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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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一週間の報告

 今週も栄お兄ちゃんが寮まで迎えに来てくれて、家に帰ることになった。月曜日から金曜日のたった五日間なのに、話したいことがたくさんある。まずは月曜日の話だ。


「――でね、赤坂くんが助けてくれようとしたんだけど、結局二人とも落ちちゃったの。」

「怪我はなかった?」

「うん。あっ、でも、慎重に降りようとしてた葉月くんが捻挫しちゃったんだ。」


 不注意だった人が怪我をせず、注意していた人が怪我をしていた。気を付けていれば怪我をしないわけではない良い例だ。あくまで、しにくくなるだけ。

 校門を過ぎて、やっと月曜日の話が終わった。家に帰り着くまでにどこまで話せるだろう。


「栄お兄ちゃんはあの辺探索した?」

「少しは。鏡界内も広いからね。一人じゃ調べきれないんだよ。」


 それはそうだろう。だからこそ、私が一緒に調べることが栄お兄ちゃんに対する見返りになる。探索自体の収穫は未だないけど、次の日の探索の時、京極先輩に遭遇した。


「火曜日も探索したの。京極先輩に会ってね――」


 不思議な会話を赤坂くんとしていた。この話題は栄お兄ちゃんも楽しそうではなかったため早々に切り上げ、姫野さんの誕生日の話に切り替える。


「――で、そのケーキがすっごく甘くて、しばらく甘い物食べなくていいやって気分になったの。」

「なら今日は苦いチョコレートでも買ってこようか。」

「苦い物が食べたいわけじゃないの。」


 甘い物は好きだ。あのケーキが私の知る範囲にない甘さであっただけ。鏡の向こうにいる時は毎月だってケーキを食べたいと思っていたほど好きだった。家族の誰かの誕生日や七夕、クリスマス、両親の結婚記念日などケーキを食べられる行事がないか探していたものだ。

 私の主張に栄お兄ちゃんは苦笑を浮かべていた。


「ミルクティーと少し苦いチョコレートなら甘さと苦さで美味しく食べられるよ。ほら、おやつもいいけど、晩ご飯には何が食べたい?」


 いつの間にか店に着いており、栄お兄ちゃんが買い物籠を持って野菜を選び始めた。値段と美味しそうかどうかと、私にはよく分からない基準も組み合わせて、見極めている。

 もう暖かいため、鍋物という気分でもない。栄お兄ちゃんの作ってくれている食事はどれも美味しいため、ぱっと思いつかないけど、何でも良いという答えが一番困るというのはお母さんに言われていたことだ。そういえば、私の希望で天ぷらになった日に作る予定だった物を作ってもらっていない。


「あ、あれがいい。あの、何だっけ。鶏モモ?の柚子なんとか。食べてみたい。」

「鶏モモの柚子皮煮?じゃあ今夜はそれにしようか。恭弥も来るから三人分で。ああ、お米もたしかなかったな。」


 必要な食材を栄お兄ちゃんが選んで買い物籠に入れていく間、私は今週の報告の続きをする。先ほどは水曜日の姫野さんの誕生日の話まで終わらせた。そうだ、今週一番の事件が木曜日にあったのだ。


「私と赤坂くんの机にも、警告文が置かれてたの。赤い折り紙の白いほうに赤いペンで書かれててね、ちょっと不気味だった。栄お兄ちゃんのも同じ感じだった?」

「そうだね。俺の場合は直接油性ペンで書かれてたけど。次は赤い絵の具で机が塗られて、生き物の死骸になる。」


 絵の具までは耐えられても、生き物の死骸は心が折れそうだ。それを栄お兄ちゃんは経験したのだろうか。


「怖かった?」

「いや。禁域に入らない限りは大きな怪我をすることもないみたいだし。羽衣は怖い?」

「うん。警告文でちょっと怖かったから、その日の探索は赤坂くんに手を握ってもらってたの。」


 人の体温は安心する。一緒にいるから安全というわけではないと頭では理解していても、理由なく心が落ち着いたのだ。

 私は怖い話から安心できる話に変えたつもりだった。それなのに、栄お兄ちゃんの表情は少し険しくなる。


「へぇ。そういえば、部室まで迎えに来てもらったって聞いたけど。」

「うん。一人で歩くのもちょっと怖かったから、来てくれたの。」

「ふーん。俺も京極から少し聞いてるんだけど。羽衣的には恭弥はどうなの?」


 どう、の意味はよく分からないけど、現状をありのままに答える。月曜日の話やその警告文の日の話、先週の日曜日に一緒に遊んで楽しかった話。


「――だから、今クラスで一番仲のいい友達だね。」

「友達、ならいいけど。他の子ともうまくやれてるの?」


 有瀬さんや他の子たちについての印象も伝えていく。その間に買い物は終わるけど、私の話はまだ終わらない。話しているうちにどんどん話が逸れて行ってしまうせいもあるかもしれない。


