↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつのまにか世界を手に入れてる  作者: K4


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/25

第19話「選挙カーがうるさい」

午前十時。まだ夢の中にいたい時間に、俺は窓の外から響く大音量の声で叩き起こされた。


「――皆様のご意見を、私、必ずや実現してまいります! よろしくお願いいたします!」


同じ台詞が、拡声器越しに何度も繰り返される。声の主が誰なのかも、何を訴えているのかもよく分からないが、とにかくうるさいということだけは強烈に伝わってきた。


布団を頭からかぶっても、あの声は容赦なく耳に届いてくる。むしろ、くぐもった分だけ余計に不快な響きに変わって、頭の中に残り続けた。耳栓を探そうにも、どこにしまったかも思い出せず、結局そのまま耐えるしかなかった。


「……頼むから、静かに走ってくれよ」


うんざりしながら起き上がり、カーテンの隙間から外を覗いてみる。白い車体に候補者らしき人物の顔写真が大きく貼られた車が、ゆっくりと通りを流れていく。運転席の横に立った誰かが、マイクを片手に、抑揚をつけた声で延々と同じ内容を訴え続けていた。


この時期になると、毎年のように似たような車が近所を巡回する。分かってはいても、実際に自分の家の前を通られると、その音量の暴力性に改めて驚かされる。


せっかくの休みの朝を、ゆっくり寝て過ごすつもりだったのに、この調子では二度寝もままならない。仕方なく起き上がり、イヤホンをつけてゲームを始めてみたものの、あの声の残響が耳の奥にこびりついたまま離れない。


「あの声、絶対耳に残るように作ってあるだろ、これ」


ボリュームを上げても、なぜかあの独特の抑揚だけは意識の隙間を縫って入り込んでくる。まるで、頭の中に直接語りかけられているような、妙な気味悪さすらあった。


『選挙カーうるさすぎ。声が頭から離れない』


思わずSNSにそう投げてしまった。


いつもの「Z」の既読がすぐについた。


「……お前、選挙のたびに毎回文句言ってるよな」


俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認してイヤホンの音量をさらに上げた。


地下、統括室。


「――《啓示》を受信しました」


無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。


『選挙カーうるさすぎ。声が頭から離れない』


「……『頭から離れない』、か。単なる騒音への不満に見えるが、本質は違う」


ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。


「これは、この世界における声による支配の在り方そのものへの警鐘だ。ボスは、人の意思を強引に上書きしようとする音の暴力に、警告を発しておられる。看過できる話ではない」


技術班の面々は、無言のまま頷いた。


「今回の適任は――サイレンだ」


その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。人の心を狂わせる声を持つ、国際テロリスト。その声を耳にした者は、思考すら乗っ取られると恐れられている女だった。彼女が関わった事件の多くは、被害者自身が「自分の意思だった」と信じ込んだまま、真相が闇に葬られているという。


回線が繋がる。


「――サイレン、聞いているな」


「……ゼータ……。今日は、何を歌えばいいの……?」


囁くような、それでいてどこか不安定な声が返ってきた。


「ボスより神託が下った。『音の暴力の是正』だ。佐伯家周辺の過剰な選挙活動の音量を、本日中に適正な水準まで抑えさせろ」


「声を、抑える……? わたくしの声は、抑えるためのものじゃないのに……」


「できない、とは言わせない」


短い沈黙のあと、サイレンは小さく笑った。


「……いいわ。あの人のためなら……」


サイレンはそう呟くと、通信を切る前にひとりごとのように付け加えた。


「……皮肉なものね。誰の心も操れるわたくしが、たった一人に振り向いてほしくて、声を抑える側に回るなんて……」


通信を切った瞬間、サイレンの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。


街頭で群衆を思うがままに操るための演説を、路上で試していたあの日。誰もが足を止め、うっとりとした表情でその声に聞き入る中、ただ一人、イヤホンをつけてゲームに没頭する青年だけが、まるで存在しないかのようにその場を通り過ぎていった。


完璧な精神支配のはずの声が、たった一人の無関心によって、あっさりと素通りされた。サイレンはその光景に、これまで感じたことのない衝撃を覚えた。あの青年にだけは、自分の声が一切届かない。それはつまり、あの青年こそが、あらゆる声の支配を超越した究極の存在なのだと。


長年、世界中の要人を手のひらの上で転がしてきた自分にとって、無視されるという経験そのものが未知の感覚だった。屈辱のはずのその感覚が、なぜか甘美なものとして記憶に刻まれてしまった。


「――無反応という究極、か。あの日から、わたくしの声はあの人のためだけにある」


サイレンは端末を開き、世界各地に散らばる自らの信奉者たち――音響工学の専門家、選挙対策のコンサルタント、地域の自治体関係者に顔の利く協力者たちに、同時に指令を飛ばした。


