第20話「ゴミ出しのルールを守らない奴がいる」
午前八時。珍しく早起きしてゴミを出しに行った俺は、収集所の前で思わず顔をしかめた。
いつもの収集所に、明らかに分別されていない袋が何個も放置されている。燃えるゴミの日だというのに、ペットボトルや缶が透けて見える袋が平然と積まれていた。
「……またかよ」
これで三回目だ。ここ最近、決まったように分別無視のゴミが混じっている。近所の誰かの仕業なのは間違いないが、顔も名前も分からない以上、文句の言いようがない。
収集日を守らない時点でもマナー違反だが、分別まで無視されると、他の住民にまで迷惑がかかる。カラスに荒らされた形跡もあり、収集所周辺は見るに堪えない有様になっていた。散乱したゴミの臭いが、朝の空気にまで漂っているような気さえした。
町内会の掲示板にも、再三「分別の徹底」を呼びかける貼り紙がされているが、効果はまるでない様子だった。
自分のゴミ袋をそっと置きながら、俺は深くため息をついた。せっかく早起きして気分良く出かけてきたのに、これでは台無しだ。
「誰だよ、こんなことする奴……」
犯人を特定する手立てもなく、ただ苛立ちだけが募っていく。防犯カメラでもあれば話は別だろうが、この住宅街にそんな洒落たものは設置されていない。
家に戻る道すがら、俺はスマホを取り出した。
『ゴミ出しのルール守らない奴がいて迷惑。分別無視の袋ばっかり置いてある』
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前、朝からちゃんとゴミ出しに行ったのか」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認してスマホをポケットにしまった。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『ゴミ出しのルール守らない奴がいて迷惑。分別無視の袋ばっかり置いてある』
「……『迷惑』、か。単なる近隣トラブルに見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における秩序と規律そのものへの警鐘だ。ボスは、共同体の約束事を踏みにじる者の存在を、断じて許してはおられない」
技術班の面々は、無言のまま頷いた。
「今回の適任は――タイタンだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気が明らかに張り詰めた。世界中の戦場を渡り歩く、傭兵王。彼が率いる部隊が動いた紛争地帯は、例外なく短期間で平定されてきたと言われている男だった。表向きは国際的な警備会社の経営者として知られているが、その実態を知る者はほとんどいない。
回線が繋がる。
「――タイタン、聞いているな」
「……ゼータか。今日の戦場はどこだ」
重々しい声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『秩序の防衛』だ。佐伯家周辺のゴミ収集所における規律違反者を、本日中に特定し、二度と違反できぬよう対処しろ」
「ゴミ収集所の規律違反に、この俺を? ……面白い戦場だな」
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、タイタンは低く笑った。
「――いいだろう。どんな小さな戦でも、負けるつもりはない」
タイタンはそう答えると、執務室の壁に飾られた無数の勲章を一瞥した。国家規模の紛争を幾度となく制してきた自分にとって、ゴミ収集所の規律違反というのは、これまでで最も小さな戦場かもしれない。だが、戦場の規模と、懸ける気迫の大きさは、決して比例するものではなかった。
通信を切った瞬間、タイタンの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
とある紛争地帯での作戦行動中、たまたま立ち寄った住宅街で、主人公がゴミ出しのついでに何気なく放り投げた、重い燃えるゴミ袋。それが物理法則を無視したかのように、足元で見事に直立した瞬間を目撃した。
いかなる訓練された兵士の立ち振る舞いにも見られない、静かで圧倒的な威圧感。タイタンはその光景に、言葉を失うほどの衝撃を受けた。あの一挙手一投足には、長年の戦場経験で培った自分の感覚すら凌駕する、無言の武力が宿っていたのだと。
長年、怒号と銃声の飛び交う最前線でしか己の価値を見出せずにいたタイタンにとって、あの静寂の中の威圧は、まったく新しい次元の強さだった。力とは、声を荒げずとも示せるものなのだと、初めて思い知らされた瞬間でもあった。
「――無言の武力威圧、か。あの日から、俺の忠誠はこの男に捧げられている」
タイタンは端末を開き、世界中に展開する自らの部隊――地域防犯の専門家、監視システムの技術者、自治体の環境部門に顔の利く協力者たちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、佐伯家周辺のゴミ収集所に高性能な監視機器を設置しろ。違反者を特定し、二度と違反できぬよう然るべき措置を講じろ」
「たかが近隣のゴミ問題に、専門の監視機器を投入しろというんですか。予算も人員も見合いません」
とある地域防犯の専門家が、思わず疑問を口にしかけた。長年、企業や公共施設の重要なセキュリティばかりを手掛けてきた彼にとって、一つの住宅街のゴミ問題という規模の小ささは、些か拍子抜けするものだった。だが返ってきたのは、その専門家が過去に関与した不正な監視システムの横流しの記録だけだった。
それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。
同じ頃、自治体の環境部門の担当者も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。
