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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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私の知らない一面

 帰るためにできること、勉強のことなど何も考えない時間を過ごし、気力を十分に回復させた休日を終え、また新しい一週間が始まった。先週よりも集中できたような授業と、少しずつ私の知りたいことに近づいているような鏡操の特別授業。まだまだ思う場所に帰れる手段とはなっていないけど、勉強を続けていればそこにも辿り着けるような希望を見せてくれる時間だった。

 ここからは葉月くんに伝える時間。そう思って気合を入れ直し、鞄を持ちあげると、また有瀬さんに話しかけられた。


「待っていたわ。先週の話の続きなのだけれど、」

「悪いな、急いでるんだ。」


 こちらもまた、だ。赤坂くんに手を引かれ、昇降口まで連れて行かれる。先週と同じことを繰り返している。今日こそ、対有瀬さん作戦を立案すべきだろう。


「反論できないから逃げるのでしょう?なぜ、本人が否定しないのかしら。本人が出て来て、自分で他の容疑者を上げないのかしら。すぐに嘘がばれてしまうからではないの?」


 確証もないのに他の人の名をあげれば、同じようにその人も犯人扱いされるだけ。ただ疑う対象が増えるだけであり、葉月くんへの疑いが晴れるわけでもない。何より、問題はただ犯行が可能だということだけで犯人扱いをしていることにある。

 先週赤坂くんが言ったように、私たちで話して解決する問題ではないことも確かだ。人殺しと罵倒してくる人たちの前に出て来たいわけがないとか、誰とは特定できるはずがないとか、言いたいことはたくさんあるけど、私もここでは沈黙を守る。


「ほら、何も言えないではないの。そういった部分まできちんと考えるべきなのよ。花房さん、あなたは優しさのつもりで肩を持ったのかもしれないけれど、それがどんな意味を持つか、理解していたのかしら。では、私はこれで。言いたいことは言ったわ。」


 足音が遠ざかっていく。昇降口が目的地ではなかったようだ。ほっと息を吐き、手が離された。


「何とかなったな。」

「今日はどっか行ってくれたけど、明日も同じとは限らないよ。何か時間を取れない理由を考えようよ。勉強するって言い訳、聞いてくれるかな。」

「ちょっとくらい、で押し切られるだけだろ。走って逃げて振り切ったほうが確実だ。」


 それは最終手段だ。そのために無駄な体力を使いたくない。言葉で撃退できるならそのほうが楽だろう。

 対有瀬さん作戦を考える時間を作ってもらえなくても、杜鵑寮に向かうまでの道中で話せれば良い。今も森の中に入り、提案を始める。


「でもデートも駄目だったでしょ?だったら少しでも早くみんなに追いつきたいから鏡操の予習と復習を欠かさないの、とは言えるよ。他の学校にはない授業だから、やる気になってたっておかしくない。」


 私と赤坂くんの両方が有瀬さんから逃れるには最善の選択だろう。共通している部分からの口実であり、嘘だと言い切れる根拠が有瀬さんには得られない。実際には葉月くんの所にいても、そこで鏡操の勉強が可能だ。

 自信のある提案だった。しかし、赤坂くんの反応は思わしくない。


「おかしくはねえけど。座学の部分しか自分たちで勉強できねえし。通り抜けられる対の鏡を作る練習なんて、まだまだ先だろ。」

「座学を進めないとそこまで行けないでしょ。禁域についても知りたいんだから、さっさと葉月くんの所に行こ。」


 本当に鏡操の勉強をしても良い。私たちが教えるだけでなく、葉月くんからも教えてもらうことで、もっと仲良くなれるかもしれない。


「別に今日は教えてもらいに行くわけじゃねえだろ。今日の授業を教えに行くんじゃねえの?あ、もしかして、仲良くなって聞き出そうって魂胆か。意外と打算的だな。栄先輩みたいだ。」


 教えてもらえるように、教えに行く。これは私の目的であって、赤坂くんに言っている内容ではなかった。悪印象を与えてしまっただろうか。しかし、親しそうな栄お兄ちゃんみたいという感想が出てきたということは、心配することではないかもしれない。

 栄お兄ちゃんと会ってからは、来週で一か月が過ぎる。赤坂くんには私が記憶喪失という話をしただろうか。してはいなくても、あれだけ近い場所に住んでいるのなら、近所のおばさんから伝わっていそうだ。私が栄お兄ちゃんと呼んでいるところも聞いているため、ここは喜んで見せるのが自然な反応だろうか。


「なんでそんな微妙な顔してんだよ。羽衣には打算的なとこ隠してんのかな。結構、残酷なことやるけどな。」


 少し考え過ぎてしまったようだ。都合良く解釈してくれたことが不幸中の幸いだ。

 しかし、栄お兄ちゃんが打算的か。私に惜しみなく、何の見通しも立っていないのに色々な物を買って、美味しいご飯も作ってくれることを考えると、打算とは程遠い人に思える。色々な物というのも、手当たり次第に買い与えるわけではなく、私に必要な物や欲しいと言った物に限ってくれていた。

