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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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誕生日に向けての作戦

 ゆっくりと勉強に勤しんだ翌日の放課後、急いで二年Aクラスの教室へ向かう。今日は木曜日のため、部活はないものの鏡操の授業がないままなのだ。帰宅するため昇降口に向かう生徒たちとは反対方向、Sクラスの教室から最も近い階段を上がっていく。上級生もそれぞれ下りてきている中を逆走する。柊木先輩が帰ってしまっていないと良いが。

 空き教室、Sクラスの教室と通り過ぎ、Aクラスを覗く。既に掃除を終えており、鞄を持って教室を出ようとしている人が数人いるだけだ。その中には柊木先輩もいるが、栄お兄ちゃんも京極先輩もいる。残っている人の中で最も後方の扉に近かった柊木先輩が私に気付いて来てくれた。


「誰かに用事か?」

「うん、柊木先輩に、ついでに京極先輩にも聞こうと思ったことがあるんですけど……」


 他の人と何やら話していた栄お兄ちゃんもこちらに来た。これではこっそり好きな物を聞くことができない。何と言って誤魔化そう。


「羽衣、どうしたの?何かあった?」

「ううん、柊木先輩に聞きたいことがあっただけ。栄先輩には内緒だから。」


 誕生日のお祝いを企んでいると気付かれないよう、目を合わさないように気を付ける。笑っているような気配はするが、あえて確かめはしない。私だって栄お兄ちゃんに隠し事をすることくらいある。世界を越える鏡や私の鏡の向こうの自宅に帰ることに繋がりそうな情報なら全て共有する必要があるが、その他なら隠したって何の問題もない。

 絶対に見ないと心に決めていると、柊木先輩は教室の中を見ていた。その視線の先にいるのは京極先輩だ。


「それはここでできる話か?」

「栄お兄ちゃんがいなかったらできる話です。」

「俺は邪魔って?千尋、京極に変なことさせないでよ。」

「毎週会ってるんだから俺に言われてもな。まあ、一応気は付けるが。」


 もう一度柊木先輩に念を押して、栄お兄ちゃんは出て行った。少し意地悪なことを言ってしまっただろうか。追い払ったようになってしまった。土曜日に会った時に謝っておこう。その理由までは言えないが、内緒で相談したいことがあっただけ、とは弁解できる。

 教室に招き入れられ、京極先輩も近くの机に腰かけた。


「呼んだ?なんかずっとこっち見とったけど。」

「羽衣が聞きたいことがあるんだと。」

「あ、はい。栄先輩の誕生日をお祝いしたいんですけど、何が好きなのか分からなくって。お二人は親しそうですし、何か知らないかな、と。」


 今は京極先輩もカメラを提げていない。しかし、似たような小さな鏡の飾りが鞄にも付けられていた。その飾りを触っているが、癖なのだろうか。以前、赤坂くんが指摘したように、よく見ると僅かに指の先が鏡の中に入っているようにも見える。体調を崩す類の副作用ではないとはいえ、あまり鏡操をしていればどこかに不調を来たしたりしないのだろうか。幻覚を見過ぎても変な気分になりそうだ。

 本人は慣れているのか、鏡に指を入れつつも考えてくれている。目の焦点が合っていないようにも感じられるが、考え事をするために目を閉じる人もいる。似たようなものだろうか。


「ごめんな、うちもよう知らんわ。嫌いなもんやったら色々知ってんねんけど。」

「それも教えてください。」


 嫌いな物を贈ってしまう危険は減らせる。私は嫌いな物も知らない。食事の時も何かの食材などを不味そうに食べていた記憶はない。それは自分で作っているから、そもそも嫌いな食材や味付けにはしないだけか。


「まずうちやろ。恭弥くんも警戒しとったなぁ。あと、あなたに興味があるんですって言うてくるタイプの女。それから必要以上の干渉。羽衣ちゃんに言い寄る男もやな。言い寄ろうとしとるとか、不必要に接触しようとする相手もあかんみたいや。」


 贈り物の参考には全くならない。人に関するものばかりではないか。必要以上の干渉を好まない点だけが私に関係しそうだ。毎週あった出来事を報告するのはそれに該当しないだろうか。実は嫌がられていたのかもしれない。これも土曜日に確認だ。肯定されれば禁域や世界を越える鏡に関する報告を簡潔に行うだけに留めよう。少し寂しいけれど、鏡の向こうの自宅に帰るまでの間、お世話になる相手だから友好的な関係を維持していたい。

