探索に再挑戦
しっかり八限まで授業を受け、赤坂くんと別れて真っ直ぐ杜鵑寮まで戻る。今日の成果を葉月くんに伝えなくてはという気持ちと、一人であまり動くこともできず寂しかっただろうという気持ちで、自然と足は速まった。
呼び鈴を鳴らせば、内側から覗いたのは零ちゃんだ。
「この時間はまだ他の人がいないからいいの。いないうちに入っちゃえば関係ないよ。」
明るく手を引いてくれる。足取りも軽い。確かに、この時間ならまだ部活をしているため、戻って来る人は少ないだろう。
葉月くんはお茶の用意をして待ってくれていた。お菓子まで用意されている。
「赤坂くんも一回自分の寮に戻ってから来てくれるよ。」
「そうなんだ。ありがとう。二人とも学内の探索したそうなのに、ごめんな。」
昨日、勉強を切り上げさせてしまったことだろう。学内を探索して世界を越える鏡を探したいことも確かだけど、八限授業の後にさらに自ら勉強することに辛いものがあるという意味でもあった。そして、それは今日も同じことだ。
だけど、勉強することになったとしても、葉月くんと親しくなれるなら、私の目的には近づけている。
「ううん、一緒だから楽しいんだよ。そもそも、段差を落ちたのは私の不注意だし。謝るなら私のほうもだよ。」
「もー、二人して謝るの?そんなこと言ってるなら、一緒にお絵描きしよ?あ、実のためにお絵描きじゃなくお歌にする?」
誰も大きな怪我をしなかった。私も反省した。互いに互いを責める気持ちがないのなら、これ以上の問答は無駄だろう。私は絵も歌も得意ではないけど、零ちゃんの相手をする程度なら嫌ではない。
一回鉛筆を持った零ちゃんがそれを置き、姿勢を正す。お腹の前で手を組んで、あーあー、と声を出す。歌うのかと思いきや、別のことを話しだした。
「あ、でも、実に歌ってほしいな。すっごく安心するんだよ。」
「零が言ってるのは子守唄だろ?今寝ちゃったら晩ご飯くらいまで起きられなくなっちゃうよ。」
「それは嫌。お絵描きもしたいなぁ。」
よく子守唄を歌ってあげているようだ。それが必要な年齢には見えないけど、ずっと鏡界で過ごしていたのなら、幼い私が両親にしてもらってきたようなことを零ちゃんは今してもらっているのかもしれない。
抱っこは体の大きさの問題で私にはしてあげられない。柊木先輩がしてくれるとも言っていたため、他のことのほうが喜ぶだろうか。
「そうだ、零ちゃんはこんな歌知ってる?」
お母さんがよく歌ってくれた、歌というほどの旋律もない、ただ節がついただけの歌だ。毎回歌詞が違い、言いたい内容の長さによっては節も変わる、即興の歌。お母さんはいつもそうして私を褒めてくれていた。
その記憶をなぞるように、私は零ちゃんと葉月くんについて歌った。
「知ってるわけないよ。だって私のこと歌ってるんだもん。でも嬉しい。羽衣は実が「清らか」だと思ってくれてるんだね。」
少しずるいだろうか。だけど、仲良くしている妹のような子がいるのなら、その子とも仲良くしなければ葉月くんと近づくための障害となりかねない。私はお兄ちゃんの友人たちにも可愛がってもらえて、遊びに来ることを楽しみにしていたため、よく自宅で一緒に遊んでいた。それはつまり、私がその友人たちと会いたくないと言えば、お兄ちゃんなら彼らと遊ぶことを控えたのではないだろうか。
葉月くんと零ちゃんの関係がお兄ちゃんと私のような関係には思えない。お兄ちゃんに私の支えが必要だったとは思えないから。だけど、その言動の影響力という点では、全く参考にならないということはないだろう。
「どういうところでそう思ったのか、俺は知りたいな。」
「嘘を吐かないことって難しいことだと思うから。」
私は色んな人に嘘を吐いている。ここでは、栄お兄ちゃん以外の全ての人を欺いている。嘘を吐かないことが清らかなことかなんて分からないけど、澱みが溜まっていく行為であるように、私には感じられる。
葉月くんは自分が人殺しだと罵られても、自分の有利になることを言わなかった。それは嘘を吐いていないからではないだろうか。それが正解だったのかなんてことも私に決められることではない。それでも、そうしたことを肯定的に評価してもらえるのは、きっと嬉しいことだろう。
「花房さんは嘘を吐いてるの?って聞いてもいい?」
肯定して良いものか。聞いてはいけないと答えても許してもらえるだろうか。そう返答に困っていると、呼び鈴が鳴らされた。
