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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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勉強会の約束

 試験日程や提出物が発表されても、まだ授業は変わらない。試験範囲が終わっていない科目もあるため、授業の進捗度によっては直前まで通常授業が続く。早く進んでいるため直前一回程度自主学習を挟む予定だと言ってくれる科目の先生もいることはいたが、既に終わっている試験範囲から提出物などを片付けていくべきだろう。

 少々緊張感の高まった教室で掃除も終えると、特別な八限目のない今日は真っ直ぐ部室に向かう。しかし廊下に出ようとしたところで、有瀬さんに声を掛けられてしまった。


「花房さん、もうすぐ中間試験ね。何か対策でも立てているのかしら。」

「どうしたの、急に。」


 有瀬さんとは試験に関する話をしていない。席も離れているため、水島くんとのように授業中に話すこともない。授業中に課される確認問題などの正答率も有瀬さんには分からないはずだ。それとも、有瀬さんは全員が何かしらの試験対策を取っていると思っているのだろうか。

 どのような意図があるのか分からないまま、薄く笑う有瀬さんを見つめ返した。


「いえ、ね。授業中によく注意される不真面目さんのようだから、勉強でも見てあげようかと思ったのよ。編入後最初の試験で赤点なんて取りたくないでしょう?」


 取りたくはないが、赤点の基準自体知らないため、私自身どこまでその可能性があるか分からない。ただ、赤点回避のためであっても常からよく話す人に教わりたい。それこそ水島くんから教わったほうが、今までの確認問題の正誤点を知っている分、効率的に勉強できるだろう。


「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも大丈夫。毎日友達と勉強会もしてるから。」

「あら本当に?赤点は平均の半分なのよ?取ってしまっても補習という救済措置はあるけれど。勉強会という名のデートをしていては危ないのではないかしら。」


 つまり有瀬さんは私が平均点の半分も取れないと思っているようだ。平均点がどの程度のものか分からない以上確かなことは何も言えないが、私が心配するのは英語だけで良さそうだ。しかし、それを主張した場合、赤点を取る可能性があれば有瀬さんに教わることを受け入れることになる。他人の勉強会をデートと嘲笑う子になど、教わりたくはない。

 授業中の様子から、こんなふうに絡んで来るなんて。これは相手にしていては部活に行く時間が遅くなってしまう。


「水島くん、もし不安になったら一緒に勉強してくれる?」

「良い提案だ、花房さん。部活停止期間に勉強会を開催しよう。僕と君でワン・ツー・フィニッシュと行こうじゃないか。有瀬さん、今回は君に負けないよ。」

「ええ、望むところだわ。」


 教室を出ようとしているところを呼び止めると、試験前の勉強会が決定された。もし、という言葉は聞き流されたようだ。私としてはただの口実にするつもりだったのだが、これは逃れられないだろう。学年一位を狙っているのだろうか。私は中学でもそんなところにいなかった。本当に一方的に教わることになってしまうかもしれない。


「赤坂君も連れて来るといい。彼の学力は分からないが、授業中の様子を見る限り、僕の力が必要そうだ。では、僕は部活があるのでこれで失礼するよ。良い返事を期待している。」

「うん、ばいばい。」

「彼らが足枷にならないといいわね。良きライバルとなることを期待しているわ。」


 有瀬さんも教室を出て行き、私もようやく部室に向かえる。早く行けばその分早く部活は終わる。その時間だけ探索できるのだ。そう気合を入れて鞄を抱えなおすと、今度はまた別の人に声を掛けられる。


「羽衣、今日の探索はどうする?ちょっと雨降ってるけど。」

「もちろん行くよ。今日は元気だからね。」


 赤坂くんだった。降っているとも言えないほどの雨であるため、探索に大きな支障はないだろう。きっとすぐに止む。待ち合わせの約束もして、今度こそ華道部に向かった。


 話してから来たが、部室には京極先輩しかいなかった。鞄はさらに三人分置かれているため、花を温室に取りに行ってくれている最中なのだろう。京極先輩は机に新聞紙などを敷いている。


「お疲れ様です。」

「ああ、羽衣ちゃん、お疲れさん。もう終わるとこやし、空いてるとこ座ってて。じきに戻ってくるさかい。」


 空いている机に鞄を置き、自分の花切り鋏だけ用意する。花器は花を見てから決めよう。京極先輩も机の五組に新聞紙を敷き終えると、同じように花切り鋏だけ用意し、私の傍に来た。


