第7話「新商品がいつも売り切れ」
午後四時。小腹が空いた俺は、久しぶりに外に出る決心をした。
目的は一つ。先週からコンビニで発売されている、期間限定の激辛カップ焼きそば。SNSで話題になっていたのを見て、俺も食べてみたくなったのだ。
引きこもりの俺にとって、外出そのものが一大イベントだ。着替えて、髪を軽く整えて、財布を確かめて、ようやく玄関の扉を開ける。
歩いて五分のコンビニまで、俺は珍しく足取り軽く向かった。
だが、棚の前に立った瞬間、俺のささやかな期待はあっさりと打ち砕かれた。
「……売り切れかよ」
商品タグだけが虚しく並ぶ、空っぽの棚。レジにいた店員に聞いてみると、申し訳なさそうな顔でこう言われた。
「すみません、あれ人気で、入荷してすぐ売り切れちゃうんですよ。今日も開店三十分で無くなっちゃって」
仕方なく、少し足を延ばして隣町のコンビニにも寄ってみた。結果は同じだった。店員に聞くと、こちらも同じような答えが返ってくる。
「うちも今朝入荷したんですけど、あっという間で……」
さらにもう一軒。三軒目の店先には、ご丁寧に「本日分完売」と書かれた紙まで貼られていた。まるで最初から俺を出迎える気がないような貼り紙だった。
「……なんだよそれ」
三軒すべてで同じ結果に終わり、俺の足取りは行きとは打って変わって重くなっていた。せっかく気合を入れて外に出たというのに、手ぶらで帰るのはあまりに惨めだ。途中の自販機で買った安い炭酸水だけを片手に、俺はとぼとぼと家路をたどった。
三軒回って、俺はすっかり消耗していた。せっかく気合を入れて外出したというのに、何一つ成果がないまま帰路につく。
「なんなんだよ、あれ。そんなに人気なのか」
家に着く頃には、日はすっかり傾いていた。俺はソファに崩れ落ちるようにして寝転がり、スマホを取り出す。
『新発売の激辛焼きそば、どこ行っても売り切れなんだけど。三軒回って全滅とかありえるか』
思わずSNSにそう投げてしまった。今日ばかりは、俺なりに労力をかけた分だけ、愚痴にも実感がこもっていた。
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、こんなことのために外出したのか」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認して画面を閉じた。腹の虫が、抗議するように鳴いた。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『新発売の激辛焼きそば、どこ行っても売り切れなんだけど。三軒回って全滅とかありえるか』
「……『三軒回って全滅』、か。単なる買い物の不満に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における流通の歪みそのものへの警鐘だ。ボスは、需要と供給の均衡が崩れ、一部の利権に富が偏在している現状を、身をもって示しておられる」
技術班の誰かが小さく頷いた。
「今回の適任は――ギャングだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに張り詰めた。巨大マフィア組織を裏で束ねる、冷徹な若頭。国内外の流通経路の多くに、その息のかかった人間を潜り込ませていると言われる男だった。
回線が繋がる。
「――ギャング、聞いているな」
「……ゼータか。何の用だ」
低く抑えた声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『流通の是正』だ。指定された商品が、本日中に佐伯家周辺の店舗に常時行き渡るようにしろ。転売目的の買い占めも根絶やしにしろ」
「たかがカップ焼きそば一つに、うちの組を動かせと? 割に合わない仕事だな」
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、ギャングは低く笑った。
「――上等じゃねえか。やってやるよ」
通信を切った瞬間、ギャングの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
縄張り争いの最中、追っ手から逃げるように路地を駆け抜けていたあの日。頭上から、からんと軽い音を立てて何かが降ってきた。反射的に身構えた瞬間、脳天に直撃したのは、ただの空のペットボトルだった。
だが、その一撃で意識が一瞬飛んだ。殺気も気配も一切感じさせなかった、完全な不意打ち。誰の仕業かも分からぬまま、ギャングはその場に崩れ落ちた。
意識を取り戻したとき、傍らにあったのはただ一言、走り書きのメモだけだった。「ゴミは持ち帰れ」。
あれ以来、ギャングは確信している。殺気も気配も残さず人を沈められるあの技術こそ、真に恐るべき力なのだと。そしてその力の持ち主に、全利権を捧げると誓ったのだった。
