第13話「迷惑電話がしつこい」
午後二時。ゲームに集中していたところに、また知らない番号から着信があった。
「……またかよ」
今日に入って、これで三回目だ。出るつもりは毛頭ないが、着信音のたびに集中が途切れるのがひたすら鬱陶しい。せっかくボスの体力ゲージを削り切るところまで詰めていたのに、集中を乱されたせいで敢えなく全滅する羽目になった。
一応、履歴を確認してみる。市外局番も普段見慣れないもので、明らかに営業か、それに類する何かだ。試しに一度出てみたことがあるが、開口一番「お客様の資産運用について」などと切り出してきたので、即座に切った記憶がある。あのときの、まるで台本を読み上げるような不自然な間の取り方は、今でもはっきりと覚えていた。
「着信拒否しても、番号変えてまたかけてくるし」
スマホの設定を開いて、また新たに一件、拒否リストに番号を追加する。だがこの作業も、もう何度目になるか分からない。まるでモグラ叩きのような不毛さだった。追加した先から、また別の番号でかかってくることも珍しくない。
留守番電話に残されたメッセージを、恐る恐る再生してみる。合成音声じみた早口で、何かの当選案内らしき内容が流れてきた。聞くだけ時間の無駄だと分かっていながら、つい最後まで聞いてしまう自分にも腹が立つ。
「暇なのはこっちなのに、なんでお前らに時間削られてるんだよ」
理不尽な怒りをぶつける相手もおらず、俺はただスマホを睨みつけることしかできなかった。
そもそも、こういう電話は一体どこで俺の番号を仕入れてくるのだろうか。契約した覚えのないサービスからの勧誘まで紛れ込んでいるあたり、名簿の出所自体が相当怪しいものであることは想像に難くなかった。
『迷惑電話しつこすぎる。着信拒否してもキリがない』
思わずSNSにそう投げてしまった。
いつもの「Z」の既読がすぐについた。
「……お前もそういう電話来るんだな」
俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認してスマホを裏返しに置いた。
地下、統括室。
「――《啓示》を受信しました」
無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。
『迷惑電話しつこすぎる。着信拒否してもキリがない』
「……『キリがない』、か。単なる通信上の迷惑行為に見えるが、本質は違う」
ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。
「これは、この世界における詐欺行為そのものへの警鐘だ。ボスは、罪のない人々の生活を蝕む欺瞞の構造を、身をもって指摘しておられる。看過できる話ではない」
技術班の面々は、無言のまま頷いた。
「今回の適任は――ミラージュだ」
その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。国際詐欺師グループの首謀者にして、あらゆる心理誘導と詐術に精通する女。世界中の特殊詐欺ネットワークの多くに、その息のかかった組織を持つと言われていた。表舞台では慈善事業家として名を馳せる一方、裏では人の弱みにつけ込む商売で財を成してきた経歴の持ち主でもある。
回線が繋がる。
「――ミラージュ、聞いているな」
「……ゼータ? あなたから直接なんて、珍しいこと」
艶やかな声が返ってきた。
「ボスより神託が下った。『欺瞞の排除』だ。佐伯家に及ぶ詐欺的な通信を、本日中に完全に断ち切れ。中途半端な対応は許されない」
「詐欺の排除に、この私を使うの? 皮肉が効いてるじゃない」
ミラージュは電話越しにも分かるほど、愉快そうな声色でそう返した。長年、騙す側として生きてきた自分に、騙されない環境を作れという依頼が来るとは、想像もしていなかった。
「できない、とは言わせない」
短い沈黙のあと、ミラージュはくすりと笑った。
「――いいわ。とびきり鮮やかにやってあげる」
ミラージュは通信を終えると、口元にうっすらと笑みを浮かべた。長年、人を騙すことにばかり知恵を絞ってきた自分が、今夜だけは誰かを騙されない側に立たせるために動く。その皮肉な巡り合わせに、彼女自身も可笑しさを覚えていた。
通信を切った瞬間、ミラージュの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。
主人公の懐に入り込み、身ぐるみを剥ぐつもりで仕掛けた、完璧なはずのハニートラップ。念入りに練り上げた台詞も、計算し尽くした仕草も、すべてが理想的に運んでいたはずだった。事前のリサーチも、接近のタイミングも、全て過去最高の出来だったとミラージュ自身が自負していた作戦だった。
