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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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入部の日

 気合を入れて、翌朝。教室で染谷さんを待ち構える。今日こそ、七不思議の話を聞きたいと話しかけるのだ。

 そう待ち構えていたのに、予鈴が鳴っても染谷さんは来ない。体調でも崩したのだろうか。他の子も教室の自席で大人しく座っている子はいない。心配になり始めた頃、大きな足音と共に教室に駆け込んで来る。


「セーフ!危なかったぁ。」

「おはよう、染谷さん。」

「ああ、おはよう。花房さんは涼しそうだね。」


 挨拶はできる。本題はここからだ。しかし、急いで来たような染谷さんに七不思議の話題を振っても嫌がられないだろうか。もう授業開始まで三分を切っている。迷っている時間などない。席も隣なのだ。時間ぎりぎりまで話すことはできる。


「あのね、染谷さんは七不思議について詳しいって聞いたんだけど、」

「おっ、花房さんも興味あるの?いいね〜。たんまり話すことはあるけど、一時間以上かかっちゃうな〜。部活終わりでもいいかな?」


 自己紹介の時、既に入る部活を決めていたくらいだ。今日から仮入部期間だけど、もう部活動に専念するつもりなのだろう。


「うん。教室で待ってればいい?」

「いいわけないよ。追い出されちゃうから。事務室前で待ち合わせよう。一緒に帰るんだ、って言えば誤魔化せるから。」

「分かった。待ってるね。」


 少し待つことになるけど、私も華道部を覗いて時間を潰そう。人がいるならそこでも七不思議の話を聞いてみれば良い。


「って、あんたは何のんびりしてんの!今日の一、二限は芸術でしょ!早く行かないと遅刻しちゃうよ。」

「そうだった。ありがとう、染谷さん。」

「何を取ってるの?一緒に急ごう。」


 危ないところだった。染谷さんに指摘されなければ一人教室で何かおかしいと思いながらじっとする羽目になっていた。さすがに本鈴が鳴れば気付いただろうか。


「私は書道だよ。」

「同じじゃん。まさか書道セットは忘れてないよね?」

「それはばっちり。」


 筆類と半紙を持って、早足に廊下を進む。もはや走っている気もするけど、見つからず、遅刻もしないのが最善だ。見つかった上で遅刻するのが最悪だ。

 幸い、誰ともすれ違うことなく特別教室棟に辿り着く。しかし、そこで本鈴が鳴ってしまう。


「走れば間に合う!書道室は二階の階段近くだよ!」


 染谷さんの応援で、本鈴が鳴り終わる前に、何とか教室に入ることはできた。優しそうな女性の先生が柔らかく微笑んでくれているけど、むしろそれが罪悪感を煽ってくる。


「今日は大目に見ましょうか。廊下は走ってはいけませんよ。」

「はい、すみません。」


 指示されて空いている座席に着く。机一つの大きさは教室の机二つ分ほどで横に長く、机の上にも足元にもマットが引かれている。

 すぐ前の机は空いているが、さらに前の席の染谷さんは気にすることなく、前から回って来た教科書を渡してくれた。


「最初は墨のすり方から始めましょう。みなさん、墨と硯は忘れずに持って来ましたか。ではまず、――」




 初めての墨すりから始まった本日の授業が全て終わった。五限のホームルームでは来週の水曜日までに各部活へ提出するよう入部届が配られ、特別な六限の鏡操では力を持つ者の責務を学んだ。早速提出してくると意気揚々と出て行った他の子たちに遅れて、私も華道部の部室へ向かう。

 初めて一人で入る部活棟。演劇部の部室や体育倉庫の前を通り、更衣室と園芸部を通り過ぎ、しっかり閉められた扉を叩く。


「はい。ああ、一昨日の子だね。編入生さん、うちに入ってくれるつもりかな。」

「そのつもりです。今日はやってないかもとは思ったんですけど。」


 手招きで近場の席に誘われる。ノートが数冊机に置かれているけど、それだけだ。上の冊子には、華道ノートと書かれている。


「明日来られてもお稽古には参加できないからね。今日のうちに言ってくれれば、明日から参加できる。仮入部期間だから見学でもいいけど。」


 もう入ると決めたのだから、早く参加したい。入部届に名前と生徒番号を書き、目の前の先輩に渡す。


「いや、俺に渡されても。顧問に提出、だから。うちの顧問は隣の生徒相談室にいるよ。」


 行ってらっしゃい、と紙を返される。そんな説明、ホームルームでしていただろうか。よく覚えていない。聞き逃していたのかもしれない。大谷先生が言い忘れた可能性もある。いずれにせよ、今知ったのだから提出しに行けば良い。

