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灰の星  作者: ウルフルマル


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第3章 第43話 「行ってらっしゃい」


 出発前日の朝、ヴェスパーはいつもより早く目を覚ました。


 まだ宿の廊下も静かで、階下から厨房の火を起こす音がかすかに聞こえる程度だった。窓の外では夜明け前の灰都が薄い青に沈み、西門の上に立つ見張りの影だけが動いている。


 旅支度は、ほとんど終わっている。


 剣も、外套も、水袋もある。アルドに言われて荷物は可能な限り減らしたし、セレスから渡された包帯や薬も袋へ収めた。


 それでも、ヴェスパーは寝台の横に置いた荷物をもう一度開いた。


 火打ち。


 予備の紐。


 乾燥肉。


 剣の手入れ道具。


 確認してから、閉じる。


「……何やってるんだ、俺」


 忘れ物が不安なわけではなかった。


 明日になれば、灰都を出る。


 二十四年前に自分が連れ出された場所へ、自分の意思で向かう。


 その実感がまだ、身体のどこにも綺麗に収まっていないのだろう。


 扉が二度叩かれた。


「起きてる?」


 ノアだった。


「起きてるよ」


 扉を開けると、ノアはすでに着替えを済ませていた。木の狼も腰に下げている。


「早いな」


「ヴェスパーも」


「目が覚めた」


「僕も」


「何で?」


「分からない」


 ノアはそう言ってから、部屋の中を覗いた。


「準備?」


「一応終わった」


「終わってるのに荷物開いてた?」


「見てたの?」


「開けた時見えた」


「見なかったことにして」


「何で?」


「何となく」


 ノアが笑う。


「朝ご飯、もう少しだって」


「分かった」


 歩き出しかけたノアが、一度振り返る。


「今日、あの子と会う?」


「門の外にいた子?」


「うん。今日は午前から街に入るって」


「会うよ」


「名前ない人の店も行く?」


「そのつもり」


「じゃあ一緒に行く?」


 ヴェスパーは少し考えた。


「昼前なら」


「分かった」


 ノアは頷き、階段へ向かった。


 その背中を見ながら、ヴェスパーはふと思う。


 以前なら。


 出発前日は、もっと一人でいたかったかもしれない。


 武器を確かめ、道を考え、誰にも邪魔されず、必要なものだけ頭の中へ並べる。


 今日は。


 会っておきたい人がいる。


 その違いを、わざわざ言葉にはしなかった。


     ◇


 朝食の席では、レイラがまだ斧の件を引きずっていた。


「一本くらい増えても変わらないだろ」


「変わる」


 アルドはパンを食べながら即答する。


「何が」


「重量」


「私が持つんだぞ?」


「道が崩れたら、お前の重量も荷物の重量も同じだ」


「私は崩れない」


「道の話」


「アルド、最近冷たくない?」


「前から」


「そうだったか?」


 イリスが隣で笑いを堪えている。


 セレスは食事をしながら、最後の確認をしていた。


「今日は無理をしないでください。出発前日に体調を崩すのが一番困ります」


 視線の先は主にヴェスパーだった。


「何で俺」


「自覚がないからです」


「レイラは?」


「元気です」


「ほら!」


 レイラが胸を張る。


「ただし斧は一本」


「何でセレスまで!」


 ガルムは一言も口を挟まず、黙々とスープを飲んでいた。


 その向かい。


 リクは昨日より食べる速度がゆっくりだった。


「今日、菓子屋行く?」


 ノアが聞く。


「午後」


「仕事?」


「紙折る」


「五枚?」


「今日は十枚やる」


 リクの声には、少しだけ意地が混じっている。


「セレス」


 ヴェスパーが見る。


「許可したの?」


「疲れたら途中でやめることを条件に」


「十枚出来なかったら?」


 リクが少しむっとする。


「出来なかった日があるだけです」


「給料は?」


「店主に聞いてください」


 ガルムがそこで顔を上げた。


「何だ。お前、働き始めたのか」


「少しだけ」


「いいじゃねえか」


 リクは。


 ほんの少し。


 予想外の顔をした。


「それだけ?」


「何が」


「もっと何か言うかと思った」


「何を言えってんだ」


「分からない」


「ならいいだろ」


 ガルムはまたスープへ戻る。


 リクは少しだけ笑った。


 食卓は。


 いつも通りだった。


 明日。


 半分近くがここから出る。


 それでも、今朝の皿が特別なものになるわけではない。


 薄いスープ。


 少し硬いパン。


 レイラの文句。


