第20話 隠された名前
朝、リサさんと一緒に潮音を訪ねた。
不審者が出たことを話すと、場の空気が一変した。
「なんですぐ来んかったんじゃ」
和義さんが険しい表情で言う。
「駐在さんが『周囲には誰もいない』って言ってたし、もう夜も遅くて……」
私の声はだんだんと小さくなった。
「和義さんも『女性だけだと危ない』って言ってたしさ」
智は私の家に来ることになった。
「歌帆の家、いい雰囲気だし。前から泊まってみたかったんだよね」
軽く言ったが、その言葉の裏に本気の心配が見えた。
智は仏壇に手を合わせた。
「そういえば、位牌、まとめるって話が出てたんだって?」
祖母・歌音の三十三回忌を機に、古い位牌を繰出位牌に移す案があった。
「でも私は、まだその必要はないって断ったの」
「これが繰出位牌だよね」
仏壇の扉付きの位牌を指差しながら、智が言う。
「札板、見てみてもいいんじゃない?」
繰出位牌の中には、戒名や没年月日が記された札が順に収められていると智は教えてくれた。
その言葉に首を傾げかけたが、彼の意図にすぐ気づいた。
澄江さんは「"りの"は亡くなったかもしれない」と言っていた。
日記にもそれを示す記述があった。
私もそう思いかけていたけれど、確信が持てなかった。
墓に名を刻まなくても、位牌は残すはず。
出生届や死亡届と同じように、そこには「名前」が必要なのだから。
"りの"の位牌はなかった。
札板を、一枚一枚そっと手に取って見ていく。
――風海嬰児 昭和37年5月11日 日高和音
母の兄。
墓には記されていないその名が、ここだけに残されていた。
名を刻まず、早く生まれ変わることを願って、ひっそりと──。
私はそっと札を戻し、手を合わせた。
「"りの"の名前、なかったね……」
智が小さくつぶやく。
「分かった。"りの"は生きてる」
一瞬、リサさんの顔が浮かんだ。
同じ誕生日。
……でも、年齢が違う。
私の双子の姉妹、りの。彼女はどんな人なのだろう。
どうして、いないことになっていたのか。
母はなぜ、何も言わなかったのか。
……そして、なぜ私は何も覚えていないのか。
そのとき、駐在さんから電話があった。
不審者らしき男性を見つけ、事情を聞いたという。
「一人旅の大学生でした。車で各地を回っていたそうです」
学生証と免許証で身元は確認済み。
私の家には、夜の散歩中に誤って入り込んだらしい。
山道が庭へ続いており、土地勘がなければ迷い込むこともある。
不法侵入ではあるが、本人に前科はなく、深く反省しているため厳重注意で済ませたとのこと。
「もう何かすることはないと思いますが、念のため戸締まりにはご注意を。島内も巡回します」
電話が切れた後も、胸の奥に違和感が残った。
以前出会ったときと、どうも印象が違う。
---
昨日受け取った母のパソコン。
何か手がかりがあるかもしれないと、起動してみる。
だがパスワードが分からない。母の誕生日も外れた。
「歌帆の誕生日かもよ」
智の助言に従い入力すると、画面が開いた。
彼がスマホを使ってネット接続の設定をしてくれる。
母のメールを見ることにためらいはあったが、重要な情報が隠されている可能性もある。
メールソフトを立ち上げると、新しい受信が始まった。
「メールアドレスだけ契約してることもあるからね」
プロバイダを解約していたのに、と不思議がっていた私に、智が教えてくれた。
届いていたのは、銀行や通販、仕事関係など限られた数のメール。
母も最近はスマホ中心だったのだろう。
その中の、一通の件名が目に留まる。
【件名:二十三回忌について】佐藤理信<M.Satou@×××look.jp>
私はクリックした。
---
佐藤理信<M.Satou@×××look.jp>
宛先:kano_h@×××mail.com
件名:二十三回忌について
日付:2025年7月24日10:05
日高歌乃 様
佐藤理信です。ご無沙汰しておりますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
先日お電話を差し上げましたが繋がらず、新たな連絡先も分からなかったため、このメールをお送りいたしました。
息子が生前使用していた古いパソコンに、あなたのアドレスが残っていました。
今も使われているか分かりませんが、祈る気持ちで送っています。
来月24日で、二十三回忌を迎えます。
あれから長い年月が経ち、改めて時の流れを感じております。
節目の法要として、島へお参りさせていただきたいと考えております。
私も年齢を重ね、そちらへ伺えるのはこれが最後かもしれません。
歌帆にももう一度、会いたいです。
理乃は、たまに電話をかけてきます。
居場所は教えてくれませんが、元気そうです。
あの子にも、そろそろ真実を話すべき時が来たと感じています。
突然のご連絡、失礼いたしました。
お返事をいただけますと幸いです。どうぞご自愛のほどお祈り申し上げます。
連絡先
〒951-8XXX 新潟市中央区×××町XXXX-X
090-XXX-XXXX
M.Satou@×××look.jp
---
「……理乃」
私は息をのんだ。横でメールを見ていた智も、目を見開いていた。
「佐藤って、お父さんの旧姓だよね。さとう……みちのぶ?息子って、歌帆の……」
「私の……祖父」
この人に連絡を取れば、理乃のことが分かる。
私は震える指で、電話番号を押した。




