家族との時間
五月十五日、今日は私の誕生日だ。落ち着かない授業を終えて、寮で身支度を済ませる。小走りで校門の前に行くと、同じように八限受けているだろうに、栄お兄ちゃんは先に着いていた。軽装で鏡を通り抜け、弾む足取りで駅へと向かう。
「羽衣は今日で何歳になるんだっけ。」
「十六歳だよ。栄お兄ちゃんの一つ下だね。」
また一つ大人になったと言えるが、私が誕生日を楽しみにしていたのはケーキが食べられるからだ。どんなケーキが売っているだろう。ショートケーキも良いが、私はチーズケーキが好きだ。誕生日だからたくさん果物が乗ったケーキも良い。見てから決めよう。
夕食も楽しみだ。寮の食事も栄お兄ちゃんの手料理も美味しいけど、たまには買ってきたご馳走も食べたい。ケーキはおやつだろうか、デザートだろうか。
「ご機嫌だね。そんなに楽しみ?」
「うん!だって年に一回の特別な日だもん。ねえ、栄お兄ちゃんの誕生日はいつなの?」
こちらに来た直後には答えてもらえなかった質問だ。その後、しつこく確認するような真似もしなかった。知ったとして、鏡の向こうにいた時のようなお祝いはできない。おめでとうと言えるくらいだ。姫野さんはそれでとても喜んでくれたが、栄お兄ちゃんはどうなのだろう。
隠すようなことでもないはずなのに、なぜか栄お兄ちゃんは少し答えを渋った。
「栄お兄ちゃん?私も誕生日のお祝いしてあげたいよ。」
「ああ、ありがとう。七月二十四日だよ。だけど、その気持ちだけで嬉しいよ。」
鏡の向こうの家族もよく言ってくれたことだ。気持ちだけで嬉しいと言われても、それを伝えるために私は何かしたい。鏡の向こうでは花を買って帰ったり、家事を手伝ったり、何かはしていた。栄お兄ちゃんには何ができるだろう。お金がかからないこと限定になるが、探せば何かはできるはずだ。
寮生活では手伝える家事があるだろうか。自室の掃除や洗濯はあるが、個人の部屋には家族でも入れたくない人もいる。
「自分の部屋に他の人が入るのは嫌?」
「相手による、かな。招くのは信頼できる相手くらいだね。羽衣なら隠すような物もないし、いつでも来てよ。」
隠す物なら私にもある。鏡の向こうに帰る方法を探すために記している日記は、栄お兄ちゃん以外には見せられない。私が鏡を越えて来た事実をそのまま記録しているわけではないが、七不思議に興味があるという言い訳が通用しなさそうなほど詳細に記している。私も部屋に招く相手には気を付けよう。
それはともかく、部屋の掃除などを手伝うことはできそうだ。しかし、それだけでは不十分に感じられる。家族の誕生日にも、贈り物をした上で掃除などをしていたのだ。贈り物は難しい。他に何ができるだろう。
「ほら羽衣、足元気を付けて。」
「うん。」
考えている間に駅に辿り着く。駅の名前も見慣れたもので、階段や手すりの見た目も鏡の向こうと変わらない。階段を下りた先に続く点字ブロックも、僅かな傾斜も同じだ。ここだけ見れば、鏡の向こうに帰れたのではないかという錯覚すら抱いてしまう。隣にいる人が栄お兄ちゃんであるため、すぐ現実に引き戻されてしまうが、鏡の向こうでここを通った時のことも思い出される。
洗面所の鏡を通り過ぎてしまう数日前、美優ちゃんへの贈り物を買いに行った。その時はお母さんと一緒だった。ここから三駅乗れば大きな駅に着き、そこから雑貨の店がいくつも入っているビルに行ったのだ。面白い物はもらった瞬間は楽しいが、その後置き場所に困るからという助言をもらいつつ、ケーキのように可愛く折りたたまれている、実用性のあるタオルを選んだことは記憶に新しい。結局渡せないまま、一か月が過ぎてしまった。
「切符を落とさないようにね。電車の乗り方は分かる?」
「分かるよ!」
渡してもらった切符を改札に通し、さらに階段を下りて行く。無くさないようしっかり握り、ここでも鏡の向こうとの違いに気付いてしまった。鏡の向こうでは切符を買わなかった。大きな駅には何度も行くため、自分用の交通系ICカードを常にポシェットに付けていたのだ。ここではそう行くこともないだろう。友達とカラオケに行くためのお金も、可愛いぬいぐるみを見て買うためのお金もないのだ。
