第3章 第45話 「家のない村」
翌朝、ヴェスパーたちは日の出より少し遅れて宿を出た。
空は晴れていたが、夜の冷気がまだ地面に残っている。昨日の雨で湿った土からは草と泥の匂いが立ち、宿場の外れでは早起きの農夫が荷車へ籠を積み込んでいた。
宿の主人から持たされた朝食は、黒パンと干し肉、それに塩漬けの豆だった。
「昨日の夕飯より肉が多い」
歩きながら包みを覗き込んだレイラが、少し嬉しそうに言った。
「朝飯で最初に見るところそこ?」
イリスが呆れる。
「大事だろ。これから森歩くんだぞ」
「だから食べ物を全部一度に食べないでくださいね」
セレスが念を押す。
「分かってるって」
そう言いながら、レイラはすでに干し肉を一枚口へ入れていた。
アルドが横から見ている。
「それ、昼の分も入ってる」
レイラの咀嚼が止まった。
「……先に言えよ」
「昨日説明した」
「聞いた記憶がない」
「聞いてなかっただけ」
「記憶の話してる時に紛らわしいこと言うな」
ガルムが鼻で笑った。
「何でも記憶のせいにすんな」
「今のはアルドの説明不足だろ」
「違う」
「即答かよ」
昨日までなら、ヴェスパーも笑っていたと思う。
今朝も口元は緩んだ。
ただ、胸の奥では別の感覚がずっと残っていた。
宿場を出れば、もう目的地まで人の住む場所はない。
昨日見つけた、名前を削り取られた道標。
そこから右へ。
子どもの自分が暮らしていた村へ続く道がある。
そう考えるたび、剣帯の下にある黒い熱が、ほんの少しだけ存在を主張しているように感じた。
痛みはない。
いつもの熱と大きく違うわけでもない。
それでも。
「ヴェスパー」
セレスが横へ並んだ。
「胸ですか?」
「分かる?」
「何度か触っているでしょう」
自分でも気付かないうちに、手が胸元へ行っていたらしい。
「少し熱い気がする」
「昨夜より?」
「同じくらい。たぶん」
「痛みは」
「ない」
「息苦しさも?」
「ない」
セレスは頷いた。
「変化があったら、すぐ言ってください」
「分かった」
「『まだ大丈夫だから』はなしです」
「先に潰された」
「何度も聞いていますから」
ヴェスパーは苦笑した。
ガルムが二人の会話を聞いていたが、何も言わなかった。
◇
道標へ戻ったのは、朝の光が森の奥まで入り始めた頃だった。
昨日と同じ石。
左へ行けば宿場。
右へ行けば、草に埋もれた古い道。
削り取られた面も変わっていない。
当然だ。
たった一晩で何かが戻っているはずもない。
それでもヴェスパーは、石の前で一度足を止めた。
「見る?」
イリスが聞く。
「昨日見た」
「今日は違うかもしれないよ」
「それ言われると怖いな」
「ごめん」
「いや」
ヴェスパーは石へ近付く。
昨日アルドとイリスが確認した工具痕。斜めに何度も打ち付けられた傷。その中に名前の欠片でも残っていないかと思ったが、やはり読めるものはなかった。
ガルムは少し離れた場所に立っている。
「行こう」
ヴェスパーが言った。
ガルムがこちらを見る。
「いいのか」
「ああ」
「何があるか分からんぞ」
「そのために来た」
「そうか」
短いやり取りだった。
けれど昨日までのような、互いに相手を試す声ではない。
アルドが先頭へ出た。
「昨日より道が悪い。足元見て」
「また泥?」
レイラが自分の靴を見る。
「泥ならまだいい」
「もっとあるの?」
「倒木、崩れ、穴」
「やっぱり斧二本持ってくればよかった」
「どうして」
「倒木切れる」
「一本で切って」
「正論嫌いになってきた」
「知ってる」
一行は、右の道へ入った。
◇
