初めての反省文
温かく柔らかな物に包まれている。傍では紙や服の擦れるような音もしており、傍に誰かがいてくれることも分かった。目を開けたくないほど心地良く、しかし空腹と喉の渇きがそれを拒んだ。
ゆっくりと目を開けるとここ一か月ほどで見慣れた天井がある。寮の自室だ。寝返りを打てば、寝台に腰かけていた栄お兄ちゃんが本から目を上げた。
「おはよう、羽衣。」
返事をしようとすると咳が出てしまう。コップを持って来て、体を起こすのも手伝ってくれる。ただの水道水がいつになく美味しく感じられた。
「お腹空いてるよな。何が食べたい?」
何でも良い。しいて言うなら食べやすい物、食べた気になれる物だろうか。窓を見れば、綺麗な西日が覗いていた。
「目玉焼きが食べたい。」
「じゃあそれと何か持ってくる。ちょっと学生証借りるよ。」
机に乗っていた私の学生証を持ち、部屋を出て行く。一人になって落ち着くと、服が変わっていることに気付いた。昨日探索していた時とは変わり、寝間着になっている。髪飾りも外されていて、非常に楽な格好だ。それでもあんな場所にいた余韻を少しでも消したくて、風呂場に向かう。
取りに行ってくれている間に湯を浴びよう。あの場所はよく見えなかったけど、衛生的にも良くなさそうだ。石鹸で頭から足先まで、全身綺麗にしておきたい。いまひとつ力の入らない手で頭に湯を掛け、シャンプーを手に取る。いつもより雑に洗い、湯で流した。リンスは省略だ。
次はボディソープ。タオルで背中までしっかりと擦り、あの場所にいた時の不安も落としていく。見えてはいなかったけど、日常的に出入りしていた人がいないなら、蜘蛛の巣などもあったはずだ。土の場所とも繋がっていた土足で歩く場所にだって座ったのだから、服も体も汚れていただろう。
洗い流せば脱衣所に戻る。簡単に体を拭いて、部屋で服を着れば、机に目玉焼きやご飯、味噌汁といった朝食のような組み合わせの食事が乗せられていた。しかし、部屋に栄お兄ちゃんはいない。部屋の扉を少し開くと、壁に凭れるようにして待ってくれていた。
「羽衣、俺が羽衣の学生証を持って出てるんだから、その間にお風呂に入るんだったら先に言っておいてくれるかな。」
呆れるような声に首を傾げつつ、部屋に招き入れる。今はお腹も空いていて頭が回っていないのかもしれない。机の前に座り食べ始めようとすると、後ろからタオルを被せられた。
「髪はきちんと乾かさないと。風邪引くから。ほら、少しじっとしてて。」
ご飯もお味噌汁も冷めてしまう。だけど、頭が揺らされるせいで食べることはできない。ドライヤーも使わずに何枚かのタオルを使って拭いている。時々指を通そうとしているように、髪が引っ張られる。
「一つ聞くけど、リンスは使った?」
「してない。」
はぁ、と溜め息が聞こえた。いつもはリンスもするけど、今日はそんな元気なかったのだから許してほしい。そんな気持ちを込めて言い訳をする。
「だって、お腹空いてたんだもん。」
「今日は仕方ないか。はい、お待たせ。」
頭が解放されて、ようやくご飯が食べられる。水同様、特別に美味しく感じられる食事だ。ゆっくり落ち着いて食べている間も、栄お兄ちゃんは黙って待ってくれている。
一粒残さず食べ終えれば、話が始まった。私が目覚めるまでの顛末だ。
私が寝るような時間になって、葉月くんは杜鵑寮に戻った。その異変に気付いた柊木先輩が追及し、私と赤坂くんの行方不明が発覚。当然先生に伝えるけど翌朝の捜索が決定され、そのことを柊木先輩から聞かされた葉月くんはまた一人での捜索を試みようとした。そのことは栄お兄ちゃんにも知らされて、先生の制止も聞かずに私たちの捜索が始まった、と。
「俺には羽衣たちの居場所に心当たりがあったんだけど、あんまり他の人には教えたくなかったんだ。」
「どうして?」
「世界を越える手掛かりがあるかもしれない。けど、あんなに怪しい場所、先生なんかに伝わったら先に調べられて、めぼしい情報は抜き取られるかもしれない。本やメモの形で残ってそうな物も多かったからね。だから、あの場所については伏せておきたいんだ。」
