あの……一回、ズボンとパンツ履いてもいいですか?
「あの……一回、ズボンとパンツ履いてもいいですか?」
空気椅子をしながら、なるべく平然を装うために股間を手のひらで隠している。
だが、暗い魔王様の玉座で、僕だけが月の光に綺麗に照らされているのだ。まるで、何かの芸術作品のように。
「ご、ごめんチビスケ!早く履いて!」
魔王様は、恥ずかしそうな顔をしながら両手で目を覆っている。
そう言われ、一秒も経たないうちにズボンとパンツを履く。
そして、何事もなかったかのような顔をして誤魔化した。
「で、急に呼び出してどうかされましたか?」
「ぶっ、あはははあはは!トイレしてる途中に転移ってどういうことだよ!傑作だぜ」
そのうざったい声の主は、シルヴァだ。顔を真っ赤にして酒瓶を手にしながら、腹を抱えて笑っている。
シルヴァのやつ、酔ってやがる!
魔王様もだけど、シルヴァも酒癖が悪くて、毎度幼い僕を困らせてきたんだ。
「いや、チビスケ。一日一回こっちに帰ってきてって言ったよね?」
魔王様が、裸足でペタペタと鳴らしながらこちらに寄ってくる。
「あれって、冗談じゃなかったんですか?」
「冗談なんかじゃないよ」
「一日に一回ってそんなことしないといけないんです?」
魔王様が、何度も首を上下に振る。
「お前のな、ヒック!リーシュちゃんが最近、お前がいなくて寂しがってんだよ」
シルヴァは、気持ち悪そうに胃をさすりながら言った。
「……マジかよ」
「だから、チビスケには一日に一回は帰ってきてほしいの。お願いね」
魔王様は、さっき三奈がやっていたようにウインクをしながら手を合わせて可愛い子ぶる。
だから、その攻撃はもう僕に効かないってば。
「おい、てめぇも一杯やらねえか?喋り相手がいなくて困ってんだヨォ」
シルヴァは酒瓶を掲げながら、無理やり僕の首を掴まれた。
「臭えよ、シルヴァ。酒臭えよ」
「臭いとはなんだ!まだ、加齢臭がする歳になった覚えはねぇぞ!」
加齢臭とは、言ってないんだが。
うん、何歳とは言わないが、こいつもダメおじ……いや、イケおじって言ってあげるほうがいいのか。そんくらいの年齢だ。
「ちょっと、シルヴァはあっち行って」
そう言って魔王様がシルヴァの頭をデコピンで叩く。
すると、シルヴァは潰れたハエのように壁に張りついていた。
「やり過ぎちった」
魔王様は、自分で頭を撫でながら惚けるような顔をしている。
いや、怖えよ……シルヴァなんてピクんピクんしてるだけなんですけど。
骨いっちゃってない?
「大丈夫なんですか?シルヴァは」
「ん?そのために、鍛えたんだから」
『そのために』って……どうやら魔王様は、シルヴァのことをサンドバッグかおもちゃだと勘違いしているらしい。
「じゃあ、僕そろそろ帰りますよ?一応、調査中なんですよ」
肉じゃがが冷めてしまうという理由が八割以上だが、トイレにこんなに長く入ってても不自然だ。
三奈に、『翔平って、便秘だったんだ〜』なんて言われたら絶対キレてしまう。
「わかってるよ。じゃあ、一日一回魔王城帰宅徹底してね」
「はいはい、わかってますよ」
「それ、転移網ね。あなたの転移先は、今日の場所で固定だから。よろしくぅ」
魔王様は、転移網を設置する。
「それ、トイレじゃないですか!」
「そこしか、ないから勘弁してよ〜。変えられないし」
「はぁ……まあ、いいですけど」
「じゃ、頑張ってチビスケ!」
魔王様は、そう言って小柄な体ながらも僕の体を抱きしめる。
胸あたりに、顔を当ててスリスリとしている。
「頑張りますよ」
「リーシュは、明日にでも会ってね。ほらシルヴァも手を振ってるよ」
魔王様が、気絶しているシルヴァの腕を持って無理やり動かしていた。
いや、あいつの腕マジで折れてそうだな。でも、明日になれば復活するっていう化け物だから。
そして、僕は転移網に入っていった。
ーーー
転移網を抜けると、そこは渡辺家のトイレの中だった。
「トイレ転移……か」
トイレの流すレバーを引いて、そこを後にした。
リビングに戻ると、そこには父さんと母さんがもうご飯を食べ始めていて、三奈はスマホをぽちぽちと触っていた。
だが、僕がテーブルの席に座った瞬間に雰囲気は一変する!
「「高菜くんーー」」
「翔平ーー」
三人はキメ顔をしながらこちらを見る。そのとき、天井の電気が父さんの頭を照らしていた。
な、なんなんだよ……この異様な様子は。
「「「もしかして、便秘!?」」」
その三人の声は、打ち合わせをしたかのように見事にハモった。
ダメだあ、一番言われたくないことを言われてしまった。三奈に言われるだけでも不快なのに、三人になると効果は三十倍くらいになるんだよ。
『便秘!?』と言って勢いよく立ち上がった父さんは、テーブルの脚に小指をぶつけたようだ。
「いてて……なんなんだよ!こんな脚取っちまえよ!」
父さんは、やつ当たるようにそう言った。
そんなことしたら、ただの板になっちゃうって。
「翔平、トイレ長かったけど大丈夫?一時間いかないくらいだったけど。話しかけても返事がないし、でも戦闘お疲れ様!」
三奈は、敬礼をしながら言った。
「やかましいですよ……トイレで寝てただけです。便意とは、戦ってません。女の子がそんなこと言うんじゃありません」
ついつい、兄の癖というか本能でこういうことは言ってしまうのだ。
「大丈夫?顔色が悪く見えるわよ、少し暗く見える」
母さんは、黒いサングラスで僕のことをジーッと見つめる。
「お母様、それ黒いサングラスかけてるからです……そういうやつなんです」
「あっ、そうだったわね。忘れてた」
サングラスを外し、ケースへとしまっていった。
なんなんだよ、この家族。やっぱり、肩書きがおかしすぎる。
母、人間不信。父、ストレスでハゲる。三奈、美少女。
翔平(アシュでもあるし、元洸平)、魔王軍の手先。
僕だけ、肩書きが複雑すぎるがな。
でも、十分におかしな家族ってもんだ。
ここで一年を過ごすということは、一年帰省するだけのように聞こえるかもしれない。だが、そんな生易しいもんじゃない。
地獄の地球調査、明日も頑張りますかー。
ーーー
でもやっぱり、肉じゃがは冷えていた。