最初の一時間は、本当に道なのか疑いたくなる場所が続いた。
古い石敷きはほとんど見えず、草と落ち葉が地面を覆っている。木々の間隔だけが、かつて人の通行があったことを何とか伝えていた。
アルドは時折しゃがみ込み、埋まった側溝や石を確かめる。
「こっちで合ってる」
「何を見て分かるの?」
イリスが尋ねた。
「排水」
「排水?」
「道の両側に浅い溝がある。完全に埋まってるけど、人が作った形」
イリスもしゃがんだ。
「本当だ」
「掘らないで」
「触るだけ」
「その顔は掘る顔」
「何、その判別方法」
「王都から見てる」
レイラが笑った。
「イリスも分かりやすいんだな」
「レイラには言われたくない」
ヴェスパーは二人を追い越しながら、前を歩くガルムを見る。
男の歩みは昨日より遅かった。
疲れているわけではない。
曲がり角へ来るたび、木々の位置や斜面の形を確認している。
記憶と照らしているのだ。
「分かる?」
隣へ追いついて尋ねる。
「ところどころ」
「変わった?」
「ああ」
ガルムは前を見たまま答えた。
「もっと開けてた。昔は街道沿いに炭焼きの小屋が二軒あった」
「今は?」
「ない」
周囲は木しかない。
「跡も?」
「分からん」
少し歩いてから、ガルムが右側を指した。
「あの辺だったと思う」
ヴェスパーは視線を向ける。
藪。
細い木。
倒れた幹。
それだけ。
「何もないな」
「ああ」
「火事で?」
「村とは離れてる。火がここまで回ったとは聞いてない」
「じゃあ壊れた?」
「二十四年ありゃな」
可能性はいくらでもある。
持ち主がいなくなった。
使われなくなった。
風で倒れた。
薪にされた。
森に飲まれた。
ヴェスパーは。
一つに決めなかった。
◇
二時間ほど進んだところで、道が急に広くなった。
森の中に、幅のある平地が現れる。
ガルムが足を止めた。
「ここ」
「何?」
「昔、荷車がすれ違う場所だった」
言われてみれば、地面は周囲より不自然に平らだ。
アルドが奥へ進み、低い草を掻き分ける。
「石がある」
そこには。
丸い礎石が。
二つ。
離れて残っていた。
「小屋?」
イリスが尋ねる。
「たぶん」
ガルムが答えた。
「昔はここで村の奴が荷を見てた」
「関所?」
「そんな大げさなもんじゃねえ。野菜とか、鉱石とか、商人の荷を置いたりな」
「村までは?」
ヴェスパーが尋ねる。
ガルムは。
少し。
黙った。
「近い」
声が変わった。
「ここからなら」
前方。
道が。
ゆるやかに。
下っている。
「昔は屋根が見えた」
全員が。
そちらを見る。
今は。
木。
だけ。
「見えないね」
イリスが言った。
「ああ」
ガルムの返事は低い。
ヴェスパーは。
胸の奥。
黒い熱。
少しだけ。
強くなった気がした。
「セレス」
「止まりますか?」
「いや」
「熱?」
「少し増えた」
セレスがすぐ近付く。
「触れても?」
「ああ」
胸。
剣帯の上。
呼吸。
脈。
「大きな変化はありません。ただ、ここからはゆっくり行きましょう」
「分かった」
ガルムが。
振り返る。
何か。
言いかけた。
ヴェスパーは。
先に言った。
「大丈夫じゃない時は言う」
ガルムの口が止まる。
「……そうしろ」
それだけ。
◇
下り道へ入ってから。
景色が。
少しずつ。
変わった。
まず。
石垣が現れた。
腰ほどの高さ。
苔。
崩れ。
それでも。
人の手で積まれたもの。
「畑?」
アルドが見る。
ガルムが頷く。
「昔は豆と芋」
レイラが。
石垣の向こうへ。
顔を出す。
「今は木しかないぞ」
畑だった場所には。
若い木が。
何本も。
生えている。