「――それから鏡操の授業でもね、新しいこと聞いたの。鏡を通り抜ける時、一回分解されてから再構成されてるんだって。全然分かんないよね。だって、校門を通った時も普通に歩いた時と変わんないんだもん。」

「そうだね。羽衣、その話、外ではあんまり大きな声でしないようにね。」


 私が鏡を越えてこの場所に来たという話ではない。栄お兄ちゃんや赤坂くん、鏡界学校に通っている全員が経験している話だ。隠すべき事柄ではないように思える。


「今の話で一級適性者だって特定できる。鏡界にいると分からないかもしれないけど、珍しい才能だからね。余計な僻み妬みに晒されないために、隠しておいたほうが安全だよ。ほら、能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ?」

「はーい。」


 自分の周りの人や環境をつい基準にしてしまう。だけど、鏡操の授業で学んだように、鏡操適性自体が限られた人の生まれつきの能力だ。その中で一級適性者はさらに限られ、特級になればもう数えるほどになる。

 世界全体で見れば、鏡操適性者などほんの一握りでしかないのだ。


「いいお返事。じゃあ明日、恭弥の家に行くのも我慢できる?」

「えー、なんで?」


 明日も遊ぶつもりで約束している。家にいたってできることなどないのだから、休みの日くらい調査のことも何も考えずに遊んでいたい。ゆっくり考える時間なんてあっても、今は帰れない事実を見つめ直すだけになる。

 行ってはいけない理由も分からない。友達の家に遊びに行くのは自然なことのはずだ。


「それは……。男の子の家に女の子が一人で行くなんて危ないでしょ?」

「相手によるでしょ。赤坂くんなら大丈夫だよ。栄お兄ちゃんのほうが赤坂くんのこと知ってるんでしょ?だったらいいよね。」


 おそらく栄お兄ちゃんは本当の理由を言っていない。行ってほしくないと思ったのには別の理由があるはずだ。理由をそのまま言うなら、一瞬の間も必要なく答えられたはずだ。つまり、栄お兄ちゃんも私が赤坂くんの家に遊びに行くことを危ないとは思っていない。


「そう、だね。こんなに可愛い女の子を泣かせるような奴じゃないよ。けど、あー、まあ、いいか。」


 何を続けようとしたのか追及できないまま、家に着いた。手早く買ってきた物を冷蔵庫に片付け、パソコンを開けて何やら確認している。背後から抱き着くようにその画面を私も見ようとすれば、ぱっと目を塞がれた。


「勝手に画面を見ない!」

「え、あ、ごめんなさい。」


 珍しく声を上げて怒られる。驚いて身を引けば、ごめんねと言うように頭を撫でられた。よほど見られたくない物が入っているのだろう。

 ソファでクッションを抱えて待つ。一瞬だけ見えた画面はメール受信画面のようだった。数件の未読と、何件もの既読のメールの題があった。未読の題は、何と書いてあっただろう。任務や調査の文字は見えていたような。

 真剣にメールを確認して、送り返している後ろ姿を眺めるけど、少しキーボードを叩いたかと思うとすぐに戻ってきてくれた。


「お待たせ。羽衣には見せられない物もあるから、メールとかファイルとかは見ないように。」

「うん。パソコンは勝手に触らないし、見ない。」


 私の家のパソコンは家族で共有だった。パスワードも設定されていたけど、それらも共通で、メールのやり取りなどは携帯電話を使い、パソコンのものはお父さんやお母さんが使うことがある程度だった。それも限られていて、私が見ても分からないけど見てはいけないものではなかった。

 そのため油断してしまったのだろう。友達の携帯電話なら横から覗き見ることもしないのに、今は栄お兄ちゃんが使っている所を見ようとしてしまったのは、そういった気の緩みがあった。


