警告文
何の進展もなかった昨日を反省し、教室に向かった。自席には、赤い字で大きく、警告、と書かれた正方形の紙が置かれている。小さな赤い字は、何人たりとも領域に入るべからず、人知を超えた鏡を求めるべからず、と伝えている。裏返せば、それは赤い折り紙であると分かった。
周囲の席には変化がない。前の席に座っている水島くんも気にした様子はなく、一緒に来た桃園さんもこの紙には言及しないまま素早く教室を出て行った。
「羽衣、おはよう。」
「おはよう。あのね、こんなのが机の上に乗ってたんだけど、赤坂くんの席にもあった?」
「ああ、あった。俺らが特に探してるって知られたんだろうな。隠してもなかったけど。なんでわざわざ赤い折り紙なんだろうな。字も赤いし。」
少し不気味だ。悪い想像をするなら、これ以上調べると怪我をさせるぞ、という意味にも取れる。しかし、私に調査を止めるという選択肢はない。それすなわち、家族に会うことを諦めることなのだから。
こんな脅しになんて負けていられない。そう拳を握り締める。
「私は求めるよ。いきなり禁域に入るようなことはしないけど、世界を越える鏡を見つけて見せる。」
「そうこないとな。こんな子ども騙しに怯えてられっかっての。じゃあ、今日も探索の続きだな。勉強会は夕飯の後で。」
「七限の後は部活があるの。」
八限の代わりに部活だ。高松さんや岩倉先輩にも七不思議の話を振ってみようか。ゆっくり話す時間があれば良い。
「なら部活の後に。」
「うん。七限が終わってから一時間後くらいに、ここでいいかな?」
「華道部の部室だろ?俺がそっちに行くよ。」
教室は閉まっている可能性もあるか。華道部に迎えに来てくれるなら、こんな不気味な紙をもらった直後に一人で行動することも避けられる。すぐに何かあると、襲われると思っているわけではないけど、万が一も避けたい。恐れる気持ちがないわけではないのだ。
「ありがとう。」
「明るい時間は番人も来ないんだろ?何も怖がることねえよ。何か来ても俺が返り討ちに遭わせてやる。」
「頼もしいね。」
本当にそんなことが可能とは思えないけど、そうしようとしてくれる気持ちが嬉しい。少なくとも私よりは抵抗できるだろうけど、今まで誰にも知られずに行動できてきた相手だ。常人が敵う相手ではないと思っておくべきだ。
栄お兄ちゃんは一人で調べていて、こんな警告文を受けたのだろうか。私は赤坂くんと調べているような感覚だから、気持ちをしっかり保っていられるけど、一人なら弱ってしまいそうだ。
ぐるりと水島くんがこちらを振り向いた。
「仲が良いのは結構だが、一限が体育であることをお忘れか?花房さんはこんな所で呑気に話している場合ではないだろう。僕もそろそろ着替えたいのだが。」
「あっ、ごめんね。じゃあ、赤坂くん、また後で。」
体操着だけを持って、更衣室に急いだ。
全ての授業を終え、部活も終える。まだ赤坂くんが迎えに来てくれるまでは三十分ほど余っていた。話を聞く時間はあるけど、高松さんはもう帰る準備を終わらせている。話しかけても良いだろうか。いや、こういう時は声を出して、聞いてみるだけだ。忙しいならまた来週、と言えば良い。
「高松さん、少しお話がしたいんだけど、いいかな?」
「うん、いいよ。どうしたの?」
やはり声が小さいため、他の人と話す時より近づいて、耳を澄ませる。内緒話をしているような雰囲気だ。
「私ね、七不思議について調べてるんだ。世界を越える鏡って夢があると思って。禁域にも何があるのか気になるし、鏡界の番人も何者なのか不思議で。」
「駄目だよ、花房さん。」
予想外にきっぱりと言い切られる。その目はとても真剣だ。一度肩にかけた鞄を机に置き直し、椅子に座った。足を揃えて、手を膝に乗せて、真面目な様子を見せている。
「この学校には鏡界の番人だけじゃなくて、殺人鬼もいるの。同じクラスの人を二人も殺して、先輩も一人殺した悪い人が。その人も禁域とか番人を利用してるんだから、危ないことはしちゃ駄目だよ。」
高松さんはDクラスで、狼寮。葉月くんとの接点はあるのだろうか。それとも、噂だけでこのようなことを言っているのだろうか。