二十四年。
人が。
手を入れなければ。
こうなるのかもしれない。
次に。
井戸。
石造り。
蓋はない。
中は。
落ち葉と。
黒い水。
「触るな」
ガルムが。
イリスより先に言った。
「まだ何もしてない」
「今しようとした」
「覗くだけ」
「落ちたらどうすんだ」
「落ちないよ」
「イリス」
セレスが。
静かに。
呼ぶ。
「……分かった」
レイラが小声でヴェスパーへ言う。
「セレス強いな」
「昨日も言ってた」
「何回見ても強い」
そのやり取りを。
ガルムは。
聞いていなかった。
井戸。
見ている。
「覚えてる?」
ヴェスパーが聞く。
「ああ」
「村の?」
「共同井戸だ」
「俺も使った?」
「多分な」
「また多分」
「五歳の子どもがどの井戸使ってたかまで知らん」
「それもそうか」
ヴェスパーは。
井戸へ。
近付く。
石。
苔。
冷たい。
手を。
触れる。
何も。
戻らない。
昨日の切り株と。
同じ。
でも。
今回は。
少しだけ。
落胆が。
小さかった。
「何もない」
自分から。
言う。
「そうか」
ガルム。
「うん」
それで。
進む。
◇
井戸を過ぎた先。
森が。
不自然に。
開けた。
最初。
誰も。
声を出さなかった。
そこに。
村が。
あった。
正確には。
村が。
あった場所が。
残っていた。
家は。
一軒も。
立っていない。
石の基礎。
低い壁。
炭化した木片。
草。
木。
場所によっては。
腰まである。
灰色の土。
それが。
緩やかな斜面へ。
広がっている。
「……ここ?」
レイラが。
いつもより。
小さな声。
ガルムは。
すぐには。
答えなかった。
道。
井戸。
斜面。
遠くの丘。
一つずつ。
見る。
「ああ」
ようやく。
言った。
「ここだ」
ヴェスパーは。
立ったまま。
動けなかった。
もっと。
何かが。
起きると思っていた。
頭痛。
記憶。
声。
火。
黒い星。
母親。
何か。
でも。
目の前にあるのは。
古い。
石。
草。
虫の音。
風。
それだけ。
「……思ってたより」
イリスが。
言葉を探す。
「何もない」
ガルムが。
それを。
責めるようには。
聞かなかった。
「ああ」
レイラが。
斧を。
背へ戻す。
「家、全部?」
「ああ」
「焼けたから?」
ガルムが。
答えようとした。
その前に。
アルドが。
「待って」
と言った。
◇
アルドは。
一番近くの。
家の跡へ。
しゃがみ込んでいた。
基礎。
石。
半分。
土へ。
埋まっている。
「どうした」
ヴェスパーが。
近付く。
アルドは。
石の端を。
指で。
なぞった。
「これ」
「何?」
「焼けて崩れただけじゃない」
ガルムが。
歩みを。
止める。
「どういう意味だ」
アルドは。
周囲。
見る。
「基礎石が抜かれてる」
「持ってかれた?」
「多分」
次。
別の家。
行く。
同じ。
石の並び。
途中で。
切れる。
「再利用したとか?」
イリスが尋ねる。
「それならありえる。でも」
アルドは。
土。
指で。
払う。
石の表面。
出る。
そこに。
まっすぐ。
傷。
「工具痕」
ヴェスパーが。
昨日の道標を。
思い出す。
「削った?」
「外した」
アルドが答える。
「壊れた石を適当に持っていったなら、こんな均一にはならない」
ガルムが。
別の。
基礎。
見る。
一軒。
二軒。
三軒。
どれも。
同じ。
火で。
崩れた。
家。
それだけ。
ではない。
「誰かが」
イリスが。
声を落とす。
「火事のあと、ここを片付けた?」
「片付けた、なら」
アルドが。
周囲を見る。
