三人での誕生日会
特別授業も終えて、豹寮の前に到着した。ここに来るのは二回目だ。栄お兄ちゃんを訪ねて、柊木先輩と来た二週間前以来になる。今の目的は瀬名さんだ。
教えられた番号を押す。すると間もなく赤い光が点灯した。このまま待っていれば、内側から瀬名さんが出て来ることだろう。
「あら、花房さん。豹寮にいるなんて初めて見かけたわ。お兄さんに会いに来たのかしら。子どもね。」
「有瀬さん、違うの。瀬名さんに招かれて、姫野さんのお祝いをしに来たんだ。栄先輩には週末に会えるから、わざわざ会いに来たりはあんまりしないし。」
「自分の気持ちを素直に認められないのも、子どものすることよ。」
反論する間もなく、有瀬さんは寮に入って行ってしまった。その直後、瀬名さんが出て来てくれる。
「お待たせしましたわ。さあ、もう準備は整っておりますのよ。姫野様も待っていてくださいますの。」
私のほうを振り向きつつ、階段を上っていく。走ることはせず、急かすようなこともない。
「どうかしまして?」
「ううん。姫野さんの誕生日ならあんまり待たせられないね。少し急ぐ?」
「あら、あなたも客人ですもの。焦る必要はありませんわ。それに、屋内を走るのは危険でしてよ。落ち着いて歩きましょう?」
学生証だけを手に持ち、言葉通り悠然と歩いている。手すりも持って、安全性に配慮しているのだろうか。
「花房様、あなたは甘い物がお好きでしょうか。」
「うん。時々食べたくなるの。」
「それは良かったですわ。先に確認しておくべきだったと後から気付いてしまいましたの。姫野様は度を超すほどの甘い物好きでいらっしゃるから、苦手な方なら同じケーキを口に含むことが苦痛になってしまいますもの。」
そこまで甘い物は私でも数口で満足してしまうかもしれない。濃い紅茶でも淹れてくれるのだろうか。
「そんなにたくさんは食べないよ。」
「ええ、わたくしもですわ。そう思ってそんなに量は用意しておりませんの。安心してくださいな、苦いコーヒーを用意しておりますわ。」
一度お父さんの飲むミルクも砂糖も入れないコーヒーを一口だけもらったことがある。その時は苦くて飲めなかったけど、甘すぎるケーキと一緒なら飲めるだろうか。飲めなかったらミルクか砂糖を入れさせてもらおう。
ゆったりとした足取りは私の呼吸も落ち着けてくれた。
「お待たせいたしましたわ、姫野様。あなたを祝う客人がまた一人、訪れましたのよ。」
「また一人って、フラワーちゃんが一人目でしょ!三人で集まる約束だったし。ほら、フラワーちゃんも一緒にケーキ食べよ。セナセナが焼いてくれたんだから!」
生地は白いクリームに覆われ、赤い苺がそれを彩る。切り口からは黄色いパイナップルと思しき果物や橙のミカンも覗いている。お店で見たことのあるようなショートケーキだ。
「わぁ、美味しそう。瀬名さん、お菓子作れるんだね。」
「この程度、難しいことではないわ。なんたって私は瀬名芹那なのだから!不可能なんて存在しないのよ!」
おーほっほっほっ、と高らかに笑い声をあげている。そんな瀬名さんを無視し、姫野さんがお皿に四等分されたケーキを乗せていった。フォークもそれぞれの前に置き、熱いコーヒーも二人分。自分にはシュワシュワとした炭酸ジュースだ。
一頻り声を上げて満足したのか、瀬名さんの意識がこちらに戻ってきた。何事もなかったかのように姫野さんに話しかける。
「改めまして、姫野様、お誕生日おめでとうございます。齢十六になられましたのね。」
「おめでとう。」
「ありがとう。一足先に大人になっちゃった。困ったことがあったら、このお姉さんに頼りなさい!」
ドン、と胸を叩いて見せてくれる。しかし次の瞬間には甘いケーキに頬を緩ませていた。私も柔らかなスポンジにフォークを差し、クリームと一緒に口に含む。
非常に甘い。砂糖を飽和するまで溶かした水のようだ。いや、それよりも甘いかもしれない。私の知る限り、これほど甘い食べ物は他にない。ミルクも砂糖も入れないコーヒーの苦さが、今は私を安心させてくれる。
横を見れば、瀬名さんも少々顔を顰めながらケーキを口に含んでいる。
「見られてしまいましたわ。自分で作ったとはいえ、これを美味しく食べられる姫野様には驚きますわね。コーヒーもブラックで飲むのはこの時だけですのよ。」
「私も初めてコーヒーが美味しいと思ったよ。」