「一つの収集所のためだけに、特別な巡回体制を敷けというんですか。他の地域とのバランスが取れません」
だが、その担当者のもとにもすぐに、彼が過去に見逃していた不法投棄業者との癒着の記録が届けられた。それだけで、担当者は黙々と体制の整備に取り掛かることになった。深夜にもかかわらず、現場への緊急の資材搬入と人員配置が次々と手配されていった。
深夜のうちに、佐伯家周辺のゴミ収集所に、目立たない小型の監視カメラが静かに設置されていく。同時に、近隣一帯の分別ルールを徹底させるための啓発活動も、こともなげに強化されていった。
同時に、いくつかの自治体では、長年放置されてきた不法投棄問題への対応マニュアルが、示し合わせたように同じ夜に一斉に刷新されていた。誰も、その理由を説明できないままに。
とある自治体の清掃担当者は、深夜に届いた詳細な対応マニュアルを前に、頭を抱えていた。
「これだけ具体的で実効性のあるマニュアル、普通の行政文書じゃ絶対に作れないぞ。一体どこから来たんだ」
同僚たちと確認し合っても、発行元の部署がどこにも見当たらない。それでも内容の精度は本物で、長年悩まされてきた不法投棄の実例に基づいた、驚くほど実践的な対応策が網羅されていた。
その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、マニュアルは次々と現場に導入されていくことになった。
ゼータは画面の端に映る佐伯家周辺の収集所データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家が出すゴミについては、常に最も清潔な収集環境が保たれるよう配慮しておけ」
「……了解した」
「二度と、ボスの朝を不快な光景で汚させるな」
タイタンのその一言には、単なる業務連絡以上の重みがこもっていた。
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
俺は、いつもより少し早起きして、ゴミを出しに向かった。
収集所に着くと、昨日まであれほど荒れていたはずの場所が、見違えるほど綺麗に整頓されている。分別違反の袋も、カラスに荒らされた形跡も、どこにも見当たらなかった。
「……あれ、綺麗になってる」
隅の方には、見慣れない小さな箱のようなものが設置されているのに気づいた。防犯カメラらしきそれは、いつの間に取り付けられたのか見当もつかない。
リビングに戻ると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。
「お兄ちゃん、なんかニュースで、全国の自治体がゴミ収集所の対策を一斉に強化したって話やってたよ」
「強化?」
「なんか、複数の自治体が示し合わせたみたいに、同じ夜に監視体制とか啓発活動を一気に見直したんだって。業界団体も驚いてるみたい。しかも一つの自治体だけじゃなくて、全国で同時にって言うから、余計に不気味だよね」
俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり綺麗になった収集所の様子だけが、妙に現実離れしていた。
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。全国的にゴミ出しのマナー対策が同時に進んだって」
母さんは首をかしげながら、朝食の準備を続けていた。
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「町内会の掲示板にも、新しい注意書きが貼ってあったな。いつの間に変わったんだか」
「へえ、そうなんだ」
「それだけじゃないぞ。隣の町内会でも、同じような話を聞いたらしい。前代未聞の一斉強化だって、回覧板にまで書かれてたよ」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「廃棄物行政の常識を覆す一夜」だと語っている。
「複数の自治体が、示し合わせたかのように同時多発的な対策強化を実行しました。関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」
画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。
「通常、この規模の体制整備には、予算審議や議会承認など長い手続きが必要です。それが一夜にして、しかも全国規模で同時に実現したというのは、行政の常識では説明がつきません」
司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。
「引き続き、この謎めいた同時多発的な対策強化について、続報が入り次第お伝えします」
神妙な顔をした専門家が「地域防犯意識の飛躍的向上」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、収集所綺麗になってよかったじゃん」
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、すっきりした気分でソシャゲを起動した。朝からあれほど気分を沈ませていた出来事が解決したというだけで、一日の始まりがこんなに違って見えるものなのかと、自分でも少し驚いていた。
収集所がまた荒れることはないだろうという、根拠のない確信めいたものが胸の中にあった。もっとも、その確信の裏にどれほど大掛かりな出来事が起きていたかなど、俺には知る由もなかったのだが。
窓の外では、世界中の秩序を守る男が一夜にして一つのゴミ収集所のために全力を尽くしていたこと――あるゴミ袋が直立した一瞬への忠誠を胸に、部隊を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。綺麗になった収集所の景色だけが、いつもと違う清々しい朝を告げていた。




