体育祭に向けて
水曜日の五限目はホームルーム。大谷先生から事前に聞いていたように、一か月後に控える体育祭の出場種目を決定することになっている。そのため、水島くんによって種目名と定員が黒板に書かれた。100メートル走、200メートル走、障害物競争、走り幅跳び、走り高跳び、ハンドボール投げがそれぞれ男女二人ずつ。400メートルリレーが男女別でそれぞれ四人だ。
教卓に立った黒江さんが体育祭の説明を始めてくれる。
「一年の全員種目は大縄跳びだ。それから、体育祭の競技としては部活対抗リレーがある。こちらは各部活で決めるものだな。早速希望を書いてもらうが、赤坂君と花房さん以外は知っての通り、全ての競技の定員を足すと、他クラス全員が一回ずつ出場できる三十二となる。つまり、このクラスでは全員種目を除いて、一人あたり二、三種目出ることになる。希望は一人二つ書いてくれ。」
私は運動があまり得意ではない。一部良い記録の出た種目もあるが、花形競技への出場はやめておこう。短距離走は50メートル走なら悪くない記録だったが、100メートル走になると途端に遅くなった。リレーは特に避けたい。
まだできそうな種目は走り幅跳びと障害物競争くらいか。その二つに自分の名を書く。他の人たちも指示通り各々希望を書いた。運動が好きな人と好きではない人で希望がはっきりと分かれている。その中で定員を超えているのは走り幅跳びの男子と走り高跳びの女子。私の希望は争うことなく通ったようだ。
「天羽君、音無(おとなし)君、木葉君、水島君の中で他の競技に出ても良い人はいるか?」
「なら僕は100メートル走に変えるよ。」
木葉くんの発言を受けて、水島くんが変える。あと一人、誰か声を上げろとでも言うような圧力が黒江さんから発せられた。黒板の傍に立っている水島くんに視線が向かう。それに屈したのか、水島くんはやれやれとかぶりを振った。
「全く、天羽君や音無君に期待すべきではないね。この僕が譲ってあげようじゃないか。空いているのは、障害物競争か。」
自分で書き変え、走り高跳びの女子の部分にチョークを当てた。有瀬さん、古賀さん、染谷さんで一人多い状態だ。ここでも黒江さんが自主的に人数を合わせるよう促した。
「仕方ないわね、私が移るわ。リレーしか空いていないではないの。」
「ありがとう、三人とも。では次、男子400メートルリレーが不足している。」
葉月くんの分の希望が書かれていないため、二か所に空きがある。男子400メートルリレーに第一希望を出したのは熱田くんと赤坂くんのみだ。誰か二人が三種目出ることになる。
誰も発言しない。それに焦れたのか、水島くんがチョークを持ったまま、教卓に腕を付いた。
「本当に手のかかる連中だ。この面子でリレーに出る人など限られているだろう?去年もこの流れだったな。天羽君、運動では共に天下を取ろうじゃないか。」
「いいよー。」
無事、全ての種目の出場者が決定した。それを水島くんが真っ白な紙に書き写している間に、黒江さんがまた話を進める。
「では練習に関してだが、ホームルームの時間を確保してくださった。水曜日も体操着を忘れないように。個人種目に関しては各自に任せる。」
走り幅跳びの練習はどこでできるだろう。障害物競争はどんなものだろう。学校の行事だから練習をしなくても良いか。
体育祭に関することは全て済んだと、黒江さんが大谷先生を窺った。それを受けて、黒江さんに代わって大谷先生が教卓に立つ。
「少し早いけど終わりにしようか。掃除を始めてもいいが、隣のクラスはまだ授業だから静かにな。」
黒江さんの号令で礼を済ませ、各々掃除場所に向かう。半数はこの教室のまま、半数が隣の空き教室だ。私もそちらに向かうと、やはり掃除をしたくないと駄々を捏ねながら移動する姫野さんと桃園さんに絡まれた。
「フラワーちゃ〜ん、体育祭が楽しみ過ぎて掃除する気にならないよ〜。」
「羽衣ちゃん時々ぼーっとしてるけど、体育の授業はしっかりしてるよね。立ち幅跳びで二メートル近く跳んだ時は驚いちゃった。シャトルランは全然だったのに。これは走り幅跳びも期待できちゃうね!障害物競争はどうだろうね?楽しみ〜!」
放っておいても二人で話してくれるため、私は私で掃除の準備をする。今はこの教室で授業をしていないが、落書きはされている。花びらが一枚ずつ取れていく絵だ。赤や緑のチョークも使って描かれており、不規則な消し跡まである。その上、描いた線が消えていない。
