秘密
居間の机を三人で囲み、栄先輩の淹れてくれたお茶で一服すれば、いよいよ京極先輩の話だ。
「で、羽衣ちゃんは七不思議に興味あるんやったな。」
「はい。何かご存じですか?」
「うちは見えた幻覚を本人以外には話さへんねん。人の秘密を勝手に話すことと同義やからな。ところで、羽衣ちゃんは鏡操の副作用についてどこまで知っとる?」
まだ何も習っていないため、ほとんど何も知らない。鏡を通った時に体調を崩す人がいるという程度だ。
「明順応みたいになるやつですよね。」
「ああ、俺はそうだよ。他の人はまた違った症状が出る。」
「それがうちの場合は幻覚やな。やけど、それはあくまで副作用やねん。ある程度抑えることはできても、完全に操ることはできひん。誰かが傍におるとかおらんとかは関係ない。」
傍にいれば副作用が出ても安心とは思えるかもしれないけど、その症状自体を抑えられているわけではない。この辺りの説明は鏡操の授業を受けてからのほうが理解しやすいだろう。
「それやのに、あの葉月実とよう一緒におる零と二人の時は、幻覚が見えへんかった。何にも映らへん、空っぽやった。葉月実も一緒におる時やったら、何かしらの幻覚は見えんねんけどな。」
人の副作用を肩代わりする副作用、というのはあり得るだろうか。いや、葉月くんもSクラスのため、一緒にいたとしてもその副作用に影響は与えないだろう。最も近くにいる人の副作用を肩代わり、であれば影響するだろうか。そもそも、学校に通っていない零ちゃんは何クラス相当の適性なのだろう。
「零ちゃんってどのくらいの鏡操適性があるんですか?」
「さあ。鏡をどうこうしてるのを見たことある人はおらんからな。で、こっからが本題や。葉月実だけ、正確にはその零も、やけど、零を除けば葉月実だけが禁域に自由に出入りできる、ってのは鏡界におる人間が共通で持っとる認識や。これはええな?」
「はい。」
誰に聞いても同じことを言っている。一昨年の事件に関しても、だからこそ葉月くんが不審だという話になっていた。
「それを今は本人も分かっとる。やけど、前はあんまり自覚できてへんかった。詳しいことは古賀静から聞いてんねんろ?」
「え、あ、はい。知り合いですか?」
「そんなとこや。新生Sクラスの誕生やって喜んどったわ。聞いてるんやったら分かると思うけど。自分が特別やって分かってへんかった葉月実は、安易に禁域のことを同じ寮の子に教え、安易に友人を禁域に連れ込んだ。その結果が今なわけやな。」
言葉に悪意が感じられる。安易に、なんて言えるのは当事者ではないからではないか。自分が気軽に出入りしている場所に友達を連れて行ったからといって、そのこと自体は責められるべきではないはずだ。
「そないな顔せんとって。何もその子が悪い言うとんとちゃうねん。ただ特別な子や、って言っとるだけ。やけど、その特別な子と親しかったとしても、禁域にとっての特別にはなれへんっちゅうことや。」
私の行動は無意味だと言っているのか。葉月くんと親しくなって、安全に禁域内を調べる方法を知ることなどできない、と。だけど、それに代わる方法など私は知らない。結局、私に今できることは同じだろう。
京極先輩の話で増えた情報はない。
「もっと色々うちは知ってんねんけど、栄が羽衣ちゃんにも教えたないことあるみたいやさかい、しゃあないな。」
「お前が余計なことを言うからだよ。」
教えてほしくないことは黙っていてくれる人のようだ。
「京極先輩、お話ありがとうございます。」
「お礼に羽衣ちゃんのことも聞かせてくれへん?なんで栄と一緒に暮らしてるん?」
これは答えられる。最初に教えてもらった設定通りに話せば良い。嘘を吐くことになるけど、もう私は既にこの話を他の人にもしているため、一人も二人も大差ないだろう。
「目が覚めたらこの家にいたんです。」
「悪いお兄ちゃん見習わんでもええんやで。」
なぜか確信を持っている。だけど本当のことも言えないため、先ほどから京極先輩を睨むように話を聞き続けている栄先輩に視線で助けを求めた。
「言いふらしたらお前の副作用の詳細も言いふらす。」
「分かっとるって。お互いに黙っとくいう条件やもんな。やけど、それとうちの好奇心は別やで?」
いまいち京極先輩の性格が掴めない。それを思案しつつ、どこまで答えるかを迷う。だけど、鏡を抜けて来たと知っているなら、これ以上言えることはないのではないだろうか。栄先輩が教えるのと、私の口から聞くのと、どう違うのだろうか。私には何の違いもないように感じられる。
