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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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落とし物

 先生からのお説教と反省文の疲れも癒し、翌日は欠席することなく授業に出る。一回分抜けてしまっている授業があるため、その分は軽く古賀さんや木葉くんに確認だ。昨日と今日共通してある授業は一つだけであり、その科目は午後のため、昼休みにもゆっくりと聞ける。その他はさらに後にでも聞かせてもらおう。

 そう算段を立てて教室に入ると、黒板の右端、日付の下に私の名前が書かれていた。


「羽衣ちゃん、一限の体育見学してたけど、どこか怪我したの?夜の間行方不明だったんだってね。どこ行ってたの?それも恭弥くんと二人でどこかに行っちゃって。デートでもしてた?お互いに夢中になるのもいいけど、迷子には気を付けないとね。」

「そういうわけじゃないんだけど。怪我らしい怪我もしてないし。だけど栄先輩も柊木先輩も今日は大事を取って見学しておいたほうがいいって言うから。」


 先週のデートの話がこんな風に影響するとは思わなかった。迷子の理由として納得してもらえたなら役に立っているとは言える。言えるけど少々気恥ずかしい。今日は行方不明の話をみんなからされるのだろう。それは諦めて、黒板に私の名前がある理由を簡潔に説明してくれそうな人に尋ねよう。

 桃園さんとの会話が長続きしないよう適当に手を振り、教室中央辺りの自席で読書に勤しむ古賀さんを目指す。


「古賀さん、黒板に私の名前が書かれてるんだけど、なんでだろう?」

「日直だから。業間に黒板消したり、集配物を職員室前の集配棚から取ってきたりする。今日は天女。」


 黒板を誰かが消しているのは見た覚えがある。集配物は数人で配っていた記憶があるけど、日直を手伝っていたのだろうか。


「そうなんだ、ありがとう。」

「日誌もある。生徒相談室で書ける。」


 大谷先生から受け取る、ということだろう。日誌なんて何を書けば良いか分からないが、前日までのページを参考にできそうだ。

 鐘が鳴った。授業が終わっても、日直の役割を忘れないようにしなければ。




 全ての授業の後に黒板を消すことも忘れず、集配物の確認もできた。今日は返却物がなかったため、見に行っただけだ。試験後や長期休暇後は宿題の返却などがあるのだろう。

 八限目もなく、掃除が終われば部室に直行だ。そう思っていたのに、瀬名さんに話しかけられた。


「花房様、髪飾りは如何されたのかしら。」


 毎日同じ物を着けており、今日もそれは変わらない。向きが変わってしまったのだろうかと手を伸ばしてみると、どこにも髪飾りの感触はなかった。


「あれ?」

「朝には見かけましたわ。体育の後にも。お昼頃から見ていない気がしますわ。どこかで落とされたのかもしれませんわね。全く、自分の装飾品程度、きちんと管理なさい。」


 では、と瀬名さんは去って行ってしまった。私も部活に向かいたいけど、先に髪飾りを探そう。落とし物は生徒指導室だっただろうか。

 向かいつつ、落とした場所の心当たりを探る。今日の移動教室は一限目の体育、七限目の鏡操のみ。だけど、瀬名さんの証言を信じるなら、無くなったのは昼休み以降。昼食は弁当を寮でもらって来ているため、教室で食べている。その後、お手洗いに行くけど、教室に戻って来る。図書館に行く日もあるけど、今日は行っていない。職員室前の集配棚も見に行った。七限の鏡操の授業は私と赤坂くんは隣の空き教室に移動して受ける。その教室は先ほど掃除したばかりの部屋であるため、そこで落としていれば気付くだろう。

 落とした場所の候補はSクラス最寄りのお手洗い、職員室前の集配棚、それぞれの道中になる。そう結論が出たところで、二階にある生徒指導室に着いた。


「失礼します。小さい白い花の髪飾りを落としてしまったんですけど、ありますか。」


 はいはいと落とし物が入れられた籠を差し出してくれる。小さな鈴やシャーペン、消しゴム、手のひらに乗る程度の大きさのぬいぐるみなど、様々な物が入っている。しかし、その中に私の髪飾りはない。


「ないねえ。どこで落としたのか分かるかい?」

「分かりません。けど、トイレか集配棚とか、そこに行くまでの間だと思うので、見に行ってみます。」


 まずは近いお手洗いから。便器の中に落としていれば気付くはずだから、落としたとすれば扉の付近だろう。扉の開閉音や人の話し声で、落とした時の音が掻き消されてしまった可能性はある。掃除は別のクラスがしているはずだけど、落とし物として生徒指導室に持って行かずに、石鹸類の横に置いているかもしれない。

