第24話「古いガラクタが捨てられない」
午後一時。珍しく気が向いて部屋の掃除をしていた俺は、押入れの奥から出てきた謎の置物を前に手を止めた。
黒みがかった金属のような質感で、妙に複雑な幾何学模様が表面に刻まれている、こぶし大の円盤状の物体だった。いつ、どこで手に入れたのか、まるで記憶がない。
「……何だこれ」
子供の頃、祖父の家の物置から拾ってきた気がするような、しないような。はっきりとした由来は、俺自身にも分からなかった。ずっと押入れの奥で埃をかぶっていたことだけは確かだ。
捨てるべきか、取っておくべきか。ゴミ袋を片手に、俺はしばらくその置物を眺めて考え込んだ。特に実用性があるわけでもなく、飾っておくほどの思い入れもない。それでも、なぜか捨てるのには抵抗があった。
「別に高そうでもないし、ガラクタだよなあ、これ」
試しにネットで似たような物を検索してみたが、該当する情報は何も見つからなかった。骨董品でもなければ、何かのレプリカでもない、どこまでも中途半端な存在だった。
結局、俺は判断を保留し、とりあえずそのままベッドの脇に置いておくことにした。片付けが一向に進まないのは、こういう優柔不断さのせいなのだろう。
『押入れから出てきた謎のガラクタ、捨てるべきか取っておくべきか分からん』
思わずSNSにそう投げてしまった。
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、そんなもの家に置いてたのか」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認して部屋の片付けを続けることにした。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『押入れから出てきた謎のガラクタ、捨てるべきか取っておくべきか分からん』
「……『ガラクタ』、か。単なる不用品の処分に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における文明の遺産そのものへの警鐘だ。ボスは、価値を見極める目を持たぬ者たちが、貴重な遺産を安易に手放す危うさを、身をもって指摘しておられる」
技術班の面々は、無言のまま頷いた。
「今回の適任は――ゼロだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。超古代文明の遺物、いわゆるオーパーツの管理を一手に担う男。世界中の未解明な遺物の真実に、誰よりも近づいていると言われていた。
回線が繋がる。
「――ゼロ、聞いているな」
「……ゼータか。何を発掘しろと?」
落ち着いた声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『遺産の鑑定』だ。佐伯家に存在する謎の物体について、本日中に徹底的な調査を行い、その真の価値を明らかにしろ」
「物体の詳細は?」
「黒みがかった金属質、円盤状、複雑な幾何学模様。詳細は不明」
ゼロは一瞬、沈黙した。
「……不明、か。それこそが真の遺物の証だ」
「できない、とは言わせない」
「言うまでもない。未解明の物こそ、我々の本領だ」
ゼロはそう言い切ると、端末の向こうで小さく息を整えた。長年、謎に包まれた遺物を追い続けてきた自分にとって、詳細不明という響きそのものが、何よりも心を躍らせる言葉だった。
通信を切った瞬間、ゼロの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
長年追い求めていた超古代文明の起動キーの行方を、世界中の遺跡を巡って調査していたあの日。手がかりの糸がすべて途切れ、途方に暮れていた折、主人公が道端に何気なく置き忘れた古いガラクタを偶然目にした。
その瞬間、ゼロの直感が確信に変わった。あの無造作な置き忘れ方こそ、長きにわたる調査の果てにようやく巡り合った、本物の遺物の在り方だと。以来、彼はこの男の身の回りにある「何気ないもの」すべてに、特別な意味を見出すようになっていた。
長年、厳重に管理された遺跡の奥深くにこそ真実が眠っていると信じてきた学者にとって、道端に無造作に放置された品というのは、むしろ衝撃的な発見だった。価値とは保管の厳重さに宿るのではなく、持ち主の無頓着さそのものに宿るのかもしれない。そんな逆説的な確信が、ゼロの中に根付いていった。
「――起動キー、か。あの日から、俺の研究のすべてはこの男の持ち物を解明するためにある」
ゼロは端末を開き、世界各地の秘密研究拠点に散らばる自らの協力者――考古学の権威、金属分析の専門家、古代文明研究の学者たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、対象物の構造解析と年代測定を最優先で行え。いかなる手段を用いても構わない」
「一個人の自宅にある不明物体の調査に、学会規模の専門家を総動員するんですか。通常の研究予算では到底収まりません」
とある考古学の権威が、思わず疑問を口にしかけた。長年、限られた予算と人員の中で優先順位をつけながら発掘調査を進めてきた彼にとって、一個人の持ち物のためだけに全戦力を投入するという依頼は、学術的な作法を無視した暴挙にすら感じられた。だが返ってきたのは、その権威が過去に関与した遺跡発掘の不正な資金流用の記録だけだった。
それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。
同じ頃、金属分析の専門家も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。