「手ぇどうしたん?怪我してるやん。」

「ああ、昨日ちょっと転んじゃって。擦れるとひりひりするから一応絆創膏貼ってるんです。大した傷じゃないんですけどね。」


 昨日斜面で滑った時に小石か何かが手元にあったようだ。授業を受けるなどしている時にはさして邪魔にもならないため、意識から外れていた。お風呂に入る時に沁みて思い出す程度だろう。

 その手をひっくり返して観察される。手つきが優しいため、他に怪我がないか見てくれているのだろうか。


「連日探索してたらそういうこともあるわな。おっきい怪我せえへんように気ぃつけや。」

「はい、一人では探索してないので大丈夫ですよ。」


 今日も部活後、三人で探索する予定だ。鏡の向こうの話をしないように気を付ける必要はあるが、私にとって楽しい時間が待っている。この部活の時間も好きであるため、急いで終わらせるようなことはしない。


「嬉しそうな顔して。分からんでもないけどな。恋人と一緒に過ごすんは大したことしてへんくても幸せや。」


 京極先輩にはそのような相手がいるようだ。恋人に限らず、家族や友達でも同じことが言えるだろう。寮生活では家族に会いにくいだろうが、友達や恋人になら毎日だって会える。私の場合はここでの家族と言える栄お兄ちゃんが同じ鏡界に通っているため、家族でも毎日会えると言える。

 握った手を指で撫でてくれているが、いつまで握っているつもりなのだろう。


「何惚けた顔してんねん。さっき恭弥くんと話しとったやん。」

「え?見てたんですか?」

「廊下出たらちょっと遠いけど見えるで。もちろん話の内容までは聞こえんけどな。今までのこと考えたら、約束してんねろなくらいは見当つくわ。」


 推測が当たっているため、返す言葉はない。それすら楽しそうに京極先輩は受け入れてくれた。そうこうしているうちに三人がバケツを下げて戻ってくる。その音で京極先輩も手を離し、それぞれお花の準備を始めた。私も岩倉部長の書いた数通り花を自分の席に持って行き、準備をしよう。

 花器はどれにしよう。今日のお花を確認して、どの形、どの色にしようか選んでいった。




 大谷先生からの指導も終わり、周りを見ると、いたのは京極先輩と森川先輩だけだった。他の二人はもう一つの部活に行ったか何かしたのだろう。今日は、京極先輩は写真を撮るために最後まで残ったようだ。何度もシャッターを切る音が聞こえていた。


「お疲れさん。生けてるところとか撮らせてもろうたわ。現像できたら見たってな。」

「はい、楽しみにしてます。」


 どんなふうに撮ってくれたのだろう。デジタルカメラでないため、その場では確認できない。私が使ったことのあるカメラより大きな物を首から下げていて、やはり飾りの小さな鏡に指を入れている。よほどお気に入りなのだろうか。幻覚の見える副作用があったはずだが、会話に支障を来たしている様子はない。

 京極先輩に見られつつ、花や花器を片付ける。もう飾りの鏡を触っているだけで、今日は満足したのか、写真を撮る様子はない。


「その飾り、気に入ってるんですね。」

「ん?これか。せやな、うちの大事なもんや。別にこれでなくてもええんやけどな。大きさがちょうどええねん。」


 簡単に掴める大きさということだろうか。鏡としてはあまり役に立たなそうだが、手遊びに使うだけなら何の問題もないのだろう。見えるという幻覚も、目の前の風景を覆い隠してしまうほどのものではないのかもしれない。先ほどから私は移動しているのに、京極先輩の視線は間違いなくついて来ている。


「副作用、重くないんですね。」

「かなり軽いほうやで。Aクラスやからな。岩倉先輩なんか一番下のGクラスやからな、鏡操の度に死にそうになっとるわ。卒業するまで一回も帰省せえへん言うくらいや。」


 中等部から通っていて、卒業するまで六年間。家族に会えなくなるというのに帰らないと言うほど、その症状が重いようだ。それでも毎週鏡操の授業があるこの鏡界学校に通い続ける理由があるのだろう。

 隣で本を読んでいた森川先輩が鍵を手に取って立ち上がった。


「ここに用がないならもう閉めるよ。」

「うちらも帰ろか。千尋んとこ遊びに行くか?すぐそこやし。」


 生徒相談室や生徒会室の前を通る必要はあるけど、後ろめたいことは何もないため、堂々と通り過ぎる。しかし他の部活に遊びに行くなど迷惑ではないだろうか。将棋部は将棋部で活動をしているはずだ。私もこの後探索する予定がある。