あの場所に行かずとも、舗装された道のない森か山かというような地形の中では、十分迷子になれる。伏せても行方不明になったことに不審な点はない。問題は赤坂くんや一緒に探してくれた人が黙っていてくれるかどうかだ。
「でも、あの場所を知ってるのは私たちだけじゃないよ。」
「俺と羽衣、恭弥に千尋の四人だけだ。知られたくないから下級生を連れて行くわけにはいかないって言って、葉月実は外してもらった。その時京極に任せたから、見つけて戻って来てからも羽衣の面倒を少しだけ見てもらったんだよ。土だらけでベッドに入れるわけにはいかないけど、俺が脱がすわけにもいかないから。」
結局、葉月くんはあの場所にいなかった。後で京極先輩にもお礼を言わないといけない。柊木先輩なら頼めば内緒にしてくれるだろうか。お腹が満たされれば、ぽんぽんと考えが思いつく。
「赤坂くんと柊木先輩が黙っててくれるかどうかだね。」
「そういうこと。ということで、一回狼寮に行ってから職員室に怒られに行こうか。」
怒られる必要があるようだ。心配をかけてしまったことは事実であるため、大人しく説教されるとしよう。
杜鵑寮で柊木先輩と合流して、支えられつつ赤坂くんの待つ狼寮へ向かった。事前に来ることが伝えられていたのか、すぐに出て来てくれて、もうすっかり元気な様子だ。
部屋で栄お兄ちゃんがあの場所を伏せておきたいという話を始めると、柊木先輩だけが難色を示した。
「隠す意味が分からないな。危険なら禁域のように知らせておくべきだろう。知らなかったからこそ、羽衣もこれも入ったんじゃないか?」
赤坂くんのことはこれ扱いだ。それに反論もせず、赤坂くんも俯いている。
「調べ事のために。知る人が増えれば増えるほど、あの場所を使っていた人にも伝わりやすい。あそこでしていたことによっては、証拠の隠滅だってされるかもしれない。だから、先生にも、葉月実にも、隠しておきたいんだ。」
「栄先輩、あそこは碌なことしてねえよ。残骸があった。」
何の残骸だろう。赤坂くんには何をしていた場所か、なぜ分かったのだろう。私には鉄格子と鎖と、よく分からない細長い物と、色々な部屋があったことしか把握できていない。
だけど、この説明で栄お兄ちゃんにもある程度伝わったようで、何か理解したように頷く。一方で柊木先輩の視線は鋭い。
「その碌なことをしてない場所をこの後も調べようとしてるわけだ、お前らは。」
「出入口を把握できてる。明かりも絶やさないように気を付ける。それだけすれば何も危険なことはないよ。それとも、京極にも場所を教えてあげる?喜んで一人で突っ込んで行くと思うけど。」
ぐ、と柊木先輩は黙り込む。京極先輩を巻き込みたくないのだろうか。しかし、京極先輩は朱鷺寮のため、あの場所に最も近く、自力での探索で既に見つけている可能性もある。
その反応を見て、栄お兄ちゃんは楽しそうに言葉を続けた。
「天羽瑞希はもっと酷いだろうね。興味を持てば碌な準備もせず行くんじゃない?明かりさえ持たずに入るかも。」
懐かれていると聞いている。一緒にいるところは部活見学の時しか見ていないけど、私が居合わせない時間などいくらでもあるだろう。突然なぜ天羽くんの話を始めたのかは分からない。赤坂くんを伺っても、栄お兄ちゃんに良い顔をしていないと分かるだけだ。
「ああ、そういえば葉月実に関しても面白い話があったんだった。京極から聞いたんだけど、記憶に不自然で大きな空白がある、ってさ。葉月実本人に尋問の真似事でもしてみようか?」
「やめてやれ。分かった、黙っておけばいいだろう?」
「理解が早くて助かるよ。じゃあ次はどう先生を誤魔化すかだ。」
大きな溜め息を吐いて、柊木先輩も言い訳を考えてくれる。嘘を吐くことになるわけだからと気が重くなっていると、それに気付いたのか事実の途中で話が終わる程度のものにしてくれた。
朱鷺寮北の探索をしていたことは同じ。途中で葉月くんと逸れて、探索に夢中になっているうちに疲れ果ててしまった。少し休憩と座り込むと、私は眠ってしまった。赤坂くんは私を背負って帰ろうとしたけど迷ってしまい、探しに来た栄お兄ちゃんと柊木先輩が見つけてくれたというお話だ。
私の主観では目覚めた時に栄お兄ちゃんがいたところ以降も嘘を吐く必要はないため、ほとんど事実のみ話すこととなる。
「それくらいなら私でも大丈夫。頑張るね。」