足を怪我している葉月くんに代わり、今度は私が学生証を預かって一階まで走って扉を開けに行く。内側から開けるには必要ないけど、戻って来るためには必要なのだ。
「お待たせ。羽衣が出て来るんだな。」
「葉月くんが来るのも大変でしょ?」
やはり急ぎ足で部屋まで戻る。私には話す余裕なんてないのに、赤坂くんは探索の算段を立てていた。
「昨日の所だけどさ、ああいう危ない所の奥って何かありそうじゃね?あそこで怪我したり、危うく怪我するところだったってなれば、さらに奥に進もうとはしないだろ。だから、行ってみる価値はあると思うんだよ。」
さらなる危険が待っているという想像をするだろう。私もより傾斜が激しく、急な段差も出現するようになるなら避けたいと感じる。しかし、帰り道がそこにあるかもしれないと思えば、逃げてばかりもいられない。
今日は葉月くんが一緒に行けないため、勉強や部屋でできる遊びをすることになるだろう。
「栄先輩がもう調べてるかな。週末にでも聞いてみようぜ。」
頷くことで返事に代える。急いだおかげで返事はできなかったけど、すぐに葉月くんの部屋まで戻って来られた。零ちゃんも笑顔を向けてくれる。
「羽衣と葉月に俺から提案があるんだ。暗くなってからだと鏡界の番人が危ないんだろ?だからさ、明るいうちは探索して、夜に一緒に勉強する、ってのはどう?」
「俺はいいと思うよ。今日は二人で探索してきたらいいし。その間は俺も休憩。」
私は一度一緒だから楽しいと答えた手前、これを肯定することに抵抗がある。葉月くんが元気になってからなら、赤坂くんの提案は悪くないものだけど、今はこれに乗ってしまって良いものか。
禁域に関する確実な手掛かりである葉月くんと近づくことと、世界を越える鏡を手当たり次第に探すこと。どちらを優先すべきだろう。
「花房さん、夜には戻って来てくれるんだろ?だったら探索してくるくらい気にすることないよ。俺は勉強教えてもらってる身だし、探索の結果も聞きたいし。」
ここに残っても気を遣わせてしまうだろうか。ずっと傍になることが親しくなるために必須なわけでもない。古賀さんの作戦もあるのだ。焦り過ぎないように、今は探索に行かせてもらおう。
「じゃあ、探索させてもらうね。」
その代わり、何か成果があったら真っ先に教えてあげよう。夕食の後にでも一緒に勉強や会話をする時間を取って、教室に戻りやすいようにできたら嬉しい。
赤坂くんとまた朱鷺寮北に向かう。今日は短く済ませるつもりのため、軽食も持たずに出発だ。
「一人で行くのもありかなとは思ったんだけどさ、やっぱり何かあった時に助けを求めに戻れる人も必要かと思って。それに一緒のほうが楽しいし。」
「それは私も思うよ。一人だとちょっと不気味で不安になってきちゃうもんね。」
昼間でも木々の深い部分は薄暗い。常に誰かが見えるわけではなく、私たちが探索しようとしている場所は特に誰もいない。同じ目的でわざわざそこまで行く人も多くないため、葉の擦れる音すら気になってしまいそうだ。
部活動の施設や校舎の近くはまだ良い。人の声や騒めきが聞こえるため、他にも人がいるという感覚を得られる。離れれば離れるほど、どこかおかしな場所に迷い込んでしまったような気分になる。そして、私は経験上、そんなおかしな場所も存在しないとは言い切れないと知ってしまった。鏡をすり抜けるなんておかしなことが現実に起きたのだから。
「誰かがいたら平気なんだ?」
「うん。何とかなりそうな気がする。」
「誰でも?」
どうだろう。ある程度の信頼は必要だ。有瀬さんは一緒でも安心できなさそう。葉月くんや木葉くんのことは疑っているわけではないけど、いざという時頼りにはならなさそう。私が大丈夫だよと安心させてあげて、連れて帰ってあげなければならないような気がする。一人でいるよりは自分が連れ帰らなければという思いで、怖い思いは薄れるかもしれない。
栄お兄ちゃんや柊木先輩なら一緒にいれば、何かあった時に助けてくれるだろう。古賀さんも冷静に何をすべきか教えて、手を引いてくれそうだ。
「頼りになりそうな人なら、かな。」
「それって誰なんだ?」
やけに追及してくる。だけど、隠すようなことでもないため、正直に思いついた人物を返した。
「結構、限られてるんだな。」
「そうかな。クラスの人はまだ分からないところも多いし、同い年なんだから頼ってばかりでも、ね。かといって話したことのある先輩ってのも限られるし、部活も週に一回だからより分からないし。もう少ししたら頼れそうな人は増えるかもね。」