 残酷な面もまだ見ていない。一か月足らずで全ての面を見ることなどできないとは思うけど、それを思わせる片鱗すら私は感じ取っていない。


「ねえ、本当に同じ人の話してる?」

「あっは、羽衣にはそう見えてんだ?まじで?打算的じゃなくて、残酷でもない。まあ、取り繕うのと誤魔化すのは上手な人だけど。面倒見もいいしな。」


 貶していたかと思うと急に褒めだした。残酷で打算的と、面倒見が良いは両立する特徴なのだろうか。私にはそれらが繋がる特性とは思えない。


「打算的とか残酷とかって、例えばどんなの?」

「んー。話せない、かな。卒業する頃には話せるかも。」


 私が聞くことはできないようだ。その時までこの学校にいるつもりはない。少なくとも日常的に見える一面ではないと分かるため、警戒する必要はないだろう。


「楽しみにしとくね。もしかしたらそれまでに栄お兄ちゃんが教えてくれるかも。」

「教えるわけねえよ。楽しい話でもねえし。そんな話より学内の探索でもしてたほうが絶対楽しいって。ちょっと勉強したら葉月も一緒に探索しようぜ。」


 駆け足で杜鵑寮に向かったため、栄お兄ちゃんの話はそこで打ち切られた。




 急ぎ足な勉強もそこそこに寮を出る。ちゃっかり食堂でパンまでもらって、暗くなってからも探索する気満々だ。葉月くんは懐中電灯まで携えている。


「どこに行くの?」

「禁域は駄目だよ。」

「分かってるって。未知の領域が広いのは朱鷺寮側だろ?杜鵑寮の向こうは海だし、周りには施設も多い。豹寮の向こうには川があって、狼寮の向こうだってただひたすら森が続いてるだけだった。」


 既に赤坂くんは一人であちこち冒険していたようだ。


「朱鷺寮の向こうは山だ。越えた先に何があるか分からない。今日越えるのは無理だろうけど、その途中だって何の施設もないし、わざわざ行く人もいない。何かを隠すにはうってつけだろ?」


 一理ある、のだろうか。分からないけど、現状、世界を越える鏡や禁域に繋がる情報を得られていな以上、手当たり次第でも探してみるしかない。これで見つかればそれで良し、見つからなくとも葉月くんと親しくなれれば良し。その程度の心持ちで行こう。

 賛成の意を示すように、私は二人の手を取って先導する。鏡界の番人を恐れる気持ちもあるけど、三人でいるなら大きな怪我をさせられることはないだろう。


「ほら、なるべくたくさん探索できるようにしようよ。」

「走ったほうが危ないだろ。」

「朱鷺寮裏は本当に危ないんだよ?慎重すぎるくらいで行こうよ。」


 二人の制止も聞かず、足を速める。危ないならなおさら、朱鷺寮裏に着くまでは急ぎたい。傾斜が激しくなってから慎重になっても遅くはないだろう。

 そんな油断がいけなかったのだろうか。朱鷺寮を少し越えたあたり、傾斜がまださほど激しくなってはいないが、転んでも手を付けるように繋いだ手を離したすぐ後、焦る気持ちを抑えきれずに走ってしまった。そして、必死な声と手で呼び留められる。


「羽衣!」

「えっ?きゃあ!」


 体が一瞬浮いたかと思うと、赤坂くんのほうへ引き寄せられた。しかしその僅かな力では重力に逆らえず、自分の身長ほどの高さを落下することとなった。幸い、下が土だったおかげか、一瞬体を打った痛みがあっただけで、大きく痛むことも、その痛みが継続することもない。

 隣の赤坂くんももう立ち上がって土や葉を払っているため、大きな怪我はないようだ。


「ごめんね、はしゃいじゃった。」

「怪我してないよな?」

「うん、ごめんね。」


 心配されて心が痛い。私が怪我をしていたとしても完全に自業自得だ。赤坂くんには走らないように言われ、葉月くんにも慎重に行くよう言われていたのに、不注意にも走ってしまったのだから。


「いいんだよ、怪我がなくて良かった。」

「でも、ここの段差が低かったから二人とも大丈夫だったけど、もしここがもっと高い段差だったら、赤坂くんにも怪我させちゃってたわけだし……」

「怪我くらい問題ねえよ。うちのばあちゃんなら、羽衣を助けたんだから、俺が怪我してても、羽衣が無事で良かったって喜んでくれただろうし、俺のこともよくやったって褒めてくれたよ。」


