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第7話:雁の印章


 親愛なるアトキア師匠へ


 お元気でいらっしゃいますか?

 以前の入学式の日に書いた手紙は、いつ頃に届きましたでしょう?

 毎日三食を食べてきちんと寝ることのお願いを書きましたが、ちゃんと守ってくださってます?

 テウルギアとそちらまで、あまりにも遠い距離ですね。

 今、こうして認めている手紙も、一日も早く師匠の元へ届きますように。

 こちらは今の季節でも、とても暖かく過ごしやすい気候です。

 海から学院まで結構離れていますが、講義室の開け放った窓から潮風の匂いが、ふと漂ってくることがあります。

 潮風の匂いを嗅げば、何故か私の心は、師匠と暮らす大森林の、あの苔むして湿った土の匂いを思い出してしまいます。

 秋の季節。紅く染まった落ち葉の上に寝ころんで、鳥の囀りに耳を傾ける。

 すぅっと深呼吸して、土と落ち葉の匂いに浸る。

 あの森の匂いを閉じ込めて、こちらに持って来られれば良かった。

 どこまでも静かだった日々を懐かしく感じます。

 空気も匂いも時間の流れも、何もかも違う場所ですが、私は元気に過ごしています。

 師匠のおかげで、勉強はまだ余裕があります。でも、もちろん慢心せずにいます。

 テウルギアの図書館や書店には、ネオファイ公国の街では手に入らないような書物が山ほどありそうです。

 なので、学院生活中に出来る限り読み漁りたいです。

 来年の夏季長期休みにはそちらへ帰りますので、厳選した本をお土産にしますね。

 そうだ。今朝の話ですが、散歩中に地元の人からおすすめのパン屋さんを教えて貰いました。

 朝ごはんに買って食べました。とっても、すごく、美味しかったです!

 生のタマネギが新鮮で味が濃くって。香草のソースも変わった風味ですが、私はとっても気に入りました。

 こちらで食べて美味しかったものは、再現できるようレシピを書き留めておこうと思います。

 それもお土産にして、帰ってきた際には師匠へたくさん振舞いますね!

 レシピが一つ増えるので、おすすめしてくれた地元の人に感謝してます。いつかお礼が言えたら良いなぁ。

 テウルギアの領土は狭いですが、なるべく食糧供給を輸入に頼りきらないようにと農業も盛んなのです。

 都市直轄事業として、巨大な海上農園が最先端の魔法技術で作られているそうです。

 そこでは一部の野菜は塩栽培で育てられており、テウルギアで名産品のひとつなのだとか。

 今朝食べたタマネギも、塩栽培のものだったからあんなに美味しかったのかも。

 世界的高等教育機関の運営、最先端の海上農園など、都市直轄事業の多種多様さもテウルギアの魅力ですね。

 他国からの視察を頻繁に受け入れていると聞きました。

 私も、社会が良くなるような研究開発や事業に携わってみる。

 そんな将来も楽しそうだな、と少しだけ思い始めています。

 あぁ、今回の手紙もテウルギアのことばかりでした。

 とにかく、私は毎日たくさんの興味を惹かれることに出会って、目まぐるしい生活を過ごしています。

 テウルギアでの生活が始まって、たったの一週間少しなのに。

 師匠に話したいこと聞いてほしいことばかり溢れてきます。

 全てを手紙に認めると到底封筒に収まらないでしょう。

 どうか私が帰ってくる日を楽しみに待っていてください。

 また手紙を出します。

 そちらは日々寒くなるばかりだと思うので、ちゃんと暖かくしてください。お布団を重ねること!

 

 貴方の弟子リュシクより





 深夜。

 暗闇の中で、男は机の前に座っていた。

 小さな灯り一つだけを頼りに、手紙を読んでいる。

 飽きもせず、繰り返し読んでいた。

 書かれている文字を、繰り返し指先でなぞっていた。

 机の上には、入学式の翌日には手にしていたもう一通の手紙。

 他には、何も書かれていない便箋、ペンとインク壺。

 彼女からの手紙は封蝋の刻印で識別されて、男が作った魔法道具の中に届く仕組みだ。

 世界中、どこにいても彼女の手紙が届くように彼が用意した。

 彼女は手紙が時間を掛けて大海を越え、辺境の大森林まで届くのだと思っている。

 何度も、男はペンを握ろうとしていた。

 手紙の返事を書こうとして、しかし書くべきことが決まらない。

 届けたい思いは、彼女と同じように封筒へ収まりきらないほどあった。

 だが、どれもこれも迷いがあった。

 何を書けばいいのか、何を書いたら嘘にならないか、男は分からなかった。

 誰かに宛てて手紙を認める行為そのものも、彼の人生ではまったくなかった。

 自分自身のことを他人に向けて語ることや書くことなど、いままでまったくなかった。

 男は生来、他人に興味が薄く、人付き合いは最低限、自分のことを誰かに理解してもらいたいなど露ほどにも思ってこなかった。

 __だったはずなのに。

 男は、自分の全てを彼女に知ってほしいと思ってしまっている。

 本当のことだけを知ってほしくて、嘘を書きたくなかった。

 手紙に紡がれる彼女の言葉、全てに言葉を返したい。

 彼女の手紙を読むだけで、自分がどれほど満たされて同時にどれほど飢えるのか。

 全て、彼女に知ってほしかった。

 そんなもの、書いてはならない。

 男は十分に理解していたからこそ、何も書けなかった。

 夜が明けるまで。

 返事を書くこともできず、彼女の手紙をずっと離さないままでいた。

お読み頂きありがとうございます。

もし面白い、続きが気になると思って頂けましたら、評価やブックマークで応援いただけますと大変励みになります。

また次話でお会いできましたら嬉しいです。

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