第23話「ガチャが爆死した」
午後九時。今日から始まった新イベントの限定ガチャに、俺は有り金ならぬ有り石をすべて注ぎ込んでいた。
普段やり込んでいるソシャゲ『星霜クロニクル』の、年に一度あるかないかの大型コラボ。目当てのキャラクターは、排出率わずか零コンマ数パーセントという、いつも通りの鬼畜仕様だった。
「……いける、いけるだろこれだけ回せば」
手持ちの石を全部注ぎ込んで、天井まであと一歩というところまで積み上げていたはずだった。だが、画面に流れていく演出は、ことごとく期待とは違う色を映し出す。
天井直前、最後の一回。息を止めて見守った画面には、既に何体も持っている低レアのキャラクターが、何の感動もなく表示された。
「……うそだろ」
積み上げてきた石も、天井までのカウントも、すべてが音を立てて崩れ去った瞬間だった。目当てのキャラクターは、結局一度も顔を見せないまま、ガチャは終了した。
「なんなんだよこれ、この確率設定おかしいだろ」
理不尽な怒りが、行き場もなくこみ上げてくる。運営に文句を言ったところで、確率はあくまで確率だと一蹴されるのが目に見えていた。それでも、この敗北感をどこかにぶつけたくて仕方なかった。
石を補充するために課金することも一瞬考えたが、財布の中身を思うと、そこまでの覚悟は湧いてこない。結局、俺はこの結果を受け入れるしかなかった。
『ガチャ爆死した。天井まで届かなかったとかマジで萎える』
思わずSNSにそう投げてしまった。
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、今日のイベントそんなに気合入れてたのか」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認してスマホを枕元に放った。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『ガチャ爆死した。天井まで届かなかったとかマジで萎える』
「……『爆死』、か。単なるソーシャルゲームの運不運に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における確率と資本の在り方そのものへの警鐘だ。ボスは、努力と対価が釣り合わぬ理不尽な構造に、警告を発しておられる」
技術班の面々は、無言のまま頷いた。
「今回の適任は――ウィスパーだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。金融市場やダークウェブの噂を一手に集める、情報屋の女帝。彼女が流す一言は、時に国家経済すら動かすと言われていた。
回線が繋がる。
「――ウィスパー、聞いているな」
「……ゼータ。今日はどんな噂を流せばいいのかしら」
艶のある声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『爆死の是正』だ。該当するソーシャルゲーム運営会社の確率表記と排出設計を、本日中に見直させろ」
「ガチャの排出率に、わたくしの情報網を使えというの? まあ、面白いこと」
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、ウィスパーはくすりと笑った。
「――いいわ。少し噂を流すだけで、業界なんてどうとでもなるもの」
ウィスパーはそう答えると、暗がりの中で薄く笑った。長年、国家の経済政策すら陰で左右してきた自分にとって、一つのゲーム会社を動かすことなど造作もない。だが、この依頼に限っては、いつも以上に丁寧に事を進めたい気持ちがあった。
通信を切った瞬間、ウィスパーの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
主人公が掲示板に残した、たった一言の愚痴。「ガチャ爆死した」。それを目にしたウィスパーは、独自の(そして誰にも検証されていない)情報分析にかけ、こう結論づけた。これは単なる個人の不運ではなく、世界経済そのものの崩壊を予言する暗号なのだと。
彼女がその「予言」をほんの一言、信頼する筋に漏らしただけで、複数の金融機関が疑心暗鬼に陥り、一時的な市場の混乱すら引き起こした。その威力を目の当たりにして以来、ウィスパーはこの男の発する言葉すべてに、特別な意味を見出すようになっていた。
長年、他人の言葉を操ることにばかり長けてきた自分にとって、たった一言でここまでの波紋を広げる存在というのは、畏怖に値する発見だった。あの日以来、彼女はこの男の呟き一つ一つを、何よりも重要な一次情報として扱っている。
「――暗黒予言、か。あの日から、わたくしの情報網はこの男の言葉を解読するためにある」
ウィスパーは端末を開き、世界中に張り巡らせた自らの情報網――ゲーム業界の内部関係者、消費者庁に顔の利く協力者、各国の景品表示法に詳しい弁護士たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、該当するガチャの確率設計と表記の実態を洗いざらい調べ上げて。都合の悪い部分があれば、本日中に是正させなさい」
「一つのソーシャルゲームの確率表記のために、ここまでの規模の調査をするんですか。うちの本業にも影響が出ますが」
とあるゲーム業界の内部関係者が、思わず疑問を口にしかけた。長年、業界の慣習として黙認されてきたグレーな運用に、今更本格的なメスを入れるという話に、戸惑いを隠せない様子だった。だが返ってきたのは、その関係者が過去に関与した確率操作の隠蔽工作の記録だけだった。
それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。
同じ頃、景品表示法に詳しい弁護士も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。
