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いつのまにか世界を手に入れてる  作者: K4


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第11話「サボテンが枯れそう」

午後三時。窓辺に置いていたサボテンの様子が、明らかにおかしいことに俺は気づいた。


半年前、何かの景品でもらったこの小さなサボテン。育てるのが苦手な俺でも、水をほとんどやらなくていいという触れ込みに惹かれて、なんとなく窓辺に置きっぱなしにしていた代物だ。存在すら忘れかけていたと言っても過言ではない。


「……あれ、なんか色が変じゃね」


緑色だったはずの表面が、うっすらと黄色っぽく変色している。触ってみると、あの張りのあった感触も失われ、心なしかふにゃりと柔らかい。


「まさか、これ枯れかけてる?」


慌てて水をやってみるが、手遅れなのか、状況が好転する気配はない。


そもそも水をやりすぎたのか、それとも日当たりが悪かったのか、俺には皆目見当がつかなかった。植物を育てるという行為に、これほど不確定要素が多いとは思ってもみなかった。


「調べるか……」


スマホで検索してみると、水のやりすぎ、根腐れ、日照不足、様々な可能性が並んでいる。どれが原因なのか、素人の俺には判断のしようがなかった。


いくつかのサイトを読み比べてみたが、書いてあることがそれぞれ微妙に食い違っている。ある記事は「サボテンは乾燥に強いから水は月一回で十分」と書いてあるかと思えば、別の記事では「季節によって水やりの頻度を細かく調整すべき」とある。素人にはどれが正解か判断のしようがなく、余計に混乱するばかりだった。


このサボテンは、別に思い入れがあるわけでもない。景品でもらっただけの、どうでもいい存在だったはずだ。それなのに、いざ枯れそうになると、妙な罪悪感が湧いてくる。


「なんか、可哀想なことしたな……」


これまで生き物を育てるということに、真剣に向き合ったことなど一度もなかった。ゲームの中でキャラクターを育成することには慣れていても、現実の生命というのはリセットボタンが存在しない。その当たり前の事実に、今更ながら思い至った。


俺はしばらくサボテンを見つめたまま、何もできない自分に苛立っていた。ホームセンターにでも行けば専用の栄養剤くらい売っているのかもしれないが、そのためだけに外出する気力も湧いてこない。結局、俺にできることは水をやることくらいしかなく、それすらも既に手遅れかもしれないという不安がつきまとっていた。


『もらったサボテンが枯れそう。育て方調べても原因が分からん』


思わずSNSにそう投げてしまった。


いつもの「Z」の既読がすぐについた。


「……お前、植物なんて育ててたのか」


俺はそれ以上気にせず、既読だけを確認して、諦め半分でサボテンを窓辺に戻した。


地下、統括室。


「――《啓示》を受信しました」


無機質な声のアナウンスと同時に、スクリーンに映し出された一行に、コードネーム「ゼータ」は目を細めた。


『もらったサボテンが枯れそう。育て方調べても原因が分からん』


「……『枯れそう』、か。単なる観葉植物の管理不備に見えるが、本質は違う」


ゼータは椅子の背もたれに深く体を預ける。


「これは、この世界における『生命の脆弱性』そのものへの警鐘だ。ボスは、些細な環境の変化一つで命が失われかねない現状を、身をもって示しておられる。看過できる話ではない」


技術班の面々は、無言のまま頷いた。


技術班の誰かが小さく頷いた。


「今回の適任は――キメラだ」


その名を口にした瞬間、統括室の空気がわずかに変わった。非合法な遺伝子操作を専門とする、狂気の天才科学者。動植物の生命の設計図そのものを、自在に書き換えると言われる女だった。学術の表舞台から追放されて久しいが、その実力を疑う者はこの組織には誰一人としていなかった。むしろ、正規の枠組みから外れたからこそ到達できた領域があると、密かに一目置く者すら存在した。


回線が繋がる。


「――キメラ、聞いているな」


「……ゼータ、久しぶりね。今日は何の実験依頼かしら」


熱っぽい声が返ってきた。


「ボスより神託が下った。『生命の延命』だ。佐伯家の一鉢の植物を、本日中に必ず健全な状態へと回復させろ」


「たかがサボテン一鉢に、私の研究所を動かせと言うの? ……悪くないわ、腕が鳴る」


「できない、とは言わせない」


短い沈黙のあと、キメラは楽しげに笑った。声には隠しきれない興奮が滲んでいた。長年、大規模な軍事転用実験や希少種の保全ばかりを扱ってきた彼女にとって、一鉢の家庭用植物という依頼は、むしろ新鮮に映っているようだった。命の大小に価値の差などない、というのが彼女の持論でもあった。


「――もちろんよ。むしろ光栄なくらい」


キメラは通信を終えると、研究所の窓から見える曇天を見上げた。この程度の依頼なら、造作もない。だが、造作もないはずの案件ほど、なぜか力が入ってしまう自分がいることも、彼女はよく分かっていた。


