第8話:「君らしくないな」
週明けの朝。
規則正しい歩調で奏でられる軍靴の音。
その音を、学生達はじっと黙して聞いていた。
教壇に立ったハルトマ・ペリ主任教師が彼らの不安げな表情を見渡した。
「おはよう、早速だけど皆にお知らせだ。
先週末、学院への不審者侵入事件が発生した。
不審者、あぁいや犯人ね。犯人は管理室まで侵入してあれこれ荒らしたようだが、不幸中の幸いか決定的な被害は確認されてない。
しかし、まんまと逃亡されて、侵入経路や防犯解除方法、逃走後の足取り、目的などなど、あらゆることが依然不明で未解決。
学院理事会も教師達も蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。休日丸つぶれの徹夜状態で私も週明けから具合が悪い。
その上、なんと厄介なことに! ……君、挨拶どうぞ。私、面倒だから君が後の説明して」
気怠そうな半眼でハルトマは真横に立っている壮年の男に促した。
きっちりと隙なく軍服を着こんだ男は、中肉中背でどこにでもいそうな平凡な顔つきだった。だが、ただならない眼光の鋭さで学生達を見つめた。
「……東方諸国連盟治安維持軍テウルギア派遣部隊所属、ヘシオン・マトイ中尉です。
今回の不審者侵入事件が、テウルギアを脅かす政治犯の犯行である可能性が浮上しました。
学院は世界各国の子息子女が学ぶ教育機関です。皆さんの安全を守るためにも、テウルギアの都民警察だけに任せず、我々連盟の派遣部隊が学院で起こった事件の解決とそれまでの警護に当たることとなりました」
マトイ中尉は無表情を崩さず、端的に説明した。
ハルトマはそれが気に入らないのか露骨にはっと鼻で笑った。
「学院理事会と教師は過剰な介入だって断固反対したんだけどねぇ。政治犯ってのも、真偽不明の情報でしょ……?」
「……」
主任教師の挑発にも一切応じずに、中尉は後ろ手を組んだ姿勢を崩さなかった。
学生達は二人の只ならない冷えた空気を敏感に感じ取っては、息を呑んで話を聞き入っている。
「はい、そういう訳で非常に不本意ながら、外部の軍人さんが事件解決まで学院内をうろちょろする。
でも君達は、ふざけて軍人さんにちょっかいを掛けない。事件のことも我々大人がきちんと解決するので、余計な好奇心を持たないよう!
不安がらず騒がず、勉強に全力で集中すること!
じゃあ、これで朝の話は終わり。君達、一限目は実技でしょ、屋外実技場へ速やかに向かって!」
当たり前のように、学生達は不安がって騒がしくしながら屋外実技場へ移動していた。
廊下に満ちる騒々しいおしゃべりの波間で、リュシクはジェミットと身を寄せ合いながらも足早に進んでいた。
彼女達も、皆と一緒に不安な気持ちを表に出してみたかった。
だというのに、今はまったくそれどころではなかった。
「何、あいつなんなの? さすがにあたしも怖くなってきたぜ」
「良かった、ジェミットも気づいてくれてる」
「さすがに気づく!
朝から露骨すぎるって、サフィール・オデロ!」
「うん、……私、何かしたのかなぁ」
背中へ掛かる強い圧に負けて、ちらりと後ろを振り向く。
サフィールが、後方にいた。
濡羽色の瞳がじぃっとリュシクを捉えていた。
一切の感情が読めない、ただただ眼差しの凄まじい圧力。
リュシクはひゅっと息を呑んでは、視線を前へと戻す。
__朝からずっと、サフィールがリュシクを見つめ続けている。
不穏な朝の連盟派遣部隊の話の最中であっても、まるでそんな話は興味もないようで、彼は彼女を見つめ続けていた。
いったい何故なのか、リュシクにも理解が至らない。
まさか、リュシクがサフィールの正体を師匠だと確信していることに気づかれたのだろうか。
こちらは気づいている素振りなど、一切見せていないつもりだ。では、何かの理由、"クラン"に入ったことがやはり気に入らないのか。
それとも休日中に師匠へ宛てて送った手紙。素知らぬ顔で出した手紙が、まさかもう届いているのだろうか?
