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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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心も体も休める日

 意外に勉強の得意な赤坂くんの力で想定よりも捗った勉強会に充実感を覚えた翌朝、私の部屋の呼び鈴が鳴らされた。画面には栄お兄ちゃんが映っている。今日は土曜日のため、家に帰るのだろう。

 特別に荷物を持つことなくそこまで行けば、帰るよという簡単な一言で寮を連れ出された。部屋では花材がミキサーに入れられたままだ。明日戻って来る頃には萎れているかもしれない。花瓶がないのは仕方なく、代用できる物もあるけど、鋏はそういうわけにもいかない。切り直せればまた違うのかもしれないけど、ねだっても良いものだろうか。


「また何か悩んでるの?」

「うん。えっとね、花切り鋏が欲しいな、って。部屋で飾ろうと思っても長さが変えられなくて。」

「花器と剣山も要るだろ?今日買いに行こうか。」


 気兼ねない言葉。私が口に出そうか迷ったことが無駄だと言われたようだ。十分な成果などまだ出せていないのに、本当に良いのだろうか。せめてとばかりに私は今週の成果を報告する。


「葉月くんと平日は毎日勉強会をすることにしたの。授業に出れてないから、教えてあげようと思って。でね、一昨日は零ちゃんも一緒に柊木先輩の部屋で勉強会したんだ。」

「零とも仲良くなれた?」

「たぶん、少しは。」


 七不思議の少女である零ちゃんとも親しくなれば、何か分かるかもしれない。二つの手掛かりと親しくなりつつあることを、他の人にも聞かれて問題のない会話で伝えられている。さらに私は報告を続けた。


「昨日は赤坂くんも一緒に三人で勉強会したの。赤坂くんって勉強得意だったんだね、意外だったよ。いっぱい教えてもらっちゃった。」

「仲良くなるのもいいけど、あんまり気を許し過ぎないように。いざって時は身代わりにしてやるくらいのつもりでいいよ。あれは死んでも死なないくらい丈夫だから。」


 最初の体育の授業でもそれは分かった。シャトルランで最後の三人に残り、授業時間終了まで走っていたのだから。身代わりになんて言わなくとも、親しくなれば力になってくれるだろう。実際、有瀬さんを振り切るために助けてくれた。


「そんな酷いことはしないよ。きちんと仲良くなって、七不思議探索に協力してもらうんだから。」

「羽衣は行動が早いね。もう調べるための道筋が見えてるみたいだ。」


 何から手を付ければ良いか分からないから、できそうだと思ったことを手当たり次第に試しているだけだ。それが結果に繋がるか分からないまま、何もしないことが怖いから動いているだけ。仲良くなったってそこに望む情報があるかなんて分からない。そもそも、鏡の向こうに帰る術が本当に存在するという根拠さえ、七不思議という曖昧なものに頼っているのだ。

 考えたくないから信じて動いている。葉月くんや零が何か知っているはず。赤坂くんは協力してくれるはず。仲良くなれば帰る方法だって見つかるはず。古賀さんの作戦に乗れば仲良くなれるはず。全てそうあってほしいという私の願望。ここで三年間を過ごすことはないというのも、過ごしてしまえばもう帰る手掛かりすら失われてしまうから。か細い希望に、私は縋っている。


「できることがあまりないから。」


 本当に世界を超える鏡は存在するのか。偶然に渡って来てしまったのなら、同じ場所には戻れないのではないか。私の家から栄お兄ちゃんの家に繋がる鏡が一方通行だったように、こちらからあちらに戻ることはできないのではないか。

 それでも私は信じることしかできない。


「十分やってくれてるよ。俺じゃ禁域に近しい人物には話しかけられなかった。千尋を通じて近づこうにも、そこまで信用はしてもらえなかったから。」

「仲いいんじゃないの?」

「それとこれとは別なんだよ。」


 親しくしていても信用してもらえない。不思議な感覚だ。信用できない人と親しくできることが私には理解できない。あるいは、私がお父さんやお姉ちゃんの言う辛くないという言葉を信用できない程度の意味合いなのかもしれない。禁域について知れば無茶をして入ってしまうだろうから、危険なことをしないとは信用できない、という意味だ。

