鏡操とは
ザーザーと雨が降る中、寮を出る。不気味な赤い警告文を受け取った翌日の空が暗いのも嫌な気分だ。私の帰還や調査を何者かが阻んでいるよう。そんな上がらない気分のまま、暗い森を進む。
舗装はされている。足元も照明が設置されている。それでも周囲が木々で覆われていることに変わりなく、得体の知れないものが出現してもおかしくはない。いや、現実的に考えるとおかしいけど、おかしくはないと思わせるような雰囲気を持っている。鏡界の番人まで出てきそうだ。
背後からばしゃばしゃと足音が近づく。通学の足音にしては早くないだろうか。
「おはよう、花房さん。」
「なんだ、木葉くんか。おはよう。桃園さんも。」
「おはよー!恭弥くんじゃなくて残念だった?昨日、手を繋いでデートしてたんだったね。さっき悠くんから聞いたんだ。意外とやるね、羽衣ちゃんも。もっと大人しい子かと思った。編入一か月も経たずにもう彼氏作っちゃうのかぁ。」
木葉くんに会った覚えはない。なぜ知っているのだろう。手を繋いで歩いたことは事実だけど、デートではなく恋人付き合いをしているわけでもない。その上、杜鵑寮の方面から来ると期待するわけはないのに、何を言っているのだろう。
少し男子と仲良くするだけで、デートか恋人付き合いかと追及されるのも不思議だ。家族と一緒に住んでいた時なんて、幼稚園の頃から一緒に遊んでいる男子とも似たようなことを言われた。彼らのその手の話題に対する嗅覚は何なのだろう。
「そういうわけじゃないよ。警告文が昨日、机に乗ってたからちょっと身構えちゃって。」
「ああ、昨日の今日だもんね。」
「でも昨日は元気にデートしてたんでしょ?それとも恭弥くんが一緒なら怖くないって?愛の為せる技かな。今日も一緒に帰るのかな〜?部活ないならデートし放題だもんね。七不思議探索を口実にいくらでも人気のない所に連れ込めるし。はっ!羽衣ちゃん、気を付けて!恭弥くんだって二人きりなら狼さんになっちゃうかもよ!狼寮なだけに!」
私の否定の言葉は聞こえていなかったのだろうか。一緒なら怖さが軽減されることは確かだけど、それは赤坂くんに限った話ではない。こうして騒ぐ桃園さんやあまり頼りにならなさそうな木葉くんでも、一人よりは怖くない。むしろ賑やかな分、疲れるけど怖さはより減っているかもしれない。
今日は一緒に帰る予定にもなっていない。八限が終わった後、探索をする予定にはなっているため、探索を終えてからどうするか決めるだろう。昨日のように私が一人にならないようにしてくれるかもしれないけど、それに甘えてばかりもいられない。この調査は私のためのものなのだから。
「ちょっと〜、無反応も寂しいんですけど〜!悠くんも笑うくらいしてよ!もしかして羽衣ちゃん、狼さんの意味分からなかった?もー、それは私の口からは言えないなぁ。好きな人から直接教えてもらわないとね!羽衣ちゃんなら恭弥くんが教えてくれるかも。間違っても人前では聞いちゃ駄目だよ!」
「梨々花さん。気を付けて、なのに、聞くことをお勧めするんだね。」
「はぁ!しまったぁ!でも、仕方ないね。百合子ちゃん情報を信用するなら大丈夫でしょ。羽衣ちゃんもきっと喜ぶような内容だって。智慧ちゃん情報でもしっかり恋人繋ぎで歩いてたって話だし。」
逃げた時のことだろう。そういったところからも話が広まっていってしまうのか。その場を凌ぐだけでは収まらないようだ。これは反省しなければならない。それより今は誤解を解こう。返事を保留にしているのだから。
「あのね、桃園さん。別に恋人ってわけじゃないんだよ。」
「恋人繋ぎで二人きりで学内を歩いてデートしてるのに?もう〜、照れなくていいんだよ!羽衣ちゃんだって紳士的で素敵って褒めてたんでしょ?毎日放課後に二人で一緒に授業受けて、たった二人の今年の編入生ってなれば、仲良くなるのも必然か〜。」
