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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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好意

 宝は見つけられなかったものの、四人での探索は大いに楽しめた。残念ながら杜鵑寮は優勝できず、夕食は通常のものだったが、四人一緒に少し特別な時間を過ごすことはできた。

 そんな余韻などなく、今日は通常授業だ。七限までしっかり受け、掃除も終えるとみんなそれぞれ部活に向かう。しかし今日は瀬名さんと桃園さんが残っていた。


「花房様、来週の火曜日が誕生日でしたわね。」

「うん、そうだよ。」


 唐突な確認だ。桃園さんもその隣で話を聞いている。赤坂くんはもう八限の鏡操の準備をしているため、あまり待たせることはできない。桃園さんには悪いけど、話し始めたら遮らせてもらおう。


「放課後、時間を作ることはできまして?」

「あ、ごめんね。その日は栄先輩と約束してるの。誕生日は家族で過ごしたいから。」


 毎年家族と過ごしてきたことは話せない。約束をしていることは本当だ。瀬名さんとなら一緒に過ごしたい気持ちもあるけど、またの機会にしてもらおう。


「そう。でしたら翌日のホームルームにパーティをできないか相談してみませんこと?姫野様の時のように事前に連絡すれば、姫野様の時よりも皆様きっとお祝いしてくださいますわ。」


 それは照れてしまいそうだ。祝うことを要求しているようでもある。祝いたいと思った人が業間でも放課後でも祝辞を伝えてくれれば良い。大人数でのパーティは苦手だ。鏡の向こうでのお祝いも、特に親しい数人だけでしてもらっていた。


「そういうのは苦手なんだ、ごめんね。気持ちは嬉しいけど、おめでとうって言ってくれるのが一番のお祝いだよ。」

「姫野様の誕生日会の時は悪いことをしてしまったかしら。」

「大人数じゃなかったら好きだよ、お祝い事は。普段しないような話もできて楽しかった。」


 クラスの人同士の関係性などはまだ分からない部分も多い。純粋に友達と好きな授業の話などをする時間だって私は好きだ。ただし、好きな曲や本の話などをしてしまわないように気を付ける必要はあった。鏡の向こうに存在した好きな物がこちらには存在しない可能性もある。その上、私は記憶喪失のはずだ。あまり詳しい話はできない。

 これで話は終わりと赤坂くんと大谷先生の下へ向かえば、桃園さんもついてきた。


「たったの十六人なんだから平気だよね?どうせそんなに大げさなことは教室じゃできないんだし、せっかくだから祝ってもらったらいいよ。というか私がお祝いしたいー!みんなで一緒にクラッカーとか鳴らしたいー!ねえ、貫之先生、来週のホームルーム、梨々花ちゃんに預けてみません?」

「ちょっと桃園さん、私は要らないって言ったよ。」


 どうか断ってほしいという思いを込めて大谷先生を見つめる。少々眉間に皺が寄っているようにも見えるが、気のせいだろうか。赤坂くんも開いた教科書とノートから目を上げ、全身で訴える桃園さんを冷めた目で見ている。これで桃園さんも堪えてくれないだろうか。


「来週は体育祭に向けての話し合いだ。今週も中間試験などについての話がある。再来週は中間試験真っ只中だな。」


 桃園さんが反論しようとする度に先手を打っている。さすが先生だ。見事に授業日程として時間を作れないと断り切った。これで私も一安心だ。個人的に祝いたいと桃園さんが言ってくる分には構わない。祝おうという気の強くない人まで巻き込んでほしくないだけだ。言わされているおめでとうなど聞いても嬉しくない。

 あからさまに気落ちした様子を見せている。しかし、瀬名さんも既に部活に向かい、自分を援護してくれる人がいないことに気付いたのか、珍しく別れの言葉を短く済ませて去ってくれた。


「お待たせ。」

「いや、桃園さんに絡まれて大変だな。寮でも一緒なんだろ?」


 部屋もすぐ傍だ。しかし、意外にも桃園さんから私の部屋を訪ねてきたことはない。食事の時間に遭遇する時はあるけど、そのくらいなら会話できる。どのみち私は食べている間、首を振る程度の返事しかできないのだ。返事を求めない桃園さんの話くらいが適しているのかもしれない。