たくさん牛乳と砂糖を入れた、もはやコーヒーとは呼べないような代物なら時折飲んでいたけど、それもあまり飲まなかった。それくらいなら牛乳をそのまま飲む。
姫野さんの手は止まらず、どんどんこの甘すぎるケーキを食べ進めていた。おそらく甘い炭酸ジュースも美味しそうに飲み込んでいる。
「フラワーちゃんもあんまり甘いの好きじゃないんだね。コーヒーが美味しいなんて、私より年下なのに大人〜。」
「今までは好きだと思ってたんだけど。姫野さんほどじゃないみたい。」
おそらく姫野さんほど好きな人はそうそういないだろう。喉が痛くなってきそうなほどの甘さは私も初体験だ。小さなホールケーキとはいえ、四分の一でさえ一所懸命にならなければ食べられそうにない。
年下のくだりは今日だけだろうか。私の誕生日まで毎日続くのなら、少々面倒だ。誕生日が来ただけで、実際の差は一か月程度のまま変わっていないのだから、あえて主張するほどのことでもないだろう。
「あっ、そうだ。フラワーちゃんの誕生日はいつなの?聞いてないよね。春が似合いそう。こう、お花の中から生まれて来る感じ。」
どんな印象を抱かれているのだろう。春生まれでも花の中からは生まれて来ない。想像力の豊かな子のようだ。
「五月十五日だよ。」
「来月なんだ!もう一か月もないね。その時は私がしっかり気合を入れてお祝いしてあげる。ちゃーんと、お祝いの曲も練習しておくよ!」
気持ちは嬉しいけど、本当にこの勢いでお祝いをされるのは落ち着かない。今年の誕生日が休日なら彼女を避けることも容易だけど、どうなのだろう。後で確認しておこう。平日だった場合は今日のように掴まってしまうのだろうか。今日は姫野さんの誕生日だから構わないけど、自分の誕生日は自分の思うように過ごしたい。
好意を断るのは心苦しい。両立しない人との約束を盾に取ろうか。
「ありがとう。だけど、私、誕生日は家族で過ごしたいの。」
「そっかー。ん?でもその日って休みかな?セナセナ、ちょっとカレンダー見せてね。」
勉強机に立てられたカレンダーを見に行く。食べている途中で立ち上がるのは行儀が良くないけど、親でもない私が口を出すことでもないだろう。
「あ!火曜日だよ、フラワーちゃん!残念だけど、今年は家族で過ごせないね。だけど安心して、代わりに私たちが一緒に過ごしてあげるから、寂しい誕生日にはさせないよ!」
「ううん、栄先輩が同じ学校に通ってるから、平日でも一緒に過ごせるの。」
「うん?家族なのに先輩って呼ぶの?呼ばされてるの?って雰囲気じゃなさそうだね。嫌々だったらそんなに嬉しそうには言わないもんね。」
嬉しそう、だっただろうか。口実に使えるおかげで角を立てずに断れるとは思っているけど、栄お兄ちゃんと一緒に過ごせること自体が嬉しいわけではない。
「学校でも栄お兄ちゃんって呼ぶのはちょっと恥ずかしいから。学校では栄先輩って呼んでるの。」
「そうなんだ。でも学校も一緒に通って、当然お家でも一緒でしょ?それなのに誕生日も一緒がいいなんて仲良しなんだね!私の兄貴なんて、ガキの相手なんかしたくないって言うんだよ?二つしか変わらないでしょ!ってのに。だいたい、兄貴も無神経すぎるからね。私もわざわざ自分の誕生日に顔なんか会わせたくないっての。」
苛立ちを鎮めるためか、またケーキに食らいつく。私は味を気にしないよう、会話に集中してやっと半分食べ進めたというのに、姫野さんは一個食べ切ってしまった。
ちらりと残りの一個に目を向けた。瀬名さんのケーキもまだ半分ほど残っている。
「ねえ、二人はまだケーキ食べたい?」
「いいえ、私はこの一個で十分すぎるくらいですわ。」
「私もお腹いっぱいになっちゃいそう。」
「今日は姫野様のお誕生日ですもの。好きなだけ食べてくださいな。」
瀬名さんの勧めで姫野さんは最後の一個を自分の皿に乗せた。一口目と同じような笑みで口に含む。同じ物を食べているとは思えないほどの笑顔だ。
「花房様はお兄様のことを普段はお兄ちゃんと呼んでいらっしゃるの?」
「うん、家では栄お兄ちゃんって呼んでるよ。」
「素敵なお兄様ですのね。花房様がお兄様のことを話す顔を見れば分かりますわ。普段はどのように一緒に過ごされているのかしら。」
栄お兄ちゃんと瀬名さんは同じ寮だ。どれほどの接触があるか分からないけど、万一確認されても矛盾しない内容にしなければならない。そうすると、私が鏡を越えてこちら側に来て以降、本当にあった出来事を話すことになる。