信じてくれないようだ。私は訂正した。その事実は残るため、これ以上言い募るのは止めておこう。こういった話題は必死に否定すれば否定するほど面倒なことになると知っている。赤坂くんと恋人だと思われることに、現状は不都合がない。放置しても問題ないだろう。七不思議探索の邪魔をされにくくなると考えれば、むしろ好都合だ。嘘を吐かずに桃園さんが勝手にそんな状況を作り上げてくれるなら、答えられる部分は答えてあげよう。
今の発言なら、紳士的と褒めた部分、放課後の授業、二人だけの編入生、という点は事実だ。
「そうだね。クラスの中では一番仲良くなりやすいとは思うよ。編入前からの知り合いでもあるし。」
「へえ!そういえば羽衣ちゃんは週末もお兄さんと一緒に帰ってたよね?その時は?恭弥くんとも会うの?デートは平日だけ?休日も一緒なの?どんなことしたの?ずっと一緒にいたいの?授業も放課後も一緒なのに。」
質問攻めにされつつ、答えられる質問には答えて、教室に向かって行った。
掃除まで終えて、クラスのみんなが部活や自分の時間を過ごす時になっても、私と赤坂くんには八限目が待っている。私が楽しみにしている鏡操の授業だ。
「今日はいよいよ、鏡操という名称の理由だ。鏡を通るだけの能力にこんな大層な名称が付けられることを疑問には思わなかったか。」
思わなかったけど、言われてみると不思議だ。通り抜けるだけなら鏡を操るというのは大げさ過ぎる。せいぜい鏡通だろう。
「鏡を通り抜けるというのは、一歩前に出るのとはわけが違う。全く別の場所に出現することさえ可能だ。その原理は、対となった鏡を基点に、自らの体を作り替えることが可能だからであると言われている。一度、鏡Aにて肉体は分解され、鏡Bにて再構成される。これを適性者は自然と行っているんだ。」
体が分解されている。そう知ってしまえば何とも恐ろしい話だ。何度も通り抜けているけど体調不良がないため、心配することはないのだろう。
「この原理については未だ完全には解明できていない。だからこそ鏡操適性者は偏見を持たれる一方で重用されてもいる。国家ぐるみの研究や、特殊な公務員という立場まで用意されているからな。」
「でも、俺たちは解明されていないのに使えてるんですよね。」
「自分の体を完全に理解していなくても動かせるのと同じだ。脳や内臓の働きを知らずとも、生きていけるだろう?」
脳の働きなど知らないことのほうが多い。内臓だって食道を通って、胃で消化し、腸で吸収するとか、心臓が血液を循環させているとか、その程度しか知らない。他にも部位の名前自体は聞いていても、その機能までは知らないことも多い。それを考えると、原理を知らない鏡操を使いこなすことも不思議ではない。
「操ると表現されるのも、自ら対となる鏡を作り出すことができるからだ。意識して鏡を触れれば、それらの鏡は対となり、自在に行き来することができる。もちろん修練が必要だが、その練習はまた先の単元だ。」
「練習すれば、自分が行き来したい二つの鏡を行き来できるようになるんですか?」
これは大きな収穫だ。この技術が手に入れば、世界を越える鏡を見つけずとも、私は両親の待つ家に帰ることができるかもしれない。
「ああ。二つの鏡に、同時にではなくとも、直接触れることが可能なら、どれほど離れていようと行き来できる。」
直接触れることが可能なら。そこが次の問題だ。鏡の向こうに自宅にある鏡には、どう頑張っても直接触れることが叶わない。
「ここまで学んだように、くれぐれも自宅と学校の行き来を容易にしようなんて考えるなよ。鏡操適性者の中にも悪い奴はいる。うっかり入り込まれて物を盗まれる危険なんて冒す必要はないからな。」
対とした鏡は、対とした人間以外にも使用可能だ。自分の利便性を追求した結果、赤の他人に侵入経路を提供したなんてことにもなりかねない。自分一人で対の鏡の作成を決定することのないようにとも教えられる。誰か家族や先生に相談することと言われた。私の場合、栄お兄ちゃんくらいだろう。私の両親の待つ家と繋げられるだろうか。
先の授業が楽しみだ。いつ、対の鏡を作り出す方法を教えてもらえるのだろう。
「早く対の鏡を作りたいです。」
「まだ先だな。その危険性と、鏡操適性者としての倫理観を学んでからだ。」