 イリスの笑い。


 セレスの注意。


 ノアの質問。


 それが妙に。


 ヴェスパーにはありがたかった。


     ◇


 朝食のあと。


 ヴェスパーは一人で西門へ向かった。


 ハルトへ出発届を出すためだ。


「明後日って言ってたの、明日で合ってるよな?」


 詰所で書類を受け取りながら、ハルトが聞く。


「ああ」


「帰還予定」


「未定」


「だろうな」


「書かなくていい?」


「書く欄はある」


「じゃあ何て」


「未定って書く」


「意味ある?」


「ある。未定だって分かる」


「便利」


「最近その言い方流行ってるのか?」


「誰かがよく言う」


 ハルトはため息をつき、出発者の名を確認した。


「ヴェスパー。ガルム。レイラ。イリス。セレス。アルド。六人」


「ああ」


「セリカは残る」


「うん」


「ノア、アステル、リクも」


「うん」


「空白と星見は?」


「残るって」


 ハルトが顔を上げる。


「星見は本当に?」


「昨日聞いた」


「何て」


「『今は他人の故郷を見に行くより、自分が帰ってきた場所を覚えたい』って」


 ハルトが少し眉を上げた。


「まともなこと言うな」


「本人に言うなよ」


「空白は?」


「一言だけ」


「何て」


「『残る』」


「だろうな」


 ハルトは書類へ最後の印を押した。


「旧街道を使うなら、南東の第二監視所で一度報告しろ。そこから先、道が荒れてる可能性がある」


「分かった」


「何かあったら戻れ」


「簡単に言うな」


「簡単な話だ。目的地より生きて帰る方を優先しろ」


 ハルトは紙をヴェスパーへ渡す。


「調査だからな。討伐じゃない」


「分かってる」


「本当に?」


「何で疑う」


「王都から戻ってきた連中の話を聞いてると疑いたくもなる」


 ヴェスパーは反論しかけ。


 やめた。


「……気を付ける」


「それでいい」


 詰所を出ようとする。


「ヴェスパー」


「何?」


 ハルトは。


 書類をまとめながら。


 こちらを見なかった。


「帰りの入城届も書かせるからな」


「面倒」


「俺の台詞だ」


「じゃあ戻ってくる」


「そうしろ」


     ◇


 西門の外へ出ると。


 少年は。


 今日はもう石壁の脇には座っていなかった。


 代わりに。


 門の内側。


 ノアの隣を歩いている。


「いた」


 ノアがヴェスパーを見つける。


「入ったんだな」


「今日は朝から」


 少年自身が答えた。


「泊まった?」


「まだ」


「今日は?」


「分からない」


 以前なら。


 その答えに少し不安があった。


 今は。


 ただ決めていないだけに聞こえる。


「明日、出るんだろ」


 少年が言う。


「聞いた?」


「ノアから」


「うん」


「どこ」


「昔住んでた村」


「帰る?」


 何度か聞かれた質問。


 ヴェスパーは。


 今日は少し違う答えをした。


「見に行く」


「住むかは?」


「決めてない。たぶん住まない」


「帰ってくる?」


「うん」


「灰都に?」


「まずは」


 少年はその返事を聞き。


 少しだけ。


 考える。


「俺も」


「何」


「向こう側に行って」


 一度。


 言葉を止める。


「またこっち来てもいいのかな」


 ノアが少年を見る。


 ヴェスパーは、すぐに「いい」と言いそうになった。


 でも。


 少年が聞いているのは。


 許可ではない気がした。


「戻れる方法があるなら」


 答える。


「何度来てもいいんじゃないか」


「妹も?」


「本人が来たいなら」


「連れてきても?」


「それは……ハルトと相談だな」


「またハルト」


「門だから」


「何でもハルト」


「本人に言ったら怒るぞ」


 少年は笑った。


「明日」


 少年が言う。


「見送る」


「朝早いぞ」


「起きる」


「本当に?」


「ノアに起こしてもらう」


 ノアが。


 少し困った顔をした。


「僕も起きられるか分からない」


「じゃあヴェスパーに」


「俺は出る側だぞ」


「なら起きてる」


「……まあ、そうだけど」


 少年は。


 少し得意そうだった。


     ◇


 昼前。


 菓子屋には。


 いつもより人が多かった。


 旅に出る者がいると聞いたらしく、宿の主人が保存の利く焼き菓子をまとめて頼みに来ていたからだ。


「そんなに持てない」


 ヴェスパーが店主へ言う。


「全部お前が持つんじゃねえ」


「誰が」


 店主が即答する。


「レイラ」


「何で私!?」