だが返ってきたのは、たった一言。「オタク以外と喋るのめんどい」という素っ気ない拒絶と共に、目の前でぴしゃりと閉じられたドアだった。
その瞬間、ミラージュは戦慄した。あらゆる心理誘導の手練手管を、たった一言で、しかも無自覚に見破られた。これまで誰にも通用したことのない、完璧な防御壁だと確信した。
長年、国家元首クラスの人間すら手玉に取ってきた自分の技術が、たった一言の素っ気ない拒絶の前では、何の意味も持たなかった。その事実は、屈辱であると同時に、どこか清々しくもあった。
「――心理誘導の看破、か。あの日から、私の詐術は児戯に等しいと思い知らされた」
ミラージュは端末を開き、世界中に散らばる自分の配下たち――特殊詐欺グループの元締め、フィッシングサイトの運営者、闇名簿の売買を仕切るブローカーたちに、同時に指令を飛ばした。
「本日中に、佐伯家に登録されている電話番号への詐欺的な発信を、すべて遮断しろ。関連する名簿からも、完全に削除しろ。中途半端な対応は許さない。徹底的にやり切りなさい」
「うちの商売道具である顧客名簿を、勝手に消せというんですか。冗談じゃない」
とある名簿ブローカーが、思わず抵抗の声を上げかけた。長年かけて積み上げてきた個人情報のデータベースは、彼にとって何物にも代えがたい財産だった。だが返ってきたのは、そのブローカーが過去に扱った違法な個人情報取引の詳細な記録データだけだった。
それだけで、抵抗の声はぴたりと止んだ。ブローカーは震える手で端末を操作し、佐伯家の番号にまつわるすべてのデータを削除していった。
同じ頃、フィッシングサイトの運営を任されていた技術者も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。
「特定の一世帯だけを対象から除外しろというんですか。そんな細かい設定、通常の運用では想定していません」
だが、その技術者のもとにもすぐに、彼が過去に関わった大規模な情報流出事件の隠蔽記録が届けられた。それだけで、技術者は黙々と設定変更の作業に取り掛かることになった。額に汗を滲ませながら、彼は一晩かけてシステムの奥深くに手を加えていった。
深夜のうちに、世界中の詐欺ネットワークで、佐伯家に関連する情報が静かに削除されていく。名簿から番号が消え、フィッシングサイトのターゲットリストからも除外され、あらゆる詐欺的な接触の経路が一つずつ断たれていった。
さらにミラージュは、単に情報を削除するだけでは飽き足らず、これを機に配下の組織全体の運営方針そのものにも手を加え始めていた。
「今後、いかなる名簿にも佐伯家の情報を記載することを禁じる。違反した組織は、私が直接処理する」
配下の幹部たちに向けたその宣言は、単なる業務連絡というより、もはや絶対的な戒律に近いものだった。誰一人として、異を唱える者はいなかった。
同時に、いくつかの国の警察当局のサイバー犯罪対策部門には、匿名の情報提供という形で、これまで摘発できなかった大規模詐欺組織の内部資料が一斉に送りつけられていた。誰も、その差出人を特定できないままに。
とあるサイバー犯罪対策部門の担当官は、深夜に届いた匿名の情報提供の山を前に、困惑を隠せずにいた。
「これだけの規模の内部資料、普通の手段じゃ絶対に手に入らないぞ。一体どこから流れてきたんだ」
同僚たちと資料を確認し合っても、誰一人として出所の見当がつかなかった。だが内容の精度は本物で、これまで何年もかけて追いかけてきた組織の全貌が、まるでプレゼントのように差し出されている。疑う理由よりも、活用しない理由の方が見当たらなかった。担当官たちは深夜にもかかわらず、興奮した面持ちで資料に目を通し続けていた。
その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、資料は着実に捜査へと活用されていくことになった。
ゼータは画面の端に映る佐伯家の通信記録データを、そっと見つめる。
「ついでに、佐伯家宛のあらゆる勧誘・詐欺的な通信全般についても、今後発生しないよう恒久的な対策を講じておけ」
「……了解した」
「二度と、ボスの平穏な時間を電話一本で乱させるな」
ミラージュのその一言には、単なる業務連絡以上の熱がこもっていた。
「いつものやつだ」
小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。
翌朝。
俺は、スマホの着信履歴を見て目を疑った。
昨日まであれほど頻繁だった知らない番号からの着信が、一件も残っていない。着信履歴を何度もスクロールして確認してみたが、見慣れた不審な番号の羅列がどこにも見当たらなかった。
