第3章 第50話 「第三荷場」
昼食を終えても、採石場の空気は静かなままだった。
木々の向こうには地図に載っていない古道が続いている。村から運び出されたらしい大型設備の痕跡はここまで辿れたが、その先に何があるのかは分からない。
ヴェスパーは食器を片付けながら、何度か南の森へ視線を向けていた。
「気になるなら行けばいいだろ」
ガルムが言った。
「さっきは今日は行かないって決めた」
「決めたあとに気が変わることもある」
「煽ってる?」
「確認してるだけだ」
ヴェスパーは森から目を離した。
「今日は採石場を見る」
「ああ」
「それで何もなかったら?」
「その時考えろ」
「簡単に言うな」
「実際それしかねえだろ」
ガルムの返事に、ヴェスパーは苦笑した。
以前なら、先に道を見つけた時点で進んでいたかもしれない。次の手掛かり、その次の答えと、止まる理由がなくなるまで追い続けていたはずだ。
今は違う。
追えることと、今追うべきことは同じではない。
「片付いた?」
イリスが声を掛ける。
「ああ」
「じゃあ私は小屋をもう少し見る。さっきの札、他にも似たものがあるかもしれない」
「床抜けるなよ」
「何で私だけ毎回それ言われるの?」
アルドが横から答えた。
「奥を見る時に足元見なくなるから」
「……そんなに?」
「なる」
「ヴェスパーは?」
突然振られる。
「なると思う」
「レイラ」
「なる」
「セレス」
「なりますね」
「味方いないの!?」
採石場にレイラの笑い声が響いた。
◇
調査は二手に分かれて行うことになった。
イリスとアルドは、研究組織が後から建てたらしい石床の小屋を調べる。レイラとセレスは周囲の安全確認を兼ねて荷場を見て回り、ヴェスパーとガルムは採石場の古い設備を確認する。
「何を探せばいい?」
ヴェスパーが尋ねた。
「分からん」
「案内役だろ」
「俺が知ってる頃は普通の採石場だったんだよ」
ガルムは岩壁を見上げた。
「石を切って、荷車に積んで、街道へ出す。それだけだ」
「じゃあ、昔と違うものを探す?」
「それなら出来る」
二人は採石場の北側から歩き始めた。
岩壁には採掘のために掘られた浅い坑道がいくつもある。ほとんどは数歩先で行き止まりになっていたが、中には人が立ったまま進めるほど深いものもあった。
ガルムはそのたびに足を止め、記憶と照らしていた。
「これはあった」
「こっちは?」
「あったと思う」
「曖昧だな」
「採石場の穴を二十四年覚えてる奴がいたら連れてこい」
「それはそう」
三つ目。
四つ目。
五つ目。
何もない。
六つ目の坑道の前で、ガルムが立ち止まった。
「これは知らん」
ヴェスパーも入口を見る。
ほかの採掘跡より綺麗だった。岩を荒く削っただけではなく、左右の壁がほぼ垂直で、床まで平らに均されている。
「後から作った?」
「多分な」
「入る?」
ガルムは一度、中を覗き込む。
「アルド呼ぶ」
「慎重になったな」
「地下で知らねえ通路ばっか出てきたからだよ」
「それは正しい」
「お前に言われると腹立つな」
二人は小屋の方へ戻った。
◇
「人工通路だと思う」
アルドは入口を見るなりそう言った。
壁面を触り、天井を確認する。
「採石用の坑道じゃない。幅が一定すぎる」
「安全?」
「入口から見える範囲は。ただ、奥は確認する」
灯りを用意し、アルドが先に入った。
続いてヴェスパー、ガルム、イリス。レイラとセレスは少し遅れて合流する。
坑道は十数歩進んだところで右へ曲がっていた。
その先。
小さな空間がある。
「倉庫?」
ヴェスパーが言った。
部屋には何も残っていなかった。
正確には、大きなものが残っていない。
床には金具を固定していた穴が並び、壁際には腐った木片と金属片が散らばっている。床の一部には黒い染みもあった。
イリスがしゃがみ込む。
「油かな」
「触らない」
「触ってない」
「先に言っただけ」
「最近アルドがセレス化してない?」
セレスが後ろから入ってくる。
「悪いことですか?」
「……悪くない」
イリスは素直に引いた。
ヴェスパーは部屋の奥へ視線を向ける。
壁に。
文字のようなものがあった。
「イリス」
「何?」
「あれ」
灯りを近付ける。
塗料はほとんど落ちているが、金属板が壁へ固定されていた。
