もうすぐ中間試験
勉強もそこそこに昨日の放課後はゆっくり休み、しっかり気力を充実させた。気を取り直して授業を受ける。昨日の暗い空とは打って変わって、青い空が私を応援してくれているようだ。
「花房、聞いているかね。」
「聞いてます。」
今は四限の数学1の授業中。先ほど新しい単元に入り、問いの解説がされている最中だ。当然、数分前に聞いた例題の説明と同じものが繰り返されているだけのため、新しく得られるものはない。それでも聞いているふりはしなければ、こうして先生に注意されることとなる。
教科書に並ぶ記号と数字。それと同じ内容の黒板を指し示しつつ、説明が続いている。教科書のどのページを見ているかまでは分からないだろう。この無駄な時間を前の単元の復習に充てよう。
以前の授業で一度解いた問題を下敷きの裏に解き直す。先週の授業の内容であるため、まだ記憶は鮮明だ。公式もしっかり覚えている。念のためにその時のノートを見返し、答え合わせを行うが、正解だ。
「では、次の問いを解きなさい。」
問いの解説が終わったようだ。新しい問いは説明された要素が同時に出てきたり、数字が切りの良い数字ではなくなったりしただけで、することは変わらない。そう長くかかることなく解き終わるが、これは一つ一つ丁寧に解く人の速度に合わせられるため、まだ解く時間だ。分からない人に先生も教えているようであるため、もう少しかかりそうだ。
私は復習の続きでもしていよう。そう下敷きを裏返すと、隣からとんとんと机を叩かれた。
「ねえ、花房さんって数学得意?」
「得意ってわけじゃないけど。これは解けたよ。」
「良かった。ねえ、ここ教えて。なんでこうするか分かんないんだよね。」
染谷さんにはこうしてたびたび尋ねられている。全体に向けた説明では理解しにくいようだ。しかし、私がこうして先ほど先生が言った内容を繰り返すと、簡単に納得してくれる。
「ああ、そういうことだったんだね。ありがとう。」
私は同じことを言っただけなのだが、染谷さんにはそれで充分なようだ。教科書の例題にも同じことが書かれているが、読むより人から聞いたほうが理解しやすい性質なのだろう。
染谷さんのおかげで暇な時間を少し潰すことはできたけど、まだ解く時間は終わらない。教科書のページを前に戻し、式を考える。
「花房、今はその授業をしていない。真面目に受けなさい。」
「もう解けました。」
「何度も解けば覚えられる。一度だけで終わらせるな。」
渋々教科書を今日の授業のページに戻す。説明を聞いた直後に全く同じ数字の問題を何度も解いたところで、力にはならないだろう。その場凌ぎの暗記ができるだけだ。
雲一つない、少なくとも私の席から見える狭い空には雲一つない晴天が腹立たしい。こうしてただ椅子に縛り付けられるだけの無駄な時間を過ごさされている。数学の勉強をしており、他の人の迷惑にもなっていないのだから構わないではないか。早くお昼休みにならないだろうか。
くるりと前の席の水島くんがノートとシャーペンを持って振り向き、椅子を寄せてきた。どこか笑っている気がする。
「花房さんは要領が悪いな。あんなもの、近くを通る瞬間だけ教科書を戻しておけばいい。見てみろ、古賀さんなんか読書しているぞ。」
業間にも読んでいるブックカバーのされた本を、堂々と机の上に出している。先生が古賀さんのほうを向いた時だけノートの下に入れ、他の子に教え出すとまた読書を再開する。読んでいるのになぜ先生が自分のほうを向いていると分かるのだろう。
「器用だね。」
「君の集中力も尊敬に値するものだ。それとも、予習でもしてきていたのか?」
「ううん。数学はどうせ暇になっちゃうから復習だけだよ。」
授業中に復習を済ませられるとさらに楽なのだが、それはあの先生が許してくれない。ぼーっと過ごすくらいなら前の単元の復習でもしていたほうが、試験の点数も伸びるというのに不思議なものだ。
「なるほど、やはり尊敬すべき集中力と理解力だな。一度聞いただけで人に説明できるのだから。僕も自信はあるが、これでも予習は怠っていないのでね。」
「ちゃんと予習してるんだ。偉いね。」
私も科目によってはしているが、大半の科目は授業で初めて教科書の該当ページを見ることになっている。それでも今はまだついていけないという感覚を得ていないため、予習しなければという意識も薄い。