 店の外から声が飛んできた。


 どうやら聞いていたらしい。


「元気だから!」


「そういう時だけ使うな!」


「斧減った分空いてるだろ!」


「アルドに言え!」


「俺を巻き込むな」


 さらに遠くから。


 アルドの声。


 青年は。


 店の中で。


 普通に菓子を包んでいた。


「これ」


 ヴェスパーへ。


 一つの包みを渡す。


「何?」


「店主から」


「代金は?」


「宿の人が払った」


「じゃあ宿からじゃないの?」


 青年が店主を見る。


「どっちでもいい!」


 店主は忙しそうに天板を運んでいる。


「中は?」


「固いやつ」


「お前が好きな?」


「ああ」


「何で」


「日持ちする」


「なるほど」


 青年は。


 少し。


 考えてから。


 もう一つ。


 小さな包みを出した。


「これは俺」


「何?」


「一枚」


「買ったの?」


「うん」


「俺に?」


「ああ」


 ヴェスパーが。


 包みを見る。


「何で」


「帰ってきた時」


「帰ってきた時?」


「食べる用」


 ヴェスパーは。


 意味が分からず。


 青年を見る。


「今持っていく?」


「違う」


 青年が。


 自分の方へ。


 包みを戻す。


「俺が取っておく」


「腐らない?」


「これは持つって店主言った」


「どれくらい」


「十日くらい」


「俺たち十日以内に戻るか分からないぞ」


 青年の顔が。


 少し。


 止まる。


「……じゃあ」


 店主が奥から。


「帰ってこなかったら俺が食う!」


 と叫んだ。


「駄目!」


 青年が即座に返す。


 ヴェスパーが笑う。


「新しいの作れば?」


 青年が少し考える。


「帰ってきた日に?」


「ああ」


「それがいい」


 包みを棚へ戻す。


「じゃあこれは俺が食べる」


「切り替え早いな」


「勿体ないから」


「店員らしくなった」


 青年が。


 少しだけ。


 得意そうにする。


「明日」


 青年が言う。


「俺、店ある」


「うん」


「朝は仕込み」


「見送り来なくていいよ」


「行かない」


「即答」


「でも」


 青年は。


 前より。


 自然な長さで。


 自分の考えを話すようになっている。


「帰ってきたら、店に来て。村のことも、火のことも聞きたい。でも急がなくていい。先に休んでもいいし、嫌なことは話さなくていい」


 ヴェスパーは。


 少し。


 黙った。


「誰に教わったの、それ」


「みんな」


「そっか」


 青年は。


 紙を一枚折る。


「それと」


「何?」


「行ってらっしゃい」


 ヴェスパーが。


 動きを止める。


 言葉自体は。


 珍しくない。


 それでも。


 今まで。


 自分に向けられる「行け」は。


 任務だった。


 命令だった。


 あるいは。


 戻れるか分からない場所へ向かう前の。


 短い別れだった。


「行ってらっしゃい」は。


 帰ってくることが。


 最初から。


 その中に入っている。


「……まだ今日だけど」


「明日言えないから」


「そうだな」


 ヴェスパーは。


 少しだけ。


 笑った。


「行ってくる」


     ◇


 午後。


 宿へ戻る途中。


 ヴェスパーは。


 星見と空白に会った。


 二人は。


 旧採石場から戻ってきたらしい。


 星見の外套には。


 少し。


 灰が付いている。


「明日か」


 星見が聞く。


「ああ」


「昔の故郷」


「うん」


「怖い?」


「みんなそれ聞くな」


「分かりやすい質問だからな」


「少し」


「そうか」


 空白は。


 ヴェスパーではなく。


 彼の腰の剣を見た。


「黒火が変わったら戻れ」


「ハルトにも同じこと言われた」


「なら二人分だ」


「増やすなよ」


 星見が。


 少し笑う。


「俺たちは残る」


「聞いた」


「理由も?」


「聞いた」


「恥ずかしいな」


「自分で言ったんだろ」


「言葉にすると大体恥ずかしい」


 空白が。


 ぼそりと言う。


「今さらだ」


「お前は本当に容赦ないな」


 ヴェスパーが。


 少し笑う。


「門は?」


「今のところ静かだ」


 空白が答える。


「窓の線は?」


「変化なし」


「青年は?」


「仕事中」


「それも知ってる」


「ならいい」


 ヴェスパーは。


 一度。


 二人を見る。


「何かあったら」


「お前を呼ぶ?」


 星見が尋ねる。


「いや」


 ヴェスパー自身が。