通信を切った瞬間、キメラの脳裏に蘇るのはあの日のことだった。


隣人宛ての健康サプリメントが誤って自宅に届き、開封してしまったあの日。中身を確かめる術もなく、庭に無造作に埋めて処分したはずだった。


数週間後、その場所から芽吹いたのは、これまで見たこともない色彩と成長速度を持つ、奇妙な変異植物だった。通常の何倍もの速さで育ち、枯れる気配すら見せない、異様な生命力に満ちた個体。


キメラは当初、その存在を偶然の産物だと片付けようとした。だが観察を重ねるうちに、その成長パターンがあまりに規則的で、まるで最初から計算され尽くしていたかのような精緻さを持っていることに気づいてしまった。偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。


その姿を目の当たりにしたとき、キメラは確信した。あの日誤って届いたサプリメントこそ、長年追い求めてきた不老不死の方程式の鍵なのだと。学会からは異端視され、まともな研究予算すら得られなかった自分の理論が、たった一つの誤配達によって証明された瞬間だった。


「――不老不死の方程式、か。あの日から、私の研究の意味は変わった」


キメラは端末を開き、世界中の非合法研究拠点――遺伝子工学の専門家、植物病理学の研究者、闇の生物学者たちに、同時に指令を飛ばした。彼女の呼びかけに応じて集まる面々は、いずれも表舞台では決して名乗ることのできない、いわくつきの経歴を持つ者ばかりだった。


「本日中に、対象の植物種の完全な生態データを解析しろ。枯死の原因を特定し、回復と、可能であれば通常個体を上回る耐久性を持たせろ。中途半端な回復では意味がないわ」


「家庭用の観葉植物一鉢に、専用の遺伝子解析チームを投入しろと? うちは希少種の保全研究を優先すべきでは」


とある研究機関の主任研究員が、思わず疑問を口にしかけた。だが返ってきたのは、その研究員が過去に関わった倫理審査を通らない違法実験の記録データだけだった。


それだけで、疑問の声はぴたりと止んだ。


同じ頃、キメラの配下にある温室施設の管理者も、届いた指令に困惑を隠せずにいた。


「サボテン一鉢のために、研究所の全リソースを割けと? こんな指示、前代未聞ですよ」


だが、その管理者のもとにもすぐに、彼が横流ししていた希少種のサンプルの取引記録が届けられた。それだけで、管理者は黙々と作業に取り掛かることになった。


深夜のうちに、世界中の研究拠点で、対象の植物種に関する徹底的なデータ収集と分析が進められていく。根腐れの兆候、光合成の効率、細胞レベルでの水分保持能力に至るまで、これまで誰も真剣に調べたことのなかった領域が、こともなげに解き明かされていった。


温室の一角では、遺伝子操作の専門家たちが夜を徹して培養液の配合を調整していた。


「対象の細胞分裂速度、通常種の三倍に到達。このまま行けば、過剰成長のリスクが……」


「構わない。多少の過剰は、枯れるよりずっとましだ」


現場責任者の即断に、専門家たちは顔を見合わせながらも作業を続けた。誰も、この依頼の本当の重要性を理解してはいなかったが、逆らう理由もまた見つからなかった。培養液を注ぐ手つきだけが、次第に慎重さを増していった。


同時に、いくつかの国の植物検疫機関では、通常とは異なる経路で届けられた奇妙な土壌サンプルの分析依頼が、示し合わせたように同じ夜に殺到していた。誰も、その理由を説明できないままに。


とある国の農業省では、深夜に届いた大量の検体分析依頼を前に、担当官たちが対応に追われていた。


「一晩でこれだけの数の緊急分析依頼が来るなんて、前代未聞だぞ。しかも依頼元がバラバラで、共通点が見当たらない」


上司に相談しても、明確な答えは返ってこなかった。結局、担当官たちはただ黙々と、目の前の検体を処理し続けるしかなかった。


とある大学の植物学教授は、深夜に届いた匿名の研究データの山を前に、頭を抱えていた。


「この解析精度、うちの研究室でも十年はかかる代物だぞ。一体どこの誰がこんなものを……」


その疑問への答えは、結局誰にも用意されないまま、データだけが静かに学術誌へと投稿されていくことになる。皮肉なことに、その論文はのちに、植物生理学の分野において画期的な一本として、世界中の研究者から高く評価されることになった。誰も、その真の発端が一鉢の家庭用サボテンだったとは、夢にも思わないまま。