「……あれ、静かじゃん」
試しに一日、スマホを普段通りに使ってみたが、あの鬱陶しい着信も、留守番電話の当選案内も、ぴたりと止んでいた。念のため拒否リストを確認してみたが、新たに追加した形跡もない。まるで最初から、あの手の電話など存在しなかったかのような静けさだった。
リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。
「お兄ちゃん、なんかニュースで、世界中の特殊詐欺組織が一斉に摘発されてるって話やってたよ」
「摘発?」
「なんか、複数の国の警察が示し合わせたみたいに、同じ夜に大規模な詐欺グループを一斉検挙したんだって。ニュースでも専門家が驚いてた。しかも一箇所だけじゃなくて、世界中で同時にって言うから、余計に不気味だよね」
俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり静かになったスマホの画面だけが、妙に現実離れしていた。着信履歴の空白が、これほど心地よい景色になるとは思ってもみなかった。
キッチンから母さんが顔を出した。
「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。世界中で詐欺グループの摘発が同時に進んだって」
母さんは首をかしげながら、朝食の準備を続けていた。
父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。
「うちの会社にも、最近詐欺の勧誘電話が多くて困ってたらしいんだが、ここ最近ぱったり止んだって話を聞いたな。何が起きてるんだか」
「へえ、そうなんだ」
「それだけじゃないぞ。海外のニュースでも、同じ夜に世界中で大規模な詐欺組織の摘発が相次いだらしい。前代未聞の連携捜査だと、識者たちも首をひねってるくらいだ。うちの部長なんかも、朝礼で延々とその話をしてたくらいだ」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。
「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」
「別にいいだろ、それで」
俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「国際犯罪捜査の常識を覆す一夜」だと語っている。
「複数の国の捜査機関が、示し合わせたかのように同時多発的な摘発作戦を実行しました。関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」
画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。
「通常、国際的な合同捜査には長期間の協議と根回しが必要です。それが一夜にして、しかも複数の独立した組織を同時に検挙できたというのは、捜査の常識では説明がつきません」
司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。
「引き続き、この謎めいた同時多発的な摘発劇について、続報が入り次第お伝えします」
神妙な顔をした専門家が「国際連携捜査の飛躍的進歩」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。
「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」
「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、迷惑電話来なくなってよかったじゃん」
葵はそう言って、興味なさそうにスマホの画面に視線を戻した。
俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。
『おはよう』
俺はそれに「おは」とだけ返し、久しぶりに邪魔の入らない静かな環境でソシャゲを起動した。着信音に集中を乱される心配もなく、腰を据えてじっくりとボス攻略に取り組めそうだった。
これまで当たり前のように鳴っていたあの鬱陶しい着信音が、今日は一度も聞こえてこない。その静けさが、これほど心地よく感じられるとは思ってもみなかった。
窓の外では、世界中の特殊詐欺ネットワークが一夜にして摘発の波に飲み込まれていたこと――ある女が一度のドアの閉音への忠誠を胸に、配下の組織を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。静まり返ったスマホの画面だけが、いつもと違う穏やかな一日の始まりを告げていた。