手紙は至って普通の内容だったはずである。手紙が理由ではないなら、いったい何を思ってリュシクを見つめるのか。
師匠は入学式の手紙にも返信をくれていない。リュシクが書きたいから手紙を出しているだけなので、返信をくれなくてもことさら不満を覚えないけれど。
「うぅぅっ、侵入事件の話で盛り上がりたいのに、それどころじゃないよ!」
ジェミットがわなわなともどかしそうに拳を震わした。彼女がリュシクの気持ちを代弁してくれるおかげで、まだ気持ちが楽だった。
通りすがりの教師におしゃべりを注意されつつ、基礎課程の学生達は屋外実技場へ到着した。
広々とした楕円形の場内は均した土で固められ、草ひとつとしてない。実技場を囲む格子状の防護柵には、魔法刻印が刻まれている。
待っていた実技演習担当の教師二名が、学生達を整列させた。講義室から学生達の後ろに着いてきたマトイ中尉も距離を取って佇んでいる。教師達は中尉を完全に無視していた。
「ではでは、まずね。実技を始める前に世界魔法規範のおさらいをしましょう」
壮年と老年の担当教師二名は、挨拶もそこそこにして、実技を早く行いたくて待ち遠しい様子の学生達を見渡した。
「世界魔法規範とは、魔法の行使と管理を定めた国際共通法です。
危険指定魔法は、法で認められた資格を持つ魔法士しか扱えません。
資格もない上に、法的または道義的理由もなく危険指定魔法を行使することは、年齢問わずに犯罪行為として罰せられます。
規範の実体の法定及び適正について、君達は学院の入学前から今まで十分に習ってきましたね?
そんな君達は基礎課程の終わりに、二級魔法士の取得を目指します。
二級魔法士は限定的な状況下において自己判断で危険指定魔法を行使できます。
つまり今日からの実技は、その資格試験に向けた第一歩です。
……君達はこれから、人に向けて攻撃的な魔法を撃つことに慣れていくのです」
「お前達、二人一組になって円陣形で並べ! 攻撃側は内周、防御側は外周で等間隔に距離を取れ!
相手が汎用防御魔法を展開しているからとか、理論は知ってるからと言って、いきなり危険指定魔法を放つ奴は容赦なく退学だからな!
無害性低熱衝撃波魔法だけにしろっ」
壮年の教師は掛け声ともに呼子笛を吹いた。その音とともに、生徒達が二人一組になっていく。といっても、初めての実技演習、また二人一組になることへの慣れなさで、学生達はもたもたと行動が終わらない。
リュシクは隣に並んでいるジェミットに声を掛けようとして。__二つの影が、視界にぬっと現れたので何事かと顔を上げた。
「「え」」
ジェミットとリュシクの声が重なる。ジェミットは面白くなさそうに、リュシクは強い困惑であったが、どちらも勘弁してほしいといった感情は共鳴していた。
サフィールとヒースクリフが、彼女達の目の前に立っていた。
ジェミットがやれやれといった態度で二人をねめつける。
「あのね、リュシクはあたしと」
「君、先週の話でヒースクリフと決闘だ、なんて息巻いていたよね?」と、すかさずサフィールが反論してくる。
「おい、私は承諾したつもりは、私は彼女達ではなくお前と」
「そ、そうだっ、あれは言葉のあやで」
「邪魔だ。二人ともとっとと行きなよ」
ヒースクリフもジェミットも慌てて言い返すが、サフィールはぎろりと睨みつけて一蹴する。
場の空気が凍るほどの威圧的な態度に、さすがの彼らも冷や汗を流して押し黙った。
「いいよ。私はサフィール君と組むね」
押し黙ったジェミットを庇うように、リュシクは前へと一歩進んだ。
「リュシク!」
「私は大丈夫だよ。
ジェミット、頑張ってね。ヒースクリフ君も、ジェミットがどれだけ実技が得意なのか後で評価を教えてね」
「あ、あぁ」
「サフィール君、いこう」
困惑する二人を残して、リュシクは歩き出した。サフィールは無言で彼女の後を着いていく。
「……」
「…………」
持ち場へ着く前、リュシクはおもむろに立ち止まった。
「朝からずっと見てたの、どうして?」
お互いに前を向いたまま、同じように無表情である。
「………入学式の歓迎パーティーで、友達になりたいなって言ったから。
友達らしいことしようと思って」
「考えておきますって、言ったけれど」
「"クラン"だって一緒だよね。もう友達でいいよね?