「うーん。」
「花房さんはSクラスだったよね。気を付けて。姫野百合子って子は知ってる?可愛いふりしてるけど強いから、何かあったら助けてくれると思うよ。」
知っているけど、あまり頼る気にはならない。それより赤坂くんのほうが頼りやすい。姫野さんのことも頭の片隅くらいには置いておこうか。
教えてくれる気はなさそうであるため、攻め方を変える。葉月くんが教室に戻るための古賀さんの作戦も、他クラスの人までこう言っていては、葉月くんの障害を取り除ききらないだろう。
「ありがとう。なら、その殺人鬼って呼んでる根拠を教えて。」
「え?そんなの当たり前……あっ、あのね、花房さん、一昨年にSA生徒連続行方不明事件ってのがあってね――」
何度も聞かされた話だ。Sクラスの二名、一学年上のAクラスの一名が続けて行方不明になった事件。彼らの共通点は、最後に禁域に向かっていること、直前まで葉月くんと一緒に行動していたこと。その名が禁句であるかのように、高松さんは名を伏せた。
誰から聞かされても気分の良くない話だ。私に真相が分からないこともこの気持ちを加速させる。葉月くんが無実であると知っているなら反論もできよう。実際にやったのだと知っていれば、それでもなお私は私のために葉月くんの肩を持つのだと腹も括れよう。それなのに、今はどちらとも知らないから、私はどういう態度を取って良いのか分からない。
「うん。色んな人から、その話は聞いてるんだ。だけど、禁域に入らないって心を決めてるなら、危険なことはないはずだよね。」
「そんなの分からないよ。鏡界の番人も殺人鬼もいつ気が変わるか分からないんだから。平和に学校生活を送りたいなら、関わらないのが一番だよ。」
行方不明事件と言っているのに、殺人鬼と呼ぶ。そのことに矛盾を感じないのだろうか。どこにも死体は上がっていない。ただ、禁域から出て来ないだけだ。そこに世界を越える鏡があるなら、私がいた場所に渡ってしまっただけの可能性もある。私が自宅の洗面所から栄お兄ちゃんの家に渡ってしまったように。
今頃、向こうでは行方不明扱いになっていることだろう。警察が家に上がり、両親から事情を聞き出し。いなくなった場所が自宅でなければ、何かの事件に巻き込まれたと思われることだろう。
「そっかぁ。うん、平和なのが、一番だよね。ありがとう、高松さん。」
「あのね、姫野さんもね、お友達がいなくなっちゃった時、すごく気落ちしてたの。花房さんがいなくなってもすごく悲しむ人はいてくれるよ。」
まだそう何回も会っているわけではないけど、心配してくれているようだ。もう一度お礼を言い、話を切り上げる。高松さんを見送ると、森川先輩が近寄って来た。
「大変だね、花房さん。」
「ちょっと聞いただけであんなに言われるとは思いませんでした。」
怖がりなのだろうか。行方不明の生徒は殺されたという話になっていた上に、深く追及すれば次の犠牲者にされると言うような口調だった。
まだ時間はある。今日は私が部室を閉めることになるだろうか。
「帰らないの?」
「はい。友達と待ち合わせてるんです。」
背後から重みを感じる。こんなことをするのは誰だろう。
「部室で二人きりで、花を生けるでも華道ノートを見るでもなく、仲良しさんやね。」
「京極さんがこの時間に部室に来るのも珍しいね。帰ったんじゃなかったんだ。」
「一回、写真部のほう行って来てん。誰か残っとったら、モデルになってもらおう思うて。」
荷物もそちらに置いてきたのだろう。カメラと教科書を入れるには小さい鞄しか持っていない。
京極先輩が周囲を見回した。何を探しているのだろう。
「真剣に花器を選んどる少女、とかどうやろう。やっぱ来週にしよかな。カメラ忘れんようにせんと。部活中、生けたりしてるとこ撮ってもええか?」
「ええ、構いませんよ。」
「自然体がええねん。あんま気にせんとってな。」
お姉ちゃんに撮られていた時のような気持ちでいれば良い。動作の途中で止まってと頼まれることもあるだろうか。まだ来週の話であるため、今から身構える必要はない。
