口論
今日は一日ゆっくりできる日。寮の周りでも散歩してみようか。
ぽかぽか陽気に、眩しすぎない日差し。それは木が陽を遮ってくれているおかげだろう。チュンチュンという囀りも、平和な日常を教えてくれる。家にいた時も電線の雀を眺めながら、よく家族と話していた。
足の感触も、衝撃を跳ね返すアスファルトではなく受け止めてくれる優しい土。所々に新芽が顔を出し、何かがよぎって行く残像も見える。歩いているうち汗が滲んで来て、上着を腕にかけてのお散歩だ。お茶でも持って来れば良かった。
校舎のほうへ向けて歩けば人がいたのかもしれないけど、私が向かうのは禁域の方向。昨日、零ちゃんと会った場所だ。二人の秘密基地と言っていたから勝手に入るような真似はしないけど、一度でも通った道のほうが安心できる。そんな風に、特に何を考えるでもなくただ歩いていると、何やら声が聞こえた。
「朱鷺の子たちはいいけど、花房さんは駄目だと思うよ、僕は。」
「お前が俺のことどう思おうと勝手だけど、人の交友関係にまで口出すのは止めてくれないかな。」
私の話をしている。この声は誰だろう。二人とも男の子で、聞き覚えはあるけど、それ以上は分からない。
「大切な編入生なんだ、気にもなるよ。梨々花さんもこれで元気になるかもしれない。」
「ずっと元気だろ、あれは。煩いくらい。」
二人とも桃園さんと親しいようだ。私の見た桃園さんはずっと元気に話し続けていたけど、別の所では落ち込んでいる姿も見せていたのかもしれない。
「葉月にはあれが元気に見えるの!?前はあんなに不自然なハイテンションじゃなかった!」
一人は葉月くん。木の影に隠れて覗けば、もう一人は木葉くんだった。
「望月さんのことは確かに残念だった。」
「残念?自分が殺しておいて?」
「殺してない。何回も言ってるけど、俺は禁域について聞かれたから答えただけで、行くなんて思わなかったんだ。」
必死で力の入っている木葉くんとは対照的に、葉月くんの声には覇気がない。呆れているようにも聞こえる。何度も同じやり取りをしているのだろうか。
「捜索に入った人も出て来られないんだもんね?死体を隠すなんて造作ないだろ。だけど今、僕が言いたいのはそんなことじゃない。花房さんまで君の問題に巻き込むべきじゃないって言ってるんだ。」
「俺の問題?問題にしてるのは周りだろ。お前と、狼の三馬鹿と、豹の屑。」
葉月くんの声に熱は込められていないけど、そこには確かに悪意が込められていた。
「友達が殺されてるんだから当然だろ!梨々花さんが何も言わないからってそれを当然だと思わないで。」
「何も言わない?本気でそう思ってんのかよ。おめでたい頭してるんだな。」
人殺し、と言った話は零ちゃんから聞いている。クラスや寮ではそんな態度を取らないようにしていたのだろうか。葉月くんと二人か、零ちゃんも含めた三人の時だけ、暴言を吐いていた。
「どれだけ梨々花さんが悲しんでたか、君も見てただろ!あの梨々花さんが全然笑わないのを!花房さんだって君ほど図太くない。君が見下す狼と豹の人たちからの制裁に、何も悪くない花房さんを巻き込むの?」
制裁。嫌な言葉だ。自分たちが正しいと思っているような言葉で、ただの悪意を正当化している。葉月くんだって傷ついていたから、自分を責めない柊木先輩のことを一番味方と言ったのではないか。
私は巻き込まれたわけではない。禁域の情報が必要だから、自分から近づいている。それを他人からどうこう言われる筋合いはない。
「朱鷺の連中はどうでも良いんだ?俺と教室でも平気で喋ってるけど。」
「あいつらは普通の感性してない。自分の寮の人間が犠牲にもなってないから興味ないんだろ、他の誰がどうなろうと。」
寮が違っても同じクラスなら接点くらいはあっただろう。どのような子たちかは分からないけど、葉月くんがクラスで孤立しているわけではないようだ。
「で、結局お前は俺にどうしてほしいんだよ。花房さんと話すなって?」
「そう。何も知らない編入生なんだ、せめて巻き込むなよ。」
「じゃあ俺は断るから、話はこれで終わりだな。」
葉月くんが振り返ってこちらに歩いて来る。慌てて木の影に頭を引っ込めるけど、進行方向であったため、見つかってしまう。
「花房さん、もしかして聞いてた?」
完全に盗み聞きだ。悪いことをしてしまった。
「えっと、ごめんね。散歩してたら声が聞こえて。」
「俺としては聞いててくれたほうが嬉しいよ。いい顔してるあいつの本性見えるから。」
今気付いたのか、木葉くんも早足で近寄ってくる。焦ったような表情をしているけど、誰かに聞かれたくないことなら、こんな所で話すべきではない。
