共謀
森川先輩からはほとんど何の情報も得られないまま、零と葉月くんの秘密基地に向かった。葉月くんが自分の部屋にも、談話室にも、柊木先輩の部屋にもいないとなれば、私の知る心当たりはそこだ。まだ他の部活はしている時間のため、邪魔も入りにくいだろう。
そして予想通り、そこに葉月くんはいた。しかし、零ちゃんはいなかった。木に凭れた葉月くんが本を読んでいるだけだ。
「こんばんは、葉月くん。」
「来てくれたんだ。零は柊木先輩の所だけど。」
荷物も小さな鞄が置かれているだけ。明かりも大きな懐中電灯で確保している。零ちゃんの痕跡もない。
「今日はね、大谷先生について話しに来たの。」
ここまで知った大谷先生の印象や発言、行動について葉月くんに伝えていく。
「へえ、いい人そうなんだね。」
「古賀さんが積極的に提案してくれてね、作戦も立ててくれたんだ。葉月くんは勝手にされても嫌じゃない?」
「俺から言い出すのは怖いって話、覚えてくれてたんだ。」
葉月くんからも何か頼んでいたようだ。古賀さんはその辺りも汲んで提案していたのだろうか。その作戦も詳しく伝えていく。中間試験は耐えてもらうことになるけど、葉月くんに受け入れられるだろうか。
そんな私の懸念をよそに、葉月くんは明るい表情で聞いてくれていた。
「そのほうがいいよ。俺だって頑張らないと。」
「じゃあそれまでの授業はどうする?自分で先生に聞きに行く?私から伝えてもいいよ。きちんとノートも取ってるし。」
「お願いしようかな。職員室に行く途中で遭遇したくないから。課題は自分で受け取らないといけないけど。」
これで毎日会う口実もできる。毎日会って、勉強を教えていれば、仲良くなりやすいだろう。早速、今日までの勉強を始めよう。しかし、全て自室に置いているため、戻らなければならない。
葉月くんももう本は読んでいない。すぐに提案して良さそうだ。
「今から勉強は始めよう。溜めると大変だからね。」
「うん、ありがとう。」
小さな鞄に本をしまえば、秘密基地から出て行く。足取りも軽く、表情も笑んでいるように見えた。
「勉強が好きなの?」
「そういうわけじゃないけど。気にかけてもらえるのは嬉しいよ。それに、ちょっといい見通しが立ったからさ。」
教室に戻るための作戦は葉月くんのお気に召したようだ。協力してくれる古賀さんのことは当然知っているため、その作戦は信頼できるのだろう。
「古賀さん、そんなに考えてくれてたんだな。」
「色々説明してくれたよ。葉月くんのためって話は否定してたけど。」
言い出した人物が葉月くんとならないように配慮したのだろうか。クラスのために古賀さんが動いたようにも聞こえる話だったから。
「先生の権威や権力じゃ変わらない。それはそうかもしれないね。見える所での行動が見えない所での行動になるだけだから。」
今までに何かあったのだろう。きっと思い出したくない話だから、追及は控える。そこでの出来事は今必要な情報ではない。私が今欲しいのはたった一つ、家に帰る方法だけだ。そのために禁域についての情報を求めている。
まだ聞けない。中間試験が終わってすぐでも早いだろう。葉月くんが教室に来られるようになってからのつもりでいよう。
「一緒に教室で授業を受けられるようになったらいいね。そうだ、葉月くんって選択芸術は何を取ってるの?」
「書道にしといたけど。授業に出ないなら関係ないかな。」
空いていた私のすぐ前の席は葉月くんだった。中間試験までは空席を前に授業を受けることになるようだ。書道の授業も私に伝えられるだろうか。
「私と一緒だね。最初の授業では墨のすり方から教えてもらったんだよ。硯の陸の部分で大きく円を描くように、力を込めずに優しく動かすの。力を入れるとその分早くすれるけど、質が良くないんだって。」
「へえ。墨に質とかあるんだ。」
よく知らない私でも墨汁とは書き心地が全く違うことは分かった。筆の滑る感覚や墨の滲み具合など、手の感覚と視覚の両方から違いを感じ取れた。
他にも教科書やノートを必要とせず伝えられることを話していった。勉強は寮に着いてからだ。
杜鵑寮の五階、Aクラスの階を通りかかった時、男子側の扉の前に見知った人物がいた。
