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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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クラスの総意

 決意を新たに、一日を始める。中間試験までできることがほとんどないのがもどかしい。今の私にできるのは授業をしっかり受けて、先生の話を聞き洩らさないようにし、板書も余す所なく写し取ることだけだ。この成果を授業終わりに葉月くんに伝えて、少しでも仲良くなろう。

 そう気合を入れた七限の授業が終わり、八限目の鏡操も終える。これでようやく自由時間だ。七限分と今までの授業分と考えるとここからすぐ葉月くんと勉強を始めても、追いつけないかもしれない。今日ない授業のノートは貸したけど、それだけでは難しい部分はあるだろう。

 私はすぐさま寮に戻ろうとしていた。それなのに、高慢な態度で呼び留められる。


「花房さん、赤坂さん、一体どういうつもりかしら。古賀さんまで見ないふりの時間は終わったと言っていたのだけれど。」


 有瀬さんの一点の隙もない下校姿だ。辞書類まで全て入った鞄を肩にかけ、それでも制服に乱れはない。リボンもズボンも規定通りに格好良く着こなしている。


「何の話か分かんねえな。それより、有瀬さんは部活に行かなくていいのか?」

「今日は早抜けしてきたのよ。将棋部はその辺りの自由が利くものだから。そんなことを聞く暇があるのなら、私の質問に答えてもらえるかしら。」

「さあな。羽衣も答える必要ないからな。ほら、行こうぜ。有瀬さん、悪いな。この後二人で予定があるんだ。」


 私が口を挟む間もなく、手を引かれる。私のお兄ちゃんや栄お兄ちゃんよりも温かい手だ。真っ直ぐ昇降口に向かっているけど、有瀬さんも上履きであるため、振り切ることは不可能だろう。逃げる必要性があるのかも私には疑問だ。もう一つの疑問は、赤坂くんとの予定が私にないにもかかわらず、そのような返事をされていることだ。約束していたことを忘れてしまっているのだろうか。


「赤坂くん、私、何か約束してたっけ?」

「悪い、今は話を合わせておいてくれ。……次は中間試験最終日って話だろ、古賀さんとの約束では。」


 小さな声で、おそらく有瀬さんに聞こえないように伝えられる。どういうつもりか答えられないから逃げようとしているようだ。来週以降何度でも会うのだから、この誤魔化し方では限界がある。今この瞬間しか通用しないだろう。月曜日の朝に会えばもう逃げられない。それなら時間のある今、明確に返事をしたほうが良いだろう。

 私は足を止め、有瀬さんに向き直る。


「教えられないの、古賀さんとの約束だから。」

「そんなもので答えたことになるとでも思っているのかしら。その古賀さんが、見ないふりの時間は終わったと言っていたのよ。そして花房さん、貴女はSクラスの、優しく言って問題児に積極的に関わっているわ。」


 問題児はおそらく葉月くんのことを指している。だけど、私から見ればSクラスには他にも問題児はいる。もう一人は天羽くんだけど、私は未だ直接関わっていない。毎日飽きもせず扉やスピーカーの上から飛び降りているため、迂闊に近寄れないのだ。

 次は中間試験。それは葉月くんが矢面に立つことのないようにという古賀さんの配慮から出た作戦だ。だから、私たちも先に行動を起こすわけにはいかない。葉月くんも古賀さんもそのつもりでいるのなら、まだ心の準備ができていないだろう。


「同じ寮なら話すことも多いと思うよ。私は葉月くんや零ちゃんとも親しい先輩にも気にかけてもらってるし。」

「あの人は別よ。色んな人に絡まれているもの。あの天羽さんにも慕われているのだから。」


 有瀬さんも柊木先輩と親しいのだろうか。私の説明で柊木先輩と断定できたということは、葉月くんも零ちゃんも親しい先輩は有瀬さんにも柊木先輩しか思い当たる人物がいないのかもしれない。

 そこから私の言い訳も広げられる。


「あのね、授業が始まる前、栄お兄ちゃんと歩いてる時に柊木先輩を紹介してもらったの。だから私にとって栄お兄ちゃんの次に親しかったり信頼できたりするのは柊木先輩なんだ。」


 これは有瀬さんも認めざるを得ないだろう。有瀬さんや杜鵑寮の桃園さんや木葉くんよりも親しいと主張されているのだから、私が柊木先輩からの繋がりで葉月くんとも親しいということに、有瀬さんは意義を唱えられないはずだ。

 そんな私の思惑は当たり、沈黙が返って来た。私に嘘はないため、真っ直ぐにその目を見つめ返せる。実際、この学校の敷地内に入って最初に出会った人は柊木先輩だ。その次に話したのが小牧先輩や桃園さん、葉月くん。彼らは頼れるかどうかを考えると迷うところだ。