すぐ到着した電車に乗り、人の少ない座席に座る。電車には詳しくないが、ここもそう大きな違いはないように見える。車内に向かい合うよう設置された長細い座席に、並んだ吊り革、扉の前だけ吊り革が短くなっているところも同じだ。お父さんやお姉ちゃんなら何か違いを見つけられただろうか。自分の乗った電車の車両番号を記録していたお父さんなら、どの型の何番の電車だとか、ここを走っていた電車かどうかも見分けられたかもしれない。
広告もよく見た物と似ている。どこの博物館あるいは美術館でこんな展示をしているとか、電車で行ける範囲の遊園地でこんな行事があるとか、この百貨店でどの地域の物産展をしているとか、そんな類の物だ。
「今日はどこ行くの?」
「駅から繋がってるお店だね。上のほうでケーキ見て、下のほうでローストビーフ買おうか。行きに雑貨屋の前通るから、そこで何か見てみてもいいし。」
「ケーキ何があるかな?」
通過する駅の名前が鏡の向こうと同じことを確認し、目的の駅で降りる。ホームの階から上がって改札をくぐれば、人通りも多い。駅からは出るが地下から出ることなく、逸れないよう隣を歩くが、手を繋がらなければならないほど人も多くない。
左右に服を売っている店や鞄を売っている店がある。その中で桃色の羊の小さなぬいぐるみがいくつもぶら下がっている店があった。
「可愛い……」
ふらりと引き寄せられてしまう。その羊のぬいぐるみに呼び寄せられた気分になり、ふっと手に取る。ふかふかした感触で心地良い。何だか私と一緒にいたいと呼びかけているような格好だ。両手片足を上げているように見える。同じシリーズと思しき鼠のぬいぐるみも視線で私に訴えかけているようだ。どちらも真ん丸で、両手で包み込める大きさだ。ぴょこんと立った耳も、ふにゃりと垂れ下がった耳も、何度も愛でたくなる愛らしさだ。
同じ種類のぬいぐるみをいくつも見比べて、やはり最初に目についた子を手に取る。手触りもよく、見た目も癒される。目は茶色の真ん丸で、表情が見えるわけではない。それでも何だか撫でたくなる魅力がある。
「それ、気に入ったの?」
びくりと肩が跳ねる。両手に一匹ずつ持った羊と鼠を見比べるけど、どちらとも選べない。持ったまま栄お兄ちゃんを見つめる。勉強の間に戯れる相手としても欲しい。自宅に置いておくのも良い。寮の部屋に置いておくのも良い。だけど、お小遣いがないから、自分では買えない。
「誕生日プレゼントにしようか。」
「二つともいいの?」
「いいよ。誕生日だからね。」
二匹のぬいぐるみを持って、同じ種類の子と見比べる。一番可愛い子を選ぼうと何匹も見るけど、やはり真っ直ぐ立っている子やしっかり顔の整った子ではなく、最初に手に取った二匹を連れて、レジに向かう。タグにシールを貼ってもらい、二匹を抱えて少し眺める。やはり可愛い。買ってもらえて嬉しい気持ちを込めて、栄お兄ちゃんにも見せる。
「可愛い羊さんと鼠さんでしょ?」
「うん、可愛いね。兎と犬に見えるけど。」
私が羊と呼んでいた子を自分のほうに向ける。垂れ下がった耳が長い。私の知る限り耳の長い動物は兎くらいだ。タグを確認しても、ウサギ、と書かれている。もう一匹、鼠と呼んだほうのタグはプードルだ。耳の付け根を飾る小さく黒いリボンが愛らしい。
「だって羊っぽい顔してたんだもん。プードルちゃんも後ろ姿が鼠っぽいし。」
名前は何にしようと考えつつ、自分のポシェットに二匹を詰める。潰れないようにそっと入れた。自分の荷物はそう多くないため、ポシェットに手を置かないように気を付ければ、潰れることはないだろう。
ほくほく気分で雑貨屋を出て、奥に進む。周囲にはぬいぐるみが見える店が他にもあるが、吸い寄せられるほどの魅力は感じない。もう既に二匹入手したからだろうか。
「ぷさぎとか可愛いかな?ピンクの兎でぷさぎ。」
「何の話?」
「ぬいぐるみの名前だよ。」
プードルは変えようがない。既にパ行だ。兎と羊でうさじでも良い。これは私が間違えたからだが、しっかり眺めた上で間違えたのだ。きっと似ていたのだろう。
エスカレーターで数階上り、ケーキなどお菓子が並ぶ階に辿り着く。和菓子も洋菓子も種類が豊富だ。小さな器に入ったパフェ、可愛い動物の顔を模したケーキ、花を模った生菓子と目移りしてしまう。ミルクレープも美味しそう。
「食べたいのがあったら言って。」
「うん、どれも美味しそうだから迷っちゃう。」