ふっと近くに影が落ちた。
「花房、水島。私語は慎むように。」
「理解の仕方を話し合っていただけですよ、先生。教えることで理解も深まる、そうですよね?僕と花房さんは互いに他の人に教える時はどうするかを伝え、僕たち自身の理解を深めていたに過ぎません。きちんと、今の問いに関する相談ですよ。」
「そ、そうか。」
上手な言い訳だ。先生もそれ以上何も言えず、黒板の前に戻って行った。ようやく問いの答え合わせだ。これも一つずつ解説されていく。
欠伸を堪えながらの四限が終わり、待ちに待ったお昼休み。桃園さんに呼び止められる前に、古賀さんの席へ向かった。
長閑な昼食の時間を終え、五限目。試験日程と試験範囲が発表された。再来週の月曜日から木曜日までの四日間、一日三教科の日程だ。来週の月曜日からはどの部活も活動が禁止される。当然、毎週木曜日の華道部もお休みだ。
恙なく掃除と六限目の鏡操も終わり、今日こそ探索に出撃する。葉月くんも一緒に行くため、今日は一度杜鵑寮に戻らなければと足早に寮に向かう。
水曜日は荷物が軽い。一限と二限が書道という同じ授業である上に、五限はホームルームという教科書類が全く必要のない授業だ。毎日ある鏡操の授業の教科書は薄く、四限の数学も辞書や資料集のある授業と比べると荷物は少ない。唯一資料集や厚い教科書を持たなければならない三限の世界史が鞄の重量を増やしてくる。授業自体は好きなため問題ないが、使うか使わないか分からない資料集まで持ち運ばなければならない点だけが厄介だ。
昨日赤坂くんからもらった栄養補助食品を途中で味わい、杜鵑寮へ向けて走る。瞬間的な体力を得るためには有用な食品のようだ。食べれば元気になれると思っているせいもあるかもしれない。ただし、足元には要注意だ。近道をしようとすれば木の根に躓くこともある。大人しく舗装された道を走る場合と、舗装されていない近道を通る場合と、どちらが早いのだろうか。
出発時に時間を見ていなかった今回は諦め、少しでも早く寮に着こうと軽い荷物を抱えて走る。階段は転ぶと笑い話にならない怪我をする危険性が高いため、昨日までと同じように歩いて上る。手すりも持って、踏み外しても最悪の事態を防ぐよう慎重に。走った分疲れてしまったため、朝より危険な状態のはずだから。
先に自室で探索用の荷物に持ち替え、男子側の呼び鈴を鳴らす。すると準備を整えて待ち構えてくれていたようで、すぐに葉月くんは出てきた。
「お待たせ。花房さん、今日は探索できるの?」
「うん、もう大丈夫。葉月くんはどの辺りを探索したい?」
話しながら寮を出る。待ち合わせ場所は朱鷺寮の裏だ。そこが一番、他の人に会いにくいという。会ったとしても朱鷺寮の人の可能性が高いため、葉月くんとしては一番負担に感じにくいそうだ。
北東の研究所跡には近づかないよう誘導しよう。そちらの方面は探索したこともあると言えば避けられるだろう。古賀さんの秘密基地を教えないようにも気を付けよう。親しそうであるため知られても気にしないかもしれないが、古賀さんに許可を取ってからだ。朱鷺寮から西にも行けない。そうなると探索できそうなのは朱鷺寮よりさらに真っ直ぐ北か。
「他の人が来なさそうな場所かな。」
「探索なんだから他の人は来ないよ。寮の外側なんて誰もいないって。」
「ならどこでも。花房さんと赤坂くんがまだ探索してない所にしようよ。そのほうが二人も楽しいだろ?」
私の提案した場所を探索してくれそうだ。赤坂くんは葉月くんを連れて行けない場所を把握しているはずであるため、私の提案に乗ってくれるはずだ。あとは探索に夢中になって近づいてしまわないよう気を付けるだけ。
「ありがとう。じゃあ赤坂くんも合流してから決めよう。私よりも色んな所探索してるみたいだし。」
「へえ。禁域にうっかり入らないよう言っておかないと。零ならどこに行ってても心配ないんだけど。」
よほど信頼しているようだ。禁域への侵入という意味なら理解できるが、段差や傾斜の問題なら零ちゃんの方が私は心配になる。私たちにとっては少しの段差でも、零ちゃんにとってはそうでなくなるかもしれないのだから。
この探索も再来週で一気に進展するはずだ。中間試験は全て三限で終了する。午後は全て探索に回せるのだ。試験範囲なども葉月くんに伝えてあげなければ。