「一緒にご飯作ったり、絵を見たり、お話したり、買い物に行ったり。あ、洗濯も一緒にしたよ。」
「何でも一緒にしていますのね。羨ましいですわ。わたくしは一人っ子ですもの。そのように生まれた時から傍にいる年齢の近い相手という者がおりませんの。」
兄妹ということにするなら、生まれた時から一緒にいると思われる。実際には一か月ほどの付き合いだけど、これは訂正できない。突っ込んで聞かれれば、一か月前くらいからしか覚えていないと答えることになるけど、なるべくその設定を話すことは避けたい。
聞かれるまでは黙っていよう。代わりに瀬名さんについて問い返す。
「寂しい?」
「そんなことありませんわ。お父様もお母様も独り占めできますもの。それに、生まれた時からきょうだいがおりませんのよ。いないことが当たり前ですわ。いたらどうだったかを考えることはあっても、いないからといって寂しいなんてことはありませんわ。」
私には生まれた時から兄も姉もいるため、いない人の感覚は分からない。だけど最初からいなければ特に何かを思うこともないようだ。いなくなってしまうことと、いないことは別物なのだろう。今の場合、私がいなくなってしまった側か。
「ケーキ食べたらフラワーちゃんは帰る?なんかお兄さんに会いたそうにしてるよ。寮が違うと会うことも少ないの?会おうと思えばいくらでも会えると思うけど。」
そんな顔をしていただろうか。今会いたくなったのは私の本物のお兄ちゃんのほうだけど、これは答えられない。
「え、と。毎週会ってはいるよ。お家にも帰るから、土日にも美味しいご飯作ってくれたし、私もちゃんとお手伝いしたし。」
「それでも会いたくなってしまいますのね。こんな妹がいたら可愛くて仕方なくなってしまいますわ。お兄様やお姉様はもう不可能ですけど、妹や弟は今からでも作れますものね。今度帰省した時に、お父様とお母様にお願いしてみましょう。あら、でも、わたくしはたまにしか会えませんわ。困りましたわね。」
瀬名さんにとっては自分が毎日会えるかどうかが重要なようだ。自分の妹や弟でなく近所の子でも可愛いとは思えるけれど、瀬名さんは自分の妹や弟が欲しいのだろうか。
姫野さんはそんな瀬名さんに首を傾げている。
「弟なんて生意気なだけだよ。ぶりっ子姉貴とか言ってくるの。あーあ、ばぶぅって言ってた頃は可愛かったのになぁ。妹なら一緒にお買い物したり、おしゃれしたり、恋バナしたりできたかも!」
「あら、恋バナならお友達同士でもできますわよ。例えば、同じ狼寮の熱田様や赤坂様はいかがですの?」
この人たちも恋の話が好きなのか。私に振られた時は栄お兄ちゃんの話で躱すとしよう。先ほどの流れなら納得してくれるはずだ。
「ネッタはねえ、単純過ぎるんだよねぇ。体育の授業の時とかちらっと見るとかっこいいんだけど、乙女心が分かってないの!髪型変えても気付かないし。」
「あらあら、それは困りましたわね。」
髪は私も気付いてあげられなかった。気付いて指摘した時には髪を切ったのは一週間前だと言わせてしまったことがある。正面から見ていてもなかなか気付きにくい。私が髪を切る時は単に短くするだけのため、女子の友達に指摘をされて、よく気付いたとむしろ感心したものだ。
「赤坂くんはー、まだよく分かんない。ネッタと同じ感じかなと思ったら、そこまで馬鹿なことはしないんだよね。しかも、ちょっと違うピン留め着けて、今日の私はどう?って聞くと、気付いてくれるんだよ!自分でもちょっと意地悪なことしたかなって思ってたんだけど。」
「紳士的ですのね。」
気付くことが紳士的なのだろうか。私にはよく分からない感覚だ。新しい物を身に着けたのなら、そう言えば良い。気付かないなら違和感なく受け入れられているという意味に取れば良い。似合っていないなら気付くだろう。物だけが浮いて見えても素直に喜べない。
紳士的の意味は異なりそうだけど、赤坂くんに紳士的な面があることには同意できる。段差から落ちた時に助けようとしてくれた。一緒にゲームをするのも楽しかったけど、あれは紳士的とはまた違った魅力的な部分だ。
「そうだね。」
「おっ、フラワーちゃんもそう思うんだ?じゃあ、次は――」
この後も、葉月くんを除くクラスの男子について、姫野さんは感想を述べていった。




