけで不和の種を蒔けるなんて、ある種の才能だな。大した鏡操もできない、勉強もできない、運動もできないお前に、いったいどんな価値があると思っているんだ?」
教科書を持つ葉月くんの手は震えている。こんなのおかしいと我慢できずに叫ぼうとした時、教室に飛び込んで来る人がいた。
「おっはよーございまーす!あれ?まだ先生来てないの?もー、せっかく元気出したのにー。」
天羽くんの明るい声が、教室の中の嫌な空気を一変させる。この一瞬で興味を無くしたように、それぞれ勉強道具を片付け、試験に備え始めた。
葉月くんも他の子に遅れて廊下に出る。距離を取って、他の子が教室に戻るのを待っているようだ。いつもあのような言葉を浴びせられているのかと問いたい気持ちもあるが、聞いて良いものだろうか。大丈夫かという問いかけも躊躇われる。大丈夫なわけがないのだから、励ますような言葉が良いだろうか。しかし、大丈夫だよも、私がいるよも適切とは思えない。
結局、かけるべき言葉が見つからず、ただ黙って隣に立った。
「気にしないで。いつものことだから。」
「いつも?あんなのが?」
あり得ない、信じたくない、絶対におかしい。そんな感情が言葉に乗った。最初に罵倒を始めた水島くんも、私には勉強を教えてくれた。熱田くんも暴力や暴言をしていたわけではない。黒江さんも正義感に溢れる、勇気のある人だと古賀さんは評していた。瀬名さんは誰よりもしっかり掃除にも取り組み、掃除日誌だって付けてくれていた。姫野さんだって掃除を怠けるだけで、悪いことはしていない。清水くんのことはよく知らないが、大きな悪事を働いてはいなかった。
そんな人たちが葉月くんにだけ悪意を剥き出しにする様は、悪い夢でも見ているようだった。
「優しいね、花房さんは。あれでもましなほうだったんだよ。傍に花房さんがいてくれたからかな。」
「おかしいって言わなくていいの?」
「中間試験が全部終わってからにしようよ。勉強が疎かになっちゃう。」
既に勉強どころではない。教科書の内容や授業を受けることより大切なことだってあるはずだ。人としてあるまじき行いは、先ほどのようにみんなで一人に対して悪意をぶつけることではないのか。いや、正確には全員ではない。赤坂くんを除く狼寮と豹寮の全員だ。桃園さんや木葉くんも何も言いこそしなかったが、嘲笑うような表情を浮かべていた。
葉月くんに対して悪意を向けていなかった人も、行動は起こさなかった。私は近くに立っていただけで、古賀さんは普段通り本から目を上げなかった。赤坂くんだって、事前にそう決めていたとはいえ、誰も止めることができなかった。朱鷺寮の音無涼という男子生徒も興味なさげに一瞬ちらりと見ただけで、すぐ視線を外した。染谷さんは教室にいなかったため、仕方ないだろう。
あの異常な空気を変えられたのは天羽くんだけだった。本人は何も気付いていないように、教室に入ろうとする先生に何やら話している。
「そろそろ教室に入らないと。試験が始まっちゃうよ。」
「そう、だね。葉月くん、何もできないけど、業間には傍にいるからね。」
葉月くん自身が試験中に行動を起こしたくないのなら、私もその意に従おう。私が傍にいることで少しでも彼らの悪意から守れるというなら、傍にいよう。だけど中間試験が終わったその時には、これが異常なことなのだと主張する。
教室で本鈴を待つ間も、中学までの試験とは異なる緊張感に包まれる。これほど気合を入れて自席に座っていたことがあるだろうか。試験監督の先生の注意事項も頭に入って来ないほどだ。
「羽衣ちゃ〜ん、試験前の私にパワーを頂戴!すっごい憂鬱なんだよー、受ける前から返却が怖いんだよー。この世の終わりのような絶望に今、梨々花ちゃんは包まれてまーす!でも、羽衣ちゃんが応援してくれたら頑張っちゃうよっ。」
試験前の緊張にも、先ほどの出来事にも似つかわしくない態度と声で、桃園さんは話しかけてきた。試験程度でこの世の終わりだなどとふざけている。先ほどの光景を目撃し、自分も悪意に満ちた目をしておきながら、絶望だ何だとよくそう大袈裟に言えたものだ。試験への忌避感など可愛いものと言えるようなことを、自分たちは今していたではないか。
「あれ?羽衣ちゃん、どうしたの?ご機嫌斜め?大事な友達へのエールは?私、羽衣ちゃんに応援してほしいなー。試験頑張れーって。意外と羽衣ちゃんって気分屋さん?じゃあ私が羽衣ちゃんの気分が上がるように応援してあげる。フレー、フレー、う・い・ちゃん!」
本鈴はまだだろうか。もうすぐのはずだが、待っていると長く感じられる。背後から聞こえる雑音も、より試験を待ち遠しくさせていた。
黒板には氏名と出席番号を記入し忘れないようにという注意事項が書かれている。問題用紙と解答用紙が裏向きで配布された。まだ問題を見てはいけない。透けて見えないこともないが、そんなことをせずとも、試験時間は足りるだろう。一限目は私の得意な現代文だ。
「おーい、羽衣ちゃーん?聞こえてる?あ、そうだ!いいこと思いついたー!」
「桃園君。もう試験が始まる。」
「だって羽衣ちゃんがさっきから返事してくれないんですもーん。せっかく可愛い梨々花ちゃんがお願いしてるのにー!」
「試験前には集中する子もいるだろう?」
先生に注意されてようやく、桃園さんは静かにしてくれた。本鈴も鳴り、先生による始めの合図で試験が開始される。
こうして不安だらけの中間試験が始まった。