「時間をずらせば大丈夫だよ。いざとなれば柊木先輩もいるし。」

「どんないざだよ。」

「二人とも、鏡操の授業を始めていいか。」


 ここからさらに五十分。八限目の始まりだ。




 もう一か月になるというのに、今日もまだ世界を越える鏡のような鏡操の仕方を知ることはできなかった。鏡操の授業の先にその方法があるとも限らないが、きっと何かは得られるはずだ。そう信じて八限目という頭の疲れた時間でも集中して受けるようにしているのに、収穫はない。そんな徒労感から大谷先生が去ると机に突っ伏し、立ち上がれずにいた。


「大丈夫か?どうせ今日は探索できねえし、部屋でゆっくりしてる?」


 ちらりと外を見ると本降りになっていた。朝からちらついており、四限の体育の授業も運動場から体育館に変更された。午後になると傘を迷わず差すほどの降り方になり、今はもう傘を差していても濡れてしまいそうなくらいだ。

 まだ今日は火曜日だ。休む日を増やしすぎても調査は進まない。明日から三日間連続で頑張ることと、今日一日頑張って明日休むことなら、後者のほうが負担は軽く感じるだろう。しかし、水曜日なら長く自由時間を確保できる。明日探索したほうが色々調べられるのではないだろうか。


「んー。どうしようかな。」

「無理すんなよ。羽衣の荷物も俺が持つか?」


 鏡界の探索はできない。だけど、研究所跡の中なら雨には濡れない。ハッチから入る時に水が入ってしまうだけで、研究所内が水没することはないはずだ。今までだって雨は何度も降っていたのだから。


「荷物ロッカーに入れて、真っ直ぐ探索に出よう。」

「いや、だから探索は危ないって。足元悪くなってるし、風邪引いても困るし。」


 研究所跡までの道も坂道だった。しかし、最低限の荷物だけにすれば、鞄は肩から掛けられるため、両手を空けられる。朝から僅かにだが雨は降っていたため、タオルを持って来ている。研究所跡に入ってから水気を取れば、風邪も引きにくいだろう。合羽は持っていないが、傘ならある。片手は塞がるものの、それで行けなくなるほど険しい道ではない。

 今日は私もズボンだ。一度戻って着替える必要もない。むしろ毎日ズボンで来よう。八限の後、一度寮に戻る手間が省けるのだ。その分、探索や調査に時間を使える。


「大丈夫。鞄にタオルと水筒と、あぁ、懐中電灯がない。駄目だ。一回寮に戻ろう。」

「疲れてる時に探索なんてしたら怪我するだろ。ちょっと待ってろ、寮から色々持ってくるから。」


 既に自分の荷物をまとめ終えていた赤坂くんは教室を飛び出して行った。ここでもう一度待ち合わせにしたほうが時間の無駄はないが、追いかける気力もない。全力で追いかけたところで追いつけはしないが、出たすぐなら声は届く距離だ。私はそれもせず、ただ見送った。

 放課後の教室に一人など、初めての経験だ。全ての電気が付いてはいるものの、人の気配が全くない。朝休みでも業間でも桃園さんや姫野さん、天羽くんの元気な声が響いているというのにそれもない。ただ激しい雨音だけが鳴っている。ギター・マンドリン部の練習している音も、中庭に出て練習している姿もない。部室棟の窓も閉じられたままで、そこから聞こえていた声も雨音に掻き消されてしまっている。

 今頃他のみんなは元気に部活に励んでいるのだろう。鏡の向こうでは美優ちゃんも新しい高校に入学し、新しい部活に入っているのだろうか。薙刀部のある高校を選んだと話していたが、入試の結果は聞いていない。美優ちゃんの誕生日会で聞かせてくれるつもりだったのだろうか。毎日送り迎えしてくれていた尚人なおとくんもどうしているだろう。お兄ちゃんが一緒に住んでいる時はお兄ちゃんの役目だった送り迎えが、お兄ちゃんの就職と同時に尚人くんのものになっていた。高校からは一人で通わないと、という話をしていたのに、今はもうそれどころではない。

 次々と中学までの友達が思い浮かんでくる。彼女はどうしているだろう、彼はどうしているだろう。それぞれ高校生活を始め、新しい友達と出会っているのだろうか。一人で教室に入り、そこで初めて友達に会う。おはようと言って、何の心配もなくその日の夜にはまた家族の下に帰る。

 私も新しい友達はできた。それ自体は喜べる事柄だ。だけど鏡の向こうの家族にも、友達にも会えない。別々の学校に通うことになれば、鏡を越えずとも会う回数は減っただろう。それでも会えないわけではない。今のようにたった一人、雨を眺めて過ごすようなことはなかっただろう。