「もっと生活のために使えるものを優先する。ここは違う」
「何が」
レイラ。
「建物の痕跡を消すように外してる」
空気が。
変わった。
◇
ガルムは。
急に。
歩き出した。
「ガルム?」
ヴェスパーが追う。
男は。
村の中央らしい場所へ。
進む。
石。
基礎。
草。
越える。
「どこ行く」
「家」
「誰の」
ガルムは。
答えなかった。
ヴェスパーの胸が。
少し。
強く。
鳴る。
しばらくして。
ガルムが。
止まった。
そこには。
他と。
同じように。
低い。
基礎跡。
しかない。
「ここ」
声。
少し。
掠れている。
「お前の家だった」
ヴェスパーは。
足元を見る。
何も。
分からない。
四角い。
石の跡。
部屋。
だったのか。
入口。
だったのか。
想像すら。
難しい。
「母親も?」
「ああ」
「ここに?」
「ああ」
ヴェスパーは。
基礎の内側へ。
入る。
草。
足。
擦れる。
何か。
覚えている。
はず。
五歳。
家。
母。
食事。
寝床。
声。
でも。
何も。
出てこない。
胸の黒い熱だけ。
少し。
強い。
「ここで」
ガルムが。
続ける。
「お前が寝てた部屋は」
途中。
言葉。
止まる。
「どこ?」
ヴェスパーが聞く。
ガルムは。
基礎を見る。
「……おかしい」
全員。
静かになる。
「何が」
「広さ」
ガルムが。
歩幅。
数える。
壁跡。
見る。
「こんな小さくなかった」
ヴェスパーが。
周囲を見る。
確かに。
残っている基礎だけなら。
小さな家。
二部屋。
多くても。
三部屋。
「記憶違い?」
イリスが。
慎重に。
聞く。
ガルムが。
すぐ答えない。
「かもしれん」
言う。
「でも」
しゃがむ。
石。
土。
掻く。
アルドが。
隣へ。
「待って」
手袋。
出す。
「俺がやる」
ガルムが。
一瞬。
反発しかけ。
でも。
退く。
アルドが。
地面を。
少し。
掘る。
石の。
縁。
出る。
「……ある」
ヴェスパーが。
近付く。
「何が?」
「基礎の続き」
土の下。
今見えていたものより。
さらに。
外側。
石。
並んでいる。
つまり。
家は。
小さくなかった。
後から。
内側だけ。
残したように。
見えていた。
「埋めた?」
レイラが聞く。
「いや」
アルドが。
少し先。
土。
払う。
そこにも。
切断された。
石。
「外して」
言う。
「その上から土を戻した」
イリスが。
息を。
小さく。
吸った。
「わざと?」
「少なくとも」
アルドは。
顔を上げる。
「自然にこうはならない」
◇
ヴェスパーは。
自分の家だった。
場所へ。
立つ。
火で。
焼けた。
それだけではない。
誰かが。
あとから。
来た。
石を外し。
建物を。
崩し。
土を戻した。
道標の。
名前。
削った。
村。
人。
場所。
「消した?」
レイラが。
言う。
イリスが。
すぐ。
「そう」とは。
答えない。
「そう見える」
言い直す。
「でも目的はまだ分からない」
ヴェスパーは。
その慎重さに。
少し。
救われた。
誰が。
何のため。
分からない。
研究組織か。
生き残った村人か。
役所か。
灰星を。
恐れた。
誰かか。
「ガルム」
「何だ」
「火事のあと」
ヴェスパーは。
男を見る。
「戻らなかった?」
「ああ」
「一度も?」
「近くまでは来た」
「いつ」
「数年後」
初めて聞く。
「何で村には入らなかった」
ガルムの顔が。
僅かに。
硬くなる。
「監視があった」
「誰の」
「分からん」
「黒翼?」
「まだ黒翼って名前になる前だ」
「研究組織?」
「その可能性が高いと思ってた」
「思ってた?」
