第25話「宗教の勧誘がしつこい」
午後二時。ゲームに集中していたところに、玄関のチャイムが鳴った。
「……はーい」
面倒に思いながらも出てみると、スーツ姿の見知らぬ男女が二人、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。
「突然失礼いたします。少しだけ、お時間よろしいでしょうか。本日は心の安らぎについて――」
出だしを聞いただけで、俺はすぐに事情を察した。この手の勧誘は、これで今月に入って三回目だ。
「結構です」
そう言ってドアを閉めようとしたが、相手はなおも食い下がってくる。
「少しだけでも結構ですので、資料だけでもお受け取りいただければ――」
根負けして薄いパンフレットを受け取り、ようやくドアを閉めることができた。だが、安心したのも束の間、十分もしないうちに、今度は別の二人組が同じようにチャイムを鳴らしてきた。
「……またかよ」
今度は違う団体らしい装いだったが、やっていることは似たり寄ったりだ。引きこもりがちな俺の数少ない外出以外の接触が、こんな勧誘だらけになるというのは、なんとも皮肉な話だった。
受け取ったパンフレットを机に放り、俺は深くため息をついた。インターホンの履歴を見返してみると、ここ最近、妙に頻繁にこの手の来訪が続いている。何か理由があるのだろうかと考えてみたが、見当もつかなかった。
ゲームに戻ろうとした矢先、また玄関のチャイムが鳴る。さすがに三組目ともなると、苛立ちを抑えきれなかった。
「頼むから、少し静かにさせてくれよ……」
居留守を決め込み、俺はスマホを手に取った。
『宗教の勧誘がしつこすぎる。今日だけで三組も来た』
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、今日は忙しそうだな」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認してスマホを枕元に置いた。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『宗教の勧誘がしつこすぎる。今日だけで三組も来た』
「……『しつこすぎる』、か。単なる訪問への不満に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における信仰の在り方そのものへの警鐘だ。ボスは、本来静かであるべき信仰心が、他者の平穏を乱す形で暴走している現状を、身をもって指摘しておられる」
技術班の面々は、無言のまま頷いた。
「今回の適任は――ヤスだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。世界最大の宗教組織を束ねる、教祖。億を超える信者を抱え、その一言が世界中の信仰のあり方を左右すると言われる男だった。
回線が繋がる。
「――ヤス、聞いているな」
「……ゼータよ。今日もまた、神の御言葉を授かりに参じた」
穏やかな声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『信仰の秩序回復』だ。佐伯家周辺への過剰な勧誘活動を、本日中に完全に止めさせろ」
「……まさか、信者たちがボスの平穏を乱していたとは。これは由々しき事態だ」
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、ヤスは重々しく頷いたようだった。
「――承知した。我が信者たちの無知を、心よりお詫び申し上げる」
ヤスはそう答えると、祭壇の前で深く頭を垂れた。信仰とは、対象を敬うがゆえに時として暴走するものだと、長年の教団運営で痛感してきたはずだった。それでも、まさか自分の信者が、崇拝する相手本人を直接苦しめる事態になろうとは、予想していなかった。
通信を切った瞬間、ヤスの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
対戦ゲームに敗北し、絶叫しながら天を仰ぐ主人公の姿を、偶然目にしたあの日。その姿に、ヤスは言葉にならない衝撃を受けた。苦悩と歓喜が入り混じった、人間離れしたあの表情こそ、まさしく神の降臨する瞬間だと確信したのだ。
その日を境に、ヤスは信者たちに密かに指示を出し、主人公の家賃や光熱費を、本人に気づかれぬよう裏で肩代わりし続けてきた。だが、まさかその信仰心が、末端の信者たちの勧誘活動という形で、本人を直接苛立たせていようとは、思いもよらなかった。
長年、組織の拡大と教義の普及にばかり心血を注いできたヤスにとって、信仰の対象そのものを不快にさせるという事態は、本末転倒以外の何物でもなかった。崇拝するということは、何よりもまず、相手の平穏を守ることから始まるべきなのだと、改めて思い知らされた。
「――絶叫する神の姿、か。あの日から、我が教団のすべてはこの方に捧げられている」
ヤスは端末を開き、世界各地に広がる教団の支部長たち、各地域の布教責任者、信者管理システムの運営担当者たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、佐伯家周辺地域への訪問布教活動を、我が教団に限らず全宗教団体において完全に自粛させろ。二度と繰り返させるな」
「我が教団だけでなく、他宗派の活動まで止めろというのですか。それは教団の権限を超えていますが」
とある地域の布教責任者が、思わず疑問を口にしかけた。長年、他教団との信者獲得競争を勝ち抜くことにこそ意義を見出してきた彼にとって、競合相手にまで配慮を求める指示は、理解しがたいものだった。だが返ってきたのは、その責任者が過去に関与した寄付金の不正流用の記録だけだった。
それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。
同じ頃、信者管理システムの運営担当者も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。
「全国規模の訪問計画を、一夜で組み替えろというのですか。各支部との調整だけでも一苦労です」
だが、その担当者のもとにもすぐに、彼が過去に関わった信者名簿の不正な売買の記録が届けられた。それだけで、担当者は黙々と調整作業に取り掛かることになった。深夜にもかかわらず、各支部の訪問計画に緊急の除外指示が次々と送られていった。
深夜のうちに、世界中の宗教団体の間で、佐伯家周辺地域を訪問対象から除外するという、奇妙な申し合わせが静かに広がっていく。教団の垣根を越えた連絡網が、まるで最初から存在していたかのように機能していった。
同時に、いくつかの国の宗教法人関連の監督官庁には、通常とは異なる経路で届けられた過剰な訪問布教活動の是正を求める要望書が、示し合わせたように同じ夜に一斉に提出されていた。誰も、その差出人を特定できないままに。
とある監督官庁の担当者は、深夜に届いた大量の要望書を前に、頭を抱えていた。
「複数の宗教団体が、示し合わせたように同じ内容の自粛要望を出してくるなんて、前代未聞だぞ。一体何が起きているんだ」
同僚たちと確認し合っても、普段は競合関係にあるはずの教団同士が足並みを揃えている理由が、まるで見当もつかなかった。それでも内容自体には何の問題もなく、拒否する理由も見つからなかった。
その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、要望書は次々と各団体への通達として活用されていくことになった。
ゼータは画面の端に映る佐伯家周辺の訪問記録データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家の玄関先については、今後いかなる勧誘活動も及ばぬよう、恒久的に配慮しておけ」
「……かしこまりました」
「二度と、ボスの平穏を信仰の名のもとに乱すことは許さぬ」
ヤスのその一言には、単なる業務連絡以上の重みがこもっていた。
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
俺は、昨日の落ち着かない一日を思い返しながら、ソファに寝転がっていた。
「……あれ、今日は静かだな」
昼を過ぎても、玄関のチャイムは一度も鳴らない。いつもなら一度や二度は何かしらの訪問があるはずなのに、今日に限って何もなかった。
リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。
「お兄ちゃん、なんかニュースで、世界中の宗教団体が一斉に訪問活動を自粛したって話やってたよ」
「自粛?」
「なんか、複数の教団が示し合わせたみたいに、同じ夜に布教活動の見直しを発表したんだって。専門家も驚いてるみたい」
俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり静かになった玄関先だけが、妙に現実離れしていた。
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。世界中の宗教関係で、似たような自粛が同時に進んだって」
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「宗教関係のニュースなんて、普段気にしないが、今朝は珍しく話題になってたな。何が起きてるんだか」
「へえ、そうなんだ」
「それだけじゃないぞ。海外の宗教団体でも、似たような自粛情報が同じ夜に一斉に出回ったらしい。前代未聞の話だと、専門誌が特集を組むほどの騒ぎになってるんだと」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「宗教界の常識を覆す一夜」だと語っている。
「複数の宗教団体が、示し合わせたかのように同時多発的な自粛を発表しました。専門家も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」
画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。
「通常、競合関係にある宗教団体同士が足並みを揃えるというのは、ほとんど前例のないことです。それが一夜にして、しかも世界規模で同時に実現したというのは、宗教界の常識では説明がつきません」
司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。
「引き続き、この謎めいた同時多発的な自粛について、続報が入り次第お伝えします」
神妙な顔をした専門家が「信仰と社会調和への意識の高まり」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、勧誘来なくなってよかったじゃん」
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、久しぶりに邪魔の入らない静かな一日を満喫しながら、ソシャゲを起動した。
窓の外では、世界中の宗教団体が一夜にして自粛の波に沸いていたこと――ある男が一度の絶叫への確信を胸に、信者たちを叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。