綺麗に消せよと思いつつ、まずは線の跡を消す。それから黒板消しクリーナーに掛け、黒板消しが通った跡が目立たなくなるまで何度も上から下へ黒板消しを動かす。その間にもクリーナーに掛け、と数回繰り返し、最後は黒板下の溝を専用の小さな箒で掃いて終了だ。
「羽衣ちゃん偉いね〜。頭も制服もチョークの粉塗れになりながら掃除頑張ってるの!黙々と仕事をこなす職人さんみたい!芹那ちゃんみたいに口煩くもないし、授業もきちんと受けてるし。拓海くんと難しい話もしてる時あったよね〜。」
「桃園様は口ではなく手を動かしてくださらないかしら。もう終わってしまいましたけれど。」
その言葉通り、他の人たちで掃除を終わらせている。誰も姫野さんと桃園さんには期待していないのだろう。大谷先生に注意されてもどこ吹く風といった様子では無理もない。瀬名さんたちが言い合いをしている間に他の人たちは教室に戻っている。早く帰りたいわけではなく、単に掃除をしたくないだけなのかもしれない。少し手伝うだけでも、その分早く掃除を終わらせられるのだから。
私も鏡操の授業が控えているため、教室に戻ろう。しかし、ここに瀬名さんとその二人だけを残していくのも忍びない。
「瀬名さん、教室でゆっくり話そう?姫野さんと桃園さんも勉強したいでしょ?」
「そうですわね、掃除日誌もつけなくてはいけませんわ。しっかりお二人がおさぼりになっていたと事実を書かなくてはなりませんもの。」
聞こえるように宣言しているが、当の本人たちは気にしていないのか、堪えた様子がない。まだ体育祭の話を楽しそうにしている。去年の話のようで、誰が格好良かっただとか、自分もなかなか可愛かっただとか、そんな言葉が聞こえた。
自教室へ戻って行けば、隣から溜め息が零れる。表情もどこか沈んでいるようだ。先ほどまで元気に問答していたというのに、急にどうしたのだろう。
「どうしたの?」
「学生の本分を何だとお考えなのかしら、と。学校祭を楽しむのは息抜きとして必要ですけれど、色恋に現を抜かしてばかりではいけませんわ。いえ、花房様は勉学のほうもきちんと頑張って、両立させてらっしゃるから構いませんのよ。」
私は恋をしていない。両立はさせていないが、なぜか瀬名さんはそう思ってくれているようだ。勉強に関しては教室に残って試験勉強をしているが、同じ豹寮の水島くんも一緒のため、知っていて不思議はない。
毎日つけられている掃除日誌に、掃除道具すら持たず、と記される。そんな風に書かれていると知っているのかいないのか、二人は楽しそうに話しつつ、鞄を下げて教室から出て行った。
「花房様、あなたの恋人が机の用意を済ませて待っておられましてよ。早く行って差し上げては如何かしら。」
視線を辿れば、赤坂くんと目が合った。まだ六限の鏡操を始める時間ではないため、大谷先生も有瀬さんと話していて、急ぐ必要はなさそうだ。何となく赤坂くんに軽く手を振ると、瀬名さんがまた溜め息を吐いた。
「仲がよろしくて結構ですわね。何を分かっていないような顔をされているのかしら。わたくしも掃除日誌を先生に渡せばすぐ帰りますわ。智慧様と勉強会の予定ですの。」
「そっか、じゃあまた明日。」
私も鏡操の教科書とノートを取り出し、赤坂くんの隣に座る。瀬名さんは宣言通り、有瀬さんと連れ立って本当にすぐ教室を出て行った。有瀬さんは瀬名さんを待ちながら先生と話していたのかもしれない。
水島くんは自席で既に勉強を始めている。四人もいるというのに、静かな教室だ。そこに、鏡操の授業を進める大谷先生の声と、私たちの質問の声だけが響いた。
最後の授業を終えて、自席に戻る。するとそれを察知した水島くんが傍の机の向きを変えて、三人で勉強できるようにしてくれた。
「赤坂君、どこへ行こうとしているんだい?」
「え、いや、俺はパスで。」
そーっと鏡操の勉強道具を片付けて、抜き足差し足で教室を出ようとしていた。しかし、たったの三人しかいないこの教室でその努力は実を結ばない。どれほど上手く気配を消せたとしても、一緒に勉強するものだと思っている私たちが気付かないわけはないのだ。
勉強したくない人を無理に参加させる必要はない。そう手を振ろうとしたのだが、水島くんは挑発するような笑みを浮かべた。
「ほう?僕にとっては喜ばしいことだ。花房さんは素敵な女性だからな。二人で勉強できるならこれほど嬉しいことはない。」
「ありがとう。私も一人だと怠けちゃいそうだから、一緒に勉強してくれる人がいるのは助かるよ。」