 推測をした上でその場所を重点的に探すも、お手洗いにはなかった。次は集配棚だ。道中の廊下も注意深く観察しよう。

 集配棚周辺は人も少なかった。私と同じように返却物の確認に来た人が数人いたけど、そう大きな声で話していたわけでもない。髪飾りを落とせば響いたはずだ。気付かないとは思えないため、集配棚に行く途中の中庭のほうが怪しいだろう。


「何の用だよ。」

「少し伝言を頼まれただけだから。」


 事務棟に入ろうとすると、中から話し声が聞こえた。どちらも刺々しい声をしている。咄嗟に扉の影に屈んで覗くと、葉月くんと木葉くんだ。


「わざわざどーも。聞く義理はないけど。」

「待てよ。明日の放課後、普通教室棟屋上で。」

「行くわけないだろ。」


 遊んでいる時より、葉月くんの声も低くなっている。そんな冷たい返答を残して去ろうとする葉月くんの腕を木葉くんが掴んで引き留めると、葉月くんが肩から下げていた鞄が落ちた。その衝撃で掴まれた腕は離されたけど、どちらにも拾う様子はない。


「来いって言われてるのに無視するんだ?」

「相手も分からないのに行くのは馬鹿でしかないな。」

「告白でも行くまで分からないのに、行かないんだ?勿体ないなぁ。」


 そんな穏便なものとは思えない声の調子だ。本当に勿体ないと思っているようにも聞こえない。


「だったらお前が行ってみろよ。それで何が遭っても俺は何も言わないから。」

「僕じゃ意味ないんだよ。行かないと後でもっと大変だと思うけど。じゃあ、僕は伝えたからね。」


 事務棟の奥に進む木葉くんを見送り、葉月くんは自分の鞄を拾った。顔を上げた葉月くんと薄く開いた扉越しに目が合ってしまった。こちらに近づいて来る。覗き見がまた見つかってしまったようだ。

 勢いよく扉が開けられる。そのせいで頭を扉にぶつけ、尻餅をついた。


「痛っ。」

「ずいぶん楽しい趣味を、って花房さん!?ごめん、大丈夫?」


 木葉くんと話していた時のような声で始まった言葉は、遊んだり勉強していたりしていた時と同じくらいの高さで終わった。手も差し伸べてくれて、先ほどの冷たい様子も鳴りを潜めている。


「大丈夫。私こそごめんね。また盗み聞きしちゃった。」

「いや、あんな所で話してて聞くなって言うほうが悪いから。一応保健室寄る?」


 事務棟入ってすぐの所に保健室はある。しかし、たんこぶができているわけでもなく、痛みも打った瞬間のみであるため、行くほどではないだろう。


「ううん、大丈夫。もう痛くないから。さっきの伝言だけどさ、後で大変って何かあるの?」

「花房さんが気にすることじゃないよ。」


 何かあるようだ。話したくないようであるため、それ以上の追及を避けて集配棚の階を目指す。葉月くんの目的地も同じ方向のようだ。授業には出ず、他の生徒とあまり遭遇したくなさそうなのに事務棟に来ている理由も気になる。保健室登校のような状態なのだろうか。

 聞こうと口を開きかけるけど、校舎やその周辺での話を好まない葉月くんに問いかけて良いものだろうか。家族の話をされると困る私がその話題を避けなければならないように、校舎周辺での話をしたくない葉月くんが話題にしていない可能性はある。そう思い至り、何も言わないまま口を噤んだ。


「どうしたの、花房さん。」

「え、あ、ううん、何でもないよ。昨日と一昨日はごめんね、心配かけて。」

「俺もごめん。花房さんまであんなに速く歩くと思わなくて。気が付いたら二人とも見えなくなってたんだよ。」


 声を出せば離れたことに気付けたはずだ。だけどその瞬間に冷静でいられなければその判断は下せない。一緒にいたはずの人がいなくなった瞬間は動揺してしまう。最善の行動が取れないのも無理はないだろう。

 二階に上がれば、葉月くんは職員室へ向かう。


「じゃあ、俺は提出物があるから。花房さんは?」

「髪飾り落としちゃって。集配棚の前かなって探しに来たの。」

「用事が終わったら一緒に探してあげるよ。」


 お礼を言って、先に集配棚の所に向かった。高等部の一年生から三年生まで、全てのクラスの返却物や一部の提出物が置かれる場所だ。私が今日見たのは一年Sクラスの棚。その周辺と棚の中や上を見てみるけど、綺麗に掃除されており、埃が積もっていないことが分かるだけだ。