ガルムが。
村跡。
見る。
「見張ってた連中の顔を、俺は知らなかった」
「じゃあ」
「組織の残党だと決めつけた」
ガルムは。
今。
自分の。
記憶を。
疑っている。
「入らなかった?」
「お前がいたからな」
「俺?」
「連れて来てたら、見つかった可能性がある」
「一人でも?」
「その時は」
少し。
間。
「お前を置いてまで来る気になれなかった」
ヴェスパーは。
何も。
返せなかった。
責めることも。
礼を言うことも。
今は。
違う気がした。
「その見張り」
イリスが。
静かに。
尋ねる。
「何年くらいいた?」
「俺が確認したのは三年目まで」
「それ以降は?」
「来てない」
「どうして」
ガルムが。
ヴェスパーを見る。
「こいつが大きくなるほど、近付けたくなくなった」
ヴェスパーは。
少しだけ。
眉を寄せる。
「……それ、先に言えよ」
「今言った」
「二十四年後に」
「うるせえ」
レイラが。
口を開きかけ。
セレスが。
視線だけ。
送る。
レイラは。
黙った。
◇
「今日は」
アルドが。
周囲を見回す。
「むやみに掘らない方がいい」
イリスが。
自分の道具箱へ。
視線。
向ける。
「言われる前に分かってる」
「本当に?」
「アルドまで!」
少しだけ。
空気が緩む。
「理由は?」
ヴェスパーが尋ねる。
「どこまで人為的に手が入ってるか分からない。地面の下に空洞や、古い設備がある可能性もある」
「星脈炉」
ガルムが。
低く。
言った。
村の地下。
二十四年前。
持ち込まれていた。
携帯型の。
星脈炉。
「場所」
ヴェスパーが聞く。
「分かる?」
「大体」
ガルムは。
村の東側。
視線。
向ける。
「昔の集会所の下」
「今日は行く?」
ガルムが。
すぐには。
答えない。
ヴェスパーも。
急がせない。
「先に」
セレスが。
口を開く。
「休憩しませんか」
全員が。
見る。
「今?」
レイラが。
少し。
意外そう。
「朝から歩き続けています。ヴェスパーの黒火も少し強くなっている。ガルムも」
「俺?」
「顔色が悪いです」
「元からだ」
「そういう返しをする余裕があるなら、座ってください」
ガルムが。
言葉に。
詰まる。
ヴェスパーが。
笑う。
「セレス強い」
「お前まで言うな」
「でも座ろう」
村だった場所。
共同井戸の近く。
比較的。
平らな石。
一行。
腰を下ろす。
食事。
朝。
残しておいた。
干し肉。
パン。
レイラが。
昨日より。
ゆっくり食べる。
「何」
イリスが見る。
「別に」
「元気ない?」
「こういう場所で肉の話するの違うかなって」
ヴェスパーが。
レイラを見る。
「していいよ」
「本当に?」
「ああ」
レイラが。
干し肉を。
一枚。
持ち上げる。
「じゃあこれ、ちょっと塩辛い」
「それ今言うこと?」
イリスが笑う。
「ヴェスパーがいいって」
「肉の話はいいけど感想まで頼んでない」
「細かいな」
少し。
笑う。
村跡。
風。
虫。
そして。
食事。
ヴェスパーは。
パンを。
噛む。
ここで。
母親と。
食事をしたことが。
ある。
はず。
覚えていない。
でも。
今日。
ここで。
仲間と。
硬いパンを。
食べている。
それは。
今。
確かに。
起きている。
◇
休憩のあと。
ヴェスパーは。
一人で。
家跡へ。
戻った。
ガルムは。
少し離れた。
井戸。
立っている。
他の四人は。
周囲の安全だけ。
確認している。
誰も。
ヴェスパーへ。
付いてこない。
基礎。
内側。
草。
地面。
自分の。
家。
「ただいま」
言ってみた。
声。
自分でも。