嫌がる人と一緒に勉強しても集中できない。途中から遊んでばかりになってしまったり、会話ばかりになってしまったりする。勉強しようとする気があり、困った時には互いに教え合える相手が最適だ。前回は教えてもらうことのほうが多かったが、今日は私の好きな世界史をするため、そうはならないだろう。
早速勉強を始めようと勉強道具を整えると、赤坂くんも戻ってきた。無理して一緒に勉強することはないのだが、気分が変わったのだろうか。そのわりには不機嫌そうな表情だ。
「最初からそうしておくことだ。僕が本気なら君には何も言わずに二人きりの勉強会を楽しんだことだろう。ああ、それとも所詮は噂だったということか。それなら君に憚る必要はなかったな。」
「うるせえよ。お前は自称可愛い乙女の桃園さんに言い寄られてんじゃねえの?」
格好良いとか勉強ができるとか、やたらと褒めていた記憶はある。しかし、桃園さんから水島くんの話を聞くことは多くない。私が聞き流しているだけかもしれないが、少なくとも数えるほどしか聞いていない。その上、桃園さんは話している量自体が多いため、その中に水島くんの話が何回か混ざっていても、その話ばかりしているという印象にはならない。
勉強を始める様子もなく、水島くんは何かを思い出すような仕草を見せた。
「ああ、彼女はお喋りだからな。そう見えることもあるだろう。そんなものばかりに気を取られていては中間試験が心配だな。」
「余計なお世話だよ。お前だって羽衣と二人きりの勉強会とか言ってただろ。」
先に勉強を始めよう。今日は新しいノートも持って来ている。覚えられるよう、教科書とノートの内容を整理して一冊にまとめてみよう。固有名詞が多い分、覚えることは多いが、それぞれの繋がりを意識して物語のようにすれば覚えやすいだろう。好きな本の内容なら一度読んだだけで大筋は記憶できるのだから。
資料集も開ける。教科書とノートはおおよそ同じ内容だ。資料集の大半は授業で写真や絵を見るだけで、説明文などを読むことはなかった。その辺りも熟読すれば楽しく勉強できるかもしれない。
「気にしているのは君だけのようだな。見ろ、花房さんは我関せずで勉強を始めているぞ。」
赤坂くんもようやく教科書を取り出した。本当に提出物しかする気はないようで、問題集のない世界史の用意は出ていない。数学の問題集が開かれるが、解き始める様子もない。じっとこちらを見ているだけで、勉強をする気はやはりないようだ。それなら、栄お兄ちゃんの誕生日について相談してみようか。
「見つめ合うなら二人きりの時にしてくれるだろうか。気が散る。」
「ああ、悪い。羽衣も気にせず続けてくれたらいいからな。」
「分かった。ところでさ、栄先輩の誕生日のお祝いしたいんだけど、何なら喜んでくれるかな?」
自分では掃除や言葉しかできそうなことが思いつかなかったのだ。お金をかけられないため、できることが少ないのは仕方ないが、発想でどうにか解決できないだろうか。そんな思いが伝わったのか、勉強を始めようとしていた水島くんも手を止めて考えてくれる。
「栄先輩の誕生日ってまだ先だろ?今から考えんの?」
「花房さんと親しい先輩なのだな。趣味嗜好が分からない以上、迂闊な物も勧められない。その人は何が好きなんだ?」
自宅に本はたくさん置かれていた。特に絵に関する本は何冊もあった。料理も上手だが、好きかどうかは分からない。こうして考えてみると、自宅で栄お兄ちゃんと呼んで過ごし、もう二か月になろうとしているのに、私は栄お兄ちゃんについてあまり知らない。遠縁という設定で、私が記憶喪失であることにしているため、それ以前の話を知らなくとも不自然ではないからだろうか。
正規の手続きを省略して私の身分証を用意できるような人だ。しかし、それは趣味嗜好を推察する手掛かりにはなり得ず、誰かに言うわけにもいかない情報だ。
「分かんない。聞いてみるね。」
「仲の良い人に聞いてみるのも有効だ。こっそり用意して驚かせることもできるからな。」
祝いたい旨は伝えてしまっている。しかし、具体的に何をするかは伝えていない。そもそも決まっていない。栄お兄ちゃんと親しいのは柊木先輩しか知らない。赤坂くんも親しそうではあるが、あまり祝う気はなさそうだ。京極先輩は親しいのだろうか。家に招いたのだから親しいはずだが、妙な緊張感があった。本当に栄お兄ちゃんの好きな物を教えてくれるかどうか怪しいところだ。
ひとまず、柊木先輩に尋ねよう。きっと誕生日の贈り物として用意できそうな物を答えてくれる。