「一夜で業界全体の表記基準を見直せというんですか。法改正並みの大仕事ですよ」
だが、その弁護士のもとにもすぐに、彼が過去に関わった不当表示事件のもみ消しの記録が届けられた。それだけで、弁護士は黙々と資料作成に取り掛かることになった。深夜にもかかわらず、各ゲーム会社の法務部門に緊急の是正勧告が次々と送られていった。
深夜のうちに、世界中のソーシャルゲーム業界で、確率表記の見直しが静かに進められていく。曖昧にされてきた天井の仕様や、実際の排出率との乖離が、こともなげに是正されていった。
同時に、いくつかの国の消費者保護団体では、通常とは異なる経路で届けられたガチャ関連の不透明な表記に関する告発資料が、示し合わせたように同じ夜に一斉に提出されていた。誰も、その差出人を特定できないままに。
とある消費者保護団体の担当者は、深夜に届いた大量の告発資料を前に、頭を抱えていた。
「これだけ具体的で証拠の揃った告発資料、普通の内部告発じゃ絶対に作れないぞ。一体どこから来たんだ」
同僚たちと確認し合っても、差出人の見当すらつかなかった。それでも内容の精度は本物で、これまで業界内でも噂に過ぎなかった不透明な運用実態が、まるでプレゼントのように一覧化されていた。
その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、資料は次々と業界への改善要求へと活用されていくことになった。
ゼータは画面の端に映る『星霜クロニクル』の運営会社データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家が課金したこのゲームについては、今後の排出率を常に適正な水準に保たせておけ」
「……分かったわ」
「二度と、ボスに爆死などという言葉を言わせはしない」
ウィスパーのその一言には、単なる業務連絡以上の執着がこもっていた。
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
俺は、昨夜の敗北感をまだ引きずったまま、なんとなくゲームを開いてみた。
「……あれ?」
運営からのお知らせに、見覚えのない文面が並んでいる。「排出率に関する表記の見直しと、プレイヤーの皆様への補填について」という、これまで見たことのない内容だった。
詳細を読んでみると、どうやら確率設計に不透明な部分があったとして、全プレイヤーに対して天井までの距離を短縮する補填と、無料ガチャチケットの配布が行われるらしい。
「うそだろ、こんなのあるのかよ」
半信半疑のまま配布されたチケットを使ってみると、何度か回したところで、あれほど出なかったはずの目当てのキャラクターが、あっさりと画面に表示された。
リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。
「お兄ちゃん、なんかニュースで、ソシャゲ業界のガチャ規制が一斉に強化されたって話やってたよ」
「規制?」
「なんか、複数のゲーム会社が示し合わせたみたいに、同じ夜に確率表記の見直しをしたんだって。業界団体も原因が分からないって驚いてた」
俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり手に入ったあのキャラクターの存在だけが、妙に現実離れしていた。
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。ゲーム業界全体で、似たような見直しが同時に進んだって」
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「経済ニュースでも、関連株がちょっと動いたとかで取り上げてたな。何が起きてるんだか」
「へえ、そうなんだ」
「それだけじゃないぞ。海外のゲーム業界でも、似たような見直し情報が同じ夜に一斉に出回ったらしい。前代未聞の話だと、業界紙が特集を組むほどの騒ぎになってるんだと」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「ゲーム業界の常識を覆す一夜」だと語っている。
「複数の独立したゲーム会社が、示し合わせたかのように同時多発的な表記見直しを実行しました。業界関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」
画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。
「通常、この規模の表記見直しと補填対応には、法務的な調整だけでも数ヶ月かかります。それが一夜にして、しかも複数の独立した企業から同時に発表されるというのは、業界の常識では説明がつきません」
司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。
「引き続き、この謎めいた同時多発的な見直し劇について、続報が入り次第お伝えします」
神妙な顔をした専門家が「消費者保護意識の飛躍的向上」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、目当てのキャラ出たならよかったじゃん」
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、ようやく手に入れたキャラクターを愛でながらソシャゲを起動した。
窓の外では、世界中のソーシャルゲーム業界が一夜にして是正の波に沸いていたこと――ある女が一つの愚痴に込めた予言めいた確信を胸に、情報網を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。手に入れたキャラクターの演出だけが、昨夜の敗北感を忘れさせてくれるほど鮮やかだった。




