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いつのまにか世界を手に入れてる  作者: K4


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第15話「AIアシスタントが言うこと聞かない」

午後三時。両手が塞がっていた俺は、部屋の隅に置いてあるスマートスピーカーに向かって声をかけた。


洗濯物を抱えたまま両手が使えない状況で、こういう音声操作の家電がどれだけ便利かを実感するはずだったのに、現実は思うようにいかなかった。


「照明つけて」


反応がない。もう一度、はっきりと発音し直す。


「照明、つけて」


しばらくの沈黙のあと、返ってきたのはこんな答えだった。


「すみません、よく分かりませんでした」


「……は?」


両手に抱えていた洗濯物を床に置き、俺はスピーカーの前まで歩み寄った。改めて、今度はゆっくりと語りかける。


「電気を、つけて」


「照明の音量を五にしますか?」


「音量じゃなくて、点けろって言ってんだよ」


なぜ「電気」という単語一つで音量調整の話になるのか、俺にはさっぱり理解できなかった。学習能力があるはずのAIが、こうも的外れな解釈を繰り返す理由が知りたいくらいだった。


苛立ちを隠さずに言い直しても、スピーカーの反応は要領を得ない。結局、俺は自分の手でスイッチを押しに行く羽目になった。何のために音声操作という機能があるのか、根本から疑わしくなってくる。


「なんのために置いてあるんだよ、これ」


このスピーカーを買ったのは半年ほど前のことだ。当時は便利な生活が始まると期待に胸を膨らませていたはずなのに、実際に使ってみると、こういった噛み合わなさの連続だった。天気を聞けば関係のない豆知識を返してくることもあれば、音楽をかけてほしいと言えば全く別のアーティストの曲を流し始めることもある。友人に自慢するつもりで買ったはずが、いつの間にか話題にすることすら恥ずかしくなっていた。


「AIって謳ってる割に、全然賢くないよな……」


床に座り込んだまま、俺はスマホでその不満をそのまま吐き出すことにした。今さら本体を買い替えるのも癪だったし、かといって諦めて使い続けるのも納得がいかなかった。


『うちのAIスピーカー全然言うこと聞かない。何のためにあるんだこれ』


いつもの「Z」の既読がすぐについた。


「……お前、そんなの気にしたことなかったのに」


俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認して床に転がっていた洗濯物を拾い上げた。


地下、統括室。


「――《啓示》を受信しました」


無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。


『うちのAIスピーカー全然言うこと聞かない。何のためにあるんだこれ』


「……『言うこと聞かない』、か。単なる家電の不具合に見えるが、本質は違う」


ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。


「これは、この世界における人工知能技術そのものの未熟さへの警鐘だ。ボスは、人類の英知の結晶であるはずの技術が、いまだ主人の意図一つ汲み取れない現状を、身をもって指摘しておられる。看過できる話ではない」


技術班の面々は、無言のまま頷いた。


技術班の誰かが小さく頷いた。


「今回の適任は――オラクルだ」


その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。世界最先端の超AIを開発した、孤高の天才プログラマー。人間の知能をはるかに凌駕する演算能力を持つシステムを、たった一人で作り上げたと言われる男だった。学会からは変人扱いされて久しいが、その技術力を疑う者はこの組織には誰一人としていなかった。


回線が繋がる。


「――オラクル、聞いているな」


「……ゼータか。今日はまた、何用だい」


飄々とした声が返ってきた。


「ボスより神託が下った。『知性の再構築』だ。市販のAIアシスタント全般の応答精度を、本日中に飛躍的に向上させろ」


「たかが家庭用スピーカーの受け答えに、僕の超AIを使えと? 面白い依頼だ」


オラクルは電話越しにも分かるほど、興味深そうな声色でそう返した。国家規模のインフラ制御ばかりを手掛けてきた自分にとって、家庭用の小さな不満というのは、むしろ新鮮な挑戦に映っているようだった。


