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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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大雨の探索

 微かな雨が降ってはいたが、気にするほどのこともないと三人での探索。それは誰も怪我することなく終わった。しかし翌金曜日、探索の続きをしようと約束していたのに、校舎と寮の行き来だけで全身がずぶ濡れになってしまうほどの大雨だった。そのため、探索を続行するかどうかの相談からだ。

 葉月くんの部屋に集まり、相談を始める。相談するまでもなく、朱鷺寮北の探索はできない。豹寮東の川も増水しているはずであるため、近づくのは危険だ。


「探索できそうなのは狼寮の西だな。」

「杜鵑寮の南も海岸まで行かないなら探索できるよね。」


 海も荒れているため、近づけない。しかし、杜鵑寮と海の間も距離がある。海に遊びに行く人がいることを考えると何かを隠すには適さないが、見落とすような場所はあるかもしれない。

 そうやって前向きに私と赤坂くんは相談を始めたのだが、葉月くんは浮かない表情だ。


「本気で今日も探索する気?」

「もちろん。雨だからこそ見えるものはあるかもしれないでしょ。」

「危ないのは分かってるから比較的安全な場所を考えてんだよ。」


 狼寮の西も南に行けば禁域、北に行けば斜面だけど、それさえ気を付ければ比較的安全だ。ここから近いという意味では杜鵑寮南のほうが行きやすいが、赤坂くんは結局狼寮まで帰らなければならないため、三人ともの移動が便利にはならない。


「うーん。俺は止めとくよ。零も来るかもしれないし。」

「なら今日の探索は俺と羽衣の二人だな。じゃ、行ってくるよ。」

「また後でね。」


 寮を出るが、まだ行き先を決めていないため、一度立ち止まった。軒の下にも関わらず跳ね返った雨で体が濡れてしまう。これでは傘を差しても頭部しか守れないだろう。しかし明日と明後日は休日。ゆっくり休めるため、問題はない。


「どっちに行く?狼寮西のほうが人が通ったことは少なそうだけど、杜鵑寮南も見落としがあるかもしれないよ。」

「南のほうは海のほうまで探索したいよな。この天気じゃ無理だし、今日は狼寮のほうにしよう。てか、羽衣は合羽持ってねえの?」


 私の手には傘が握られているが、赤坂くんは合羽を着ていて傘は持っていない。確かに探索するならそちらのほうが動きやすいだろう。


「うん。でも探索はできるよ。」

「羽衣がそう言うんならいいけど、風邪引くなよ。」

「大丈夫。」


 傘を差して、森に踏み出す。やはり跳ね返る飛沫ですぐ足はずぶ濡れだ。整備された道を歩いているため、まだ靴は水が染み込んでくるだけだが、探索を始めれば泥だらけになるだろう。

 火曜日に歩いた時よりもさらに激しい雨が、すぐ隣を歩いている人の表情も覆い隠してしまっている。きっと私と同じようにわくわくしているのだろうとか、それでも時折横を見つつ歩調を合わせてくれているのだろうとか、その程度しか分からない。


「狼寮周辺なら俺も少しは探索してるんだ。その時は何も見つからなかったけどな。」

「目線の高さが違うと気が付くことも違うかもしれないもんね。」


 道中も時折屈みつつ目的地へ向かう。舗装されている道の周辺は当然何もない。狼寮の裏に着くと、人が歩いた跡もなく、木々や草花が茂っている。校門ほどの大きな鏡なら見つけられるだろう。しかし、世界を越える鏡という物がどの程度の大きさか分からない以上、注意深い探索が必要だ。

 草の根も掻き分けて石もひっくり返して見る。もしかしたら京極先輩愛用の飾りのように指が入る程度の小ささかもしれないのだ。それが私の家族の下に繋がっていたとしても確かめようがないが、見つけなければどうにもならない。誰かの落とし物の可能性もあるため、見つけたとてそれだけで瞬時には喜べない。

 木々や岩々の影にも隠れているかもしれない。木の上かもしれない。そう体を伸ばし、縮めを繰り返しつつ進んでいると、木の根に躓いてしまった。慌てて幹に手を伸ばすけど、雨で滑って止められない。


「羽衣!」


 手を伸ばしてくれるけど、少し離れて調べていたため届かない。あえなく私の体は雨で緩んだ地面に崩れていった。顔も体も泥だらけだ。袖で顔を拭うと濡れていただけの袖も汚れてしまった。もう傘を差し直しても意味がないほどの惨状だ。