イリスが汚れを払い、文字を読む。
「『第三……』」
「第三荷?」
昨日拾った札を思い出す。
イリスがさらに表面を見る。
「違う」
「何?」
「『第三荷場』」
部屋の中が静かになった。
「荷物の三番目じゃなかったのか」
レイラが言う。
「そうみたい」
イリスは昨日の金属札を取り出した。
そこに残っていた文字は、『第三荷』までしか読めなかった。
「これ、多分『第三荷場・搬入』だったんだ」
ヴェスパーが壁の札を見る。
「第三ってことは」
「第一と第二がある可能性が高い」
アルドが答えた。
ガルムは小さく舌打ちする。
「村だけじゃなかったってことか」
「少なくとも、この採石場は単独施設じゃない」
イリスは記録紙を取り出した。
「研究組織は複数の荷場を使ってた可能性がある。ここが三番目なら、村に近い理由も説明出来るかもしれない」
「何を運んでた?」
レイラが聞く。
「それを今から探す」
◇
第三荷場の部屋は、それほど広くなかった。
だが調べ始めると、用途を示す痕跡が次々に見つかった。
壁の低い位置には荷を固定する金具。天井には滑車を吊ったらしい穴。床には大型の物を移動させた傷が何本も走っている。
アルドは村の地下で測った炉台の幅と、床の傷を比較した。
「一致しない」
ヴェスパーは少し意外だった。
「炉じゃない?」
「少なくとも、ここで動かしたものは炉より小さい」
「じゃあ別の荷物?」
「ああ」
イリスが壁際に残る金具を確認する。
「研究資材かな。装置、箱、人……」
「人?」
レイラが眉を寄せる。
「可能性として言っただけ。人だった証拠はない」
そこでイリス自身が口を閉じた。
何でも候補を出せばいいわけではない。
可能性が多いほど、言葉だけで物語を作ってしまう。
「炉はここを通ってない?」
ヴェスパーが尋ねる。
「荷場の中までは入れてないと思う」
アルドが入口の幅を確認する。
「そもそも炉が通るには狭い。外の荷場で積み替えたんだろう」
「じゃあ、この部屋は別用途」
「そう見える」
つまり。
研究組織は、炉を回収するためだけにこの採石場を利用したわけではない。
もっと前から。
ここを物流拠点として使っていた。
「村が襲われる前から?」
ヴェスパーが言う。
「可能性は高くなった」
イリスが答える。
「地下施設を作る資材も必要だったし、星脈炉そのものを村へ入れる方法も必要だった」
「南の道からここへ持ってきて」
ヴェスパーは頭の中で地形を繋ぐ。
「ここから村へ?」
「今のところ、それが一番自然」
ガルムは何も言わなかった。
ヴェスパーが見る。
「どうした?」
「あいつ」
「母さん?」
「ああ」
ガルムは部屋を見回した。
「どこまで知ってたんだ」
答えられる者はいなかった。
◇
部屋の奥には、石造りの小さな棚があった。
上段は空。
中段も空。
下段だけ。
奥に何かが残っている。
レイラが取ろうとする前に、イリスが振り返った。
「待って」
「まだ何もしてない!」
「先に言っただけ」
「みんな私に先回りしすぎじゃない?」
アルドが棚を確認し、安全だと判断してから、イリスが奥に手を伸ばした。
出てきたのは薄い金属箱だった。
錆びている。
鍵はない。
ただ、蓋が固着していた。
「開ける?」
ヴェスパーが尋ねる。
「外でやる」
イリスは即答した。
「意外」
「何が?」
「ここで開けると思った」
「私を何だと思ってるの」
レイラとアルドが同時に視線を逸らした。
「ちょっと!」
◇
金属箱は荷場の外へ運ばれた。
セレスが周囲を確認し、アルドが工具で蓋を少しずつ持ち上げる。
錆が剥がれた。
内部には紙の束が入っていた。
しかし保存状態は悪い。
湿気で貼り付き、端は崩れている。
「読める?」
ヴェスパーが聞く。
「無理に開いたら全部壊れる」
イリスは一枚ずつ分離するのを諦め、比較的状態の良い上の数枚だけを見る。
「帳票みたい」
「荷物の?」
「多分」
一枚目。
ほとんど読めない。
二枚目。
数字だけ。
三枚目。
端に文字が残っている。
「……『第三荷場』」
イリスが読んでいく。
「『南路より搬入』」
ヴェスパーは南の森を見る。
地図にない道。
やはり。
そこから。
何かが来ていた。
「続きは?」