「そう、なのね。あなたも自分自身の目で、友好関係を築くに値する人間か判断するといいわ。」


 私は好きになれない言い方だ。仲良くなりたい、あるいは仲良くなれそうと感じれば仲良くする。そう感じられないのなら近づかない。それだけだ。

 また赤坂くんに手を引かれた。


「もう満足したか?ほら、行くぞ。」

「赤坂さん、女同士の会話の邪魔をしないでいただけるかしら。」

「私は満足したよ。」


 今度は抵抗せず、その力に身を任せる。もっとも目的地は同じであるため、有瀬さんも後ろをついて来ることになる。


「全く、人の話も聞けないなんて、これだから子どもは困るわ。人の話を鵜呑みにすべきではないと教えてあげているのよ。」

「だったら噂話も信じるべきじゃないよね。」


 葉月くんに関する話は全てが噂や状況証拠だ。どこにも確固たる証拠や葉月くん自身の主張は含まれていない。

 私の目的は家族の下に帰ること。そのために葉月くんの持つ情報が必要。だから私は葉月くんの肩を持つ。噂話も柊木先輩の話も古賀さんの作戦も二の次だ。今は古賀さんの作戦に乗ることが私にとっても利があるから、乗っているに過ぎない。


「あなたにはただの噂話にしか聞こえていないのね。この後、二人でどこへ行く予定なのかしら。」

「羽衣と二人きりのデートなんだ。有瀬さんに教えるわけないだろ?」

「あら、それなら勝手にご一緒させていただくわ。あなたたちにはただの噂話ではないと懇切丁寧に説明してさしあげる必要があるようだもの。」


 運動靴に履き替えながら、二人の舌戦を聞き届ける。この後真っ直ぐ杜鵑寮に戻るわけにはいかなさそうだ。デートに相応しい場所は海岸だろうか。それとも未だ見ぬ朱鷺寮北だろうか。登り切れば絶景が広がっている可能性はある。しかし、古賀さんの秘密基地には近づきたくない。もちろん、零ちゃんと葉月くんの秘密基地にも近づけない。

 昇降口を出ると、赤坂くんは真っ直ぐ西、つまり狼寮の方面へ向けて歩き出す。


「ねえ、今日はどこでデートするの?」

「有瀬さんに聞かれたくないからなあ。俺の部屋で相談しよう。」

「自室に連れ込むなんて大胆ね。花房さん、警戒すべきよ。」


 もはや隣を歩いている有瀬さんは嫌そうな表情をしている。おそらく赤坂くんの部屋には入らないだろう。そこで数分もすれば有瀬さんを振り切ることができそうだ。少し寄り道をすることになるけど、このまま有瀬さんに時間を取られるよりは短く済むだろう。

 また赤坂くんは手を繋いでくる。デートという言い訳に必要であるため、私からも指を絡めた。


「羽衣も意外と大胆だな。」

「二人の世界に入るのも結構だけれど、あなたたちがただの噂話と切り捨てる情報をもっと精査すべきではないかしら。まず、一昨年の事件について、よ。」


 おおよそ私も知っている話だ。赤坂くんも栄お兄ちゃんや狼寮の人から聞いていたようで、驚きもなく聞いていた。


「分かるかしら。一昨年の事件で相次いで行方不明になった三人が共通して接触していた人物があの問題児のみなの。特に一人は共に禁域に入っているのだから、疑念を挟む余地もないわね。他に誰が犯行を行えたと言うのかしら。」


 既知の誰かに限るなら、犯行は難しいだろう。多くの人が禁域に入ることを試みていないことになっている。しかし、全方位余す所なく監視できているのでない限り、入っていないと主張している人物が禁域で待ち伏せることは可能だ。

 葉月くんには友人の行方不明を数日黙っていたという瑕疵がある。一方、やはり葉月くんが彼らを害したという証拠は何一つ残っていない。ただ、同じ場所に向かったというだけだ。


「そして素性の知れない謎の少女とも親しいわ。何年も年を取らないなんて異常だもの。まともな人間じゃない。そんな少女以外に禁域への侵入が許されている唯一の人間だとすれば、もう証拠としては十分でしょう?」


 何も十分ではない。今ある情報だけで推測するからそうなってしまうだけだ。他に侵入できるのに隠している人物がいれば。零ちゃんの他にも禁域に潜んでいる者がいれば。葉月くんを警察が捕まえられず、学校が退学にできなかったことが、十分な証拠がないという良い証拠ではないか。

