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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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通常授業開始

2021年2月27日。名前の間違いを訂正、「花園」→「桃園」。

 部活見学があるのは二日間。昨日で四つとも見学を終え、今日の放課後は園芸部の温室に行く予定だ。しかし、今日からは通常授業が始まるため、まずは七限と鏡操の授業を乗り越えなければならない。私と赤坂くんは実質八限授業だ。

 気合を入れて支度をする。まだ教科書をもらっていないため、今日はノートがいるかもしれない六つの授業のための六冊だけだ。それに加えて英和辞典が入っているため、ここにさらに教科書や資料集、便覧などが増えれば、毎日持って行き来するのが辛くなる重さになるだろう。私の場合は鏡操の教科書とノートも入れなければならない。机に辞典は置いて帰ろうか。宿題には電子辞書を使えば良い。

 体操着と体育館シューズも忘れられない。一回目の授業から見学なんて格好悪すぎる。


「よし。」


 これで全部のはずだ。用意は整ったことにして、部屋を出る。


「おはよー、羽衣ちゃん。今日から通常授業だね!ようやく本格的に高校生活の始まりだよ!まだ部活は始まってないけどね。昨日は恭弥くんと二人で部活見て回ったんでしょ?どうだったの?何かあった?」


 やはり桃園さんは朝から元気だ。足を止めることなく、口も動かし続けている。階段であろうと息を切らすことなく、その饒舌を発揮した。


「編入生同士って話しやすいのかな?寮も違うのにすっごく仲良さそうだもんね。羽衣ちゃーん、私とももっと話してよ。いいこといっぱい教えてあげるよ?例えば寝たふりのコツとか、授業中ばれないように居眠りするコツとか。」


 どちらも必要ない。授業中に話を聞いてノートを取っておかなければ、試験の時に困るだろう。寝たふりをしている時間に寝ていれば、授業中は起きていられるはずだ。


「気持ちだけ受け取っておくね。」

「羽衣ちゃん、つれなーい!こんなに一年Sクラスのアイドル、桃園梨々花ちゃんが頑張って媚びてるのにー!もう一人のアイドル、百合子ゆりこちゃんの手を借りるしかないのか!?可愛い狼寮の相棒、姫野ひめの百合子ちゃん、桃園梨々花のピンチを救う!みたいな。」


 内容の薄い桃園さんの発言を放置して、寮を出る。まだ一人で話してくれているけど、一日中この様子なら尊敬ものだ。


「でも百合子ちゃんは可愛いから狼さんじゃなくて、ポメラニアンとかチワワだね!猫さんでも良いかも!いや、猫は私。気紛れ梨々花ちゃんの心を射止めるのは誰だ!?今は編入生の羽衣ちゃんが揺さぶってくれているけど、当の本人はつれない態度。罪作りな女ー。」


 勝手に揺さぶられているようだ。業間ごとに話しかけられると余計な疲労を強いられるのではないかという不安に襲われる。授業のための集中力を戻すために、業間は頭の中を空っぽにしていたいのだけど、この桃園さんがすぐ後ろの席にいてはなかなか困難に思える。

 今のうちに雑音を遮断する練習をしつつ、教室へ向かった。




 何事もなく教科書が配布されてから早速授業内容に入った三限の授業を終え、次は体育の授業だ。部室棟の端にある更衣室まで行けば、もう何人かが着替え始めていた。私も制服とシャツを脱いで、体操着に替える。


「わーお、羽衣ちゃん大胆!てか細!こんな体で体育なんてしたら折れちゃうよー。どこにも脂肪がついてなくて寒そうだよー。ねー、百合子ちゃんもここまで来たら羨ましいより先に心配になっちゃうよね?」

「ついてて欲しい夢の塊もないからね。痩せてればいいってものじゃないんだよ?可愛いは柔らかく、隙のある女の子にこそ似合うものなんだから!花房さん、その辺り、勘違いしないようにね。」


 面倒な女子二人に絡まれている気がする。私は食べた上でこの体型だと説明したところで、あまり意味はないだろう。かといってなんと返事すれば良いか分からず、無視も印象が良くないだろうと、誰か助言をくれそうな人を探す。

