第6話「荷物の中身を知られたくない」
午後一時。通販サイトの注文履歴を眺めながら、俺は密かに気を揉んでいた。
三日前に頼んだ、ちょっとばかり趣味に振り切ったフィギュアが、そろそろ届く頃合いだ。
問題は、うちの宅配ボックスがいっぱいのときは、荷物が居間に届けられるということだった。母さんも妹も、荷物を受け取るたびに「これ何?」と聞いてくる癖がある。
「……頼むから、外箱くらいは配慮してくれよ」
差出人情報も商品名も丸わかりの、あの飾り気のない段ボールを思い浮かべるだけで、胃のあたりが重くなる。
かといって、コンビニ受け取りに変更する手間をかけるのも面倒だ。この中途半端な危機感のまま、俺は結局何もせずスマホをいじり続けた。
『通販の荷物、中身がバレるような梱包で届くのだけは本当にやめてほしい』
思わずSNSにそう投げてしまった。
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、こんなことまでいちいち呟くのか」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認して画面を閉じた。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『通販の荷物、中身がバレるような梱包で届くのだけは本当にやめてほしい』
「……『バレる』、か。単なる個人的な羞恥心に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における『個人の秘匿性』そのものへの警鐘だ。ボスは、誰にも知られてはならない情報が容易く漏れ出す危うさを、身をもって示しておられる」
技術班の誰かが小さく頷いた。
「今回の適任は――ファントムだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。痕跡を一切残さない伝説の単独潜入スパイ。国家の最高機密ですら、彼にかかれば見つけ出されず持ち出せると言われている男だった。
回線が繋がる。
「――ファントム、聞いているな」
「……ゼータか。任務内容を」
囁くような声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『完全なる秘匿』だ。本日届く私物を、誰にも中身を悟られることなく、無事に届けさせろ」
「たった一つの荷物に、この俺を? 過剰包囲じゃないか」
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、ファントムは小さく息を吐いた。
「――上等だ。やってやる」
通信を切った瞬間、ファントムの脳裏に蘇るのはあの夜のことだった。
潜入任務の最中、換気扇を通じて漂ってきた得体の知れない刺激臭に、致死性の毒ガスだと判断し、その場で意識を失った夜のこと。
翌朝目覚めると、傍らには空になったカップ焼きそばの容器が一つ、静かに置かれていた。それを目にした瞬間、ファントムは悟った。これは敵の攻撃などではなく、もっと崇高な、聖杯にも等しい何かなのだと。
あれ以来、ファントムは主人公の家に密かに出入りしては、姿を見せぬまま身の回りの世話を焼く私設執事のような真似を続けている。誰にも気づかれないまま。
「――聖杯、か。あの夜から、俺の任務の意味は変わった」
ファントムは端末を開き、世界中に散らばる自分の配下たち――物流網に潜り込んだ諜報員、税関の内通者、梱包資材メーカーの技術者たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、佐伯家宛のすべての荷物を、中身の分からない無地の梱包に差し替えろ。伝票の品名欄も、当たり障りのない表記に書き換えろ」
「品名の虚偽記載など、税関を通す上でリスクが高すぎます」
とある大手物流会社の担当者が、震える声で抵抗しかけた。だが返ってきたのは、その担当者が個人的に横流ししていた顧客情報の詳細な記録データだけだった。
それだけで、抵抗の声はぴたりと止んだ。
深夜のうちに、世界中の主要な物流拠点で、佐伯家宛の荷物だけが静かに特別扱いされていく。梱包資材は無地の茶封筒めいた質素なものに差し替えられ、伝票の品名は判で押したように「生活雑貨」と書き換えられていった。
同時に、いくつかの国の税関システムでは、特定の追跡番号にだけ奇妙な優先処理フラグが立てられ、誰にも気づかれることなく通過していった。誰も、その理由を説明できないままに。
ゼータは画面の端に映る佐伯家の宅配ボックスの状況データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家の宅配ボックスの空き状況も常に確保しておけ。居間に届く前に、必ず本人の手に渡るように」
「……了解した」
「いつものやつだ」
翌朝。
「お兄ちゃん、また通販? さっき変な茶封筒みたいな荷物が宅配ボックスに入ってたよ」
制服姿の妹・葵が、リビングのソファで寝転がる俺の顔を覗き込みながら言った。
「……え、もう届いたの?」
「うん。品名のところ『生活雑貨』ってしか書いてなかったから、何が入ってるのか全然分かんなかったけど」
俺は慌てて宅配ボックスまで確認しに行った。中には、確かに無地の質素な梱包に包まれた、あのフィギュアが収まっていた。中身がバレる要素は、どこにも見当たらなかった。
「……よし」
安堵の息を漏らす俺の横で、キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、ニュースでやってたわよ。世界中の物流会社で、荷物の梱包基準が一斉に見直されたって」
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「物流業界の常識を覆す一夜」だと語っている。
「なぜこのような基準変更が世界同時多発的に起きたのか、業界団体も原因を特定できていないとのことです」
神妙な顔をした専門家が「消費者のプライバシー意識の高まりへの対応」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、荷物が無事だったんならいいじゃん」
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、自室に戻って荷物の梱包を丁寧に解いた。誰にも見られることなく、無事にコレクションが一つ増えた瞬間だった。
窓の外では、世界中の物流網と税関システムが一夜にして塗り替わりつつあること――ある男が一つのカップ焼きそばの空容器への忠誠を胸に、姿を見せぬまま配下たちを動かしていたことなど、俺は知る由もなかった。