変に聞こえた。
何も。
返らない。
当然。
それでも。
少し。
胸が。
痛い。
黒火ではない。
たぶん。
「違うな」
小さく。
言う。
ここを。
帰る場所だと。
まだ。
思えない。
覚えていない。
住んでいた。
家。
でも。
足元には。
誰かが。
消そうとした。
痕がある。
それなら。
今。
自分が。
見ている。
それで。
いい。
「ヴェスパー」
ガルムの声。
「何?」
「ちょっと来い」
声の調子が。
違った。
ヴェスパーは。
すぐ。
そちらへ向かった。
◇
ガルムは。
井戸の裏。
低い。
石壁の。
前に立っていた。
アルドも。
すでに。
そこへ。
来ている。
「何かあった?」
ヴェスパーが。
近付く。
ガルムは。
石壁の。
下。
指差す。
「これ」
土。
苔。
その間。
一部だけ。
石が。
切れている。
アルドが。
手で。
泥を。
払った。
出てきたもの。
金属。
細い。
板。
かなり。
錆びている。
「何?」
イリスも。
近付く。
「触っていい?」
アルドが。
「待って」
と止める。
布。
出す。
端。
持つ。
ゆっくり。
引き抜く。
手のひらほどの。
金属板。
表。
錆。
裏。
黒い。
焼け跡。
そして。
端に。
何か。
刻まれている。
イリスが。
目を細める。
「文字?」
ガルムの顔が。
変わった。
「……違う」
「知ってる?」
ヴェスパーが聞く。
ガルムは。
金属板を。
見たまま。
答える。
「研究所の印だ」
空気が。
冷える。
「村を襲った?」
「同じ系統だ」
ガルムの声。
低い。
「少なくとも」
金属板。
見る。
「火事のあとにも、ここへ来てる」
ヴェスパーは。
消された。
基礎。
削られた。
道標。
そして。
錆びた。
研究組織の。
印。
一つずつ。
見る。
誰かが。
村を。
燃やした。
そのあと。
誰かが。
戻ってきた。
何かを。
外した。
何かを。
埋めた。
そして。
村の名前を。
道から。
消した。
「地下」
ヴェスパーが言う。
ガルムが。
見る。
「星脈炉があった場所」
「ああ」
「行こう」
セレスが。
すぐ。
口を開く。
「今日は入口まで」
ヴェスパーが。
彼女を見る。
「中は?」
「安全確認をしてからです」
「でも」
「二十四年間放置された可能性のある地下施設です」
アルドも頷く。
「俺も同意。崩落と残留設備の確認が先」
イリスが。
珍しく。
即座に。
「私も」
ヴェスパーが。
少し。
笑う。
「イリスまで」
「私だって死にたくない」
「成長――」
「それ禁止って言ったでしょ」
少しだけ。
空気が。
戻る。
ヴェスパーは。
金属板へ。
もう一度。
視線を落とした。
「分かった」
急がない。
ここまで。
二十四年。
来なかった。
あと。
半日。
一晩。
待てる。
「まず入口を見る」
ガルムが。
静かに。
頷いた。
◇
六人は。
村の東側へ。
歩き始めた。
草。
石。
消された。
家々。
その間を。
進む。
ヴェスパーは。
途中。
一度だけ。
振り返った。
自分の家。
だった場所。
もう。
屋根も。
壁も。
名前も。
ない。
それでも。
今。
場所そのものは。
目の前にある。
誰かが。
痕跡を。
消した。
でも。
全部は。
消えなかった。
石。
工具痕。
錆びた。
金属板。
ガルムの。
記憶。
そして。
自分が。
ここへ。
来たという。
今日の記憶。
それだけは。
もう。
誰かの話ではない。
ヴェスパーは。
前を向いた。
村の東。
かつて。
集会所があった場所。
その地下へ。
続いていた。
はずの。
入口を。
探すために。