「待って」
紙を傾ける。
文字の一部。
「『受領後、北路へ』」
「北って村?」
レイラが聞く。
アルドが方角を確認する。
「村へ向かう古道は北西寄り。ここで言う北路が同じものかは不明だけど、方向は合う」
「じゃあ研究組織は南から物を入れて、村へ運んでた」
ヴェスパーが言う。
「少なくとも、この書類では何かを南から受けて北へ送ってる」
イリスが訂正する。
「対象は?」
「読めない」
紙の中央部分が大きく崩れている。
「日付は?」
「ここかな」
数字。
古い暦。
イリスがガルムを見る。
「村が燃えた年と照合出来る?」
「出来ると思う」
ガルムが自分の手帳を出す。
二人で確認する。
しばらく。
沈黙。
「襲撃の?」
ヴェスパーが聞く。
イリスが顔を上げた。
「七か月前」
「七か月」
「ああ」
ガルムが低く答える。
少なくとも。
村の襲撃より。
かなり前から。
第三荷場は動いていた。
◇
次の紙も、状態は悪かった。
今度は南からではない。
「『北路より受領』」
イリスが読む。
「北から?」
「うん」
「村側」
「方向だけなら」
続きを読む。
「『南送』」
レイラが腕を組む。
「行ったり来たりしてたのか」
「そうみたい」
「何を?」
「そこがない」
対象物の欄だけが腐食している。
イリスが悔しそうな顔をする。
「都合よく消えるなあ」
「紙に文句言うなよ」
ヴェスパーが笑う。
「だって、知りたいところだけないんだよ」
「古い紙だから」
「分かってる」
イリスは小さく息を吐き、もう一度資料を見る。
「でも、これで少なくとも一つは分かる」
「何?」
「この場所は一方通行の回収拠点じゃなかった」
ヴェスパーも気付く。
「搬入も搬出もしてた」
「うん」
つまり。
火事のあと。
炉をここへ運んだことだけが。
この道の役割ではない。
何年も前から。
物資が。
人知れず。
村と南のどこかを。
往復していた。
「村の人、気付かなかったのかな」
レイラが言う。
ガルムが採石場の地形を見る。
「ここから村へ戻る道は、普段使う道と完全に別だ。夜に動かせば気付かない奴もいるだろう」
「全員?」
「分からん」
その中には。
ヴェスパーの母親も。
含まれる。
「母さんは、襲撃の前に何か気付いてた」
ヴェスパーが言った。
「お前との接続だ」
ガルムが答える。
「それだけ?」
今度は。
ガルムも。
すぐには答えなかった。
「俺が聞いたのはそれだけだ」
それは。
知らない。
とは少し違う。
ヴェスパーは。
その違いだけを。
覚えておくことにした。
◇
最後に残っていた一枚は、半分以上が失われていた。
日付。
なし。
荷場番号。
あり。
そして、短い文章。
イリスが何度も角度を変える。
「『第三荷場……閉鎖』」
全員が静かになる。
「いつ?」
ヴェスパーが聞く。
「日付部分がない」
「理由は?」
「その下」
紙が大きく欠けている。
残っているのは。
ごく一部。
「『……観測……』」
イリスが眉を寄せる。
「それだけ?」
「あと」
さらに下。
「『……対象村……』」
ヴェスパーの胸の奥。
黒い熱が。
少し。
強くなる。
「セレス」
自分から呼ぶ。
セレスはすぐ隣へ来た。
「痛みは?」
「ない。少し熱くなった」
「聞いただけで?」
「多分」
「少し離れましょう」
「でも」
「紙は逃げません」
その言い方に。
ヴェスパーが。
少し笑った。
「最近みんなそれ言うな」
「便利ですから」
ヴェスパーは金属箱から数歩離れた。
水を飲み。
呼吸を整える。
熱は。
少しずつ。
元へ戻った。
「続ける?」
イリスが聞く。
ヴェスパーは首を振った。
「今日はそこまで」
イリス自身も頷いた。
「私もそう思う。これ以上触ると紙が壊れるし、持ち帰って処置した方がいい」
「灰都へ?」
「うん。ちゃんと乾燥させてから見たい」
箱。
持って帰る。
その言葉で。
ヴェスパーは。
少し。
自分の中が決まるのを感じた。
◇
夕方。
一行は採石場の外れへ野営地を作った。
夕食の準備が進む中、ヴェスパーは地図を広げていた。
村。
古道。
第三荷場。
南へ伸びる。
地図にない道。
追えば。
まだ続く。
第一荷場。
第二荷場。
その先の施設。
研究組織の拠点。
炉。
母親。