 入部届だけを持って、園芸部とは反対隣の扉を開く。四人分の机しかない広々とした部屋だ。寛いでお茶ができそうなソファもある。


「失礼します、一年の花房羽衣です。」


 華道部の顧問の先生は何という名前だろう。聞き忘れたため、そう説明するしかない。


「えっと、華道部の顧問の先生はいらっしゃいますか。」

「ああ、俺だよ。花房さんが入ってくれるんだね。」


 大谷先生だ。私も鏡操の授業が終わってからすぐに来たつもりだけど、少し先に出ていたため先に着いたのだろう。


「はい。さっき華道部の部室のほうに行ったら、ここで提出するように言われて。」


 話しながら入部届を渡せば、記入漏れがないか確認してくれる。


「確かに受け取ったよ。これで君も華道部員だ。また明日からよろしくな。」

「はい。では失礼します。」


 部室に戻れば、先輩はノートを開いて眺めていた。花と何かの絵と、何やら文字が書かれている。


「お帰り、編入生さん。先生はいた?」

「はい。私のクラスの担任でした。あと、私は花房羽衣です。」

「知ってるよ。」


 わざと呼んでいたのか。古賀さんにもう一人の編入生と言われた時の赤坂くんもこんな気持ちだったのだろうか。これからは寮だけでなく、部活での関係もあるのだから名前で呼んでほしい。


「編入生はもう一人いますよ。」

「それも知ってる。狼寮の子だったよね。」


 ペラリと捲った次のページもまた、花と居間のような場所の絵が描かれている。花の周囲に説明のように矢印が伸ばされ、その先に細々と文字が書かれている。


「君は俺の名前、覚えてる?」

「え、えーと。」

森川もりかわまこと。ちなみに君がさっきから熱心に見つめてるこれは、別の部員の華道ノート。」


 他の人のノートを勝手に見ているのか。よく見ると重ねて置かれている下のノートにも、京極亜希子と名前が書かれている。パラパラと捲れば、どれも花の図と使った花の名は書かれている。それに加えてその日の天気や気分、テーマなどが書かれていた。

 絵の上手下手も違う。京極先輩のほうはただの図形の組み合わせのようなものがあるけど、森川先輩が開いているほうは色が塗られているページがあったりと美しいと認識できる絵だ。


「記録は残すことになってるんだよ。何回生け直してもいいけど、必ず一つは記録に残す。持って帰った後に生けた分も書く人はいるね。君も華道用のノートを明日は作ってもらうことになる。」

「はい。これ、勝手に読んでもいいんですか。」


 隠す様子もなく、堂々と眺めている。ノートの持ち主が知ったら嫌がらないだろうか。私も見たけど、勝手に見られるのはあまり良い気がしない。一緒に見たり、見せたりするなら楽しいだろうけど。


「見られていい人が置いて帰ってるから。」


 華道部員のノートを見て過ごす。聞いたことのない花の名も多く、それらに関する豆知識も教えてもらえた。




 部活の終わる時間まで話し、少し森川先輩と仲良くなれた気がした。


「君も早く帰りなよ。」

「事務室前で友達と待ち合わせてるんです。」

「ならそこまで一緒だね。」


 鍵は事務室で保管されているという。そのため、部活終わりの時間になれば、各部活の部員が鍵を返しに来るという。行けば既に染谷さんが待ってくれていた。


「お疲れ様です。友達がいてくれたので、もう行きますね。……お疲れ。どこで話そうか。私は朱鷺寮に行きながらもでもいいよ。そっちのほうも探索してみたいと思ってるから。」

「それなら歩きながら話そうか。」


 森川先輩に別れを告げて、不気味な曇り空の森を染谷さんと歩きながら情報収集だ。七不思議に興味があることは言っているけど、禁域についていきなり尋ねることは不審に思われないだろうか。まずは解決したという七不思議の一つについて尋ねてみよう。


「七不思議に興味があるの。一つ解決したんだって?」

「よくぞ聞いてくれました!地道に夜間待機を繰り返した結果、同じく正体を確かめようとした生徒とか、肝試しをしていた生徒と鉢合わせ。何度も同じことが起きて、毎回化け物に会ったと言っていた。だから見間違いって結論付けたんだ。」