 京極先輩を好んでいないことは私にも分かっている。以前、自宅から追い返したのだから。嫌いというほどのものであったかは分からない。京極先輩が私に対してはっきり言えるということは、やはり親しいから、ともとれる。赤坂くんに関しても、自分で自宅に招いているのだから、嫌いということはないだろう。


「なんちゅう顔してんねん。そないに心配せんでもええ。要は妹が心配なお兄ちゃんってだけやから。一番好きなんはお兄ちゃんやでって言っといたらきっと安心するわ。間違っても恭弥くんの話はしたらあかんで?」


 遠縁という説明をしたような。赤坂くんの話はよくしているため、この忠告もよく分からない。何度赤坂くんの話題を出しても、さほど嫌そうな表情をされた記憶はない。日曜日に家に遊びに行く時も見送ってくれるため、私が赤坂くんと親しくしていることも問題ではなさそうだ。

 私には忠告の理由が分からなかったため、柊木先輩に説明を求めた。しかし、そっと目を逸らされる。


「柊木先輩?」

「妹からの贈り物なら何でも喜ぶだろうよ。そこまで大切にしてるならなおさらな。」


 やはり参考にならない。何でも喜ぶのが事実だとしても、私は好きな物を贈りたいと思っているのだ。その上、私は何を贈ったら良いかと聞いているのではなく、栄お兄ちゃんは何が好きかと問うているのだ。私の質問に答えていない。


「そうじゃないんです。」

「羽衣ちゃんはいっつも優しゅうしてくれる大好きなお兄ちゃんが喜ぶもんをきちんと贈りたいんやもんな?何がええか聞いて、何でもええは答えになってへんねん。」


 なぜここまで言われているのだろう。京極先輩にはそこまで栄お兄ちゃんの話をした記憶がないのだが、近所の人と同じような認識になっているようだ。

 されて困る誤解ではない。そう結論付けて、再び柊木先輩に問いかける。


「栄お兄ちゃんが何が好きか、知ってますか?」

「羽衣が喜んでる姿、とか。美味しい物を食べてる時の表情も好きみたいだな。」


 誕生日の贈り物の話をしていると分かってくれているのだろうか。他の親しい人に当たったほうが良いかもしれない。有瀬さんとも面識はあったようだが、親しいのだろうか。栄お兄ちゃんの口ぶりでは嗜好の話をしそうにない。


「美味しい物はいつも一緒に食べてますから。それも栄先輩に作ってもらってるから私からの贈り物ではありませんし。」

「千尋は自分の妹から何貰って嬉しかったん?それが一番参考になるんとちゃうか。」

「去年は七十二色セットの色鉛筆を貰ったな。他は財布とか筆箱の年もあった。」


 絵を描くから色鉛筆か。七十二色も入っている物は見たことがないが、探せば見つけられるのだろう。他の物も実用的な物だ。私から家族への贈り物とは大きく色合いが異なる。しかし購入する物となると、提案としては有難いが、今の私には実現が困難だ。

 栄お兄ちゃんも絵は好きそうだ。自分で描くことが好きかは分からないが、画集があった以上、少なくとも見ることは好きなのだろう。


「小さい頃なら道端で花を摘んできたり、折り紙で作ったりしてくれていたが。最近は手作りの物はなくなった。」

「そらそうや。お菓子作りか手芸が趣味の子くらいなもんやろ、そんなんすんの。今も大事にとってあんねろ?栞にしたりして。」

「ああ。外では使わないでって言われてるけどな。」


 妹さんとの関係は良好なようだ。しかし、高校生にもなってそのような贈り物をしても喜んでもらえるだろうか。部活のある日なら花を持って行って生けることはできる。

 鞄から手帳を取り出し、日付を確認する。ついでにペンでしっかりその日に丸を付けた。七月二十四日、火曜日。終業式の翌日だ。その前の部活は前の週の木曜日。花を生けることも難しいか。花壇の花を勝手に取ってはいけないことは当たり前だが、森の中に生えている植物を採集することはどうなのだろう。


「森の中に生えてる花とかって摘んでもいいんですか?」

「鏡界から持ち出さなければ、少し摘むくらいなら許容されてる。花を探すのに夢中になって転ばないようにな。」

「そんなに小さい子じゃないです!」


 探検に夢中になって段差から落ちたことはあるが、花を探しているなら足元には注意しているはずだ。それより、当日鏡界にいるのか、家に帰るのかが重要になってくる。今は土曜日に帰り、日曜日に鏡界に戻っている。それを同じように考えるなら終業式の翌日、つまり栄お兄ちゃんの誕生日当日に帰宅することになる。鏡界から持ち出せないなら摘んだ花を生けることも難しい。