 ここで反論すべきではないのかもしれない。しかし、私には中間試験を待つ意味がそこまで重要なものとは思えない。もう既に、葉月くんがどういった立場に置かれているかは分かった。


「有瀬さんは、葉月くんと零ちゃん以外の今鏡界にいる全員が禁域に入っていないと断言できるの?」

「何を言いたいのかしら。」

「見張りも立ってない、ロープも張ってない。そんな場所、いくらでも人から隠れて出入りできるよ。葉月くんと零ちゃんは禁域に出入りできることを隠してないみたいだけど、隠してるだけの人がいたっておかしくない。」


 はっ、と嘲笑を浮かべる有瀬さん。この程度、思いついていたのだろうか。


「それこそそんな人を見つけてから言いなさい。本人たちが他に出入りしている人を挙げない以上、自分たちにしか犯行は不可能だと言っているも同然よ。」

「もういいだろ、俺たちだけで話してたって解決する問題じゃないんだから。有瀬さんも、中間試験が終われば分かるから。」


 振り切るように道を外れて、木々に紛れていく。有瀬さんの声は追って来るけど、それを躱すように木の影に引き込まれた。

 しーっと唇に指を当てられ、木に隠れられるよう密着してやり過ごす。一方向から見られるだけなら密着せずとも見えないだろうけど、相手も移動しているのだ。少しでも見える可能性を減らしたい。

 ガサリ、ガサリと周辺を探っている音がする。音のほうからも人影が近づいて来る様子はない。しかし音が離れていくわけでもなく、この辺りにいるはずと探し続けている。赤坂くんも緊張した様子で音のする方向へ目を向けていた。


「もう、意外とすばしっこいのね。鼠が入り込んだのかしら。いいわ。私にはあなたたちを探すなんて無駄な時間を過ごす暇などないの。また来週、覚えてらっしゃい。」


 音が遠ざかっていく。上手く逃げ切れたようだ。ほっと息を吐けば、体を引き離される。もう危機は去ったというのに赤坂くんはまだ音のしていたほうを見ていた。


「余計なお世話かもしんねえけど、あんまりこういうのはしないほうがいいんじゃねえの?」

「したのは赤坂くんでしょ?私は有瀬さんと話そうとしたよ。」


 会話に進展がなかったことは確かだ。だけど逃げるべきでないなら話すしかない。古賀さんとの約束を重視するなら、話せないから逃げるしかない。私も最終的には逃げることに同意した行動を取ったため同罪ではあるけど、主犯の赤坂くんに指摘される理由はない。

 ようやく視線が戻って来る。しかし、私の言葉には納得していなさそうだ。


「そっちじゃねえよ。あんまり、こう、異性と密着するのは良くないんじゃねえの、って。相手によっちゃ危ないからな。」

「別に誰彼構わずくっつくわけじゃないし。今は必要だったでしょ。」


 そんなことをするのは変質者だ。同性であろうと異性であろうと、相手を見て行動している。

 沈黙する赤坂くんを置いて、私は道に戻る。すぐさま杜鵑寮に向かおうとすれば、来た道を引き返すことになってしまう。有瀬さんと遭遇したくはないため、一度狼寮方面へ向かう。来週以降の対有瀬さん作戦を、この時間を利用して一緒に考えよう。

 程なくして駆け足で赤坂くんが追ってきた。


「さっきの話の流れで俺の部屋に来るのは駄目だろ。てかもう高校生なんだから無闇に異性の部屋になんて上がるもんじゃない。」

「無闇にじゃなかったらいいんでしょ?」


 こう言ってくれる相手なら、無闇に、に該当しないだろう。既に柊木先輩の部屋に上がったことは黙っておこう。


「それで俺の部屋には来んの?それはむしろ、ちょっと、良くないヤツ、だから。俺だったらいい、みたいになるだろ。他には行かないのに、って。」

「行くよ。柊木先輩の部屋にも昨日行ったし。」

「え?」


 結局言ってしまった。だけど、赤坂くんの部屋にだけ行くような誤解をしていたから、その訂正のためには必要な情報だ。


「すっごく絵が上手だった。それと、華道部の先輩とも知り合いだったんだ。」

「へえ。口実を実行する必要はないから、わざわざ俺の所に来る必要はないからな。」


 対有瀬さん作戦も考えたい。だけど葉月くんに授業の内容を伝える予定もある。これは両立する内容だ。


「葉月くんに授業の内容を教えてあげる約束をしてるの。一緒に来てくれたら心強いな。私一人だと聞き洩らしがあるかもしれないでしょ?」

「いいけど。それもそいつの部屋で?」

「その予定だよ。」


 どこか納得のいっていなさそうな表情ではあったけど、今日からは三人での勉強会となった。


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