 物が落ちていれば、生徒指導室か職員室に届ける、もしくはその場の置けそうな場所に置くだろう。ここなら棚の上だ。中には上からプリント類が置かれる危険があるため、避けるだろう。

 全ての棚の上を確認しても、髪飾りはない。奥に落ちてしまったのだろうか。少し良くない素行ではあるけど、棚に足を掛けて登り始める。


「ちょっと花房さん!?何やってんの!」


 葉月くんに背中を支えられ、棚の上に座った。少し視点も高くなり、良い気分だ。しかし葉月くんは俯いて、こちらを見てくれない。高い所が苦手なのだろうか。


「裏に落ちてないかなって見ようとしただけだよ。」

「待っててくれれば見たのに。今はスカートなんだから登ろうとしたら見えちゃうかもしれないだろ。それに棚も倒れるかもしれないし。」


 探索に行く時は動きやすいズボンに履き替えている。勉強会の時は既もズボンになっているため、見慣れないのかもしれない。集配棚の高さやスカートの広がり具合を考えると、私を見上げてもスカートの中を見てしまう事故も起きないだろう。

 本来の目的を果たそうと体を反転させる。あまり隙間はないけど、窓枠に埃が少し積もっている。日常の掃除ではここまで手が届かないのだろう。


「職員室にさっき届けられたって。これだったよな、花房さんの。」


 明後日の方向を見たまま差し出される私の髪飾り。職員室のほうに届けられていたのか。棚から飛び降りて、近くからよく観察しても間違いない。編入試験の翌日、栄お兄ちゃんが選んでくれた小さな白い花の髪飾りだ。

 受け取って破損がないかも確認する。落としたせいで少し汚れているけど、飾りが取れたりはしていない。ほっとして両手で握り締める。


「うん、ありがとう。良かった、見つかって。」

「大切なんだね、それ。」


 物は大切にしなくてはならない。その上、これは栄お兄ちゃんが先行投資ではなくプレゼントという言い方で贈ってくれた物だ。大切に使ってあげたほうが喜ぶだろう。髪飾り自体、そう持っていないこともあり、前髪を留めるのに必要な物でもある。

 軽く汚れを払い落とす。一瞬見ただけでは汚れは判別できないだろう。


「栄先輩がくれた物だから。」

「そっか。大切にしてもらってるんだね。昨日もすっごく心配してたから。」


 私が眠っている間に会ったのか。葉月くんとは接点が得られないと言っていたけど、何を話したのだろう。


「俺も花房さんと赤坂くんを探そうとしたんだけどさ、柊木先輩にも山吹先輩にも止められて。その間、柊木先輩が頼んでくれて、京極先輩が一緒にいてくれたんだけど。花房さんたちが見つかった後、不衛生な状態のままベッドに寝かせるのはって言って京極先輩に頼んでたから。」


 直接栄お兄ちゃんと葉月くんが話した様子は語られない。繋がりを得る機会ではあったが、そんなことを考える余裕はなかったのかもしれない。そこまで心配をかけてしまったということだ。土曜日にまた改めて謝ろう。

 夜に捜索が始まり、明け方私たちは発見された。そこから柊木先輩と京極先輩は眠ることなく授業に向かい、栄お兄ちゃんは私の傍に付いていてくれていた、という状況だ。


「なんで京極先輩なんだろうね。わざわざ朱鷺寮に行かないといけないし、葉月くんと一緒にって考えるなら男の先輩のほうが頼みやすい気がするけど。」

「それは、まあ、色々噂とかあるし。そのあたりを気にしない人とか、後でお礼とか考えたら、柊木先輩にとっては頼みやすかったんじゃないかな。柊木先輩の部屋で零も一緒に遊んでる時とか、時々京極先輩も訪ねて来るよ。俺が面識あるからってのも理由の一つかも。」


 それだけ親しいということが言いたいのだろう。杜鵑寮には他に噂に振り回されない人はいないのだろうか。少なくとも葉月くんが親しい人にはいなさそうだ。


「そっかぁ。じゃあ、髪飾り見つけてくれてありがとう。私はこれから部活だから、少し急ぐね。」

「うん、気をつけてね。階段で滑らないように。」


 滑り止めのついた階段でそのようなことにはならない。そう一瞬緩みかけた気を、言われたのに滑るという恥ずかしい思いをしたくないという気持ちで引き締め直す。早足で階段を下りて行く私を、葉月くんはゆっくりと下りつつ眺めていた。


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