 少し意外だった。


「必要なら、こっちで決めて」


 空白が。


 僅かに。


 目を細める。


「いいのか」


「俺がいない間まで、全部俺に聞く必要ないだろ」


「成長したな」


 星見が言う。


「それ今日禁止」


「何が」


「そういうの」


「じゃあ言わない」


「もう言った」


 星見が笑う。


 空白も。


 ほんの少しだけ。


 口元を緩めたように見えた。


     ◇


 夕方。


 リクは。


 約束通り。


 包み紙を十枚折った。


 正確には。


 九枚だった。


「最後の一枚」


 青年が言う。


「まだ出来る」


 リクが手を伸ばす。


 店主が。


 紙を取り上げた。


「今日は終わり」


「十枚で銅貨一枚」


「九枚分は次へ持ち越し」


「あと一枚なのに」


「手震えてる」


 リクが。


 自分の指を見る。


 確かに。


 少し。


 震えている。


「出来る」


「出来るのと、やるのは別だ」


 店主が言った。


 青年が。


 少し。


 驚いた顔をする。


「それ」


「何だ」


「みんな言う」


「俺だってたまには言う!」


 リクが。


 悔しそうに。


 紙を見る。


「明日」


「明日一枚やりゃ銅貨一枚」


「一枚だけ?」


「そのあとまた十枚分数えろ」


「難しい」


「給料ってそういうもんだ」


 青年が。


 横から。


「店主も分からなくなる時ある」


「ない!」


「昨日帳簿三回数えた」


「見るな!」


 リクは。


 笑った。


 そこへ。


 ヴェスパーが入ってくる。


「何してる?」


「九枚」


 リクが答える。


「何が?」


「仕事」


「あと一枚出来なかった」


「出来なかったんじゃなくて止められた」


 青年が訂正する。


 リクが。


 少し。


 視線を上げる。


「違う?」


「違う」


 青年は。


 包み紙を一枚取って。


 次の日の山へ戻す。


「これは明日」


 リクは。


 その紙を見る。


 明日。


 自分がここにいる。


 ヴェスパーたちは。


 いない。


 でも。


「明日」


 リクが繰り返す。


「うん」


 青年が答える。


 ヴェスパーは。


 そのやり取りを。


 しばらく見ていた。


「ヴェスパー」


 リクが呼ぶ。


「何?」


「忘れないで」


「何を」


「帰ってきたら最初に話すって」


「ああ」


「約束」


「覚えてる」


「ならいい」


 それ以上は。


 言わなかった。


     ◇


 夜。


 出発する六人は。


 宿の食堂で。


 いつも通り夕食を食べた。


 残る者も。


 全員いた。


 席は。


 いつもより少し。


 狭かった。


 星見と空白まで来ている。


 ハルトは。


 仕事の途中で。


 一杯だけ。


 立ったまま食べた。


 セリカも。


 遅れて入ってくる。


「西門、明日の朝一番で開ける」


 ハルトが言う。


「いつもと同じだろ」


 ヴェスパーが返す。


「そうだ」


「じゃあ何で言った」


「雰囲気」


「ハルトが?」


「悪いか」


 レイラが笑う。


「似合わない」


「お前だけ門閉め出すぞ」


「明日出るんだけど!?」


 食堂に。


 笑いが広がる。


 特別な料理はなかった。


 肉も。


 増えていない。


「最後なのに」


 レイラが文句を言う。


「最後じゃねえだろ」


 宿の主人が。


 鍋を置きながら。


 即座に返した。


「帰ってきたら食うんだろ」


 レイラが。


 一瞬。


 黙る。


「……肉増やす?」


「帰ってきた日に仕入れがあればな」


「絶対?」


「そこまでは言ってねえ!」


 また。


 笑い。


 ヴェスパーは。


 自分の皿を見る。


 薄いスープ。


 豆。


 根菜。


 少ない肉。


 最初。


 帰ってきた時。


 食べた。


 同じような味。


 これを。


 また。


 食べに戻る。


 それくらいで。


 今はいい。


     ◇


 夜が更け。


 一人ずつ。


 部屋へ戻っていく。


 ノアは最後まで食堂に残っていた。


「寝ないの?」


 ヴェスパーが尋ねる。


「寝る」


「朝起きられなくなるぞ」


「分かってる」


 木の狼。


 抱える。


「ヴェスパー」


「何」


「お母さんのこと」


 ヴェスパーの表情が。


 少し変わる。


「村で分かるかもしれない?」


「分からない」


「そっか」


「でも」


 ヴェスパーは。