「君は知らないだろうけど、狼や豹のやり方に君は耐えられないと思うんだ。朱鷺なんて頼りにならないし。だから昨日も言ったけど、葉月くんといるのは危ないよ。」
「なら私も。昨日も言ったけど、誰と付き合うかは自分で決めるよ。私が知らないって言うんなら、そっちの問題に私を巻き込まないように、狼や豹の人たちに言うべきなんじゃないの?」
会う前から要注意人物が増えてしまった。木葉くんの言うように何かをする人たちなのかは分からないから、見定める心構えだけはしておこう。
「もちろん言うよ。だけど、聞き入れてくれるかは分からないから、花房さんも自衛すべきだと思うんだ。」
「心配してくれてありがとう。でも、余計なお世話だね。次からは私の交友関係に口を出さないで。」
きっぱりと言った私に驚いたのか、木葉くんは一瞬怯んだ。
「う、うん。だけど、教室で何かあっても僕は助けられないよ。」
「最初から木葉くんに助けてもらおうなんて思ってないから安心してよ。」
基本は自分で解決すべきだ。どうにもならないと思ったなら、クラス内なら赤坂くんだろうか。教室から出て、一度冷静になっても良い。先生を呼んでも、柊木先輩や栄先輩に話しても良い。クラスの全員が関わるような問題なら、外部の人間を挟むべきだ。
これ以上言いたいことは木葉くんにも葉月くんにもないようであるため、私は葉月くんの手を引いて、その場を離れた。
二人分の足音だけが森に響く。
「花房さん、これ以上は駄目だ。禁域に近すぎる。」
足を止めて、一度その場に座り込む。苛立ちに任せて歩いたせいで、疲れてしまった。
「ありがとう。はっきり言ってくれて嬉しかった。普段は絡んで来ないんだけど、編入生に対する変な気遣いみたいなものを発揮してたみたいだね。」
同じクラスで寮の部屋も近いだろうに、特に絡みがないのか。それも関係が希薄に過ぎるような気もするけど、さきほどのやり取りを見ていると、絡みがないほうがまだ良いと言えるかもしれない。
「他の人もあんな感じなの?」
「もっと酷いよ。狼は仇みたいな扱いしてくるし、豹は嫌味とか皮肉とか。朱鷺は何も気にしてないみたいだけどね。一人から俺が殺してようが殺してなかろうが興味ないって言われたね。」
クラスメイトがクラスメイトや先輩を殺していないと信じるのではなく、最初から興味を持たない。変わった人たちの集まりなのか、同じクラスの人たちだけがそうなのか。
それにしても、狼寮や豹寮の人への印象は最悪なようだ。色々と悪意のある対応をされていれば当然かもしれない。
「聞いてるだけだと不安になるよ。上手くやってけるのかな。」
「まあ、俺には色々あるかもしれないけど。初対面の花房さんには特に何もないと思うよ。明日もたぶん大丈夫だからさ、安心してよ。朱鷺の奴らも取っ付きにくいかもしれないけど、話しかければ答えてくれるから。」
自分から話しかける勇気さえ持てれば、クラスの中にも入れる。だけど、人伝の情報で身構えてばかりもいられない。きちんと相手を見て対応するように気を付けよう。
「ありがとう。今日、零ちゃんはどうしてるの?」
「一人で散歩してくるって。零も一人で動くことは多いから。俺が知らないだけで、他に友達がいるのかも。」
「零ちゃんのことなら何でも知ってるわけじゃないんだね。」
「そりゃそうだよ。俺が入学する何年も前から鏡界で生活してたみたいだし。」
今でも零ちゃんは十歳前後、もしくはもっと幼い年齢に見える。今私たちが高等部一年生だから葉月くんの入学は三年前、その何年も前から零ちゃんはここにいた。つまり小学生低学年か幼稚園児の年齢の時には鏡界にいたことになる。親はいないということだから、誰か教員や職員の子というわけでもない。ずっと誰かが交代で面倒を見ているのだろうか。
柊木先輩にも懐いていた。それでも一年しか変わらない。柊木先輩の入学前から零ちゃんはいたのだろう。
「鏡界に来る前はどうしてたんだろう。」
「さあ、あんまり昔のことは聞かないほうがいいかと思って。自分から話さないのは思い出したくないからかもしれないし。」
葉月くんでも聞けていないなら、これ以上の詮索は止めておこう。
「この後って何か予定ある?もし良かったら一緒に散歩しよう。私はまだ寮に戻りたくないんだ。」
「俺も戻りたくないかな。今は他の人に会いたくない。」
禁域とは違う方向、だけど狼寮とも杜鵑寮とも違う方向に向かう。つまりは海のほうだ。遊ぶ人もいるかもしれないけど、今の季節なら泳ぐ人はいないだろう。ここは遊泳しても良い場所なのだろうか。
「海って泳げるの?」