 その意味なら、親しいからこそ教えてもらえない、となる。しかしそうなれば、私が葉月くんたちと近づいた先に帰り道があると信じることも難しくなる。


「私が仲良くなっても同じことにはならないかな。」

「たぶん大丈夫だよ。詳しいことは学外で、にしようか。」


 校門の鏡をくぐると、真っ直ぐ文房具や洋服を買いに行った店のほうへ向けて歩く。荷物も多くないため、私のための寄り道をしてから帰ってくれるようだ。


「さっきの話の続きだけど、京極の副作用は覚えてるよね。」


 鏡を通ると幻覚が見えると言っていた。おそらくただの幻覚ではなく、現実の何かが見えるようなものだった。


「うん、幻覚で私が見えたんだよね。」

「正確には俺の記憶にある羽衣を見たんだ。それと俺の話を繋ぎ合わせて、それが羽衣だと断定した。」


 花房羽衣という人物が見えたと分かったわけではなく、栄お兄ちゃんの妹のような子という話と一緒に歩いている姿から、見えた少女が私だと分かった。人の記憶を覗き見る能力ではなく、あくまで見えてしまう副作用であるから京極先輩はそれを活用しているに過ぎないのか。

 そうだとしても、人の記憶を見られるというのは恐ろしい能力だ。


「記憶が、見えるんだ。」

「そう。だけどあくまで見えるだけで、音は聞こえない。記憶の持ち主の考えも分からない。ただ映像を見ているだけなんだ。それでも慣れると十分な情報が得られるから、隠し事の内容も一部分かってしまって、不信感に繋がるんだ。」


 栄お兄ちゃんがこう知っているということは京極先輩本人にも分かっている。人の秘密を勝手に話さないと言っていたのは自分が知り得る立場ではあるけど、それが完全な情報ではないことも理解していたからか。不完全な情報を伝えて、それを信じ切ってしまった人たちが過ちを犯さないように。

 不完全な情報に踊らされているのは一昨年の事件に関しても同じだ。そのせいで今、葉月くんは教室に通えていない。


「京極先輩が人の過去を見られるなら、葉月くんが何もしてないことも証明できるかな。」

「たった一人の証言じゃ証拠にはならないね。それに何かをしたシーンならともかく、何もしてないと言うには長い時間見る必要がある。狙ったシーンを見るのは難しいとも言ってたね。」


 やはりあくまで副作用ということを忘れてはならない。そんなに便利な能力ではないのだ。時間がかかるだけなら自分の無実の証明のために葉月くんも協力するだろうけど、そのために人には知られたくないことも見られてしまう危険を冒すことになる。お風呂上がりに全身鏡を見ていた記憶や小さい頃の記憶は恥ずかしいだろう。

 副作用に頼るのは止めよう。葉月くんが無実ではなかった場合に、私は親しくなる道を自ら捨てることになってしまう。たとえ葉月くんが同級生を殺していても私は親しくなり、この場所を離れて両親の下に帰るのだから。


「ほら、真面目な考え事もいいけど、休める時には休まないと疲れちゃうよ。」


 前回連れられた色々な物が売っていた店の隣、外に植木鉢や板が置かれている店に入る。私があまり来たことのない類の店で少々落ち着かない。目的の物がどのあたりにあるのかさえ、さっぱり分からない。

 人はまばらだ。通路の幅も広く、少しくらい離れてもすぐに合流できそうな見通しの良さだ。


「どこにあるの?」

「この辺りに花とか野菜の種が置かれてるなら、近くに花切り鋏くらいありそうだけど。」


 入ってすぐ振り返った場所に様々な種類の植物の種が置かれている。植物の蔓を巻き付けているような緑の棒や小さなプランターが並ぶ棚を通り過ぎると、花切り鋏が出て来た。バネがついている物や持ち手の部分に工夫がされている物など種類が多い。


「どれがいいんだろう。」

「学校で使った物みたいなのでいいんじゃない?」


 金属だけで作られているような見た目に、バネもなく、凹凸によって持ちやすくされているわけでもない物。しかし、商品としてここに並ぶ物たちは何らかの特色を持たされているようで該当する物はない。

 結局、バネがついている、持ち手の形が単純な物を選んだ。持ちやすい設計の物は保管に場所を取ってしまいそうだったのだ。


「剣山も選んでいい?」

「好きなだけ選ぶといいよ。」


 何個も要らない。花材を二つに分けるとしても、一つはミキサーに生けるとすれば、剣山は一つあれば十分だ。軽すぎると倒れてしまうため、学校のものほどではないけど比較的大きな四角い物を選ぶ。私の手のひら程度の大きさの物だ。