 ノアを見る。


「何か分かっても、すぐ正しいって決めないようにする」


「煙突みたいに?」


「ああ」


「声も?」


「うん」


 門から聞こえた。


 母親のような声。


 ちび狼。


 あの呼び方。


「会いたい?」


 ノアが聞く。


 ヴェスパーは。


 今度は。


 逃げずに考えた。


「会いたいと思う」


「怖い?」


「怖い」


「両方?」


「またそれか」


「便利だよ」


 ノアが笑う。


「……そうだな」


「僕も」


「お母さん?」


「うん」


 少し。


 静かになる。


「じゃあ」


 ノアが立ち上がる。


「明日」


「ああ」


「行ってらっしゃい」


 ヴェスパーは。


 昼に青年から。


 同じ言葉を。


 聞いた。


 今度は。


 すぐに答えた。


「行ってくる」


     ◇


 翌朝。


 西門は。


 いつもと同じ時間に開いた。


 大げさな鐘は鳴らない。


 門衛が蝶番を確認し、荷車が通れる幅まで扉を開く。


 商人が待っている。


 農夫もいる。


 仕事へ出る人もいる。


 その中に。


 ヴェスパーたちがいる。


 ガルム。


 レイラ。


 イリス。


 セレス。


 アルド。


 そして。


 ヴェスパー。


「斧」


 アルドが確認する。


「一本!」


 レイラが怒鳴る。


「聞いただけ」


「朝から確認するな!」


「大事」


「お前、名前のない奴に似てきてない?」


「どこが」


「短い」


 イリスが笑う。


「出発前から喧嘩しないでよ」


「喧嘩じゃない!」


「確認」


「アルド!」


 門の脇。


 見送りに来た者たち。


 ノア。


 リク。


 アステル。


 セリカ。


 ハルト。


 星見。


 空白。


 そして。


 昨日。


 外で寝るか迷っていた少年も。


 今日は。


 門の内側に立っていた。


「菓子屋の人は?」


 少年が聞く。


「仕事」


 ノアが答える。


「そっか」


「でも昨日言ったって」


「何を」


「行ってらっしゃい」


 少年は。


 少し考え。


 ヴェスパーを見る。


「じゃあ俺も」


「何?」


「行ってらっしゃい」


 ヴェスパーが笑う。


「行ってくる」


 リクも。


 少し遅れて。


「行ってらっしゃい」


「ああ」


「帰ってきたら」


「分かってる」


「最初に」


「話す」


「うん」


 アステルは。


 それを聞いてから。


「無事に」


 とだけ言った。


 セリカは。


「道を外れたら戻って」


「了解」


 ハルトは。


「入城届忘れるな」


「そこ?」


「大事だ」


 星見は。


 何も言わず。


 片手を上げた。


 空白も。


 小さく。


 頷く。


 ヴェスパーは。


 全員を見る。


 そして。


 門の外へ。


 一歩。


 出た。


 昔。


 ガルムに抱えられ。


 故郷から。


 連れ出された時。


 自分が。


 どんな顔をしていたのか。


 覚えていない。


 どんな道を。


 通ったのかも。


 分からない。


 でも。


 今日は。


 自分の足で。


 戻る。


 そして。


 もう一つ。


 違うことがある。


 背中に。


 帰ってくる場所が。


 ある。


「ヴェスパー!」


 ノアの声。


 振り返る。


「何!」


「忘れ物!」


 一瞬。


 心臓が。


 跳ねた。


「何!?」


 ノアが。


 笑う。


「ない!」


「お前!」


 後ろで。


 レイラが。


 大笑いする。


「いい顔したぞ!」


「うるさい!」


 ガルムまで。


 少し。


 笑っている。


 ヴェスパーは。


 呆れながら。


 もう一度。


 灰都を見る。


 門。


 人。


 朝。


 それから。


 前を向いた。


「行くぞ」


 今度は。


 誰かに。


 命じるためではない。


 一緒に。


 歩き始めるために。


 六人は。


 南東へ続く街道へ。


 足を踏み出した。


 目指すのは。


 二十四年前。


 火の中に。


 置いてきた場所。


 答えが。


 残っているとは限らない。


 記憶と同じ姿を。


 しているとも限らない。


 それでも。


 確かめる。


 今度は。


 他人から聞くためではなく。


 自分の目で。


 見るために。


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