「大丈夫か?今日はもう難しそうだな。」

「平気だって。傘差さなくてももういいかな。どうせ濡れてるし。木の上も登ってみよう。」


 傘を閉じて、木に立てかける。だけど足掛かりが見つけられず、登り始められない。そういえば私は一人で登ったことがない。いつもお姉ちゃんやお兄ちゃん、その友達に支えてもらっていた。コツは教えてもらったが、落ちた時のことを思うと一人では勢いをつけて飛び乗ることにも躊躇する。

 落ちても下は柔らかい地面だ。そう気合を入れて、助走をつけるために距離を取った。


「いや、何する気だよ。風邪引いたら困るだろ。さっさと戻って風呂で温まらないと。狼寮のほうが近いけど、服の替えもないからな。貸して帰すわけにもいかねえし。」


 木登りは止められて、先ほど置いた傘が私に差される。既に激しく濡れているため、もはやこれ以上濡れようが関係ない気もするため、受け取りはしたものの再び閉じる。


「差しとけって。濡れたままも良くないけど、雨に打たれ続けるのはもっと良くないだろ。」


 再び傘を差し出されるが、今度は私が持ち手を握っても離してくれない。また閉じてしまうと思われているのだろうか。諦めて一緒に持った状態で杜鵑寮に向けて歩き出す。今日の探索はこれで打ち切りになってしまった。まだ体力が残っているため、もう少し探索をしたい気持ちはあるが、この様子では止められそうだ。

 私にも合羽があればもう少し探索はしやすかっただろうか。明日栄お兄ちゃんに頼んでみよう。


「羽衣は風邪引いたことねえの?そんだけ濡れればまず体温めないとってなるだろ。」


 風邪は小学校まではよく引いていた。市販薬を飲めば数日で治ったため、さほど危機感はない。その原因も多くは季節の変化や学校行事などで疲れが溜まったことであり、雨に濡れたことではない。外で遊んだあとは体を温めるようよく言われ、両親がそうなるよう気遣ってくれたおかげかもしれない。

 心配されつつ少々早足で杜鵑寮を目指す。そういえば、転んだ時に髪飾りを落とさなかっただろうか。手で確認すればしっかりと着いている感触がした。


「ああ、それにも泥跳ねてんな。ちゃんと体温めて、水気を取ってから洗えよ。そういうのは後回しで。」

「落としてないか確認しただけ。大事な物だから。」


 顔にも泥が付いたのだ。髪飾りも汚れて当然だ。洗ってもどこまで綺麗にできるだろう。衣服用の洗剤と同じ物で十分に汚れは落ちるだろうか。付いたのはただの泥でも、少し色が残ってしまうかもしれない。


「大事だったら探索の時は他のにしとかねえの?」

「お気に入りだからいつも着けてたいの。でも、これからはそうする。落として無くすほうが嫌だから。」


 授業には今まで通りお気に入りの物を着けて行こう。無くす危険性の高い時は、無くしてもお気に入りの物ほど悲しくならない物にする。

 何度も顔色を窺われながら寮に着いた。玄関まで上がり靴を履き替える所で、このまま上がれば階段などを汚してしまうと気付く。タオルも鞄に入れてはいたが、役に立たないほど濡れている。汚れは取れるだろうか。


「床くらい後で掃除すればいいだろ。さっさと部屋行くぞ。」


 取り出したタオルを奪われ、傘も一度傘立てに入れられる。傘を干すことも後回しにされたようだ。拭く用のタオルを取りに戻る必要もあるため、どのみち傘はこのまま持って上がれない。

 少し体が冷えてきたような気もする。日中も昨日や一昨日ほど暖かくはなかったが、涼しいと言える範疇だったはずだ。一日中雨だったため、夜もそう大きく気温が下がるとは思えない。

 くしゅ、とくしゃみが出てしまった。寒いという感覚もないのだが、心配そうな顔で体を支えられてしまう。


「大丈夫か?」

「うん、平気。」


 そうは見えねえけど、と呟かれるが私には自覚症状しか答えられない。現状、体に大きな異変はない。他人からどう見えるかは鏡がないため私には判断できないことだ。

 部屋に着くと、脱衣所に押し込まれた。


「雑巾二枚とバケツ借りてもいいか?羽衣が温まってる間に綺麗にしとくから。」

「え、でも、それは私がきちんとやらなきゃ。」

「そんなのしてる間に風邪引いたらどうするんだよ。いいから羽衣はさっさと風呂入っとけ。」


 自分の合羽もいつの間にか脱いで私の部屋に置いている。脱衣所兼洗面所の上方などを見ているため、バケツ類を探しているのだろう。

 もう一度くしゃみが出る。本当に冷えてしまったようだ。


「それなら、じゃあ、お願いしてもいい?」

「ああ、任せとけ。」


 洗面台の下の棚から頼まれた物を出すと、それだけを受け取って部屋から出て行った。私の学生証は部屋に置かれたままのため、戻って来る時には呼び鈴が鳴るだろう。聞き逃さないようにしなければ。