「気を付けるようには言われるけどね。あんまり推奨はしてないんじゃないかな。購買には水着も浮き輪も一切売ってないから。花房さんは泳ぐの好きなの?」
一時は毎年、家族全員で泳ぎに行っていた。その時は楽しめたけど、友達同士で行った経験はないため、泳ぐのが好きなのかと聞かれれば迷うところだ。小学校のプールの授業も嫌いではなかったけど、決められた通りに泳ぐだけであったため、好きでもなかった。
夏休みに地域のプールで泳ぐのは好きだった。近所の友達やお兄さんお姉さんと一緒に、様々なゲームをした覚えがある。
「どっちかっていうと好き、かな。親しい人と泳いだり遊んだりするのが好き。」
「誰と一緒かってすごく重要だよね。やっぱり仲のいい人とか、信頼できる人でないと。」
「葉月くんはどう?泳ぐの好き?」
運動が得意そうな見た目はしていないけど、それと好きかどうかは別だ。私も運動が得意なわけではない。特に球技や長距離走は苦手だ。
「仲のいい人だけがいるなら好きだけど、周りで他の人たちが遊んでることも多いから。変に絡まれても面倒だし。」
誰とも知れない相手から絡まれるようだ。SA生徒連続行方不明事件に葉月くんが関係していると知られてしまっているのだろうか。自分が遊ぶかどうかでも他者の接触をいつも気にしているのなら、警戒心が強そうだ。これは禁域について教えてもらえるのもまだ先になるだろう。
「そっか、大変だね。」
「人のいそうな所を避ければいいだけだよ。食堂だって時間をずらせば人は少ないし。」
一昨年の事件や葉月くん周りの問題を解決することが禁域への道、だろうか。どうするかはクラスの雰囲気や、クラスの人たちの態度を見て決めることとしよう。
葉月くんはこの話題を楽しんでいなさそうだ。何かクラスや他の人たちの関係しない話はあるだろうか。自然の物を使ってできる遊びを教えてみよう。ここにはたくさん葉っぱがある。草笛を試してみよう。
「ねえ、草笛って知ってる?」
「草で音を出すんだろ?やってみたことはないけど。」
「確かね、こうするの。」
地面に生えていた、小さな楕円形に近い葉を選んで口に当てる。口を左右に引いて、口先から小さく勢いよく空気を押し出すが、音は出ない。
「あれ?やっぱ駄目だ。桜の花びらで花笛は毎年してるんだけど、葉っぱではできたことないんだよね。」
「できたことないのに自信あったね。」
今年こそはできそうな気がしたけど、気のせいだったようだ。他には何か話題はあるかな。花冠なんて高校生になればもう作らないかもしれない。他には何ができるだろう。ごく限られた人とばかり付き合ってきた弊害が今出ている。
「花房さんは自然の中で遊ぶのが好きなんだね。」
「え?そうかな。」
「毎年、花笛で遊んでるんだろ?それに、こういう道も戸惑わずに歩いてる。都会から鏡界に入学した子はまず、風景に驚いて、次に歩きにくさに驚くんだよ。」
栄先輩の家で目覚める前のことは覚えていない。記憶喪失という設定だ。ぼんやりとなら覚えていても良いけど、あまり話すのは好ましくない。まずい、口を滑らせたか。
「そう、だね。何かそんな気がしたの。昔は自然の中で生活してたのかな。」
「なんで自分のことなのに分からないんだよ。」
ここはもう記憶喪失と言ってしまおう。桃園さんと違い、すぐに他の人に伝わるようなことはないだろう。
「なんか、あんまり覚えてないの。栄先輩に家で起こしてもらってからははっきり覚えてるんだけど、それより前のことはぼんやりしてて。ふっと思い出す時もあるんだけど、意識しても出て来ないんだ。」
「ごめん、悪いこと聞いた。あのさ、もう一つ聞いていいかな。もちろん、気を悪くしたら答えなくてもいいんだけど。花房さんも両親のことは覚えてる?」
覚えているとは答えられないものだ。詳しく語れば語るほど、綻びが生じてしまうから。
「ううん、あんまり。」
「零も覚えてないからさ、一緒にいてあげようとは思っても、俺にはきちんと気持ちが理解してあげられてないんじゃないかって思うことがあるんだ。花房さんには分かってあげられる?」
ついこの前まで両親はいて、私の場合は両親がどこかに行ってしまったわけではない。私がどこかに来てしまったのだ。想像はできても、分かると言うことは憚られる。
「どうだろう。いない状態を覚えてるのと、両親のことも含めてあんまり覚えてないのとは違うと思うから。それに、私には栄先輩がいてくれる。家に帰っても一人じゃないの。」
「そっか、そうだね。ごめん、変なこと聞いちゃった。お詫びに、別の秘密基地を教えてあげる。」
急に方向転換をして、木々の中を進んでいった。