「こんばんは、柊木先輩。」
「零もいるよ!今からお絵描きするの。実と羽衣も一緒に来る?」
体の影から零ちゃんも顔を覗かせる。来てほしそうにこちらを期待の目で見てくれるけど、これから勉強の予定だ。今日までの授業の内容は私にしか分からない。しかし、範囲さえ分かれば、より理解しやすいように教えてもらえるかもしれない。
私としてはどちらでも良い。だから葉月くんはどうしたいのだろうとそちらに目を遣ると、同じように考えたのだろうか、ばっちりと目が合ってしまった。すぐにその目は逸らされる。
「え、えーと、俺はこれから勉強しようかなって、思ってて。」
「千尋に教えてもらえばいいでしょ?」
零ちゃんは葉月くんと一緒が良いようだ。場所はどこでも良いけど、道具は必要だ。
「私、自分の部屋から勉強道具取ってくるね。葉月くんもペンとノートくらいは要るでしょ?柊木先輩の部屋でお勉強会にしよう。いいですか?」
「先に確認すべきだよな、それは。待ってるから早く取っておいで。」
ちくりと指摘されるけど、私の提案自体は構わないようだ。駆け足で自室に勉強道具を取りに行く。全ての教科をすることはできないけど、どれにしよう。古典、現代文、英語、数学Ⅰ、数学A、理科総合、現代社会、情報、世界史。これだけで九科目もあるのか。鏡操の授業は私に教えられないから省いてもこれだ。
英語にしよう。私も苦手だからついでに柊木先輩に教えてもらえる。教科書、授業用と自主学習用のノート、単語帳、文法の参考書、電子辞書、筆記用具を持って、階を降りる。一教科だけなのに落とさないよう注意が必要だ。
「お待たせしました。」
先に葉月くんは戻って来ていたため、すぐ柊木先輩の部屋に招かれる。他の人の部屋に入るのは初めてかもしれない。
全体的に綺麗に整えられている部屋だ。勉強机に教科書類が並べられており、椅子も出しっぱなしになっていない。寝台の布団も畳んで置かれている。意外なのは本棚の中に可愛らしいスケッチブックが入っていることだ。
丸い机を囲むように座れば、柊木先輩はそのスケッチブックと十六色色鉛筆の入れ物を零ちゃんに渡してあげていた。
「四人では初めてだね!羽衣と実は何のお勉強をするの?」
「今日は英語だよ。私もついでに復習するの。」
英語の教科書を開き、ノートも開く。既に二回の授業を受けているため、少し進んでしまっている。ノートも数ページ書いていることが葉月くんにも分かるのか、自分の教科書と照らし合わせている。
教科書への書き込みやノートの内容を参考に授業を思い出しつつ、葉月くんに教えていく。ノートには参考書の該当ページも書き記しているため、その箇所も参照しつつの勉強だ。
「どこで切れるんだよ、この文章。」
「えっと、なんか目印になる単語があったよね。」
中学校までの内容は自分たちの記憶頼りだ。参考書をじっくり読めば、それも記載されているはずではあるけど、手間がかかる。
私たちが英語の長文と格闘しつつ文法の参考書と戦っている横で、零ちゃんは柊木先輩の足の上に座って絵を描いていた。
「見て見て!何描いたと思う?」
「秘密基地か?いるのは零と、葉月と、これは羽衣か。」
「正解!先週ね、三人で秘密基地に行ったって言ったでしょ?その時のこと描いたの。」
よく読み解けたと思うような絵の出来栄えだ。何かの箱のような物の中にいる人物であることは私にも分かるけど、それが誰かまでは分からない。周囲も薄く緑の色鉛筆で塗りつぶされているだけで、森の中には見えない。
その絵に柊木先輩が手を加えている。黄緑や黄色、水色、茶色といった色を次々と足し、自然豊かな情景を生み出していった。
「綺麗!そうそう、こんな感じでね、楽しかったの。」
「良かったな。羽衣、勉強するんじゃなかったのか?」
「へ?」
手が止まってしまっていた。授業で進んだ分をもう一度、自分で和訳してみようとしていたのに、半分も終わっていない。
「ちょ、ちょっと休憩……」
責められたわけでもないのに、どこか後ろめたくて言い訳してしまう。家でも勉強しなさいと怒られたことなど一度もないのに、なぜか怒られそうな気がした。