今日は対の鏡の説明が続き、八限はあっという間に過ぎて行った。聞き流すことのないよう毎回気を付けているけど、今日は特に興味を持って聞ける内容だった。私にとって必要な情報だ。一歩、両親の待つ家に近づけた気分だ。
そんな充実した気分で大谷先生を見送り、赤坂くんと帰りの用意を進める。今朝の桃園さんの話を伝えてみようか。
「今朝ね、桃園さんと、たぶん木葉くんにも付き合ってるって誤解されちゃったんだけど、赤坂くんは困らない?」
「え?まあ、困りはしないけど。羽衣はそんな事実ないのに嫌じゃないか?」
特に不快にはならなかった。何でもかんでも騒ぎたい人はいるものだ。恋の話が好きな子は、どんな些細なことだって恋に繋げて話す。いちいち気にするようなことでもないだろう。赤坂くんは表面上でも付き合っていると思われて不快になるような相手でもない。私自身に恋心があるかと問われると返答には困るけど、周りにそう思われる分には問題ない。
「うん。勝手に楽しんでるだけだし。放っておけばそのうち飽きるよ。赤坂くんが困らないなら、今日は探索……」
窓の外では朝から止む様子のない雨が降りしきる。
「できないね。」
「葉月の所で勉強か作戦会議かするか。」
「零ちゃんもいるかもね。」
がらりと大谷先生が出て行った扉が開かれる。また有瀬さんだ。今日もデートと言い逃れられるだろうか。
「そんなに嫌そうな顔をしないで頂戴。赤坂さん、美恵子という名前に覚えはないかしら。」
「俺のばあちゃんの名前だけど。」
「あら、本当に親戚なのね。不快だわ。いとこかしら。あなたの母親の名前は?」
同じクラスの中に親戚がいるなど、珍しいのではないだろうか。少なくとも、私には経験がない。二人が似ているようには見えず、赤坂くんも少々気まずそうな表情を浮かべている。
「あー、俺は拾い子だから、親は分からないんだ。戸籍上はばあちゃんが母親ってことになってたと思う。」
「そう、残念ね。私の母が探していた妹、私のおばさんの手掛かりが得られるかもしれないと思ったのだけど。」
二人ともそれぞれ抱えるものがあるようだ。有瀬さんのおばさんは行方不明なのだろうか。聞いても良いものか迷うところだ。
「一応、花房さんにも聞いておくわね。美衣という名前に聞き覚えは?」
私のお母さんと同じ名前だ。しかし、ここでは記憶喪失という設定になっているため、答えることはできない。名字も花房のため、別人だろう。何より、お母さんが鏡を通り抜けたなんて話は聞いたことがない。
「ううん、知らない。」
「そう。花房さんには期待していなかったから構わないわ。」
お母さんのために、美衣という名前の女性を探しているようだ。私も力になれれば良かったのだけど、こればかりは仕方ない。知らないものは知らないのだから。
これだけを聞きたかったのか、有瀬さんはあっさりと去っていった。今日は逃げる必要はなかったようだ。
「何だったんだろうね。」
「次女が行方不明で、長女は事故死。俺はばあちゃんからそう聞いた。事故死したって話は一昨年くらいだったかな、聞いたの。母親の代わりでも探してんじゃねえの。俺らには関係ない話だな。」
つまり、有瀬さんのお母さんは亡くなっているのか。私の打算など小さなことで、本当に家族の話題は迂闊に持ち出せない。赤坂くんも気にした様子はないけど、両親のことを覚えていないのだから。
「そっか。みんな大変なんだね。」
「羽衣もだろ。何にも覚えてないんだから。」
私もそういうことになっていた。実際には鏡の向こうに両親もお姉ちゃんもお兄ちゃんもいてくれる。私が帰ることさえできれば、再び会うことのできる人たちだ。今は覚えていないふりをしなくてはならない。ここで私が家族と称せるのは栄お兄ちゃんだけだ。
「でも私には栄お兄ちゃんがいてくれるから。」
「栄先輩、なあ。俺もいてやるけど。ほら、もう帰るぞ。狼寮まで一緒に来るか?」
「うん。雨でこんなに不気味になるとは思ってなかったよ。」
意図的に話題を変えてくれた赤坂くんに乗り、私も明るい声で返す。今日は葉月くんとの友好を温める日だ。