……たまには俺と話したり、こうやって一緒に講義で組んだりしよう」
リュシクはこっそりと奥歯を嚙み締めた。
「……わかった」
「実技、そっちが攻撃側でいいよ。好きなように撃ってきて」
サフィールは、リュシクを追い越して外周のほうへ歩いて行った。その後ろ姿をリュシクは静かに睨みつけていた。
「全員が位置に着いたな!? 防御側の魔法展開を確認したら、攻撃側は見当違いの方向へ外さないようしっかり狙って魔法を放て!」
実技演習が始まった。
人に向かって魔法を撃つという行為自体に怖気づいて撃てないものや、威力の調整に手間取っているものなど、周りは様々な状態にあった。
リュシクは少しだけジェミットとヒースクリフのペアを観察した。
ヒースクリフが防御側で完璧な魔法展開をしている。危険指定魔法を撃たれても微動だにせず防ぎ切りそうな精緻な汎用防御魔法だった。
その一方で、ジェミットは実技が得意だという言葉通り、ヒースクリフに向けて危なげなく正確に魔法を放っている。完璧な防御と見て、遠慮なくばかすかと連射している。
ジェミットの遠慮のなさに、くすりと笑いが零れる。
それからリュシクは一直線上に立つサフィールへ注目した。
彼もまた、ヒースクリフと何ら遜色のない完璧な汎用防御魔法を展開していた。
「……」
リュシクは、すっと唇を引き結ぶ。
朝から見つめられ、絡まれ、好き勝手な態度。そして、ああそうだ、学院の不審者侵入事件。学院にいる者全てが、今日は不安を抱えている。
それなのに、この目の前の男は。
堪えようのない苛立ちが、リュシクの胸中に澱のように溜まっていた。
リュシクは片手を突き出した。
「射光」
わざと詠唱して魔法を放つ。
一度目。サフィールの防御魔法に当たって弾け消える。
二度目。出力を調整し直して放った衝撃波は、サフィール自体へ着弾の振動すら伝えられない。
三度目は無詠唱で放つ。一気に出力を上げて、さらには角度を変えて地面を抉りながら衝撃波を届かせた。
リュシクとサフィールの周囲にぶわりと砂埃が大量に舞い上がった。こっそりと気流を操作する魔法を無詠唱展開する。両隣の実技を邪魔するのは本意ではない。
周囲の視線を遮った直後、リュシクは駆け出した。
一息で、サフィールに飛び掛かるように間合いを詰める。
リュシクは拳に力を籠める。遠慮などするものかとばかりに、至近距離で魔法を放とうとして、__。
「ふっ」
その瞬間、サフィールが動く。素早い体裁きで迫り、突き出した彼の掌がリュシクの拳を上へと弾いて魔法展開を阻止。その動きは止まることなく流れのまま、次に両手がとんと前へ出される。
「きゃぁっ」
リュシクの身体が後方に弾き飛ばされる。
サフィールの展開したままの防御魔法が圧力となって、リュシクを押し飛ばした。
ざざっ、と元の位置まで下がって、そこでリュシクは尻もちをついた。
砂埃が晴れる。一瞬の出来事に、周りは何が起こったかを把握していない。ただ、彼女の悲鳴と姿に何事かと視線が集まる。教師達、そしてマトイ中尉もリュシクを注目した。
「おい、大丈夫か!?」
「リュシク、どうしたのっ!?」
壮年の教師とジェミットが慌てて駆け寄ってきた。
「あ。……、う、あの、サフィール君の防御魔法が厚すぎて押し返されて、しまい、ました……」
リュシクの攻撃が弾かれた衝撃で尻もちをついたのだと、彼女はとっさに弁明してみせた。
とにかく、リュシクに怪我はなさそうなので、教師は安心と呆れを混ぜ込んだ複雑な表情で腕を組んだ。
リュシクの言葉を聞いた周りの学生達は「首席の魔法力やべぇ」と慄いていた。
畏怖の視線を浴びながら、サフィールがリュシクの元へ近づいた。片膝をついて、彼女の顔を覗き込む。
「君らしくないな。
勇ましいけれど、君はこんな考えなしな行動をする子だっけ。
さっきの四発目で出そうとした威力は、普通の人間程度の汎用防御魔法は割ってしまう。
威力はもっと慎重に絞ったほうがいい。手加減くらい、出来るよね?」
ゆっくりと静かに、噛んで含めるような調子で囁かれた。
リュシクは瞠目して言葉を受けとめた。言い返すことは、辛うじてしなかった。
サフィールが差し出してくる手を取らず、リュシクは自分の力で立ち上がった。
