初めての華道部
七限目の鏡操の授業を受けて、今日の授業は終了だ。七限目は他の人たちとは別室での授業となった。そちらは別の先生が行い、私たちのほうを大谷先生が受け持つ。
まだ中等部一年生の教科書で座学ばかり。面白い内容ではあるけど、早く鏡操の力を使って、世界を越えることが可能なのか知りたい。そんな焦燥感を覚えながらも、今日の授業は全て終わった。
今日は特別な八限目が存在しない。そのため、掃除が終わるとすぐさま部室に向かった。既に三つの鞄が置かれていて、人は森川先輩だけだった。黒板に何やら図と文字を書いている。
「ああ、お疲れ。今、他の人たちがお花取りに行ってくれてるから、もう少し待ってて。」
「お疲れ様です。何を描いてるんですか?」
「生ける際の基本の注意事項だよ。大谷先生が説明はしてくれるけど、できる準備だけはね。」
黒板側の床には、いくつかバケツも置かれている。
「好きな所に座って。席は決まってないから。花器見てても面白いかもね。」
説明を受けるなら前のほうの席が聞きやすいだろうと、前のほうの席に鞄を置き、花器の棚を眺める。平たく大きな皿が手前に、高さのある瓶が奥に並べられている。色も様々で、中には全体が水色で真ん丸の可愛らしい花器も置かれていた。
そっと扉が開かれた。
「あの、ここが華道部ですか?」
「そうだよ。君は、入部希望者かな。」
「は、はい。高松梅香、です。」
いかにも華道部や茶道部にいそうな女の子だ。声も小さい。
「なら今日は見学だけになるけど、大事な説明は聞いて行ってくれるかな。」
「はい。」
高松さんは後ろのほうの席に荷物を置いた。静かに椅子を引き、そっと腰かけるけど、そわそわと周りを見回している。これから同じ部活に所属するなら、話しかけてみようか。
「一年生、だよね。私もなんだ。花房羽衣、よろしくね。」
「えっ、あっ、よ、よろしくお願いします。あれ?もしかして、編入生の……」
「そうだよ。だから全部初めてなんだ。」
まじまじと顔を見られる。話し方からは人見知りのような印象を受けるけど、話すことが苦手なだけかもしれない。
「あっ、ごめんなさい。姫野さんから話を聞いていて。とっても可愛い子だって。想像していたより可愛くて、見惚れちゃった。」
「ありがとう。」
姫野さんは桃園さんと仲の良い子だったはずだ。もう随分、クラスの人たちの名前も覚えられてきた。
沈黙交じりの会話を交わしていると、聞き覚えのある声が入ってくる。
「お待ちどう。お花届いたで。お、羽衣ちゃん、結局華道部にしたんか。」
「今年も部員が入って一安心ね。」
京極先輩と園芸部の先輩だ。わざわざお花を届けに来てくれているのだろうか。しかし、二人ともお花の入ったバケツを置くと、園芸部の先輩が黒板の空いている部分に文字を書き始めた。京極先輩は再び部屋を出て行く。
書くべきことを書き終えたのか、森川先輩はチョークを置いて、粉を払っている。
「岩倉さん、もう一人来ましたよ。高松梅香さん。」
「あら、挨拶しなくてはいけないわね。」
さっと書き上げた園芸部の先輩がこちらに歩いて来ようとした時、大谷先生と京極先輩が部室に入ってくる。
「ちょうどいいわ。新入部員のお二人、こちらに来て頂戴。」
「はい。」
高松さんも静かに後ろについて、二人で前に行く。
「こちらが顧問の大谷貫之先生。私は部長の岩倉椿。園芸部と掛け持ちね。それから」
「2年Aクラスの京極亜希子やで。うちは写真部と兼部しとる。羽衣ちゃんは何度か会ってんな。んで、現状華道部唯一の兼部してへん部員が、この森川誠や。何かあっても大変やな言うだけやから、あんまり当てにはせんとき。」
森川先輩はちらりと京極先輩を見るけど、何も言うことなく私たちに目を向けた。
「1年Sクラス、花房羽衣です。私も部活は華道部だけのつもりです。今年から編入してきました。」
「い、いちねん、1年、Dクラス、高松梅香、です。茶道部、と兼部、しようと、思っています。」
先ほどよりも高松さんの声が上ずっているように聞こえる。緊張しているのだろうか。私は既に会ったことのある人ばかりだけど、彼女は三人ともと初めてなのかもしれない。