「羽衣、本当に大丈夫か?」


 すっと目の前に差し出されたのはお菓子の個包装のような細長い小さな袋。思わず体を起こして受け取ると、机の前に屈んでくれた。


「何、これ?」

「栄養補助食品。高カロリーのやつだから、量食べられないならこういう間食で採ったらいいだろ?」


 朝食や昼食の量を桃園さんや木葉くんたちと比べた限りでは、同程度食べている。決して少ないわけではない。瀬名さんと比べると食べる量は少ないけど、瀬名さんはその分体が大きい。必要な量が異なるだろう。

 何個も机に並べられる。全て包装の色が異なり、書かれている文字も異なる。チョコレート、イチゴ、バナナ、黒豆、きな粉と甘い味が揃っている。今私が持っているのは抹茶味だ。


「ありがとう。これにするね。」

「二個くらい食べたって晩飯には差し支えねえよ。無理にとは言わねえけど。」


 矢印の印刷されている所から破ろうとした。しかし真っ直ぐ切れず、斜めに小さく切り口が広がってしまったせいで、中身が取り出せない。もう一回と反対側も開けようとするが、今度は透明な部分が伸びる形になり、やはり取り出せない。この手の包装は苦手だ。いつも結局、鋏を使うことになる。

 赤坂くんの視線も感じる。決して不器用なわけではないと自覚しているが、こういった場面を見た友達はおおよそ私を不器用だと認識するのだ。


「開けようか?」

「うん、ありがとう。こういうのって鋏じゃないと上手く開けられないんだ。」


 一回で簡単に取り出せる状態にしてくれた。それを受け取って口に含めば、まず塩味が感じられる。次に控えめな甘みで、最後に抹茶のお菓子で感じたことのある苦味だ。後口が甘ったるくならず、もう一口、もう一口と食べ進められる。


「疲れた時は甘いやつのほうがいいと思って。金曜日と昨日と、一日中探索するからと思って買っといたんだよ。結局そんなに食べなかったけどな。」


 食感もしっとりとしていて、口の中の水分を持って行かれる感覚は薄い。かといって口の中がべたつくわけではなく食べやすい。あっという間に手の中からお菓子は消えていた。


「気に入ったか?もう一個食う?」

「うん、美味しかった。けど、もう大丈夫。ちょっと元気出た。寮から懐中電灯取ってくるね。」

「これは一時凌ぎだっつの。今日は休憩。寮に戻る元気が出ただけだろ。ほら、荷物貸せよ。」


 出しっぱなしだった教科書類が私の鞄に片付けられていく。赤坂くんが持って来たお菓子も一緒に入れられ、返されることなく赤坂くんの肩に下げられた。この好意に甘えてしまいたい気持ちになるけど、少しずつでも調査は進めたい。ここで鞄を預けたままではその元気がないと思われてしまうだろう。

 自分の鞄に手を伸ばし、私は調査できるくらいの体力が戻ったと主張する。


「本当に元気になったよ。だから早く調べたいの。」

「栄先輩も調べてくれてる。羽衣まで無理して行く必要ねえだろ。今日は部屋で作戦会議。」


 鞄も返してもらえず、昇降口へ向かう。聞き入れてくれるつもりはないようだ。どう説得できるだろうと思案しつつ歩いていると、昇降口の僅かな段差で足を滑らせてしまった。


「おっと、大丈夫か?やっぱり疲れてんだよ。」

「あ、ありがとう……」


 これは否定できない。疲れていない時なら自分で近くの物に掴まれたはずだ。それなのに今は片腕で尻餅をつかないように支えられてしまった。名残惜しむ様子もなく赤坂くんは私の体から腕を離し、靴に履き替えている。私も今度は滑らないよう慎重に歩いた。

 外に出ればそれぞれの傘を差す。その分、晴れの日より距離が空いてしまうのは仕方のないことだろう。それでも、赤坂くんが気遣わし気にこちらをちらちらと何度も見てくれているのは分かった。


「今日は探索しないからな。この鞄が人質。ちゃんと休むって約束するまで返さねえ。」

「ちょっと何それ。もう、ちゃんと休む。だから返して。」

「部屋着いたらな。」


 持って行ってくれるつもりのようだ。何も持っていない状態でさえ足を滑らせ、自力で転ばないようにできなかったのだ。自分でも探索できる体調でないことは理解できた。今日だけと自分に言い聞かせ、その好意には素直に甘えさせてもらうことにした。


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