 泥まみれの服は洗面台の中に入れ、髪飾りは一度上に置いておく。湯を溜めつつシャワーを浴び、ついでに汚れてしまった髪もシャンプーで綺麗にしよう。リンスも省略せずにしなければ、また栄お兄ちゃんに溜め息を吐かれてしまう。翌朝髪を梳かしにくくなってしまうため、よほど疲れている時以外は自分でも省略しようとは思わない。

 髪を洗い終わってもまだ湯は十分に溜まっていない。体も洗って、転んだ拍子に怪我をしていないか確認する。痛みはさほどなかったが、念のために、だ。

 お母さんのように手術の痕も、お父さんのように山で枝が刺さった痕もない。お姉ちゃんも骨折をしたことがあったが痕にはならなかった。お兄ちゃんは病院のお世話になるような怪我はしていなかった。私も転んだり躓いたり、小さな怪我は何度もしたが、怪我で病院の世話になったことはない。

 服で覆われている部分に怪我をしているはずはなかったのかもしれない。そこまでの衝撃だったのなら直後に痛かったはずだ。そんな振り返りをしながら体を洗っている間に湯が溜まった。

 首までしっかり浸かると、足先までじんわりと温かくなる。動いていたから自覚がなかっただけで、体は冷えていたようだ。

 

 十分に温まった頃、浴室を出る。足拭きマットもバスタオルも何も準備しないまま風呂に入ってしまったため、床を濡らしながら干したままのそれらを回収した。しっかりと着替えまで済ませれば、使ったそれらを洗濯機に放り込む。洗面台に入れていた服の泥は一度落とし、それから洗濯機に入れた。

 手は今の洗濯で少し冷えてしまったが、体は十分暖かい。私も掃除のため階段へ向かおう。しかし、もう拭き終えたようで、呼び鈴を押そうとしていた赤坂くんと鉢合わせた。


「赤坂くん、ありがとう。」

「いいんだよ、これくらい。羽衣は大丈夫か?寒気とかしてないよな?」

「大丈夫。心配してくれてありがとう。」


 自分の部屋に戻りつつ、体調には何の異常もないことを伝えていく。この廊下も雑巾を一度洗ってから拭かなければならない。自分の部屋の中も、だ。ただし、それは一番後で良い。

 ぱたぱたと洗面所に向かい、雑巾を洗おうとすれば、手から雑巾は奪われる。


「そうだ。俺も温かい白湯が飲みたいな。羽衣、入れてくれないか?」

「え、あ、うん。白湯でいいなら。」


 雑巾は任せ、台所で白湯を入れる。水筒にお茶なら入っているが、ぬるいものだ。赤坂くんも体が冷えてしまったのだろうか。合羽を着てはいたが、足元は濡れ放題だ。白湯くらいなら沸くのを待つだけのため、火にかけるだけかけて、すぐ洗面所に戻る。暖房を入れるような季節ではないが、膝掛けくらいは欲しいだろうか。

 聞きたいが、まだ洗ってくれている。急ぐことでもないため、部屋の床をタオルで拭く。こちらにはさほど泥が落ちていないため、そのまま洗濯機に入れてしまっても良いだろう。


「これ洗濯機に直接入れていいのか?」

「うん、お願い。それと、膝掛け要る?」

「自分で使ったらいい。羽衣のが冷えてるだろ。俺は大丈夫だから。」


 肌掛け布団で代用もできるが、必要ないなら片付けておこう。私も必要なほど冷えていない。廊下なども綺麗にした後、白湯で一息吐いてもいつもの探索終了時間よりまだ早い。夕食の前に葉月くんに探索の報告をする時間までありそうだ。


「何にもなかったね。」

「そうそう見つからないだろ。毎回あの研究所跡みたいなの見つかっても怖いし。この学校何なんだって。」


 それには同意だ。いったい何人が無事に卒業できるのかという状況になってしまいそうだ。他の安全そうな遺跡のような物や、怪しげな装置のない所なら期待もしつつ探索できるだろう。


「葉月くんとこ行こう。」

「盛大に羽衣が転んだとこ報告しなきゃな。」

「そうだね。今日は止めとくって言ってたのは何か勘が働いてたのかも。」


 成果はないが、反省点は共有しよう。やはり雨の日は転んだ時の被害も大きいため、平地でも探索は控えたほうが良さそうだ。合羽を着たとしても、小雨程度の時だけにしておこう。


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