 体育はAクラスとの合同だ。そのため知らない人が多いけど、同じクラスの人だって当然いる。古賀さんもいるけど、今は本を読んでいた。わざわざ更衣室まで持って来たのか。

 他はこちらを見ないようにしている気がする。誰とも目が合わない。そのため諦めて、さっさと体育館に向かった。


「ちょっと、花房さん、聞いてるの?まあいいわ。この体育で、可愛い私の魅力と、格好いい私の騎士様の魅力を見せてあげるわ!」


 誰のことを言っているのだろう。それでも私に見せる必要はないけど、それで何か満足してくれるなら、見てあげるくらいは構わない。体育の授業中なら余計な時間を使わせられることにもならないだろう。


「姫の騎士は黒江くろえ佐紀さきっていう狼の女子。それと、天女は可愛い。」

「あ、ありがとう。」


 すぐ後ろを歩いていた古賀さんが教えてくれた。真顔で褒められると少々照れる。古賀さんのその手に本は持たれていないけど、更衣室で暇をしないように持っていたのだろうか。


「果樹園と姫は声が大きい。全部聞こえてた。肉体に捉われる愚か者は放っておけばいい。」

「静ちゃんも厳しいー!可愛いって言ってもらえたら嬉しいでしょ?努力のついでに褒められるならお得だよ!それに、努力でどうにかなる部分で自分の魅力が増えるならそれに越したことはないよ。それだけ自分のことが好きになれるんだから!」


 愚か者とはなかなか馬鹿にした表現だと思うけど、桃園さんに堪えた様子はない。笑って反論している。

 桃園さんと姫野さんによる容姿談義をあしらっていると、体育館に着く。靴を履き替えて上がれば、シャトルランと書かれたホワイトボードが置かれていた。今日は体力測定のようだ。


「さすがにちょっと寒いね。」

「半袖半ズボンは馬鹿。長袖長ズボンのジャージもあったのに。夏でも天女はきちんと隠したほうがいい。一部の男子が釘付けになってる。」


 今日は体育館を半面ずつ使うのか、男女で分かれているものの、どちらも体育館に集まっている。Sクラスの人数が少ないため、中学の時より体育で集まる人数は少ない。しかし、騒がしさは同程度だ。女子でも男子でも体育の授業になると元気になる子はいる。桃園さんはいつでも賑やかだけど、姫野さんと一緒でさらに興奮しているように見えた。

 今も離れていてすらはっきりと内容まで聞き取れる声で二人は話している。


「誰が一番だろうね?女子ではやっぱり佐紀ちゃんかな。いや芹那せりなちゃんも意外とできたよね。Aクラスの人も結構できる人いたからなあ。Sクラスならその二人くらいか。百合子ちゃんももちろん候補の一人だよ!」

「騎士と姫でワンツートップを取るのよ!見ていて、リリーちゃん!私、一番に、二番になってみせるわ!」


 やる気満々だ。私はほどほどに頑張ろう。手を抜かない程度に、無理をしない程度に。実技があまり振るわなくても、体育なら準備や片付けを頑張っていれば、悪い成績はつかない。


「あの会話、可笑しい。」

「え、そうなの?」


 全く笑っていないけど、古賀さんは何か面白いと感じているようだ。私にはやる気に溢れている元気な会話にしか聞こえない。混ざりたくないと思うほどだ。


「百合が桃や梨をリリーって呼んでる。リリーは英語で百合のことなのに。」


 会話ではなく呼び名だ。その上、それを言うなら古賀さんの呼び名のほうが個性的だ。説明を聞かなければ分からない。


「それなら古賀さんは姫野さんをなんて呼ぶの?」

「姫。よく姫っぽいことしてる。」

「へぇ。」


 褒めているのか貶しているのか分からないけど、少なくとも敬意は感じられない命名だ。名字とかけているのだろうけど、命名理由を聞けば姫野さんも怒らないだろうか。

 女子生徒が一人寄って来た。この人は豹寮の有瀬さんだったか。


「憂鬱ね、古賀さん。」

「別に。文殊は結果を気にしすぎ。」

「格好悪いでしょう、普段色々言っているのにこういう時は何もできないなんて。花房さん、貴女は運動が得意かしら。」


 有瀬さんは苦手のようだ。格好悪いと言いつつ、古賀さんには隠さないのは、古賀さんも運動が苦手なのだろうか。たしかに得意そうには見えない。業間も本を読んでいたため、体を動かすことより読書のほうが好きなのかもしれない。