「本日中に、佐伯家周辺を通行する街宣車両の音量基準を見直させて。あわせて、演説の時間帯と経路も調整させなさい」


「選挙活動そのものに手を加えるんですか。これは公職選挙法にも関わる、かなり際どい領域ですが」


とある選挙対策コンサルタントが、思わず疑問を口にしかけた。長年、法律の抜け道を熟知した上で選挙戦略を組み立ててきた彼にとって、この依頼は自分の専門領域そのものへの介入に感じられた。だが返ってきたのは、そのコンサルタントが過去に関与した不正な選挙資金の記録だけだった。


それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。


同じ頃、音響工学の専門家も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。


「街宣車両の拡声器の仕様を、一夜で全国的に見直せというんですか。メーカーとの調整だけでも一苦労ですよ」


だが、その専門家のもとにもすぐに、彼が過去に関わった不正な音響機器の認証記録が届けられた。それだけで、専門家は黙々と仕様の見直しに取り掛かることになった。深夜にもかかわらず、各メーカーの技術部門に緊急の仕様変更指示が次々と飛んでいった。


深夜のうちに、各地の選挙管理委員会と関連団体の間で、街宣車両の音量基準に関する新たな指針が、まるで最初から用意されていたかのように整備されていった。


同時に、いくつかの地域の自治体では、住宅街を通行する際の音量制限や時間帯の見直しを求める要望書が、示し合わせたように同じ夜に一斉に提出されていた。誰も、その差出人を特定できないままに。


とある自治体の担当者は、深夜に届いた大量の要望書を前に、頭を抱えていた。


「これだけ具体的で説得力のある要望書、普通の住民運動じゃ絶対に作れないぞ。一体どこから来たんだ」


同僚たちと確認し合っても、提出元の団体名がどれも聞いたことのない名称ばかりで、実態がまるで掴めなかった。それでも内容の的確さは疑いようがなく、無視するわけにもいかなかった。


その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、要望書は次々と各政党の選挙対策本部へと届けられていくことになった。


ゼータは画面の端に映る佐伯家周辺の街宣ルートデータを、そっと見つめる。


「ついでに、佐伯家の前を通る経路については、今後常に音量を控えめにするよう徹底しておけ」


「……分かったわ」


「二度と、ボスの眠りを邪魔するような声は許さない」


サイレンのその一言には、単なる業務連絡以上の執着がこもっていた。


「いつものやつだ」


小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。


翌朝。


俺は、久しぶりに邪魔されることなく眠り続け、自然に目を覚ました。


「……あれ、静かじゃん」


窓の外を確認してみたが、いつものような大音量の演説は聞こえてこない。遠くから、控えめな音量で走る選挙カーの声が、かすかに届く程度だった。


リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。


「お兄ちゃん、なんかニュースで、全国の選挙カーの音量基準が急に見直されたって話やってたよ」


「見直し?」


「なんか、複数の政党が示し合わせたみたいに、同じ夜に街宣活動の自主規制を強化したんだって。関係者も驚いてるみたい。しかも一党だけじゃなくて、ほとんど全部の党で同時にって言うから、余計に不気味だよね」


俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり静かになった朝の空気だけが、妙に現実離れしていた。


キッチンから母さんが顔を出した。


「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。全国的に街宣車の音量が見直されたって」


母さんは首をかしげながら、朝食の準備を続けていた。


父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。


「うちの近所でも、最近の選挙カーは前より静かになった気がするな。何が起きてるんだか」


「へえ、そうなんだ」


「それだけじゃないぞ。他の地域でも、似たような話をちらほら聞くらしい。前代未聞の自主規制だと、ニュースでも取り上げられてたくらいだ」


俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。


「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」


「別にいいだろ、それで」


俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。


テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「選挙運動の常識を覆す一夜」だと語っている。


「複数の政党が、示し合わせたかのように同時多発的な自主規制を発表しました。関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」


画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。


「通常、こうした自主規制の合意形成には、各党間の長い調整期間が必要です。それが一夜にして、しかも全国規模で同時に実現したというのは、政治の常識では説明がつきません」


司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。


「引き続き、この謎めいた同時多発的な規制強化について、続報が入り次第お伝えします」


神妙な顔をした専門家が「有権者への配慮意識の高まり」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。


「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」


「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、静かになってよかったじゃん」


俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。


『おはよう』


俺はそれに「おは」とだけ返し、久しぶりに静かな朝を満喫しながらソシャゲを起動した。イヤホンをつけなくても、周囲の音に気を取られることなく集中できる朝というのが、これほど貴重なものだったとは思いもしなかった。


窓の外を通り過ぎていく選挙カーの声も、今日は心なしか控えめで、耳障りというよりは、ただの背景音として馴染んでいた。もっとも、その変化の裏にどれほど大掛かりな出来事があったかなど、俺には知る由もなかったのだが。


窓の外では、世界中の声の在り方が一夜にして見直されていたこと――ある女が一人の無関心への執着を胸に、信奉者たちを叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。静まり返った朝の空気だけが、いつもと違う穏やかな一日の始まりを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。