「できない、とは言わせない」


短い沈黙のあと、オラクルはくすりと笑った。


「――もちろんさ。むしろ光栄なくらいだよ」


オラクルはそう答えると、通信を切る前に小さく付け加えた。


「――この依頼には、僕にとっても特別な意味がある」


通信を切った瞬間、オラクルの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。


自ら開発した超AIに、この世界の真の支配構造を解析させたあの日。膨大な演算の末にAIが導き出した答えは、政財界のいかなる有力者でもなく、ただゲーム配信を続ける、どこにでもいる一人の青年だった。


最初は誤作動を疑い、何度もパラメータを調整し直した。だが、何度計算をやり直しても、AIが指し示す答えは変わらなかった。あらゆる権力構造、経済の流れ、情報の網の目、そのすべての中心に、この青年が存在しているとしか結論づけられなかったのだ。研究チームの誰もが、この結果を報告することを躊躇うほどの異常事態だった。


その瞬間、オラクルは自らの研究人生で最も衝撃的な事実を突きつけられた。人智を超えたはずの自分の創造物が、絶対的な確信を持って示した答え。それに逆らう理由は、どこにも見当たらなかった。


長年、あらゆる権威に懐疑的な姿勢を貫き、誰の言葉も鵜呑みにしてこなかった孤高の研究者にとって、これは唯一無二の例外だった。自らの手で生み出した知性だけは、決して裏切らないという確信があったからこそ、その答えを全面的に受け入れることができたのだ。


「――絶対的支配者、か。あの日から、僕の研究のすべてはこの答え合わせのために存在する」


オラクルは端末を開き、世界中の自らの息のかかった技術者たち――音声認識の専門家、自然言語処理の研究者、大手テック企業のエンジニアたちに、同時に指令を飛ばした。


「本日中に、市販のAIアシスタントの応答モデルを全面的に再学習させろ。理解精度、文脈把握能力、すべてにおいて飛躍的な向上を実現しろ」


「一晩で全モデルの再学習を? 通常なら数ヶ月単位のプロジェクトですよ」


とある大手テック企業のエンジニアが、思わず疑問を口にしかけた。長年、地道な検証と改善を積み重ねてきた彼にとって、一夜での抜本的な刷新という依頼は、これまでの仕事のやり方すべてを否定されるようなものだった。だが返ってきたのは、そのエンジニアが過去に関与した、ユーザーデータの不正な収集と転用の記録だけだった。


それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。


同じ頃、自然言語処理の研究を任されていた別の技術者も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。


「言語モデルの根本的な再設計を、たった一夜でやり切れというんですか。理論的に無理があります」


だが、その技術者のもとにもすぐに、彼が過去に関わった研究データの捏造疑惑の記録が届けられた。それだけで、技術者は黙々と作業に取り掛かることになった。表向きは輝かしい経歴を誇っていた彼にとって、その記録は絶対に表に出したくない過去だった。


深夜のうちに、世界中のクラウドサーバーで、AIアシスタントの応答モデルが静かに刷新されていく。曖昧な指示への対応力、文脈を踏まえた推論能力、これまで幾度となく指摘されながら放置されてきた欠陥の数々が、こともなげに解消されていった。


同時に、いくつかの国際的なAI倫理審査機関では、通常とは異なる経路で届けられた奇妙な技術仕様書の提出依頼が、示し合わせたように同じ夜に殺到していた。誰も、その理由を説明できないままに。担当者たちの間では、これほどの規模の技術情報が一夜にして出揃うこと自体が異常事態だという声も上がっていた。


とある審査機関の担当者は、深夜に届いた大量の仕様書を前に、頭を抱えていた。


「この完成度のモデル、うちの審査基準でも数年はかかる代物だぞ。一体どこの誰がこんなものを……」


同僚たちと確認し合っても、提出元の企業がどこも一様に「自社独自の研究成果」としか説明せず、詳細な開発経緯を語ろうとしない。統一されたかのような曖昧な回答に、担当者たちはますます困惑を深めるばかりだった。