「これから気を付けてくれたらいいから。そんなに気にしなくていいよ。それで、鏡操の授業の話の続きは聞かせてくれないの?」


 髪を梳くように頭を撫でて、話の続きを促してくれる。この反省を忘れないように頭に刻み込み、分解と再構成の話に戻す。


「うん。あのね、分解されて再構成されてるのに、何にも変わりがないのは不思議だなって。それに、私とか天羽くんは鏡の向こう側の風景まで見えるんだよ?遠くの場所に現れる理由は分解と再構成で説明がつくかもしれないけど、それはなんでだろうって思ったの。」


 分解されて、再構成されることにより、鏡の向こう側に出現できるのなら、その過程を経ていないのに遠くの風景を認識できることは不思議だ。移動とはまた別の理由があるのだろうか。同じなら、ほんの一握りの人数しか特級でないことが疑問だ。

 栄お兄ちゃんも考えてくれる。一年の差があっても、まだ習っていないのだろうか。


「鏡操適性については解明されていない部分も多いんだ。等級の差の理由も、現状は才能としか言われていない。遺伝するのかさえ分かっていないんだ。発見数は親が適性者の場合が多いけど、それは適性が最初からないからそうなのか、鏡を通り抜けられない物と子が思い込むからなのかが分からない。」

「へぇ。分からないけど鏡を通り抜けられるし、見えるし、ってことなんだ。」


 大谷先生の説明にあったように、理解がなくとも使えるということなのだろう。栄お兄ちゃんなら、もう対の鏡を作り出せるのだろうか。作れたとて、私が両親の下へ帰れるわけではないけど。


「栄お兄ちゃんは対の鏡、作れるの?」

「一応は。授業外での作成は禁じられてるけどね。」


 鏡操に関する決まり事は私に馴染みのないものだ。ここでは常識とされることも知らない。そのあたりからおかしいと思われてしまう危険性が残っている。人と話す時も慎重に聞かなければならない。今は栄お兄ちゃんと二人のため、その辺りも確認できる。

 何から聞くべきだろう。鏡界内での話もだけど、一般社会での問題だろうか。鏡操というものが存在しなかった鏡の向こうでは、当然鏡操関連の常識もなかった。


「鏡操ってどういうものだと思われてるの?その、こういうことはしちゃいけません、みたいな。」

「校門を越える時以外に使用しない、くらいに気を付けてるといいよ。まず日常生活には必要ないしね。」


 今日までの生活、掃除や買い物、食事の用意では全く使用していない。大半が鏡操適性のない人間だと考えると、その適性がないことが基本なのだろう。通り抜けようという意思を持って通り抜けられる鏡に触れると、通り抜ける。私は見ようという気を持っていなくても、鏡の向こう側が見えた。これは、見えても言わずにいるべきということなのだろう。

 私の家とこの家を繋いだ鏡。あれも見ようという気なく、お婆さんや栄お兄ちゃんが見えていた。通り抜けようという気もなかったのに、合わさった手は鏡を通り抜けてしまった。あの二枚の鏡は対なのだろうか。しかし、対なら帰ろうと触れば帰れるはずである。一方で、対でないなら通り抜けた理由が分からない。


「洗面所の鏡をさ、対にはできる?」

「二枚必要だよ。一枚だけじゃ対にはならない。」


 その通りだ。帰りたいあまり、無茶を言っていた。こちら側から対にしようと働きかけても、向こう側の鏡をどうにもできないなら、結局帰ることはできない。世界を越える鏡は、どうやって作られたのだろう。異なる世界に存在する鏡の両方に接触できる人など存在したはずがない。私のように偶然の事故のようなもので最初は移動したのだろうか。

 こちら側で対になる鏡の一つを作る。そして事故か何かであちら側に移る。こちら側の人なら鏡操を知っているため、あちら側で対のもう一つを作ることが可能だ。そうすれば、あちらとこちらを自在に行き来できるようになる。私が帰るためには、もう一度事故に遭う必要があるのだろうか。


「私、帰れるよね?」

「世界を越える鏡が見つかれば、俺たちの手で作り出せなくても帰れるはずだよ。」


 今はそう信じるしかない。見つからなかった時のことなど考えても、気分が沈み込むだけだから。何度だって繰り返し、自分に言い聞かせよう。私は必ず両親の下に帰るのだと。


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