 当日の予定を栄お兄ちゃんに確認しよう。鏡界にいるなら摘んだ花という贈り物もできるのだ。ここで手に入れた花を生けるという技術を使うのであれば、私からの贈り物として自信が持てる。


「何か思いついたんか?」

「はい、摘んで生けてあげようかと。その日に鏡界にいるかどうかだけ確認します。だから、ちょっと急ぎますね。相談に乗っていただいてありがとうございます。」

「気ぃ付けてな。」


 二人に見送られて廊下を走る。どこかに出かける予定でも一度は寮に戻るはずだ。真っ直ぐ豹寮に向かえば、校舎から豹寮の間の道で出会えるだろう。階段も一段飛ばしで駆け下り、昇降口を目指し、


「廊下は走らない!花房!」

「はい!すみません!」


 先生の横を通り過ぎようとしたけれど、名指しで呼び止められる。どうしてまだこの先生はこんな所にいたのだ。大谷先生は掃除が終わればすぐ生徒相談室に戻って行ったというのに。


「人にぶつかると危険だということくらい、もう分かるだろう。」


 教室の扉とは反対の廊下の端を走っていた。急に教室から人が出てきたとしてもぶつからない。この先生以外に廊下を歩いている人はいなかった。安全を確保した上で走っていたのだ。


「聞いているのか。いい、分かった。生徒指導室に行こう。」

「ええ!?私、急いでるんです。走ってすみません、もう反省しました。」


 心にもない謝意を伝える。早くしなければすれ違ってしまうかもしれない。栄お兄ちゃんが自室で勉強しているなら遅くなっても問題ないが、どこかの探索に出かければ明日以降になってしまう。


「そうか。生徒指導室でゆっくり聞こう。」


 聞き入れてもらえない。また反省文だろうか。いや廊下を走ったくらいでは書かされないか。誕生日のお祝いの準備のためと言えば、情状酌量の余地を感じてもらえるかもしれない。ここは大好きなお兄ちゃんのためという体で話を進めさせてもらおう。


「あのですね、一昨日、栄お兄ちゃんに誕生日のお祝いをしてもらったんです。すっごく嬉しくて、私もお礼に誕生日のお祝いをしようと思ったんですけど、何が好きか分からなくて――」


 先ほどの出来事とこれからしようとしていることを話し続けた。生徒指導室に着くまでと思っていたが、予想外に話は長くなり、硬い椅子に座らされてもまだ話は終わらなかった。


「――だから、急いでるんです。」

「廊下を走ってもいい理由にはならないな。」


 付け入る隙はなかった。これでは無駄にお兄ちゃんが大好きな妹になっただけだ。昇降口付近に行けば足を緩めるつもりだったのだから、そう怒ることはないだろう。誰も危険な状態にはなっていなかった。こんな所で足止めを食らっていては栄お兄ちゃんに話しに行けない。早く解放してもらえないだろうか。


「君は、一年Sクラスの子か。またそのクラスか、全く困ったものだな。毎日誰かが呼び出されて。ほぼ全員がここの常連じゃないか。花房も、校章はどうした。」

「え?あ、忘れてました。」


 胸ポケットの部分に着けることになっている。校則にはそう書かれていたが、教室では着けていない人のほうが多い。いつも既定の場所に着けているのなんて有瀬さんや瀬名さん、清水くんくらいだ。寮に戻ってから自分が着けていないことに気付いた日だって、こうして呼び出されることなんてなかった。ついでがあれば注意されるのだろうか。


「制服の改造は、していないな。」


 背中や袖、ズボンまでしっかり見て確認される。良い気分ではない。一見して気付かなかったのだから、粗を探すような真似をする必要などないではないか。


「なんですか、制服の改造って。」

「君のクラスには多いだろう。レースやフリルを着けていたり、刺繍を施していたり、切れ込みを入れていたり。コサージュくらいなら外せば済むから見逃すが、縫い付けている物は指導が入る。」


 記憶にない。明日以降、他の人の制服を注意して見てみよう。天羽くん以外も個性的な服装だったのだろうか。

 今回は反省文を書くことなく、口頭での注意だけで解放してもらえた。しかし、すぐ豹寮へと向かっても、栄お兄ちゃんに会うことはできなかった。明日は明日で勉強の予定だ。誕生日の話は土曜日にしよう。


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