扉が叩かれた。赤坂くんだろうかと確認のために開くと、京極先輩が反応した。
「待ち人?って恭弥くんやん。なんや、あんたらもうそんな関係やったん?まだ編入してきて一か月も経っとらへんで。」
「京極先輩には関係ありませんので。行こう、羽衣。」
鞄とお花を持って行けば、お花を持ってくれて、手を引いてくれた。荷物が増えるから、部室ではなくどちらかの寮で待ち合わせるべきだったか。だけど、そうすると私は一人で出歩かなくてはならなくなる。
とことこ、とギター・マンドリン部の前を通り過ぎ、自分たちの昇降口に向かう。廊下に出て練習している人もいたため、こちら側を通るのは今後控えよう。
「羽衣、多少は抵抗してくれてもいいからな?」
「へ?」
抵抗しなければならないようなことはされていない。そういえば、手を繋いだままだ。しかし、特に不都合もない。花を持ってくれている多い赤坂くんは手を繋ぐことで不便を感じていないだろうか。
「ああ、気にしてねえんだ。ならいいけど。京極先輩には俺のこと、何か言ったのか?」
「ううん、何にも。そんな関係って何だろうね。」
「恋仲って言ったら、手離す?」
言われなくても運動靴に履き替えるために離す。だけど今離すのはこの質問に肯定を返すようで、離せなくなってしまった。
赤坂くんの手は温かい。段差から落ちた時も助けようとしてくれて、今は何も言わずにお花も持ってくれた。今朝も、私が一人で行動することを恐れていると気付いてくれたのか、迎えに来ると言ってくれた。栄お兄ちゃんとはまた違う、帰るまでの間、私を支えてくれる手だ。
「ごめん、そんなに考えるとは思わなかった。ほら、一回杜鵑寮に行こう。」
私の答えを待つことなく、赤坂くんは手を離してしまった。だから私は運動靴に履き替え、自分からその手を握った。何となく顔は見られず、真っ直ぐ前を見て、杜鵑寮に向けて歩き出す。
「別に、周りに何か言われても気にしないし。来週でも会った時に訂正すればいいんだよ。私は京極先輩と毎週会うんだから。」
「訂正はするんだな。」
事実ではないのだから、訂正すべきだ。赤坂くんも誰か好きな人ができた時に、私と付き合っているという話になっていては困るだろう。
「もちろん。付き合ってないからね。」
「じゃあ付き合う?デートってことにすれば、二人で学内をうろちょろしてても、七不思議を調べるのも大概に、なんてお小言貰わなくて済むし。」
誰かに赤坂くんも忠告されたのだろうか。私が言われたのは自分から七不思議について聞いたからだけど、少しでも鏡界の番人の目を誤魔化せる可能性があるのなら、試してみる価値はあるだろう。利害は一致している。付き合うという嘘を赤坂くんに吐くのは問題だけど、周りの人に付き合っているように見える行動をすることにはさほど罪悪感がない。聞かれた時も答えを誤魔化せば、勝手に誤解してくれることだろう。
これは悪い嘘ではない。他人が付き合っているかどうかなんて、相手にとって何ら関係のないことのはずだから。赤坂くんから提案してきたということは、周りからそう見えても自分は問題ないという意思表示のはずだ。
「だからなんでそこで真剣に検討するんだよ。好きじゃないなら断るべきなんだよ、こういう提案は。相手が何を企んでるか分かんねえんだから、ちょっとは警戒しろよ。」
しろと言うわりには声は柔らかく、命令しているようではない。むしろ呆れを含んだ声色だ。本当に何かを企んでいればこんなことを言うはずはないから、赤坂くんは何も企んでいなかったのだろう。
「今は、断るべき?」
「俺に聞くなよ。今は、保留くらいでいいんじゃねえの?別に付き合ってなくても二人で遊ぶくらいはするだろ。」
「うん、じゃあ保留で。」
二人で遊んでいるという言い訳で十分なようだ。付き合っているという言い訳でも鏡界の番人を誤魔化せるかどうか分からないのだから、そういうことにする必要もない。試す価値はあるけど、しなければならないことではない。
結論が出ても、手を繋いだまま杜鵑寮へ向かった。自分で思った以上に、朝の警告文は私を不安にしていたのかもしれない。