まず、栄先輩が誰にも言うなと私に指示したことを、自分で誰かに教えるのだろうかという疑問が生じる。それだけ京極先輩を信頼しているのだと言われればそれまでだけど、そのわりには栄先輩から京極先輩への態度が厳しい。
「栄お兄ちゃんと京極先輩って仲良いんですか?」
「付き合ってんねん、って言ったら教えてくれるんか?」
「ふざけるのも大概にしろ、この覗き見女。」
「可愛い妹の前でそないな言葉遣いしてええんか?悪い言葉覚えてまうで。」
そこまで小さな子ではないけど、栄先輩のこの言い様には驚く。恋仲という話もおそらく事実ではないのだろう。私の知っている恋仲とは互いに対する態度が違い過ぎる。仲が悪いと言われたほうが信じられそうだ。
そうだとするなら、なおさら京極先輩が鏡を抜けたと知っていることが不思議になる。栄先輩が京極先輩の副作用の詳細を知っていることも不思議だ。他の人に隠しているなら、親しい相手でなければ教えないだろう。
京極先輩の副作用は幻覚。だけど詳細は別にある。それはおそらく、幻覚で会ったことのない私の姿を見たことと関係している。それ以上のことが私には分からない。京極先輩が隠したいのはその詳細の部分。一方、栄先輩が隠したいものは分からない。その一部は私が鏡を抜けてきたことだろうけど、私にも隠したいことと言っていたため、それ以外にもあるはずだ。
「ねえ、栄お兄ちゃんが私にも隠したいことって何?」
なぜかクラスは同じでも寮が違う二人だけが、その秘密を共有している。話している様子はさして仲が良さそうでもないのに、だ。
「ごめんな、羽衣。それは教えられない。京極の話も聞かないほうがいい部分もある。」
「それは余計なお世話っちゅうもんやで。知らんほうがええとか、そんなん他人が決めることとちゃう。」
「実際、俺は教えられて動きづらくなった。」
栄先輩よりも京極先輩のほうが情報を持っている。だけど、その情報は調べたいことに関係しているかもしれない一方、その調べたいことの障害ともなり得る情報。だから、栄先輩は私に教えたくない。
それなら私は聞かない。調べたいことから遠ざかることは、家族から遠ざかることになるのだから。
「そのうち教えられると思ったら教えてね。それと、京極先輩。私がどうして栄お兄ちゃんと住むことになったのかは、私より栄お兄ちゃんのほうがよく分かってると思います。」
何を知っているか分からないため、極力余計なことは言わない。二人の関係がよく分からなくても、互いの大切な秘密を共有する間柄であることは確かなようだから、それらの話くらいできるだろう。
「上手いこと躱したな。羽衣ちゃんくらい可愛かったら、全部お兄ちゃんに任せてたから自分では何も分からん言うとけば、だいたい何とかなるで。意外とガードが堅かったから、うちはこれでお暇するわ。」
「ああ、さっさと帰れ。」
半ば追い出すように京極先輩を見送った。次に会ったら謝っておこう。さすがにこれは失礼だ。栄先輩はそんなことができるくらい親しいのかもしれないけど、私は今日が初対面なのだから。
「今の良かったの?」
「あれにはあのくらいで丁度いい。弱みを握り合ってるとは言うけど、ばらされた場合のダメージはこっちのほうが大きいんだよ。俺の秘密は退学ものだから。」
よほどの秘密だ。それを京極先輩が黙っていてくれているのか。それほどなら、自ら教えるとは思えない。
「どうして京極先輩は栄お兄ちゃんのその秘密を知ってるの?」
「幻覚で見たんだって。詳しくは勘弁して。万が一にも知られたくない。その秘密があること自体、伏せていてほしい。」
私が自宅に帰るための手掛かりが鏡界にあるなら、ここで栄先輩の調査を頓挫させるわけにはいかない。
「うん、分かった。調べごとに必要そうになったら教えてね。」
「必要になることなんてない情報だから安心して。それで、新しい学校はどうだった?調査って意味じゃなく、クラスの人とか。」
一気に十数人の自己紹介をされたため、とても覚えられるものではない。これから授業を共にして、少しずつ覚えていくつもりだ。そんな中で、印象的だった人はいる。まずはその子の話から始めた。
「天羽瑞希って子がね――」
私では思いつかない、信じられないような行動を取っていた子だ。校則を平気で違反し、幼い子どものような行動を取っていた。