まだ一回しか部活に参加できていない。そんな時間だけでは、先輩方のことも分からない。部活見学の時に部長の岩倉先輩とは話し、鏡の校門で遭遇して二年の京極先輩とは話したけど、十分とは言えない。杜鵑寮の森川先輩とも歓迎会の時に見かけ、部室で最も話した先輩ではあるけど、やはり頼れるかどうかの判断はつかない。柊木先輩に頼るなと言われていることも気にかかる。
赤坂くんは頼れる人と私が引っ張る人の中間くらいだろうか。何かあっても大丈夫という安心感とまではいかないけれど、何かあれば私がしっかりしなければという緊張感もない。
「俺も助けるつもりだからな。」
「え?ああ、うん、頼りにしてるよ。先週も助けてくれたもんね。」
頼ってほしかったのだろうか。それなら私はそれに甘えさせてもらうけど、何もないことが一番だ。
そんな緩んだ気分のまま、朱鷺寮を越える。ここまで来ればもう他の人と遭遇することはほぼないはずだ。それなのに、自分たち以外の足音が近づいてきた。
「へえ、こんな所にお客さんやって。珍しいなぁ。」
「京極先輩、どうしてこんな所に?」
カメラを首からぶら下げた京極先輩が正面から歩いてきた。誰もいないと思っていたから出た言葉だったのだけど、呆れたような表情を返されてしまう。
「それはこっちの台詞や。杜鵑と狼の子が朱鷺の裏まで何の用なん?」
「探検です。世界を越える鏡を探してるんです。」
今は何の裏もない探索の最中のため、本当のことを答えられる。しかし、京極先輩にはそれが引っかかるのか、ずいと近づいてきた。片手でカメラの飾りを握り締め、片手を赤坂くんに差し出して握手を求めているのだろうか。
「こっちは初めましてやったな。京極亜希子、二年Aクラスや。栄の知り合いって言うたほうが、あんたには分かりやすいかもな。」
「はい、初めまして、」
「赤坂恭弥、一年Sクラス、やろ?編入生は大概知られとる思うたほうがええで。」
真っ直ぐ見つめているのに、京極先輩は笑っているのか笑っていないのかよく分からない表情を浮かべている。そして、一瞬だけ目を見開いた。
「へえ、面白いことになってるやん。あんたも栄と同じか。羽衣ちゃん、せいぜい気ぃ付けや。」
「俺は栄先輩と違って、悪いようにするつもりはありませんから。」
京極先輩から離した手で、私の手を握られる。何に気を付ければ良いかも分からず、赤坂くんの発言の意味も分からない。
さらに赤坂くんは先ほどまで京極先輩が握り締めていたカメラの飾りに手を伸ばした。
「人の物勝手に触るんは褒められたこととちゃうで。気になるん?」
「ええ、とっても。先ほど、その小さな鏡に指が入っていたように見えたのですが。」
「意外と目敏い奴やな。聞いた話では阿呆やって話やったんやけど。安心しぃ、人に言いふらす気はあらへんさかい。あの栄の知り合いやからちょっと興味があっただけやねん。ごめんなぁ?」
謝罪している言い方ではない。むしろ相手の怒りを誘いそうだ。話の内容は分からないけど、緊迫感は分かる。赤坂くんの手もかすかに汗ばんでいるため、この会話で緊張を強いられているようだ。
「栄先輩にも同じことを?」
「同じ教室におるんやから幾らでも機会はあるで。それより、あんたもうちの副作用、知ってんねんな。誰から聞いたん?」
「え?えっと、じゃあ、俺たちはこれで。あんまり話してると探索する時間がなくなっちゃうんで。」
繋いだ手を引っ張られ、その場から離脱していく。背後から京極先輩の声が掛けられた。
「逃げてもええけど、他に言いふらすんは止めてや。うちかて他には言うてへんねんから。」
追いかけて来る様子はなく、その言葉通り私たちを逃がしてくれるようだ。逃げる意味は分からないけど、京極先輩の副作用について赤坂くんは答えたくなかったのだろう。私から聞いたと言えば良かったのにそうしなかったのは、嘘を吐きたくなかったからだろうか。
足早に昨日の段差まで辿り着く。
「赤坂くん、ここからは慎重に行かないと。昨日と同じことになっちゃうよ。」
「ああ、そうだな。悪い、取り乱した。栄先輩から聞いてたけど、いきなりあんなこと言われるとは思わなくて。」
何を聞いて、何を言われたことに驚いたのだろう。しかし、赤坂くんが追及を拒むように段差を飛び降り、探索に専念し始めたため、私もそれに従った。