その拒絶の動作に、サフィールは一瞬だけ切なげに眉根を寄せた。
「……落ち着くまで、彼女は休憩したほうがいい。
ジェミット、ペアを変わろう。君はリュシクに着いててあげなよ」
屋外実技場の端。防護柵を背にして、リュシクとジェミットは並んで座っている。
学生達は何事もなかったかのように、実技演習を続けていた。
サフィールとヒースクリフも二人一組になっていた。サフィールが攻撃側。威力を抑えた正確無比な魔法展開で、ヒースクリフの防御魔法を押していた。
二人を、否、サフィールを眺めるリュシクが、ぼそりと声を漏らす。
「私らしくないって、何が?」
苛立ちを隠しもしない、地を這うような低い声音。
ジェミットは深刻な表情で彼女の横顔を見つめていた。
「リュシク、あのね」
ジェミットに声を掛けられて、リュシクはサフィールから視線を外す。
隣に座るジェミットが、すぅっと長く深く息を吸っていた。
「絶対。
ぜぇーーーーったいっ、サフィールって、リュシクに気があるよっ!!」
「う、うん」
リュシクは冷静に頷いた。
当たり前の話である。サフィール・オデロは師匠だから、リュシクを常に気に掛ける。
「って、ちゃんと気づいてるんだっ!?
もしかして。リュシクってば、サフィールからの告白待ち!?」
「……う、うん? 告白を待つ?」
え、と首を傾げる。
師匠だと確信して根拠を集めているのを、もしやジェミットに感づかれたのだろうか。
「待って、その顔を見ると、ちゃんと分かってない表情なんだけど。
あのね。あたしが言ってるのは、サフィールがリュシクに惚れてて、リュシクと付き合いたいんじゃないかって話だぜ?」
「……惚れて? 付き合いたい?」
…………至近距離で見るジェミットは、本当に可愛いなぁ。
長いまつげが陽に当たってきらきらと輝いている。目尻にすっと細く引かれた桃色のアイラインがおしゃれだ。肌も透き通るほど薄くて白い。唇はぷっくりと厚みがあって、控えめに塗ってる口紅の色がすごく似合っている。眉毛もただ整えるだけじゃなくて、形にこだわっている気がする。
私も、ちょっとお化粧をやってみようかな。ジェミット、教えてくれるかな。
「リュシク、リュシクさん?」
「あ、はい」
ジェミットが両手でリュシクの肩を揺すっている。ジェミットが威嚇する子猫のように叫ぶ。
「何も分かってなくないっ!?」
「えぇ、そうかな」
揺すられるまま、リュシクは薄く笑った。
「あのね、ジェミット。
サフィール君が、私に惚れているとか付き合いたいとか、ないと思うの。
それにね、彼であっても、誰に対しても。
私は、恋愛感情になんて興味を抱けないの」
ぴたり、と肩を揺する手が止まる。
「な、なんだって」
「だって、それって生きていくのに必要なの?」
ジェミットのぽかんとした表情。
「別に必要じゃないなら、私は恋愛なんてしなくていいかな」
「愛がなきゃ人は生きていけないと思いますっ!?」
「……愛はあるよ。大好きな人はいるよ?」
「ええええええぇっ」
ジェミットの反応に、リュシクは少し戸惑う。
防護柵に張り付くほどにのけ反って、愕然とした表情でこちらを見つめるほど。そこまでに驚くほどの発言なのだろうか。
愛と恋愛の違いくらい、理解しているつもりなのに。
恋愛は、……愛より脆い感情で、壊れたり風化したり、想いが報われることも不確かで、人の大事なものを損なうだけの感情だ。
サフィールが、師匠が、そんな感情を私に抱いているなんてことはないはず。
「ちょっと待って、リュシクのこと、あたし分かんなくなってきたぜ。
ごめん、この話はやめよっか。
……ちょっといつかどこかで、じっくり腰を据えて語り明かそう?」
「うん、そうしよ」
ジェミットはこめかみを押さえてうんうんと唸っている。
彼女のことはとりあえずそっとしておいて。
リュシクはむっすりとした表情で前を向き直した。
遠い位置にいる、サフィールを睨みつける。
「……師匠らしくない」と、零れ落ちそうになる言葉を、リュシクは奥歯で嚙み砕いたのだった。
お読み頂きありがとうございます。
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