ベイクドチーズケーキもレアチーズケーキも食べたくなる。モンブランの種類も豊富だ。栗だけでなく芋のものもある。
ケーキ類が並ぶ階を一周し、どの店のケーキにするかをまず決めた。
「チーズケーキの店にしよう。そこからどれにするか決めるね。」
その店の前まで着けば、またじっくりと観察だ。土台のサクサクとした食感もしっとりした口当たりも好きだから、なお悩む。少し果物が乗っているものもある。イチゴやブルーベリーの名を冠しているものや、レモンの爽やかさを押し出しているものなど、どれも食べてみたくなる。
「うん、決めた。これにする。」
栄お兄ちゃんが店員さんに呼びかけると、にこにこと対応してくださる。小さな箱に二個のケーキを入れ、持ちやすい向きに変えて箱を差し出してくれた。傾けないように気を付けて両手で受け取り、栄お兄ちゃんについてエスカレーターに向かおうとすれば、箱を取られてしまう。
「自分で持つよ。」
「両手が塞がってたら危ないでしょ。エスカレーターではちゃんと手すり持っておかないと。」
片手で箱を揺らさないように持つ自信はないため、大人しく預けておく。ローストビーフの買い出しは長くかからない。私が選ぶことはないからだ。
買い出しを済ませて、自分たちの町に戻った。寮に戻るのだろう。そう予想していたのに、鏡の校門の前を通り過ぎる。
「戻らないの?」
「家に帰るんだよ。授業に出てるなら寮に戻らなくても怒られないから。朝も早めに出れば寮に寄っても授業には間に合うよ。」
早起きすることにはなるだろう。しかし、誕生日をゆっくりと、と考えるなら寮では難しい部分もあるかもしれない。外の音がそう聞こえてくるわけでも人が訪ねてくるわけでもないが、ごろごろと寝る直前まで話をするならやはり自宅だ。
少し悪いことをしている気分になりつつ、自宅に入る。まだ夕食には早いが、おやつには遅い時間。ケーキはいつ食べよう。
「ねえ、ケーキは?」
「もう食べよっか。お夕飯は少し遅めにして。」
「うん!」
お肉を冷蔵庫に入れると、電気ケトルに水を入れた。お皿とカップ、紅茶の茶葉もパック入りの物を用意して、後は湯が沸くのを待つだけだ。
先週のことは土曜日に伝えている。日曜日のことも日曜日に話せている。今日は昨日のことくらいか。相談しようと思っていたことがあったと思い出す。
「ねえ、有瀬鏡操士派遣会社ってのがあるんだって。私が帰る方法も聞けば分かるかな?」
「分からないよ。彼らもそれは知らない。それに、社外の人には鏡操に関する情報をあまり出さないからね。詳しい話を聞きたいならそこに就職しないと。」
帰りたい、という話でも駄目なのだろうか。世界を越える鏡を三年間で見つけられなかった場合は有瀬鏡操士派遣会社で探すことも考えられる。そうなるまでに帰りたいものだ。もしくは、他に鏡操士が集まる会社の人に聞くか。
「他にはないの?鏡操に詳しい会社か何か。」
「海外にも広げればもちろんあるけど、どこも部外者には何も教えないよ。みんなそれがどんなに危険なことか分かってるからね。」
現状では聞けない、と。やはり帰り道を知るための近道はできないようだ。地道に世界を越える鏡や禁域について調べるしかない。来年には鏡の向こうの家族と一緒に誕生日を過ごすことができるだろうか。
ポンと湯が沸く音がした。今日はせっかくの誕生日なのだ。来年のことなど考えず、今の時間を楽しもう。用意された紅茶に口を付ける。
「あつっ。」
舌を火傷しそうだ。ふぅふぅと用心深く飲み、買ってもらったベイクドチーズケーキに手を付ける。柔らかく、しかし崩すことなくフォークで切り分けられる。底の生地で一度引っかかるが、その部分も一緒に口に含んだ。甘さと香ばしさが同時に口の中を満たしてくれる。少し冷ました紅茶をまた飲めば、口の中がさっぱりとする。そこでまたケーキを食べれば、一口目と同じような美味しさが味わえる。
そんなふうにケーキを食べ終えれば、先に食べ終わっていた栄お兄ちゃんがにこにことこちらを眺めていた。
「何?」
「いや、本当に美味しそうに食べるなって思って。」
食器類を片付けてくれているのを眺めながら、残っていた紅茶をゆっくりと味わう。この後は何をしようと考える時間もどこかふわふわとした気分で、試験前であることなど忘れられるひと時だった。