 花器は必要ないだろう。部屋で料理をしないなら鍋でもフライパンでも使えば良い。


「じゃあ、これと、これ。お願い。」

「もういいの?花器は?」

「なくても生けられるから。」


 精算所で自分の荷物だからと私が受け取り、隣の大きなお店に移る。もう服は必要ないけど、まだ何かここで買う物があるのだろうか。


「何かあるの?」

「食材が要るからね。お昼ご飯は何が食べたい?」


 学校の食事も美味しい。食べ応えもあり、野菜も食べられる。ドレッシングやソースは基本自分で後からかけるようになっているため、好きな物を選べる。大きな不満はないが、刺身やお寿司といった物は見ていない。昼食に食べる物かどうかは迷いどころだ。

 迷っている間にも栄お兄ちゃんが籠に野菜などを入れていく。早く言わないと決定されてしまいそうだ。


「お寿司、とか。」

「手巻き寿司でもする?帰ってからご飯炊いても間に合うから。いいお刺身があるといいけど。」


 お母さんの買い物について行った時のようだ。魚はその日によって違い、良い状態の物かどうかも異なるため、行ってみなければ何を夕食に使えるのか分からないと言っていた。私にはどれが良い状態でどれが悪い状態か分からなかったけど、お母さんが選んで調理した物はどれも美味しかった。

 だけど家で寿司を作ることはなかった。寿司といえば、回っている所に食べに行くか、食料品店に売っている物を買うか、だった。刺身なら夕食用に買って食べていたけど、それをテレビで見たように手巻き寿司にすることはなかった。


「初めてする、手巻き寿司。やり方教えてね。」

「俺も一人じゃしないけど。難しいことはないでしょ。」


 他にも夕食や明日の昼食に使う予定なのであろう食材を選んでいき、精算を済ませる。手早く自分の袋に詰め込むのも手慣れた様子だ。お父さんやお姉ちゃんのように詰め方に拘って入れ直したりもしていない。

 全てを一つの袋に入れ、肩にかけて外へ出た。私が持っているのは自分の花切り鋏と剣山が入っている小さな袋だけ。お母さんと買い物に来た時だって荷物持ちくらいはするのに、今日の私は何もできていない。


「栄お兄ちゃん、この後、何かすることある?」

「干してある洗濯物畳むくらいかな。羽衣はゆっくり休んでたらいいよ。平日ずっと頑張ったんでしょ?慣れないうちは八限授業もかなり大変だから。」


 それは栄お兄ちゃんも同じはずだ。編入生だから鏡操の特別授業があるなら私と同じことになっているはず。それに加えて二人分の炊事洗濯掃除となるなら、負担が不公平だ。だけどよく考えると、平日はあの家で過ごしていないわけだから、掃除は必要ないのかもしれない。

 休むにしても遊ぶ物もないため、暇をすることになる。ぬいぐるみの一匹くらいクッションと一緒にお願いすれば良かった。本はたくさんあったから、何か眺めさせてもらおうか。


「栄お兄ちゃんって何が好きなの?あんまり趣味の物置いてなかったよね。」

「料理は好きだよ。作ってる間も食べてる間も息抜きになる。もちろん、食べてくれる人がいたほうが作り甲斐はあるけど、一人でも基本的に自分で作ってたね。」


 だから私のお母さんが作らないような料理も知っていたのか。それは私の家族の誰かの口に合わない料理だからという可能性もあるけど、それでも大半は何品かのうちの一品として出て来ることは多々ある。

 赤坂くんが栄お兄ちゃんの料理を美味しいと知っていたのも、料理自体が好きだから振舞っていたのだろう。この近辺に住んでいるなら、赤坂くんもこれからよく招くことになるのだろうか。


「今日は赤坂くんも来るの?」

「夕方には。羽衣と仲良くなるチャンスとか訳の分からないことを言ってたから、絶対に二人きりにならないようにね。」


 鏡操の特別な授業は二人で受けていて、七不思議に関しても協力することは多いだろう。そんな相手なら親しくなっておきたいと思うのは私も同じだ。

 二人きりには昨日既になっている。先ほどはその部分を省略して伝えたため、この忠告になっているのだろう。


「昨日有瀬さんと三人で話した後は二人きりだったよ。二人で隠れてたの。」

「へぇ。どういう状況か全然分からないんだけど、なんで隠れる必要があったんだろうね。」


 その詳細を伝えていく。逃げる流れまではただ聞いているだけだったけど、隠れている時のことになるとさらに詳しく話すよう求められた。具体的にどんな体勢だったのかなど、家に着いてからもやって見せて説明する羽目になるのだった。


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