「そういえば今日、試験範囲が発表されたんだ。メモってあるから後で見せたげるね。」
「ありがとう、助かるよ。試験かぁ、憂鬱だなぁ。」
鏡の向こうの友達も多くは同じように憂鬱と言っていた。しかし、その原因は大きく異なるだろう。葉月くんの場合は試験中の緊張感や返却日の親からの説教などという問題ではない。これが、ただ試験が好きではないというだけならいくらでも慰めの言葉を出せた。しかしSA生徒連続行方不明事件に関連するものなら迂闊なことは言えない。間違っても私も憂鬱だなんて返せない。第一、私は試験が憂鬱ではない。苦手で赤点の危機に瀕したことさえある英語の試験も、試験を受けてから返ってくるまでの時間が一番嫌いだ。悪いなら悪いでさっさと点数を見てしまいたい。
早いうちに試験範囲の課題を片付けて、試験中はまとめて探索の時間を確保しよう。
「花房さんは試験嫌いじゃないの?」
「まあ、私はそんなに。自分がどれだけ覚えてるか確かめる機会だから。教科書とか問題集って習った直後くらいにしか授業ではしないし、自分ではなかなか解けないし。」
自分でも渡された問題集を復習がてら解くことが自分の力になるとは分かっている。しかし、他の宿題も出され、予習も行い、としているとどうしても少し前の授業の復習は疎かにしてしまいがちだ。探索の時間も確保したいことを考えると、全ての科目の予習と復習を行う時間などない。苦手な科目に絞れば好きな科目の点数が伸び悩み、好きな科目だけにすれば苦手な科目は赤点の危機。他の人たちはどう調整しているのだろう。
同じ悩みを葉月くんは感じていないようだ。よく分からないような表情を浮かべている。
「俺はほとんど常に自主学習だから、確かめつつ進めてる感じかな。授業中に暇する時間があったらちょっと見返すこともできそうだけど。」
「それは先生に注意されちゃうからできないんだよ。」
おかげで無駄な時間を過ごすことになっている。その点では自主学習のほうが無駄なく勉強できそうだ。自分の自由な時間を確保するため、授業中の空いた時間も利用しようとしているのに、今のところ成功していない。古賀さんのように先生の動向を察することができれば、授業中の復習もできそうなのだが。
「大変そうだね。暇なのに復習もできないなんて。」
「しっかり集中してほしいってことなんだろうけど、正直無駄でしかないからね。ねえ、試験の間さ、いっぱい探索しようよ。気晴らしにならないかな?」
「いいね。試験の間ってどうしても先のことを考えちゃうから。俺は試験だけでも卒業させてくれるって言ってもらえてるから頑張らないととか、零はどうするんだろう、とか。一緒に帰れないかな。」
出席日数などは問題にならないようだ。よほど成績が良いのか、何か代わるものを与えられているのか。零ちゃんのことも気にしてあげて、考えることが多そうだ。両親はおらずとも帰る家はあるようで、表情も危惧したほど暗いものではない。
零ちゃんの状況も私には分からない部分が多いため、葉月くんに返す言葉が見つからない。何も言えないまま、ただ見つめるだけとなってしまった。
「あ、ごめん。そうだ、花房さんはお兄さんから両親の話を聞いたりはしないの?ほら、話してみたりしたら思い出せるかも。」
思い出すも何も私は覚えている。しかしここでは記憶喪失という設定だ。何と答えるべきだろう。質問は栄お兄ちゃんから両親の話を聞いたかどうか。私の両親を栄お兄ちゃんは知らないため、当然聞いたことはない。設定上も遠縁の人ということになっているため、設定上の私の両親と深い付き合いがなくとも不思議はないだろう。
詳しいことは話せない。何とか私が話す時間は短くしたい。
「うーん。聞いた覚えはないけど。記憶を失う前のことはあんまり教えてくれないから。葉月くんはどうだったの?」
「俺?前も言ったと思うけど、適性がないから期待してくれてるんだ。だから授業に出れてないってことは隠してる。会うとばれちゃうかもしれないから帰省はしてないんだけど。」
帰省云々は生前の話だろうか。それとも柊木先輩が誰か別の人の話を葉月くんの話と間違えたのだろうか。葉月くんが亡くなったことを受け入れられずに、自分の意思で会わないということにしているのかもしれない。いずれにせよ、深入りして良い話題ではないだろう。
少々強引だと自覚しつつ、試験の話題に戻し、朱鷺寮を目指した。