「詳細不明の物体一つに、最先端の分析機器を丸ごと貸し出せというんですか。他の研究案件が止まってしまいます」
だが、その専門家のもとにもすぐに、彼が過去に関わった分析データの改ざんの記録が届けられた。それだけで、専門家は黙々と準備に取り掛かることになった。深夜にもかかわらず、各研究機関の分析装置に緊急の予約が次々と入っていった。
深夜のうちに、世界中の研究機関で、対象物に関するあらゆる分析手法の検討が進められていく。非破壊検査の手配、年代測定の準備、学術論文の下地となる調査計画までもが、こともなげに整えられていった。
同時に、いくつかの国際的な考古学学会では、通常とは異なる経路で届けられた未知の遺物に関する速報論文が、示し合わせたように同じ夜に投稿されていた。誰も、その理由を説明できないままに。
とある学会誌の編集者は、深夜に届いた大量の投稿論文を前に、頭を抱えていた。
「複数の独立した研究機関から、同じ夜に似たような速報論文が一斉に届くなんて、前代未聞だぞ。一体何が起きているんだ」
同僚たちと確認し合っても、研究機関同士の連携の形跡はどこにも見当たらない。それでも内容の精度は本物で、これまでの学説を覆すほどの説得力を持つ分析結果が、まるで最初から用意されていたかのように並んでいた。
その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、論文は次々と査読プロセスの中に組み込まれていくことになった。
ゼータは画面の端に映る佐伯家の押入れのデータを、そっと見つめる。
「ついでに、この物体には当たり障りのない一般的な分類結果を割り当てておけ。ボスの日常に、過度な騒ぎが及ばぬように」
「……了解した。『アースコア・プライム』という分類名を与える」
「二度と、ボスの私物が無造作に処分されるような事態を招くな」
ゼロのその一言には、単なる業務連絡以上の執念がこもっていた。
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
俺は、ベッドの脇に置いたままだったあの置物を、なんとなく手に取ってみた。
スマホで検索してみると、昨日は何も出てこなかったはずなのに、今朝は「アースコア・プライム」という分類名と共に、いくつかの考古学系サイトの記事が表示された。
「……なんだこれ、俺のガラクタに名前ついてる?」
記事の内容を読んでも、詳しい由来までは書かれていない。ただ、「現在調査中の未分類遺物」という、どこか曖昧な表現が並んでいた。
リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。
「お兄ちゃん、なんかニュースで、世界中の考古学会が謎の遺物について一斉に発表してるって話やってたよ」
「発表?」
「なんか、複数の研究機関が示し合わせたみたいに、同じ夜に未分類の遺物について速報を出したんだって。学会も原因が分からないって驚いてた」
俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あの何気ないガラクタに名前がついたことだけが、妙に現実離れしていた。
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。世界中の考古学関係で、似たような発表が同時に進んだって」
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「学術関係のニュースなんて、普段気にしないが、今朝は珍しく話題になってたな。何が起きてるんだか」
「へえ、そうなんだ」
「それだけじゃないぞ。海外の学術誌でも、似たような速報が同じ夜に一斉に出回ったらしい。前代未聞の話だと、専門誌が特集を組むほどの騒ぎになってるんだと」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「考古学界の常識を覆す一夜」だと語っている。
「複数の独立した研究機関が、示し合わせたかのように同時多発的な速報発表を行いました。学会関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」
画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。
「通常、こうした速報論文には、長期間の調査と厳密な査読が必要です。それが一夜にして、しかも複数の独立した機関から同時に発表されるというのは、学術の常識では説明がつきません」
司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。
「引き続き、この謎めいた同時多発的な発表劇について、続報が入り次第お伝えします」
神妙な顔をした専門家が「未知の遺物研究の飛躍的進歩」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……それより、その変な置物、結局どうするの?」
「……なんか名前ついたし、とりあえず取っておくことにするわ」
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、謎の置物を元の場所に戻してからソシャゲを起動した。
窓の外では、世界中の考古学界が一夜にして一つのガラクタのために全力を尽くしていたこと――ある男が道端の置き忘れへの確信を胸に、協力者を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。