「ああ、その子が特級適性者の子だね。上から落ちて来なかった?」
「え?どういうこと?」
意味が分からない。二階、三階から落下しているなら、それはもう事故だ。変わり者などという話ではない。空を飛ぶ練習でもしているのか。本気で人間が鳥のように羽ばたいて飛べると思っているのだろうか。
「よく木の上から落ちて来て出現するからさ。うちの教室でもたびたび千尋の目の前に飛び降りてるよ。扉の上の小窓とか、どうやって登ったのかスピーカーの上とかに潜んでるんだ。」
落下地点を少し間違えれば、柊木先輩の上に落下することになるのではないだろうか。非常に危険だ。それをよくある光景として受け入れられる二年Aクラスの生徒たちの神経も信じられない。柊木先輩以外にとっては他人事だから放置しているのだろうか。
先生の前に大きな音の後にいたのも、スピーカーから飛び降りた後だったのかもしれない。そうだとするなら、私のクラスで危険な目に遭うのは先生のみになる。それは先生が指導するであろうため、私も放置しよう。うっかり私にも興味を持たれて、目の前に落下されては心臓が持ちそうにない。
「気を付けるね。」
「早速、洗礼を受けたみたいだね。」
「とりあえず、一回で覚えるくらいには衝撃的な自己紹介だったよ。他の人が霞んじゃうくらい。あ、でも、もう一人印象的な人はいたよ。不思議なことを言う人でね――」
今後は古賀さんのことを伝える。調査の成果や今後の予定にも関係するけど、今はそれを省いて、印象の部分を重点的に話していく。
「仲良くなれたんだね。」
「たぶん。なんか気に入ってもらったみたい。だけど、七不思議に詳しいって子とは全然話せてないの。」
先生から話を聞いている間にいなくなっていた。その後すぐに古賀さんとも話したから、ゆっくり話す暇もなかった。古賀さんの秘密基地から戻ってからはどこにいるか分からなくなっていたため、探すこともしなかったのだ。
「焦らなくていいよ。俺が卒業するまでに、くらいで考えてるから。」
「私は早く帰りたい。」
栄先輩に急ぐ理由がなくても、私にはある。こんなに長い間、家族に会わないのは初めてだ。中学校の修学旅行の二泊三日が最長で家族と会わなかった時間なのだから。
意識すればより気は急いてしまう。鏡の向こうでも私は新しい高校に通っていたはずだ。中学までと変わらない様子で、父を見送り、母に見送られ、中学までとそう変わらない通学路を一人で歩く。そんな日々がやって来るはずだった。
「そのクッション、本当にお気に入りだね。」
いつの間にかソファから下ろしたのか、強く抱き締めていた桃色のクッション。自宅の居間では共有の物ばかり置いていたから、こんな物を置いてはいなかった。誰がどれを使ってもよく、コップを共有することさえよくあった。
今、机の上にはコップが二つ置かれている。京極先輩に出した分はもう片付けたのだろう。
「別に、そういうわけじゃないけど。」
自宅ならぬいぐるみを抱き締めているところだ。自室にも置いていたけど、居間にもたくさん置かれていた。私が欲しいと言った物ばかりではなく、お兄ちゃんやお姉ちゃんが買って来た物も多くは置かれたまま。一人暮らしの家にはそんなに置けない、私が可愛がってあげてと言っていた。埃を払ったり、ぬいぐるみシャンプーで洗ったりするのはお母さんがほとんどしてくれていたけど、時々配置換えなどは手伝っていた。
この家は私から見れば殺風景だ。家具の色合いが白や茶などで統一されていることは同じだけど、ぬいぐるみが居間を占拠していることも、フィギュアが飾られていることもない。趣味の物といえば布で目隠しをされた本くらいだ。
「ごめんね、羽衣。」
何に対する謝罪なのだろう。私が鏡を抜けてしまったのは事故のようなもの。栄先輩が引っ張ったとはいえ、こんなことになるとは栄先輩にだって分かっていなかっただろう。今は帰るために調査が必要で、栄先輩は元々関連するものを調べていたから、それに私が協力する形になった。そう思っているだけで良い。帰るまでは、そうやって調査を続けることだけを考えていれば良い。
「俺には羽衣にも言えないことがあるから、詳しいことは説明できない。寂しい思いをさせて、ごめんね。代わりにできることはするからさ。」
家族の代わりになんているはずがない。だからこそ、私は帰るためにできることをしていくのだ。