ゼータは画面の端に映る佐伯家の窓辺のデータを、そっと見つめる。


「ついでに、佐伯家の日当たりと水やりの周期を、最適な状態に自動調整しておけ」


「……了解した」


「もう二度と、あの程度のことで枯れさせるな」


キメラのその一言には、単なる業務連絡以上の熱がこもっていた。


「いつものやつだ」


小さくそう呟いて、ゼータは通信を切った。統括室には、また静寂が戻る。


翌朝。


俺は、諦め半分で窓辺のサボテンを覗き込んだ。


「……あれ?」


昨日あれほど黄色く変色していたはずの表面が、鮮やかな緑色を取り戻している。触ってみると、以前よりもむしろ張りが増しているようにさえ感じられた。


「うそだろ、なんで急に」


寝起きの頭で何度も目をこすってみたが、見間違いではなかった。昨晩まであれほど心配していたはずの状態が、まるで嘘のように改善している。


半信半疑のまま、俺はしばらくサボテンを観察し続けた。だが、どう見ても元気になっている。それどころか、以前より一回り大きくなっているようにも見えた。心なしか、棘の一本一本にまで、以前にはなかった力強さが宿っているようにさえ感じられる。


「気のせいだよな、これ……」


念のため、鉢の土も軽く触ってみたが、湿り気も適度で、何一つ異常は見当たらなかった。むしろ、これまで自分がどれだけいい加減な管理をしていたのかを思い知らされるくらい、状態は完璧だった。


リビングに降りると、妹の葵が朝食を食べながらニュースを眺めていた。


「お兄ちゃん、なんかニュースで、世界中の植物研究機関が一斉に妙な発表をしてるって話やってたよ」


「妙な発表?」


「なんか、植物の枯死を防ぐ画期的な栽培技術を、複数の研究機関が同時に発見したとかで、学会が大騒ぎになってるんだって。しかも一機関だけじゃなくて、世界中で同時にって言うから、余計に不気味だよね」


俺には、それが昨日の自分の呟きと関係あるなんて、想像もつかなかった。ただ、あっさり元気を取り戻したサボテンの緑色だけが、妙に現実離れしていた。


キッチンから母さんが顔を出した。


「そういえば、朝のニュースでもやってたわね。世界中の大学で、似たような研究成果が同じ夜に発表されたって」


母さんはそう言いながら、朝食のトーストを皿に並べた。


父さんも新聞を畳みながら会話に加わってきた。


「うちの取引先にも農業関係の会社があるんだが、朝から問い合わせが殺到してるらしいぞ。何が起きてるんだか」


父さんは首をひねりながら、コーヒーを一口啜った。


「へえ、そうなんだ」


「それだけじゃないぞ。海外の農学系の学会でも、似たような技術情報が同じ夜に一斉に出回ったらしい。前代未聞の話だと、業界紙が特集を組むほどの騒ぎになってるんだと」


俺が興味なさそうに相槌を打つと、父さんは苦笑いを浮かべた。


「お前は本当に、世の中のことに興味がないな。まあ、それも一つの生き方か」


「別にいいだろ、それで」


俺はそう言い返しながらも、内心では少しだけ気恥ずかしさを感じていた。


テレビをつけると、コメンテーターが困惑気味に「植物学界の常識を覆す一夜」だと語っている。


「複数の独立した研究機関が、示し合わせたかのように同種の発見を同時発表しました。学会関係者も、この偶然の一致に驚きを隠せない様子です」


画面には、困惑気味の別の専門家も映し出されていた。


「通常、この種の研究成果には数年単位の追試と査読が必要です。それが一夜にして、しかも独立した複数の研究機関から同時に発表されるというのは、学術的にほぼ前例がない事態です」


司会者が神妙に頷きながら、話を締めくくった。


「引き続き、この謎めいた同時多発的な研究成果について、続報が入り次第お伝えします」


神妙な顔をした専門家が「植物生理学の飛躍的進歩」だと真顔でコメントしていたが、俺には正直どうでもいい話だった。


「へえ。世の中、いろいろ大変だなあ」


「お兄ちゃんは何にも興味ないもんね。……でもまあ、サボテン元気になってよかったじゃん」


俺はソファに寝転がったまま、スマホを開いた。「Z」から今日もスタンプが一つ届いている。


『おはよう』


俺はそれに「おは」とだけ返し、窓辺のサボテンを一瞥してからソシャゲを起動した。あの小さな鉢植えが、これからも枯れずに元気でいてくれることを、少しだけ願いながら。


これまで植物なんて枯らして当然だと思っていたが、こうして元気な姿を見ると、案外悪くない気分になるものだった。せっかくだから、もう少しだけ水やりの頻度を見直してみようかとも思ったが、そんな殊勝な決意も、明日には忘れているに違いなかった。


窓の外では、世界中の植物研究機関が一夜にして一鉢のサボテンのために全力を尽くしていたこと――ある女が誤配達されたサプリメントへの執念を胸に、闇の研究拠点を叩き起こして回っていたことなど、俺は知る由もなかった。緑を取り戻したサボテンだけが、その日一日、窓辺で静かに日の光を浴び続けていた。

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