「よし、それなら四人で怒られに行こうか。」
「まだ怒られんの?俺もう柊木先輩に散々怒られてんだけど。」
「責任転嫁するからだ。」
柊木先輩に苦情を入れつつ、赤坂くんも一緒に職員室に向かう。要約すると、赤坂くんが探索の経緯や経過を柊木先輩に伝えたところ、今回の騒動を私のせいにしようとしたと怒られたことに対して、不満を持っているようだ。事実を信じてもらえないのは可哀そうだ。
私からも弁解しよう。これで私が柊木先輩からも怒られたとして、それは自分の行動の結果のため、理不尽ではない。
「あの、柊木先輩。赤坂くんの言っていることは本当なんです。私が一番世界を越える鏡を探したくて、あのよく分かんない場所に入ろうって言い出したのも私なんです。」
「結局一緒に行ったなら同罪だ。その分も認めず、全部羽衣のせいにするなという話をしているんだ。行こうって言い出した羽衣も悪いが、それはもう栄から言われてるだろう?」
言われていない。しかし、これを素直に言えば、赤坂くんの経験したお説教を私も受けることになりそうだ。少々卑怯だけどここは黙って頷くに留めよう。栄お兄ちゃんには嘘だとすぐ分かるけど、楽しそうにするだけでそれを指摘してはこない。見逃してくれるようだ。
対応の違いが不満なのか、赤坂くんは小声でさらに柊木先輩への不満を告げる。
「どこがいい先輩なんだよ、葉月の奴。すっげぇ贔屓してんじゃねえか。」
「いい子と悪い子への当然の対応の差だな。この後は俺も一緒に先生から怒られて、反省文を書くことになるんだ。ちょっと怒られたくらいでグチグチ言うな。」
厳しい対応だ。私がこれ以上庇おうとしても逆効果にしかならなさそうだ。大人しくしておこう。
「羽衣も他人事みたいに聞いてるけどお説教と反省文だからね?羽衣と恭弥は迷子になるような場所に入り込んだこと、俺と千尋は先生から止められていたのに生徒だけで探しに行ったこと。それぞれの内容で、四百字詰め原稿用紙三枚分くらい書かされることになるね。」
反省文など初めてだ。どのくらいの時間がかかるものなのだろう。それだけの量を書かされることも初めて知った。知っている栄お兄ちゃんは既に書かされたことがあるのだろうか。今までも世界を越える鏡の捜索のために、遅い時間に寮から離れた場所を歩くことはあったのかもしれない。
校則はどうなっていただろう。自分で確認した覚えはないけど、禁域は立ち入り禁止になっていそうだ。門限などはあっただろうか。なくても鏡界の番人がいるため、外出は控えたい。昨夜は襲われなかったけど、次も同じとは限らないのだから。
「羽衣、大丈夫?疲れた?」
「ううん、大丈夫。昨日は鏡界の番人出なかったなって思って。」
警告文は先週の木曜日に置かれていた。そこから一週間も経っていないため、次の行動には移らなかったのだろうか。次は絵の具の警告文だろうか。それとも順番などは決まっておらず、いきなり襲撃してくることもあるのだろうか。
真剣に話しているのに、柊木先輩が欠伸をした。信じていない人なのだろうか。
「睨まないであげて。俺たちは授業を休んで昼間に寝たけど、千尋は徹夜で授業に出たわけだから。」
「休もうとしていたところを容赦なく連れ出したのはお前だからな、栄。」
これは苦情を入れられないどころか、謝罪と感謝をすべき事柄だ。授業も集中できなかっただろう。赤坂くんに説教をしていた時間で寝られたような気もするけど、それは必要な時間だったのだろう。
「ご迷惑をおかけしました。それと、ありがとうございます。」
「自覚があるなら危なそうな所には近づかないことだな。今回は何事もなかったが、次もそうなるとは限らない。」
素直に聞き入れるべき忠告だけど、家に帰るために探索は欠かせない。今後も無視して少しくらい無理する程度の探索は続くだろう。探索中の安全には配慮しよう。常温で半日から一日程度持つ食事と十分な水分、懐中電灯に予備の電池。私自身でも用意して行くべきだと、今回の件で分かった。
反省文の前にお説教は勘弁だと言い出した赤坂くんの努力もあって、職員室までは仲良くお説教されようという会話の流れになった。初めての反省文が少し楽しみだなんて言っても、共感は得られないだろうか。




