編入試験
話を聞くだけでなく、私のこともたくさん聞かれた。なるべく言わないようにしていたのに、結局栄先輩に教えられた設定も全て話してしまっていた。
「そうかい、大変だったんだね。」
同情を見せてくれるおばさんはそれ以上の追及を止めた。久しぶりに得られた沈黙の時間に視線を左右に振ると、待っていた人物が帰って来ている。
「お帰りなさい!」
「良かったねえ、無事に帰って来てくれて。」
無事ではない可能性があるのか。今までにそういうことがあったのだろうか。鏡越しでは大きな怪我をしていたことなど記憶にない。
「ただいま。すみません、彼女はまだここでの生活に慣れてなくて。」
一言だけ私に向けて、次からはおばさんに話しかける。おばさんは謝る栄先輩に対して否定するように両手を小さくぶんぶん振った。
「いいのよ、そんな。この子ね、朝からずっと、帰って来ないかなあ、って心細そうな顔で外を見てたんだよ。お兄ちゃんがいなくて寂しかったんだね。気は紛れたかい?お兄ちゃんが帰って来たならもう心配要らないね。ばいばい、お嬢ちゃん。お昼ご飯はしっかり食べるんだよ。お兄ちゃんに美味しいご飯を作ってもらいな。」
「え、あ、はい。ばいばい。」
言いたいだけ言って去って行くおばさんに手を振る。そうか、私はそんな風に見えていたのか。だから話し相手になってくれていたのだろう。確かに気は紛れたけど、お兄ちゃんのことが大好きでずっと待っていた妹と思われるのは少々納得いかない。そもそも、栄先輩は私のお兄ちゃんではない。
栄先輩からは何も言われていないのに弁明するのも変な気がして、私は足早に家の中に戻る。だけど、玄関で靴を脱いでいると、クックッと笑い声が降って来た。
「ずっと見てたんだ。」
「暇潰しに外を観察してただけです!散歩しようにも鍵開けっ放しで家を空けるのは不用心だと思って!」
帰って来てほしいと思ったのはあのおばさんと話し始めてからだ。
「そうだね。知り合いも何もない所で一人放っておかれたら心細くもなるか。笑ってごめん。」
「だから違うんですってば!」
真面目な顔で謝罪してくれるけど、誤解が生じている。一人が慣れなかっただけで、傍にいればそれが誰でも良いわけではない。
「お兄ちゃんということにしてもおかしくはないけど。遠縁で一緒に住んでるなら、似たようなものだから。」
「違うのにぃ。」
何があったのか弁解しつつ、階段を上がっていく。栄先輩が自分の部屋に戻って、上着を掛けたり、鞄から春休みの宿題と書かれた冊子を取り出したりしている間も話し続ける。
「だからすることないなって思いながら道行く人を眺めてたら、あのおばさんが話しかけて来て、根掘り葉掘り聞いてきたんです。これからどうするのかとか、今までどうしてたのかとか。」
「そっか。」
笑われているような気がする。それでも私の口は止まらない。
「でも私に話せることなんてそんなにないでしょう?だから昨日とか今日の話ばっかりしてたらああなっただけなんです。夜ご飯頑張って作っても一人で食べなきゃいけないし、お風呂上がっても一人だし、家の中は静かすぎるし。寝れなくても話し相手になってくれる人も一緒に寝てくれる人もいないし。」
「そうだね。それで、まだ昼食は取ってないんだよね?」
「うん。だって朝も食欲なかった、あ!」
部屋を出ようと背中を押されたところで、途中から家族に話すような調子になっていたことに気付く。
「自然な距離感だよ。この調子なら学校に行く頃には遠縁だと説明しても納得してもらえそうだ。」
「このままでいい?」
「俺はそうするよう一昨日にも言ったよ。何なら、お兄ちゃんって呼んでくれても構わない。」
そんなに慕っているようにあのおばさんには聞こえたのだろうか。だけど、私には私のお兄ちゃんがいる。
「うー。でも、近所の人にああ思われてるなら、先輩って呼ぶのは変だよね。」
「必ずしも兄妹のふりをする必要はないけど、同居人に先輩って呼びかける人は少ないだろうね。」
お兄ちゃんとは呼びたくない。さん付けも兄妹のような関係に合わせるなら距離があり過ぎる。かと言って呼び捨ては気が引ける。
「栄お兄ちゃん、で良いかな?」
「好きにすると良いよ。何食べたい?美味しい物を作ってあげるよ。」
炊飯器の中身を確認しながら聞かれた。さっきまで何ともなかったのに、途端にお腹が空いてきた。この人は何が作れるのだろう。
「何が作れるの?」
