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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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研究所跡

 探索の準備が整った月曜日。八限全て終えれば、探索の約束だ。そう自分の気分を持ち上げたのに、赤坂くんの答えは用事があるというもので、私は一人で探索することとなった。

 寮へ向かいつつ、行き先を検討する。一人なら危険な場所は避けるべきだ。古賀さんの秘密基地程度なら行けるけど、朱鷺寮北まで行くのは不安だ。行ったことのない場所はどのような地形になっているかも分からない。先週のようなことになった時、一人なら泣き出してしまうかもしれない。校舎の集まる区画を中心に、北西にある秘密基地周辺は特に何もないと古賀さんも言っており、ついでに見回った時も人工物は見当たらなかった。西にある狼寮の先は行ったことがない。遠目に見たところ、険しい地形ではなかったけど、木々で隠されているだけかもしれない。南西は禁域だ。南の杜鵑寮の方面はおおよそ平坦な道が続き、海岸まで歩いたけど、怪しい物は見当たらなかった。南東には行っていない。東にある豹寮の先は川だった。一人で行くのは控えよう。

 結論の出ないまま、自室で探索の準備だ。動きやすい服装に替えて、荷物をまとめる。どこへ行くにも必要な物は変わらない。水筒に懐中電灯、予備の電池。水筒には食堂でお茶を入れよう。今日は一人だから遅くまで探索する予定もない。食事を外で取る予定もないため、手を拭く物は要らないだろう。全てをポシェットに詰めて、肩から下げれば準備完了だ。

 食堂に寄って、寮を出た。ふらふらと当てもなく狼寮のほうへ向けて、舗装された道を避けて木々の中を歩く。もう明日で五月のため、随分暖かく、散歩のつもりで探索ができる。歩いていると暑くなってくるほどだ。こんな寮の近くにおかしな人工物などあるはずもないけど、何となく眺めつつ歩く。すると、ザッと目の前に何かが現れた。


「ばあっ!羽衣ちゃん、探索好きなんだって?」

「うわあっ!」


 尻餅をついてしまった。木からぶら下がる形で上下反対になった顔が私を見つめている。カメラを持った両手を地面に向けてだらんと垂らし、足だけで体を支えているようだ。暗い中でもよく見えるはずの明るい服装で、上手く隠れていたものだ。私が上方不注意だっただけだろうか。

 ふいとカメラを構え、写真を撮った。しかし、そのカメラは上空を向いており、私の格好悪い姿が撮られたわけではない。鳥でもいたのだろうか。


「タイトルは『躓いた先に見えたもの』!羽衣ちゃん、いい所連れてってあげようか。」

「え?」


 すたっと着地すれば、教室でいつも見る天羽くんだ。手を差し出してくれたため、ありがたく借り、ズボンの土も払ってその背を追う。

 どこかへ向かう道中も、天羽くんは何度もカメラを構える。しかし毎回撮るわけではなく、構えただけで首を傾げ、結局撮ることなく下ろすこともある。何もない地面、誰かが踏んで折れた枝、健気に咲く小さな花、生い茂る木々、隙間から覗く青い空。色んなものにカメラを向けた。

 言葉のない道中だけど、教室での騒がしい様子からは想像できないその真剣な姿に、話しかけることは躊躇われた。足音も驚くほど小さく、私ばかりが音を立てている気さえしてしまう。


「何があると思う?」

「何って?」

「いい所。」


 自然の物を好んでいるように見える。通っている所に人工物がないせいもあるだろうが、自己紹介で鳥になりたいと言っていたことと合わせると、特に鳥が好きなのだろう。鳥の集まる場所、水場だろうか。


「水場とか?」

「まだ泳ぐには寒いよー。羽衣ちゃんと恭くんが迷い込んだ所だよ!」


 良い所だろうか、あの場所は。私にとっては少々気合を入れて行かなければならない場所だ。暗く不気味な、何が潜んでいるか分からない場所。明るい時間でも光の届かないあの場所は油断できない。

 バサバサと鳥の羽音がすると、天羽くんはそちらへカメラを向けた。ここからでは鳥の姿は見えないのにシャッターを切る。私には見えない何かが、天羽くんには見えているのだろうか。


「鳥って自由だと思う?」


 唐突な質問だ。自由と関連付けて語られる場面はよく聞いた。私自身、空を飛び回る姿を見て、自由と表現されることに違和感は抱かない。人は何か道具や機械を使わなければ空を飛べないけど、鳥は自分の肉体だけでどこへでも好きな所に飛んでいける。


