決勝戦
朝から、空気が違った。
球場へ向かうバスの中。
いつもなら誰かがくだらない話をして、誰かが笑っている。
今日は違う。
みんな静かだった。
窓の外を眺める奴もいれば、イヤホンをして目を閉じている奴もいる。
岡本でさえ、今日は珍しく黙っていた。
俺は自分の膝の上に置いた右手を見る。
昨日までと同じ手。
何も変わっていない。
なのに、妙に重く感じた。
「工藤」
隣の席から声がした。
阿部だった。
「何だ?」
「緊張してる?」
「してない」
「即答かよ」
「……少しだけだ」
「やっぱりな」
阿部が笑った。
「でも、俺が受ける。いつも通り投げろ」
「分かってる」
「四球出しても?」
「……出さない」
「そこは出すんだろ」
「出さない」
「はいはい」
阿部は笑った。
その笑顔を見ていると、不思議と肩の力が抜けた。
球場に到着する
スタンドには大勢の観客。
両校の応援団。
吹奏楽部の音。
そして、夏の大会とは思えないほどの熱気。
俺たちはグラウンドへ入った。
「集合!」
野村監督の声が響く。
全員が集まる。
野村監督は一人ずつ顔を見た。
「ここまで来たな」
誰も答えない。
「だが、ここまで来ただけでは意味はない」
野村監督は続ける。
「勝つために来たんだ」
その言葉に、岡本が強く頷いた。
「今日も工藤を中心に守る」
野村監督が俺を見る。
「だが、工藤だけで勝つんじゃない」
次に、全員を見る。
「全員で勝つ」
「はい!」
声が重なった。
俺はその輪の中にいる。
それだけで、少し嬉しかった。
そして
決勝戦が始まった。
先攻は俺たち。
一回表。
鈴木が打席に入る。
初球
見逃し。
二球目
ファウル。
三球目
打った。
センター前ヒット。
「よし!」
ベンチが沸く。
続く松井は送りバント。
一死二塁。
広瀬が打席に入る。
相手投手は速い。
だが、広瀬は食らいついた。
ファウル。
ファウル。
そして――
ライト前。
鈴木が三塁へ進む。
一死一、三塁。
四番、岡本。
「任せろ」
岡本がバットを握る。
初球
ストライク。
二球目
ボール。
三球目
打った。
しかし、打球はショート正面へのゴロ。
鈴木がホームへ突っ込む。
送球。
クロスプレー。
「セーフ!」
先制点。
「よっしゃあ!」
ベンチが沸いた。
俺はベンチから立ち上がった。
岡本が拳を握る。
「工藤! 守れ!」
「分かってる!」
俺たちは守備についた。
マウンドへ向かう。
土を踏む。
深呼吸。
ホームを見る。
阿部が構えた。
俺はセットポジションに入る。
そして――
一球目
ストライク。
今日は、いつもよりボールが指にかかっている。
二球目
ストライク。
三球目
空振り。
「ストライク、バッターアウト!」
まず一つ。
続く打者。
初球
ボール。
二球目
ボール。
嫌な感覚がする。
俺は一度、息を吐いた。
阿部を見る。
外角低め。
頷く。
投げる。
ストライク。
次もストライク。
最後はスライダー。
空振り。
二つ目。
あと一人。
だが、三人目。
初球
ボール。
二球目
ボール。
三球目
ボール。
嫌な汗が背中を伝う。
――またか。
頭の中に、いつもの嫌な言葉が浮かんだ。
四球。
俺が一番嫌いなもの。
カウント、三ボール。
「工藤」
阿部が声をかける。
「焦るな」
俺は頷いた。
四球を出してもいい。
ここで無理にストライクを取りにいって痛打されるよりはいい。
そう思った。
四球。
ランナーが一塁へ向かう。
俺は小さく息を吐いた。
そして次の打者。
初球
ストライク。
二球目
ストライク。
三球目
スライダー。
空振り。
「三振!」
三者連続三振ではない。
でも、ゼロに抑えた。
ベンチへ戻る。
「ナイスピッチ!」
広瀬が声をかける。
岡本も笑っている。
「一個くらい歩かせても抑えれるだろ」
「うるさい」
「でも抑えたじゃねえか」
「……まあな」
その時。
ベンチの奥から石川の声がした。
「工藤くん!」
振り向く。
石川がタオルを持って立っていた。
「ナイスピッチング!」
「……普通だ」
「うん。工藤くんらしい」
彼女が笑う。
その笑顔を見るだけで、不思議と心が落ち着いた。
試合は一進一退だった。
二回、三回、四回。
俺は毎回のようにランナーを出した。
四球。
ヒット。
また四球。
それでも、仲間が守った。
広瀬が難しい打球を追いつく。
松井弟が強烈なゴロを止める。
山田が二遊間の打球を処理する。
村田が三塁線を抜かせない。
そして阿部が、俺のボールを受け続ける。
五回を終えて。
スコアは――
1対0。
俺たちがリードしていた。
だが
まだ半分、試合は残っている。
俺はスコアボードを見上げた。
この一点を守り切る。
それだけを考えていた。
しかし
この試合が、そんなに簡単に終わるはずはなかった。