「たいていの物は作れる。家庭料理限定だけど。フレンチとかイタリアンとか言われても難しい。」
何でもない日にそんな物を食べようとは思わない。昨日作ってくれた炒飯は美味しかったな。
「炒飯がいい。」
「昨日も食べたのに?そんな物でいいなら作るけど。ほら、そこに座って待ってて。」
台所の椅子に腰かける。こうして話しながら作ってくれている姿を見るのは家にいる時のようだ。
「ねえ、今日は何の味?」
「そうだね。昨日は鶏ガラだったから、今日は醤油と鰹節で和風にしようか。」
手早く材料を切りながら、中華鍋をもう温め始めている。
「ご飯食べたらどっか出かける?」
「君の試験があるよ。」
「え!?」
心の準備ができていない。こんなにすぐにあると思っていなかった。
「試験自体は数分で終わるよ。君なら問題なく合格できる。Sクラスだろうけど、楽しみだね。」
「えぇ?」
最上位のクラスであることはほぼ確定しているようだ。その信頼はどこから来ているのだろう。
「どの寮になるかも楽しみだね。同じほうが楽だけど、流石にそこはどうにもならないからね。」
「どのってどういうこと?」
作りながら私がこれから試験を受ける鏡界学校について色々教えてくれる。クラスが適性試験で分けられることは前にも聞いたけど、それ以外のことは全く分からないため、気になるところだ。まだ入れるかどうか分からないけど、聞いておいて損はないだろう。
「狼、豹、杜鵑、朱鷺の四つに分けられるんだ。入学時の適性試験の結果によって、バランスよく分配される。寮対抗の行事もあるんだ。それはその時に聞いたほうが分かりやすいかな。」
違う寮になれば、会いにくくなってしまうかもしれない。敵対していることもあるのだろうか。
「同じ寮に入れたらいいな。」
「立ち入りを禁じられてるわけじゃない。まあ、時期によってはピリピリしてるけど。その時だけ気を付ければ十分だよ。」
それでも身近に頼れる人がいたほうが安心できる。寮に入れば友達もできるだろうけど、このよく分からない場所で馴染めるかどうか。
どんな人たちがいるのだろう。思いを馳せていると、目の前にご飯が出された。
「はい、お待たせ。」
「いただきます。」
お母さんのように前に座ってくれる。一口食べると、やはりパラリとしていて美味しい炒飯だ。
「美味しい。」
「気に入ってもらえて何より。午後の予定だけど、――」
支度を終えて連れて行かれたのは、駅に近い空き地のような場所だ。ような、としか表現できないのは、その中央に襖二枚分くらいの大きな絵が立っていたからだ。
「何?あれ。」
「校門だよ。あそこで試験がある。」
やっぱり聞いてなかったか、との呟きが漏れ聞こえる。言っていただろうか。覚えがないため、鏡の隣に立つ人物も試験官かと推測しかできない。
「初めまして。君が花房羽衣君か。」
「はい、初めまして。今日はよろしくお願いします。」
視界の端で何かが動いた。絵の中の人物の格好が少し変わっている気がする。
「じゃあ早速、この鏡を通って見せてくれるか。」
「鏡?」
絵の表面はツルツルとガラスのようになっている。しかし、そこには私も試験官の人も映っていない。地面も空き地のように荒れた物ではなく、芝生だ。
「羽衣。君にはどう見えてる?」
「芝生があって、その奥に石段があって、運動場みたいなのがあって。芝生には知らないお婆さんが立ってる。」
「まさか、特級か!合格、Sクラス間違いなしだ。さあ、そのお婆さんの所に行こう。」
急に大きな声を出した試験官に驚きつつ、鏡らしいそれを通り抜ける二人を見送る。一瞬動きを止めた後、振り返った二人と目が合わないことから、二人に私が見えないのは本当なのだろう。私も後を追って通り抜ける。
私の姿を確認すると、試験官はそのお婆さんに先ほどのことを伝えている。それを無視して、私もこっそりと話しかける。
「ねえ、栄お兄ちゃん。」
「どうしたの?」
まだ言い慣れない。言う時に照れが混じってしまう。いや、今は聞きたいことがあるから、その感覚は無視しよう。
「特級って何?」
「適性者の等級のうち、最上級のもののことだね。在学者ではあと一人しかいない。鏡の向こうを覗ける人のことだよ。」
一瞬でクラスまで分けられるほど、特別なのか。もう一人の人にも会ってみたい。他の等級というのも気になる。それも聞こうとした時、試験官と話していたお婆さんに声をかけられる。
「花房羽衣さん、手続きをするから校長室まで来ていただけるかしら。」
「は、はい。」