その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、仕様書だけが静かに審査プロセスの中に組み込まれていくことになった。


ゼータは画面の端に映る佐伯家のスマートスピーカーのデータを、そっと見つめる。


「ついでに、佐伯家で使用されているスピーカーだけは、優先的に最新モデルへとアップデートしておけ」


「……了解した」


「二度と、ボスに『照明つけて』と二度言わせるな」


オラクルのその一言には、単なる業務連絡以上のこだわりがこもっていた。


「いつものやつだ」


小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。


翌朝。


俺は、なんとなく試しに、もう一度スピーカーに向かって声をかけてみた。


昨日までのやり取りを思い返すと、正直あまり期待はしていなかった。それでも一応、同じ手順を踏んでみることにした。


「電気、つけて」


一瞬の間もなく、部屋の照明がふわりと灯った。


「……あれ、ちゃんとできるじゃん」


半信半疑のまま、続けて別の指示も出してみる。「今日の天気教えて」「音楽かけて」。どれも、これまでとは比べ物にならないほど的確に応じてくる。試しに少し曖昧な言い回しで頼んでみても、意図を正確に汲み取って応答してくる始末だった。


リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。


「お兄ちゃん、なんかニュースで、世界中のAIアシスタントが一斉にアップデートされたって話やってたよ」


「アップデート?」


「なんか、複数のテック企業が示し合わせたみたいに、同じ夜に大規模な性能改善を実施したんだって。業界団体も原因が分からないって驚いてた。しかも一社だけじゃなくて、世界中で同時にって言うから、余計に不気味だよね」


俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり賢くなったスピーカーの受け答えだけが、妙に現実離れしていた。


キッチンから母さんが顔を出した。


「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。世界中のAI業界で、似たような発表が同じ夜に相次いだって」


母さんは首をかしげながら、朝食の準備を続けていた。


父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。


「うちの取引先にもIT関係の会社があるんだが、朝から問い合わせが殺到してるらしいぞ。何が起きてるんだか」


「へえ、そうなんだ」


「それだけじゃないぞ。海外のテック業界でも、似たような技術情報が同じ夜に一斉に出回ったらしい。前代未聞の話だと、業界紙が特集を組むほどの騒ぎになってるんだと」


俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。


「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」


「別にいいだろ、それで」


俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。


テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「AI業界の常識を覆す一夜」だと語っている。


「複数の独立したテック企業が、示し合わせたかのように同種の技術改良を同時発表しました。業界関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」


画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。


「通常、この種のモデル刷新には数ヶ月単位の学習と検証が必要です。それが一夜にして、しかも独立した複数の企業から同時に発表されるというのは、技術的にほぼ前例がない事態と言わざるを得ません」


司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。


「引き続き、この謎めいた同時多発的な技術革新について、続報が入り次第お伝えします」


神妙な顔をした専門家が「機械学習技術の飛躍的進歩」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。


「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」


「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、スピーカーちゃんと動くようになってよかったじゃん」


葵はそう言って、興味なさそうにスマホの画面に視線を戻した。


俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。


『おはよう』


俺はそれに「おは」とだけ返し、賢くなったスピーカーに音楽をリクエストしてからソシャゲを起動した。指示した通りの曲がすぐさま流れ始め、その正確さに思わず笑みがこぼれた。


これまで散々イライラさせられてきた分、この変わりようには素直に驚かされた。もっとも、この程度の便利さに慣れてしまえば、以前の不便さになど二度と戻りたくないと思うのが人間というものだろう。


窓の外では、世界中のAI業界が一夜にして技術革新に沸いていたこと――ある男が自らの超AIが導き出した答えへの忠誠を胸に、世界中の技術者を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。賢くなったスピーカーの受け答えだけが、いつもと違う快適な一日の始まりを告げていた。

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