 何度も夜に森を歩き回った。鏡界の番人の七不思議がなくても、暗く視界も悪い場所を一人で歩き回ることには抵抗がある。不気味だっただろう。

 七不思議に興味があるとしている以上、ここで興味のなさそうな返事はできない。しかし、本題は禁域。次あたりに振ってみようか。


「すごいね、染谷さん。じゃあさ、人が消える謎の領域については何か知ってる?」

「そりゃ、鏡界に知らない人はいないよ。逆に言うと、私もその程度の知識しかないってこと。葉月くんが一番詳しいだろうね。教えてはくれないだろうけど。私も、鬱陶しい、って言われるくらい聞いたんだけど、なーんにも教えてもらえなかったんだ。」


 三年間同じクラスにいるはずの染谷さんにも教えていない。葉月くんから聞き出すのはなかなか難易度が高そうだ。信頼を得るための手段も、現状は古賀さんの作戦に乗るしか思いつかない。

 あるいは、私が染谷さんの信頼を得られていないから、何も知らないと言われているか。染谷さんとも親しくして、秘密を共有してもらえるようにしたい。今は他の七不思議についても尋ねてみよう。


「世界を越える鏡は?」

「それも全然。鏡界のどこかにある、ってだけ。天国に繋がってるとか、楽園に繋がってるとか、尾ひれはひれの付いた噂話ならいくらでもあるんだけどね。」


 これも不作。それなら次だ。


「鏡界の番人は?」

「私たちが最も恐れるべき相手だね。特に禁域に入ろうとするとか、禁域について執拗に調べている相手が狙われやすいみたい。あと、世界を越える鏡とか、謎の少女について調べようとする人も。」


 何も安心できない情報だ。森に潜む影を暴いた染谷さんは狙われなかったのだろうか。


「染谷さんは大丈夫だったの?」

「森の潜む影を調べてた時は大丈夫だったよ。鏡界の番人の正体を暴こうと思って教室に張り付いてた時も。だけど、禁域と謎の少女について調べ出した途端、警告文が下駄箱に貼られてたね。」


 恐怖体験だろう。しかし、それ以上の事件は起きなかったようだ。そこで調査を止めたのかもしれない。警告文の内容によっては身の危険も感じたはずだ。ただの好奇心で続けるには危険が大きすぎる。

 私もそのうち、警告文を受けることになるのだろうか。


「今はもう調べてないの?」

「まさか。こっそり調べてるの。謎の少女こと零と、葉月くんから隠れてね。」

「葉月くんからも?」

「そう。その警告文、葉月くんが珍しく朱鷺寮に来た後にあったんだよね。貼ってるところを見たわけじゃないけど、人が消える謎の領域に出入りできる唯一の生徒、謎の少女と最も親しい生徒、ってのを合わせて考えると十分可能性はあると思うよ。」


 七不思議のうち二つに近しく、何らかの情報を握っていると思われる。そして、本人はそれらに関して何も教えてくれない。一昨年の事件と、染谷さんが見た警告文の現れた時。それらから染谷さんは鏡界の番人が葉月くんではないかと推測している。不十分な状況証拠しかないのに、それはいささか飛躍しすぎではないだろうか。

 鏡界の番人が七不思議とされているからには、ここ数年の話ではないはずだ。つまり、葉月くんの入学前から存在するなら、染谷さんの推理は外れていることになる。


「その七不思議って、ここ数年でできたものじゃないよね?」

「まあね。だけど、飛び飛びでも誰かが禁域や零を守るようなことをしていれば、それは七不思議になり得る。私たちの入学前は別の誰かが鏡界の番人だった。そして今の鏡界の番人は葉月くん。花房さん、十分に気を付けてね。」


 あり得ないと言えるだけの証拠もない。いや、栄お兄ちゃんも警告は受けていたはずだ。仮に鏡界の番人が葉月くんだとするなら、葉月くんはどうやって栄お兄ちゃんが世界を越える鏡について調べていると知ったのだろう。

 栄お兄ちゃんは接点がないから葉月くんに話を聞けないと言っていた。つまり、調べていることを葉月くんは直接知り得る立場ではなかった。それなのに、栄お兄ちゃんは警告を受けた。

 染谷さんが気を付けてと言った意味も不穏だ。禁域に連れ込まれるという意味か、直接的に危害を加えられるという意味か。今のところ、多少口は悪いけど、暴力的な子には見えていない。


「花房さん、調査の基本は安全の確保だよ。自分一人が知っても、持って帰れなかったら意味がないんだから。」

「うん、ありがとう。」


 警告に関して、栄お兄ちゃんにもっと詳しく聞いてみよう。調べていることが葉月くんに伝わり得る出来事の有無についても、確認したい。

 その前に、今日は古賀さんたちとの報告会が待っている。


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