ちらりと葉月くんもこちらに目を遣るけど、すぐさま自分のノートに視線を落とす。助けるつもりはないと言わんばかりだ。
「英語が苦手か?」
「はい。単語が覚えられなくて。こういう時は辞書が使えるからいいんですけど。それと、文法通りに訳すと日本語的におかしくなってしまうでしょう?」
中学でも日本語らしい言葉で自然な文章に訳せば、文法上の意味を表現できていないとして、不正解扱いにされた。模範解答の表現は日本語として意味が通らないと先生に訴えても、この問題で問うているのは文法を訳すことと言われ、結局不正解のままだった。
自分なりに文法から出て来る言葉や文章の意味と、日本語として自然に聞こえる意味の最大公約数を考えて答えを出すようにはしている。しかし、それでは補いきれない部分もあったのだ。
「試験用の英語だと割り切って全部暗記してしまえばいい。いや、それが羽衣は苦手なのか。」
単語が覚えられないのはそういうことだ。規則性があるか、物語のような繋がりがあれば、まだ覚えやすいのだけど、単語一つ一つに物語など作っていられない。毎週、五十個ずつ範囲に入った英単語の小テストがあるのだから、全く時間が足りない。意味と単語を書いていくだけの簡単な一問一答だけど、正答率が八割を超えなければ範囲の単語を十回ずつ書く宿題を貰うことになる。
火曜日に告知がされ、早速今日その小テストを受けた結果、私は見事宿題を入手した。復習は中断して、その宿題をしよう。これは自主学習用ノートに書く。
「羽衣も実も大変そうだね。零は英語もバッチリなんだよ、知ってた?」
「ああ、前に聞いたよ。英語だけじゃなくて、意外と物知りだ。人から聞いたこともよく思えてるよな。」
「零はいい子だからきちんと聞いてるの。」
良い子だなと頭を撫でてあげている。零ちゃんも嬉しそうなにこにこの笑顔だ。見た目が似ているわけではなく、年齢も離れているけど兄妹のようにも見える。
「ただ漫然と書いても覚えられないからな。集中しないと意味がない。」
「はーい。絵、お上手なんですね、柊木先輩。」
疲れてしまったため、会話のほうに集中する。ペンも置いて、机に腕を置いて、勉強しない姿勢だ。
「これでも美術を取ってるからな。多少は描ける。もちろん美術部員ほどじゃないが。」
だから零ちゃんにも教えてあげているのかもしれない。その零ちゃんはまた新しい絵を描き始めており、とても静かだ。葉月くんも勉強に集中しているのか、傍で話していても気にした様子はない。
何か話題はないだろうか。柊木先輩に聞くことや伝えたいことは。
「今日、華道部に行ったんですよ。森川先輩と少し仲良くなれました。帰りも一緒だったんですよ。」
「そうか。困ったことがあっても頼りにはするなよ。聞いてはくれるが、本当に聞くだけだ。助けてはくれないからな。」
真っ先に向かう相手ではないため、心配は要らないだろう。生徒番号も分からない。杜鵑寮なら柊木先輩、小牧先輩。知り合い全体なら栄お兄ちゃんになる。学校関係なら大谷先生が適任だろう。部活関連なら京極先輩もいた。たしか、京極先輩も柊木先輩もAクラスだ。
「京極亜希子っていう人知ってます?二年のAクラスの人なんですけど。」
「ああ。彼女がどうかしたか?」
「華道部だったんですね。今日、部室で会って。」
「似合わないだろう?よく将棋部にも写真を撮りにというか、遊びに来るんだ。」
華道部と将棋部は同じ並びに部室がある。写真部は部室で活動するようには思えないため、それぞれが好きな場所に撮りに行っているのだろうか。園芸部でも写真を撮っているという話はあった。
「仲いいんですか?」
「入学時から同じクラスなわけだからな。」
中等部から通っている人たちは入学から六年間、同じクラスで過ごすのか。Sクラスならたった十六人で六年間を過ごし、高等部一年生の現在でさえ既に三年間を過ごしている。それを考えると、古賀さんがSクラス全員に褒められたものばかりではないとはいえ、独自の呼び名を作り出せることも不思議ではないかもしれない。
私がここで三年間を過ごすことはない。ここに帰還の手掛かりがあるのなら、卒業までに見つけなければならないのだから。