「そう言われるよね。自由の象徴って感じ。」

「空って優しいと思う?」


 何の質問なのだろう。優しいかどうか判断できるものだろうか。晴れや少し雲がある程度の天気なら穏やかな空と表現されることはあるが、空全般を指して優しいかどうかなど聞いたことがない。雲の絵を描く時は顔を付けることもあるけど、やはりそれは空に対する感想ではないだろう。

 空も荒れる時はある。暴風雨の時など優しいという印象からは程遠い。真夏の雲一つない晴天だって、日差しの厳しさが優しさを連想させてはくれない。


「色んな天気の時があるし、優しいかどうかなんて分からないよ。」

「鏡操って万能だと思う?」


 鏡を対とし、その対の鏡同士なら行き来できる。遠くでも対の鏡さえあれば、長い時間車や電車に揺られずとも、行くことができる。その点では便利だろう。しかし、私がこうしてここに来てしまったように、対となっていない鏡を越えてしまうこともある。その場合の解決策は七不思議という信憑性に欠けるものに頼るしかない。念じればどこへでも一瞬で転移できるわけではないため、万能とまではいかないだろう。人によっては副作用もあるのだ。


「万能ってほど何かできるとは習ってないよ。」

「それなのに、人は鏡操適性を神から授けられた、その他の運動能力や学習能力とは一線を画す特殊な能力のように語る。不思議だよね。」


 彼の周りの人間はそうだったのだろうか。鏡界学校唯一の特級適性者として、彼は何かを感じて来たのだろうか。特級適性者と一級適性者には鏡の向こう側が見えるかどうかという大きな違いがある。今までは特別扱いに関する悩み事があっても共有できなかったのかもしれない。


「そうなんだ。私はあんまり意識してなかったからよく知らないんだ。」

「そういうのも全部忘れてるんだ?思い出さないほうがいいかもね。壊れちゃうかも。」


 自分を守るために記憶を失った。そう捉えられたのだろう。本当は記憶喪失ではないが、ここではそういうことにしておかなければならない。心苦しくても、嘘に嘘を重ねないために、私が鏡の向こうの家族の下に帰るために、必要なことだ。

 朱鷺寮も通り過ぎ、さらに北東へ進んでいる。私と赤坂くんが落下したのはこの近辺だ。帰った時、私は意識がなかったため、同じ所から入れば出られない。


「こっちこっち。」


 手招きされるけど、次の瞬間、天羽くんの姿が消え、またぴょこんと頭が出た。岩陰に何かあるようだ。覗き込むとハッチのような物が地面にあった。天羽くんの手によって開けられた先は梯子だ。ここから私たちは救出されたのだろうか。そうだとするなら、意識のない人間を連れて出るのは困難だったはずだ。他にも入口があるのかもしれない。

 慎重に梯子を下りようとすると天羽くんに止められる。


「じゃっじゃーん、折り畳み式装着照明!」


 上着の内側から取り出し、頭に装着した。カチリと明かりが付けられる。両手を塞がずに明るさを確保できる道具を用意していたのか。便利な物があるものだ。

 今度こそ梯子を下りる。冷たい金属質だ。多少叩いてもびくともしない。これで道順さえ覚えていれば、帰り道は確保できた。私の懐中電灯も点けて、十分な明るさを確保する。まだ新しく、予備も持っているため、暗闇に取り残される心配はない。

 躊躇なく天羽くんは歩いて行く。見覚えのある扉をいくつも通り過ぎ、何度か方向転換をし、鉄格子の前にやって来る。


「あの白いの見える?」


 指差された方向を懐中電灯で照らす。前回も見た細長い物だ。この部屋では鎖が巻き付いている物もある。何度見ても良い気分にはならない。


「うん、見えるよ。何なんだろうね、あれ。」

「骨だよ、骨。もしかしたら人の骨も混じってるかも。」


 その白い物体を凝視する。形状が確かに絵で見たことのある骨に似ているかもしれない。手足が冷える。照らす光が揺れていた。懐中電灯を持つ手を反対の手で押さえると、照らされる箇所が下がる。そこにもまた、生前の形が想像できるような配置の骨があった。

 寝転んでいたのだろう。足首に鎖が巻きつけられ、片手は鉄格子から少しだけ出ている。外に出たいという思いがあったのだろうか。しかし衣服や肉がついている様子はなく、臭いも感じられない。なぜ、骨だけが残されているのだろう。