「ううん。中学ではマラソンも下から一位だったから。球技もだいたい狙った所には飛ばなかったよ。」

「あら。私ができることなら教えてあげようと思ったのだけれど、そうはいかないようね。マラソンは毎日走っていれば多少解決するけれど、球技の解決法は分からないわ。鏡操適性と同じように才能がいるのよ、きっと。」


 聞いていないのに言い訳のようなものを始めるのは、それだけ気にしている証拠なのだろう。苦手でも頑張ったと褒めてもらえるのだから特に問題はないと思うのだけど、有瀬さんにとっては違うようだ。

 ほう、と溜め息を吐く有瀬さんだけど、何を言ってほしがっているのかは分からない。古賀さんも特に何も反応していないため、何かを求めているわけではないのかもしれない。ただ、古賀さんを参考にして良いかどうかが分からないため、その判断にあまり自信はない。


「見てなさい、姫。文殊の底力を見せてあげるわ。」

「文殊はこの呼び名がお気に入りみたい。だけど知恵で運動能力は上がらない。」


 賑やかな桃園さんと姫野さんの声を遠くに、私たちは落ち着いた会話で授業の開始を待った。チャイムを合図に、先生の前に全員が並ぶ。男子を除くため、私のすぐ前は姫野さんになる。そしてすぐ後ろは変わらず桃園さんのため、賑やかな二人に挟まれる形になってしまった。

 説明を聞いている間は二人も話さないはずと、ホワイトボードでの説明を聞く。音を合図に体育館の半面を行ったり来たりするだけの種目だ。何も面白いことはなく、ただ疲れるだけの時間。制限時間が徐々に短くなっていくため、後になればなるほど速く走らなくてはならない。午後も授業があるのだから、切りの良いところで止めておこう。

 準備運動が終われば早速、シャトルランの開始だ。二人一組で、相棒が何回反対側に辿り着けたかを数える。


「よろしく、天女。私が先に走る。」

「うん、行ってらっしゃい。」


 隣ではまた桃園さんが姫野さんを応援している。他の子たちも私たちのように軽く送り出す子や、桃園さんのように精一杯の応援を送っている子など、それぞれの思いでこの授業に挑むようだ。

 ポン、ポン、と最初はゆっくりと音が鳴る。走らず、早足でも辿り着けそうなくらいだ。まだ全員が余裕のところから始まり、徐々に駆け足になっていく。最初の脱落者が体育館の端に寝そべり、それから間を空けて、一人、また一人と脱落していく。

 半分くらいにまで減ったところで、桃園さんが近くに戻って来る。続いて古賀さんも戻って来た。息は上がっているものの、歩く姿にはまだ余裕がありそうだ。他の子たちのように倒れるように座り込むこともなく、ちょっと休憩、と無表情に隣に座った。


「お疲れ様。」

「ありがとう。後は見てるだけ。今、走ってる人なら男子のほうが面白い。天使が踊ってる。」


 古賀さんの言葉を理解するには慣れか、こちらの技術が必要なようだ。男子のほうはまだ半数以上残っているように見えるけど、踊っていると言うほど特異な動きは見えない。


「よく見て。天使、天羽瑞希は真っ直ぐ走らない。」


 探せば列を乱す存在に気付く。蛇行したり、前転をしたり、飛び跳ねたり。余計な体力を使いながら、しかし制限時間内に反対側まで辿り着いている。


「なんか、楽しそうだね。」

「あれがなければ本気チームと張り合える。」


 体力がある子なのだろう。その上、成績に反映されるかどうかなんて気にしない性格だ。他の人たちがどんどん脱落していく中、元気そうに踊っている。女子のほうでは有瀬さんが残り数人になったところで壁に凭れるように座り込んでいた。