 気にしなくて良いと言ってくれているつもりだろうか。その言葉に甘えて、実際には大きな怪我をしていないわけだからと、意識して気分を切り替える。


「ありがとう、助けようとしてくれて。」

「うわぁ!」


 ズザザという音も同時に聞こえた段差のほうでは、私たちの所まで来ようとしたのか葉月くんが倒れていた。駆け寄ると上半身を起こすけど、立ち上がろうとすると顔を顰めた。


「大丈夫?」

「えっと、ちょっと足捻った、かも。」

「立てないんだから確実に捻ってるだろ。ほら、見せてみろ。」


 どこが痛いか赤坂くんが聞き出し、その部位を観察する。腫れているようには見えない。そこを触って何やら確かめている。


「折れてはいなさそうだな。今日の探検は終わりにして、保健室に行こう。」

「そうだね。葉月くん、立てそう?」


 二人で手を貸すけど、明らかに左足を庇って立っている。歩いて戻るのは難しそうだ。


「俺が背負ってくから、羽衣は荷物持ってくれねえ?」

「うん。」

「別に俺は持てるけど。」


 少し反論する葉月くんからも荷物を奪い、なるべく緩やかな斜面をゆっくり登っていく。人を一人背負っているのだから、極力荷物は少ないほうが良いだろう。そのほうが軽くなり、赤坂くんの負担も減る。

 保健室までの比較的平らな道も足元に注意しつつ歩く。


「葉月、しばらく大変じゃねえ?階段上り下りしたりとか。」

「こういう時くらいはエレベーター使うから大丈夫だよ。それに、初めてでもないし。」

「禁域で怪我してたの?」


 危険だという禁域。葉月くんは自由に出入りしているという話だけど、最初から無傷で出入りできていたのかどうかは分からない。もしかしたら最初は怪我をしつつ侵入を繰り返し、そのうち身を守る方法を覚えたのかもしれない。


「いや。お前も死ねって階段から突き落とされて。」

「えっ!?」


 それは犯罪だ。それこそ犯人を突き止めるべき事件だろう。


「俺にも誰がやったか分からなかった。だからそのまま。さすがにそこまでされたのはその一回だけだよ。」

「家族は心配しねえの?こんな学校、辞めてしまえばいいって。」

「言ってない。突き落とされたこと自体、黙ってるんだ。」


 心配させたくないから教えないのだろうか。それでも何かあったことくらいは、長期休みの帰省時に分かってしまうだろう。葉月くんの意思を尊重して、自分から話し出すまでは見守ってくれる家族なのだろうか。


「二人はさ、家族とか親戚に鏡操適性者はいる?」

「え、うん。俺はばあちゃんが二級適性者だった。」

「私は、」


 家族のことは言えない。鏡の向こうの家族に鏡操適性があるかなんて分からない。ここで言えるのは栄お兄ちゃんのことだけだ。


「栄先輩が一級適性者だよ。」

「そっか。うちは親戚もみんな無適性者なんだ。だから、俺に期待してる。だから、ここから出ることになるかもしれないことは隠しておきたいんだ。」


 鏡操適性がどれほどここで重要なのか、私には分かっていなかった。ごく限られた人の持つ適性が、期待されるようなものであるなんて、思いついていなかった。私が辞めたくなるような状況であっても葉月くんが在籍し続ける理由になるほどのものなのだ。

 それ以上は何も言えず、保健室に辿り着く。しかし、そこに保険医はいない。


「湿布くらい貸してもらうか。」


 葉月くんを椅子に座らせると勝手に棚を漁り出した。机の上には利用者記録と書かれている冊子が置かれている。このまま勝手をするのは罪悪感があるため、私はそこに、葉月実、捻挫、と記入した。怪我の理由の項目があるけど、学内の散歩中に段差から落下したため、程度で良いだろうか。

 簡潔に事実を記している間に、手当てが終わったようだ。


「羽衣は何してたんだ?」

「利用記録に記入してた。葉月くん、歩けそう?」

「うん、」

「無理しないほうがいいだろ。」


 問答無用とばかりに背負う姿勢になる。それを葉月くんも感じたのか反論することなく素直に頼ることにしたようだ。そのほうが早いことは確かだ。歩く速度だって速い。もう、さっさと杜鵑寮へ向けて歩き出している。

 今日、明日は探索ができないだろう。赤坂くんと二人でなら可能だけど、葉月くんを一人置いて行くのは後ろめたい。


「ちゃんと勉強しなさいって言われてるみたいだね。」

「誰にだよ。」

「なんか背後霊的な者に。」


 毎日歩く通学路を避けて違う道を選んだ日、いつも通る道で小さな交通事故が起きていたとか、風邪で学校を休んだ日に自席近くの窓ガラスが割られたとか。そんなことが起きる度に両親は、背後霊か守護霊かが守ってくれているんだね、と言ってくれていた。

 だからきっと私は帰れる。人には理解できない存在が助けてくれているから。


「なんだそれ。」

「俺は素敵な話だと思うよ。花房さんも今日は勉強を頑張るってことだろ?」


 前回もお話はしたけど、勉強だってしていた。


「うん。今日も、頑張るってこと。」


 今から気合を入れても疲れるだけだから、やる気を出すのは寮に着いてからだ。


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