いくらでも。
考えられる。
「行きたい?」
ガルムが横へ座った。
「南?」
「ああ」
「行きたい」
ヴェスパーは素直に答えた。
「なら行くか」
「でも帰る」
ガルムが少しだけ眉を上げる。
「灰都に?」
「ああ」
「いいのか」
「よくない」
「どっちだよ」
ヴェスパーは地図を見る。
「知りたい。でも、このまま道見つけるたび追ってたら終わらない」
「まあな」
「それに」
顔。
浮かぶ。
リク。
ノア。
アステル。
セリカ。
ハルト。
空白。
星見。
門の少年。
菓子屋の店主。
そして。
名前のない青年。
『帰ってきてからでいい』
そう言われた。
「帰るって約束した」
ガルムが。
少し。
笑う。
「それでやめるのか」
「やめない」
「じゃあ?」
「一回帰る」
ヴェスパーは南の道に、小さな印を付けた。
「準備して、必要ならまた来る」
「誰と?」
「それも帰って相談する」
ガルムはしばらくヴェスパーを見ていた。
「何」
「いや」
「また成長したとか言ったら怒るぞ」
「言わねえよ」
「顔が言ってる」
「最近その言い方好きだな、お前」
「便利だから」
ガルムが小さく笑う。
「じゃあ明日」
「採石場を最後に確認して、村へ戻る」
「村で一泊?」
「したい」
「ああ」
「その次の日、灰都へ」
口にすると。
帰る道が。
はっきりした。
◇
夕食の時。
ヴェスパーは皆へ決めたことを伝えた。
「明日、ここをもう一度見たら村へ戻る。その次の日に灰都へ向かいたい」
最初に反応したのはレイラだった。
「南は?」
「今回は行かない」
「気にならない?」
「気になる」
「すごく?」
「すごく」
「なのに?」
「帰る」
レイラはしばらくヴェスパーを見た。
それから。
「分かった」
思ったより簡単だった。
「もっと反対するかと思った」
「次来ればいいだろ」
「……そうだな」
「その時は肉増やせ」
「何で遠征条件みたいになってるんだよ」
イリスも記録箱を見ながら頷いた。
「私は賛成。この紙、現地で触り続けるより灰都へ持って帰った方がいい」
「私はもっと賛成です」
セレスが続く。
「どうして」
「全員疲れています」
「俺も?」
「特にガルム」
「俺かよ」
「朝早い、休憩を忘れる、食事を後回しにする。ヴェスパーより手が掛かっています」
ガルムが絶句する。
ヴェスパーは笑いを堪えられなかった。
「俺より?」
「笑うな」
「いや、珍しくて」
アルドも地図を畳んだ。
「帰って正解だと思う。南路を本格的に追うなら、今の装備じゃ足りない」
「何が必要?」
「まず道の情報。食料。場合によっては補修道具も増やす。何日になるか分からない」
「じゃあ次だな」
「ああ」
六人。
決まった。
明日。
戻り始める。
◇
夜。
採石場には風が吹いていた。
岩壁に当たり、低い音を返す。
ヴェスパーは焚き火のそばで、拾った一枚の小石を指先で転がしていた。
採石場の石。
特別なものではない。
研究組織とも。
灰星とも。
関係ない。
多分。
「持って帰るのか」
ガルムが聞く。
「駄目?」
「好きにしろ」
「村の石も一個持ってる」
「いつ拾った」
「今日じゃなくて、昨日」
「何に使う」
「知らない」
ヴェスパーは小石を見る。
「でも、帰ったら名前のない青年に見せようかなって」
「何て言う」
「俺が住んでた村の石」
「採石場のは?」
「昔、秘密の荷場があったところ」
「子どもへの土産みたいだな」
「本人に言うなよ」
「お前も子ども扱いしてねえか?」
「してない」
「本当か?」
「……多分」
ガルムが笑った。
ヴェスパーも。
少し笑う。
見つけたものを。
全部。
答えにしなくてもいい。
持ち帰って。
誰かに。
話す。
それで。
初めて。
自分の中で。
形になることもある。
第三荷場。
地図にない南路。
何年も前から続いていた。
秘密の搬入と搬出。
消された村。
持ち去られた炉。
まだ。
先は長い。
それでも。
今回は。
ここで引き返す。
逃げるのではない。
終わらせるのでもない。
帰るために。
道を切る。
「明日」
ヴェスパーが呟く。
「何だ」
「帰ろう」
ガルムは焚き火へ薪を一本足した。
「ああ」
短い返事だった。
けれど。
ヴェスパーには。
十分だった。