「本がいっぱいの部屋は見た?すっごいこと書いてあったよ。」


 来た道を戻り、見覚えのある扉が開けられた。書架が並んだその中に入って行く。一冊の紐綴じの本を取り出し、私に見せてくれる。

 『被験体記録』。記録者、赤坂美幸みゆき


「不思議だよねー、恭くんの名字が書かれてるの。」


 名字程度、偶然の一致もあり得るだろう。同じ苗字の人くらい探せばいるのだから。何より、ここに迷い込んだ赤坂くんも知らない様子だった。赤坂くんがばあちゃんと呼ぶ人の名前も別のものだった。両親はいないとも話していたため、これは関係のない人の名前だろう。


「もっと面白いのが、智慧ちゃんのお母さんの名前だってことだよね。で、こっちの被験体記録を見ると……」


 別の冊子を開いた状態で渡される。記録した日まで丁寧な字で記されていた。それは一昨年のものだ。


「SA生徒連続行方不明事件の直前で途絶えてる。ちなみに、智慧ちゃんのお母さんが亡くなったのも同じ頃なんだって。ね、面白いでしょ?」

「面白くないよ。」


 ページを戻して内容を確認しようとすると、冊子を天羽くんに取り返される。これを一緒に楽しんでほしかったのだろうか。しかし、私にはそのような感性がない。天羽くんは選ぶ相手を間違えた。

 二冊を元の場所に戻し、また別の一冊を持ってくる。その表紙は『鏡操の可能性』。


「ならこっちはどうかな。世界を越える鏡に興味があるんだったら、面白いと思うよ。」


 部屋の端にある机を利用し、懐中電灯で読みやすい状態を作る。先ほどの話を面白いと思う感性を持つ天羽くんからのお薦めであるため、一ページを開くことにも勇気が要る。一つ深呼吸をしてから、ページを捲った。


 鏡操。そんな名前が付けられているわりに、できることは少ない。しかし、本来鏡操というものは、現在知られている以上のことができるのではないだろうか。できないと思い込むことで鏡すら通り抜けられなくなるように、できると思っていないから今の人類には対の鏡を通過する以上のことができないでいる。それならば、信じることでもっとできることは増やせるのではないだろうか。

 例えば、対とせずとも、願う場所に鏡を通り抜けて向かうこと。例えば、場所ではなく時間の違う場所に転移すること。例えば、再構成の際に体の不調の原因を取り除くこと。例えば、頑丈な体に再構成し直すこと。例えば、不老不死の肉体に作り替えること。

 どれも不可能ではないだろう。既に鏡を通り抜ける際、物理的に離れた場所で分解と再構成を行っているのだから、研究を進めることでそんな夢のような技術を作り上げることができるはずだ。

 

 肉体を作り替えることに関する記述が続く。数式やよく分からない記号が並び、私には理解できない。


「なんか、難しいね、これ。」

「でも、身近な人の名前が載っていないなら読める。ここも見てみてよ。」


 先ほどの『被験体記録』を開き、私の前に置く。題からして読みたいものではないけど、また深呼吸で気合を入れて、目を通す。


 被験体五六九二、タヌキ。再構成の際、鏡を組み込み、記憶はウサギのものにすり替えた。結果、タヌキとは思えない跳躍力を使いこなした。鏡を組み込むことで身体能力が上がることは既に明らかになっていたが、自らの記憶が枷になっていたのか、高く飛ぶという動作は見せていなかったため、これは進歩だ。

 観察を続けると、一般的なウサギに見られる動作を多く見せた。一方、タヌキに見られる挙動は減っていたため、ウサギという自己認識で行動していることは確かのようだ。


 このような記述が幾つも並んでいる。前のページの戻っても、次のページに進んでも、気分の良くならない文章だ。ペラペラとよく読みもせずにページを捲っていくと、天羽くんに手を押さえられた。


「その先は人間の話だよ。俺は面白いと思うけど。」


 冊子を閉じ、天羽くんに返す。ここに私の望む情報はないだろう。願う場所に通り抜けられる鏡の話が中心なら読み進める価値はあっただろうけど、これは肉体改造の話だ。読んでも得られる物はない。

 天羽くんが二冊とも本棚に戻し、入口に向かった。


「何してるの?一気に全部読むのは疲れちゃうよ。」

「あ、うん。じゃあ帰ろうか。」


 今日の探索はこれで終了のようだ。私もこのような場所であのような文章を長々と読みたくはない。

 二つ分の明かりを、すっかり陽の沈んだ空が出迎えてくれた。


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