よろしく、と挨拶が終われば、先輩方はそれぞれバケツから木や花を取りに行っている。
「新入生の二人には俺から説明しよう。高松君ももう少し前に座ってくれるかな。」
大谷先生による黒板の情報の説明が始まる。毎週、基本的には岩倉先輩が書いてくれる情報が、使う花材の名前と一人当たりの本数。バケツから自分でその分を取り出すことになっているそうだ。その他は今日だけ特別に書かれている情報だ。
まず、縦に潰れた形の楕円から伸びた三つの線が指し示される。
「生け方の基本だな。木や葉の類を最初に生けるが、その時に、頂点同士を結んだ線が不等辺三角形を描くように生けるんだ。」
黄色のチョークで三角形が描き足される。さらに、白いチョークで最初から描かれていた三つの線と同じような線も足された。
「これは花を生けていく時にも意識することだ。どの三点を結んでも不等辺三角形になるように。対称ができないようにする。」
話を聞きながらノートにも取っていく。茎の足元は一転に、剣山が見えないように、などいくつかの点を聞き、すぐに実践が始まった。
残っていた私の分の花をもらい、花器から大谷先生の勧めで平たい物を選ぶ。そこに薬缶から水を入れると、見慣れた鋏とは異なるペンチのような形状の花切り鋏と、私の手のひらほどの大きさの剣山を受け取り、自席で生け始めた。
大谷先生に手直しをしてもらい、また生け直して、と数回繰り返せば、気が付けば部室には先生と森川先輩しか残っていなかった。
「熱心だね、花房さんは。」
「他の人はどうしたんですか?」
「終わった人から帰っていいことになってるから。他の二人はだいたい一回生けたら帰ってる、というかもう一つの部活のほうに行ってるね。」
部活終了時刻まで時間いっぱい部活をするというわけではないようだ。それなら木曜日でも七不思議探索に出かけることはできるだろう。
「じゃあ、私ももうおしまいにします。」
森川先輩も私を待ってくれていただけのようで、先生を見送った。黒板近くのバケツも既に片付けられていて、花器などももう使われた痕跡すらない。
「華道ノートはつけた?」
「あ、つけてません。」
日付と使った花材を書いて、完成した姿を描いて、終了だ。私も絵ではなく図に近いものとなった。花をただの丸で描き、茎は線で。名前を文字で書いて判別できるようにする。
「花は前にバケツのすぐ近くの机に置いてある新聞紙で包んで、持って帰る。紐もすぐ隣に置いてあるから。新聞紙の一部を濡らさないと、花はすぐ萎れるからね。」
茎の断面近くを湿らせ、床に零れないよう新聞紙の上からハンカチでも押さえる。包み終わった花と鞄を持って七不思議の探索をするのは難しそうだ。一度寮に帰ってからにしよう。
鞄を肩にかけて、花を抱き締めるように持って。あとは用心深く部屋に戻れば良いだけだ。生けるための器も剣山もないけど、最低限揃えられていた食器類で代用しよう。花切り鋏もない。紙を切る鋏で代用できるだろうか。
「ああ、待って、花房さん。君が最後になることもあるかもしれないから。最後の人は軽く掃除をして、戸締りをして、鍵を事務室に返すんだ。」
適当に床を掃くと、窓を閉め、電気も消し、教室を出た。鍵をなぜか私に渡してくる。
「閉めてみる?古いせいか、少しコツがいるから。」
家の鍵のようにただ回るだけでは空回りしているのか、何にも引っかかる感触がなく、鍵は閉められない。奥まで入り切っていないのかと力を込めても、これ以上差し込めそうにない。
「少し傾けるようにしてみるんだ。」
指示に従い、鍵を少し傾けるように力を入れて回すと、ガチャリという音も、鍵のかかる感触もした。ただ鍵を閉めるだけのことも、教えてもらわないとこの建物ではできないのか。
部活棟を出て、高等部と中等部の校舎の間に立つ事務棟を目指す。昨日も一緒に行った場所だ。
「初めての部活はどうだった?」
「楽しかったです。初めてのことばかりで、新鮮でした。」
「そうなんだ。華道に一切触れたことのない人が入部してくるのは珍しいからさ。」