学校の中に案内されていく。特例の試験だから校長室なのだろうか。そうでなければ一人一人にこんなことなどしていられないだろう。特級適性者だからという可能性もある。
案内されながら緊張を誤魔化すように私は問いかける。
「他の等級はどんな感じなの?」
「簡単に言うと、鏡を通り抜けた時にどれくらい体調を崩すかで分けられてるね。一級適性者は変化しないかすぐに治る目眩程度の軽い体調不良のみだけど、三級適性者は回復に何時間もかかる体調不良や薬などを用いた治療を必要とする状態になる。場合によっては命に係わることもあるらしいね。」
移動しただけで死にかけるのか。絶対に鏡を通り抜けたくはないだろう。
「それ、適性あるって言うの?」
「無適性者はそもそも鏡を通り抜けられないんだ。さっきから適性って省略してるけど、鏡を通り抜けたりする適性のことは鏡操適性って言われるんだ。」
他にもクラスの数やおおよその人数、どのクラスにおおよそどの適性の人がいるかなどを教えてもらっていると、お婆さんは校長室と書かれた部屋にノックもなく入って行った。
「失礼します。」
私もそれに続けば、寛ぐには適さない革のソファを勧められる。冷たくしっかりしていて、全く落ち着かない。試験官の人が温かいお茶を用意してくれるけど、やはり緊張は解けない。
お婆さんも一口お茶を飲んで、話を始めた。
「私は鏡界学校校長よ。花房さん、貴女は随分、物を知らないのね。」
「彼女は記憶を失っていて、」
「私は花房さんに聞いているのだけれど。」
私に代わって答えようとしてくれたけど、それを校長先生に遮られてしまっている。自分で答えなければならないのに、校長先生の視線に怯んで上手く言葉が出て来ない。
「え、あ、私は、つい数日前に、栄お兄ちゃんの所で目が覚めて、それから色々準備したりお話したりで忙しくて、あまり学校とかについては聞けていなかったんです。」
「大変だったのね。覚えていなかったのに、お兄ちゃんと言って慕っているの?」
「何か、見たことある気がしたので……」
この一年、ずっと鏡越しに見ていたのだから、嘘ではない。嘘ではないけど、なぜこんな風に追及されているのだろう。ただの興味というにはいささか部屋の空気が張り詰めている。
「先生。彼女には思い出してほしくないこともあるのです。詳しくは聞かないでいただけますか。」
「そうね。では、少し待って頂戴。」
窓際に移動し、机に置かれたパソコンを触り始める。するとほんの数秒で、呼び寄せられた。
「花房さん、ここに身分証を翳して頂戴。」
「え?」
身分証より一回り大きいマウスパッドのような物を指し示されるけど、今日の私は手ぶらだ。財布もお金も携帯もないため、持ち歩くべき物などないと思っていた。どうしよう、と隣を見上げると、呆れたような目を向けられる。
「昼ご飯の時に言ったんだけど。身分証は忘れるなって。」
「食べてる時に言われても分からないもん。」
考え事をしながら食べるのは消化に悪い。話したとしても、覚えている必要のない軽い会話くらいだ。だけど、身分証がないのは困る。試験用紙に名前を書き忘れて不合格になるようなものではないか。
「居間の机に置きっぱなしだったね。」
「見てたんだったら教えてよぉ。」
忘れた自分が言うことではないけど、そう訴えてしまった。だけど怒らずに、そのウェストポーチから私の身分証を出してくれる。それを受け取って翳せば、校長先生がにこりと微笑みかけてくれた。
「花房さん。次から高校生なのだから、自分の持ち物はきちんと自分で管理しましょうね。」
「は、はい。すみません……」
小さな子どものようなことをしてしまった。
「処理を行っているから今少し待って頂戴。寮まで決めるわ。」
「栄お兄ちゃんはどこの寮なの?」
同じになれば良いという話はしたけど、具体的にどことは聞いていなかった。
「俺は豹寮だよ。」
校長先生が豹寮にしてくれれば、同じ寮になれる。だけど、校長先生は画面を見つめるばかりでマウスにもキーボードにも触れていない。
「どこになるかな?」
「そうだね。朱鷺にはならないかな。もう既に特級適性者がいるから。他は、分からないなあ。」
鏡操適性で割り振られるから、もう一人の特級適性者とは別の寮。授業で会えた時が関わる機会か。
ドキドキと少しの沈黙を待てば、校長先生がマウスに手を添えた。カチカチと何度か動かし、顔を上げる。
「杜鵑寮よ。面倒見の良い子も多いわ。安心して通って頂戴。」