「――致死性凶器、か。あの日から、俺の生き方は変わった」
ギャングは端末を開き、傘下の組織――卸売業者に食い込む交渉人、コンビニ本部に太いパイプを持つ幹部、地方の流通センターを牛耳る仲介人たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、指定エリアへの当該商品の供給ラインを別枠で確保しろ。転売ヤーの買い占めは、見つけ次第、静かに締め上げろ」
「本部の在庫配分ルールを一部の店舗のためだけに変えろと? そんな特別扱い、他店から反発が出ますよ」
とあるコンビニチェーンの物流担当者が、震える声で抵抗しかけた。だが返ってきたのは、その担当者が裏で受け取っていた業者からの不透明な謝礼の記録データだけだった。
それだけで、抵抗の声はぴたりと止んだ。
同じ頃、指定エリアを管轄する地方倉庫の責任者にも、同様の指令が飛んでいた。
「配送順を組み替えろ。指定店舗を最優先にしろ」
「他の契約店舗への納品が遅れます。クレームは覚悟してくださいよ」
責任者はぼやきながらも、結局は言われた通りに配送ルートを組み直した。誰も、逆らう理由を持たなかった。
深夜のうちに、全国の物流センターで、指定商品の出荷量が静かに調整されていく。特定の転売グループが押さえていた大量の在庫は、いつの間にか市場に還元され、代わりに空いた棚には次々と新しい在庫が補充されていった。
同時に、いくつかの転売サイトでは、大量出品していたアカウントが軒並み突然の出品停止に追い込まれていった。理由は誰にも分からないまま、ただ静かに、市場だけが正常化していく。
とある転売グループの一人は、自分のアカウントが凍結された画面を前に、呆然と呟いた。
「……なんだよ、急に。まさか本部にバレたのか?」
だが問い合わせても、返ってくるのは判で押したような「規約違反のため」という定型文だけだった。誰も、本当の理由にはたどり着けなかった。
ゼータは画面の端に映る佐伯家周辺のコンビニの在庫データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家から歩いて行ける範囲の店舗には、常に多めに在庫を確保しておけ」
「……了解した」
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
「お兄ちゃん、昨日探してたお菓子、見つかった?」
制服姿の妹・葵が、朝食のパンをかじりながら聞いてきた。
「いや、三軒回っても全部売り切れだった。もう諦めた」
「そうなんだ。あ、そういえばニュースで、コンビニ業界の在庫管理が急に変わったって話やってたよ。転売ヤーが一斉に締め出されたとかで、ネットで話題になってる」
「は? そんなことと俺の焼きそばに何の関係があるんだよ」
半信半疑のまま、俺は着替えもそこそこに、もう一度近所のコンビニに向かってみることにした。
店に着いてみると、昨日はあれほど空っぽだった棚に、あの激辛焼きそばが山のように積まれていた。
「……うそ、あるじゃん」
拍子抜けするくらいあっさりと、探していたものは手に入った。会計を済ませ、意気揚々と家に戻る。
「ほら、結局見つかったし」
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわよ。全国のコンビニで一斉に在庫の見直しが行われたって」
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「うちの会社の得意先にもコンビニ関係あるが、朝から問い合わせの電話が鳴りっぱなしらしいぞ。何が起きてるんだか」
「へえ、そうなんだ」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「小売業界の常識を覆す一夜」だと語っている。
「なぜこれほど大規模な流通改革が一夜にして行われたのか、業界団体も原因を特定できていないとのことです」
神妙な顔をした専門家が「サプライチェーン改革の先駆け」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、欲しいもの買えたんならよかったじゃん」
俺はソファに寝転がり、封を開けたカップ焼きそばを啜りながらスマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、辛さに悶えながらソシャゲを起動した。ようやく手に入れた念願の一杯は、噂に違わぬ美味さだった。三軒回った苦労も、この味の前ではどうでもよくなるくらいには。
窓の外では、全国の流通と裏社会の勢力図が一夜にして塗り替わりつつあること――ある男が一本のペットボトルへの忠誠を胸に、傘下の組織を根こそぎ動かしていたことなど、俺は知る由もなかった。