私自身は触れたことがない。お花は好きだけど、道端に生えている物を見ることが多く、店で売られている物は素通りだった。母がしていたそうだけど、記憶喪失ということになっている私はその理由を言えない。記憶を取り戻すために覚えのある物に触れた、くらいなら言っても構わないだろう。
「何か、見たことがある気がして。昔のことを思い出せるかもしれないと思ったんです。」
「ああ、そうなんだ。」
反応が薄い。この人には七不思議の言い訳も必要がないかもしれない。何の前置きなく聞いても追及されなさそうだ。
それでもどう切り出せば自然か考えようとすると、もう事務室に着いてしまった。失礼しますと雑に言い放って入る森川先輩に続き、丁寧に入室する。
「華道部の部室の鍵はここ。部室が空いてない時もここから取って行けばいいから。」
「はい。」
たくさんの鍵が並んでいる。掛ける場所には一つ一つどこの鍵か書かれているため、間違えることはないだろう。鍵のほうにも何の鍵かを示す札が付けられている。
華道部の鍵の場所だけ確認し、事務室を出た。
「森川先輩はこの後、何か予定があるんですか?」
「鏡操の力を使いこなす練習、かな。」
「なんですか、それ。」
「授業が進めば分かるよ。」
歩き始めた方向から、その練習は寮で行えるもののようだ。もしくは私と同じように先に花を置きに行くつもりなのか。
目的地が同じなら、思う存分、七不思議について聞くことができる。
「七不思議って知ってます?」
「知らない人なんていないよ。特に人が消える謎の領域についてはね。」
命に係わるからだろう。決して立ち入らないように先輩から後輩へ伝えられることだってあり得る。
森川先輩からこの話を出してくれたのは助かる。特別興味を持つ一つという印象を与えずに聞き出せるのだから。
「一昨年、三人の行方不明になってるんですよね。しかも、そこに入れる生徒は一人だけとか。」
「みんな忙しそうだったよ、その時は。」
他学年になるとこうも反応が薄いものなのか。七不思議に特別興味のある人ならまた違った反応にはなるだろうけど、森川先輩から新たな情報は得られなさそうだ。もう少しだけ粘ってみよう。
「何があると思います?その領域には。」
「さあ。みんな好き勝手言ってるからね。金銀財宝とか、世界を越える鏡とか、鏡界の番人の家とか、謎の少女の家とか。」
誰も帰って来ていないから、何があるか分からない。世界を越える鏡があるなら行きたいけど、それで危険な目には遭いたくない。鏡界の番人の家ならただ危険に突っ込むだけになる。零ちゃんの家なら親しくなれば招いてもらえるだろうか。少なくとも、葉月くんか零ちゃんと親しくなれば、何があるか程度は教えてもらえるだろう。
葉月くんには担任の先生について伝えるという頼み事もされている。今日あたり、伝えに行ってあげよう。私からの印象と、他の人からの情報も合わせて。
「大谷先生ってどんな先生なんですか?」
「唐突だね。まあ、いい先生ではあると思うよ。俺は授業も持ってもらってないから教室ではどうか知らないけど、少なくとも部室では生徒一人一人と向き合ってる。人数が少ないからそれが可能なだけかもしれないね。」
古賀さんの訴えも聞いていた。鏡操の特別授業もしてくれている。掃除の時やその他の授業の時はどうだっただろう。特別、何かを思った記憶はないため、おおむね問題は感じられなかったのだろう。
これは良い報告ができそうだ。
「七不思議のことも聞けば教えてもらえると思いますか?」
「さあ。知ってるかどうかも分からないし。」
先生だから知っているというものではないのか。多少でも詳しいことが分からないだろうか。それとも、古賀さんが権力や権威と呼んだように、七不思議の真相を隠す側なのだろうか。いや、禁域では教師も行方不明になっていたはずだ。
鏡界の番人が人なら、その人が最も事情を知っていそうだけど、その正体も分からないままだ。やはり今は葉月くんを頼るしかないだろう。
「誰なら知っていそうですか?」
少しでも情報を得ようと、寮に帰り着くまで、私は森川先輩を質問攻めにし続けた。