「あの、私は約束があるので失礼します。」

「探索デートやったっけ。それ以上怪我せんようにな。やっぱ送ってったるわ。花持ってると手ぇ付けへんやろ?怪我するくらい疲れとったんなら躓くかもしれんし。ちょっと寄ってくし待っとってな。数分で終わらせるわ。」


 将棋部の前で待たされる。少しくらいなら構わないだろう。こんな小さな怪我でも気にかけてくれているのだから、無下にはできない。

 扉も開けたまま、京極先輩は部室の中で話しかけた。無断で入ったことには数人が気付いているのに、誰もそれを指摘しない。よく遊びに来ているのだろうか。


「ご機嫌よう。ちゃちゃっと生けてまうわな。今日のメインはガーベラ。綺麗やで〜。」

「いつもありがとう、京極さん。ずっと頭使ってると疲れるから、そういうのあると癒されるんだ。また今度お礼するよ。」

「ええってそんなん。うちが持って帰ってもどうせそんな見やんし、ここで色んな人に見てもろうたほうが花も喜ぶわ。」


 窓際の水盤の近くに花を置き、手早く生け始めた。時折花切り鋏で長さを微調整しているが、先ほど数回生けているため、悩むことなく花や葉を剣山に突き立てていく。

 部屋の中には見学の時のように幾つかの机にオセロや将棋の盤が置かれている。その横に置かれた筆箱程度の大きさの機械を度々押さえて、交互に駒を置いている。柊木先輩も将棋を指しているようだ。


「千日手だ。決着はまた明日だな。」

「まじで?今のずるくね?俺優勢になりそうだっただろ。」

「だからだろう?功を急くからだ。残念だったな。亜希子が来て焦ったか?」


 筆箱大の機械を叩き、体を伸ばしている。試合を終えたようだ。対戦相手は既に試合の終了した盤を凝視している。終わった後の盤からも何か得られるのだろうか。いくつかの駒を置き直している。この時こうで、とぶつぶつ言い始めたため、復習しているのかもしれない。

 生け終わった京極先輩が水盤に水を入れ、柊木先輩のほうに寄った。


「お待ちどう。今日は羽衣ちゃんも待たせてんねん。怪我して荷物も多いのに一人で帰らせるんもどうかと思ってな。」

「そうか。じゃあお先に。また明日な。」


 ひらひらと手を振るだけで返事をした対戦相手に見送られた二人が私の所に来る。花の分、京極先輩は入った時より身軽だ。


「お疲れ様です。」

「ああ、お疲れ。怪我したんだってな、大丈夫か?」

「擦り傷ですよ。言うほどのこともありません。」


 手のひらを片手ずつ見せる。絆創膏を数枚貼っているだけで、大怪我でないことは伝わるだろう。一人で戻っても問題ない程度だ。しかし、私の抱えていた花は取り上げられた。力を入れずに持っていたため、奪うような勢いではなくとも簡単に取られてしまう。


「痛そうだ。今日も探索するつもりなのか?」

「そのつもりです。お風呂に入る時に沁みる程度ですよ。一限に体育だってしたんですから。」


 球技も問題なく参加できた。拳を握り締めると痛むが、わざわざ伝える必要はない。日常生活で拳を握り締めなければならない状態などそうそう来ないのだから。探索の時も場所を選べば手をつかなくて良い。今日は杜鵑寮側にしてもらおうか。


「無茶はするなよ。」

「自分の限界くらい羽衣ちゃんかて分かっとるやろ。相変わらず心配性やなぁ。なあ、羽衣ちゃん。」

「え、えと。気を付けます。」


 手を少し擦っただけで無茶とはどういうことだろう。どんな転び方をしたと思われているのか。心配性という点に関しては分からないため返事を濁し、無茶をしない点についてだけ答える。今までも無茶などした覚えはないため、行動自体を変える必要はないはずだ。

 しかし柊木先輩の目は少々鋭くなり、私を通り越して京極先輩に向けられた。


「どの口が心配性だと言ってるんだろうな。去年探索と言って骨折したことを忘れたのか。」

「忘れた言うたら怒るやん、あんたは。気ぃ付けや。治るまで一人で歩かせてもらえへんかってんから。」

「当たり前だろう。どうしてお前は折れた足で歩こうとするんだ。」


 仲が良い、のだろう。言い合ってはいるが険悪な雰囲気ではない。この空気は杜鵑寮に着くまで続いた。他にも京極先輩が無茶をして怪我した話や、その度柊木先輩に怒られたという話が次々と挙げられる。そのため、私はほとんど聞いているだけの状態だった。


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