「有瀬さん、体力はあるんだね。」

「センスがないだけ。それと抜けてる。喧嘩を売った相手の姫は本気チームが多い二組目に走る。」


 競い合う相手と同じ組で走れていないのか。見せるのなら違う組でも十分だけど、そのあたりを考えたのだろうか。


「ちなみに、男子のほう、観葉は私より先に脱落してた。あれは口先だけで、自分は動かない。」


 クラスの子について教えてくれているつもりなのだろうか。褒めていない言葉ばかりだけど、話し方のせいで明確な悪意も感じられないため、指摘がし辛い。

 そう話している間に、男子も女子も一組目は全員走り終えた。次は二組目、私の番だ。


「天女の舞うような、風を切る姿を楽しみにしてる。」

「あんまり期待しないで。すぐ戻って来ることになっちゃうから。」


 最初に脱落はしたくない。そこを目標に頑張ろう。

 私でも余裕のある時間から余裕がなくなり、疲れが蓄積していき、諦めたくなってくる。まだ誰も脱落していないため、もう少しの辛抱だ。

 視界の端で数人が壁に向かって歩いていた。この次、いや、さらに次にしよう。どうせ古賀さんの下まで戻るなら、近い側で走り終えよう。ポンポンという音に合わせて最後の力を振り絞った。


「お疲れ。」


 返事をする余裕はまだないため、頷くことでそれに代える。もう半数近くしか残っていない。これは頑張ったほうではないか。


「半分、くらい?」

「三分の二くらい。休んで。Sクラスの有力馬は、女子なら騎士、黒江佐紀。男子なら熱波、熱田一輝。」


 また独自の呼び名を生み出している。いや、以前から呼んでいるけど、私に分かるように名前も言ってくれているだけか。


「文殊が対抗してた姫はそこまでじゃない。第二グループくらい。」


 冷静に体力の話を聞かせてくれるけど、それより私は熱波の由来が知りたい。また何か意味があるのだろうか。


「ねえ、熱波にも何か由来があるの?」

「暑苦しいから。姫や果樹園とはまた違った面倒さがある。」


 古賀さんからクラスの人への評価はなかなか厳しいようだ。前向きな言葉より、後ろ向きな言葉のほうがよく聞いている気がする。

 私たちの会話が聞こえたのか、桃園さんがズイッと身を寄せて来た。


「一輝くんのそういう所が格好良いんだよ。佐紀ちゃんみたいに正義感にも溢れてるしね!声掛けたら絶対荷物運びとか手伝ってくれるし。アイドル梨々花と百合子の扱いを意外と分かってくれてるの!」

「その正義感で彼らは人の心を殺せる。」


 楽しそうな桃園さんの言葉に、恐ろしいことを返す古賀さん。踏み入ることが躊躇われる会話だ。しかし、桃園さんはそんな古賀さんに一切怯むことなく、楽しそうな様子を崩さない。


「も〜、静ちゃんはいつも難しいことを言うんだから!そんなことばっかり言ってないで、シャトルランの様子を楽しもう?ほら、一輝くんと、へえ、恭弥くんも残ってる。女子はもちろん佐紀ちゃんの一人勝ちだね。こっから誰が勝つんだろう?私は大穴、恭弥くんに賭けようかな!」

「私は安定の騎士。」


 女子の黒江さんが安定なのか。赤坂くんが大穴になるのは未知数だからだろう。

 二人の視線が私に向かう。これは私にも誰かを選べということか。誰の体力が一番あるかなんて知らない。全員が別の人に賭けたほうが賭けとしては盛り上がるだろう。しかし、これは校則どころか法律違反にならないだろうか。


「なら熱田くんにするけど。何を賭けるの?」

「天女とのデート権。」

「静ちゃんも面白いこと言うね!だけど、そういうのは本人からもぎ取る物なんだよ。賭けで得るなんてナンセンス。負けた人が好きな人のことを話すってのはどうだろう?静ちゃんもそういうの話してくれないから気になるんだよね!」


 どちらも私に得るものはない。彼女たちが勝った時に乗ってあげるくらいにしておこう。私が勝った時にも何かしてもらおうか。特にしてほしいことなどないけど、仲良くして、くらい言っても良いだろう。

 先ほどまでより興味を持って、勝負の行方を見守った。結果が楽しみだ。


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