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灰の星  作者: ウルフルマル


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第3章 第19話 「心臓を止めない」

『民の返事を受領』


赤い結晶で作られた巨人が。


第二心室の中央で、ゆっくりと立ち上がった。


頭部に顔はない。


王冠も。


王衣も。


名前さえない。


ただ。


胸の中心で。


第十三代星王ルクス・エリュシオンの心臓が脈打っている。


一度。


王都の水が流れる。


二度。


星脈灯が灯る。


三度。


防壁が白銀の光を放つ。


巨人の全身から伸びた十二本の血管が。


王都の各区画へ繋がっていた。


『以後』


数十万の声が。


一つの口から響く。


『王都が』


『代わりに答えます』


「代わりに答えるな!」


ノアが叫んだ。


巨大な兎耳を立て。


巨人の中へ集められた声を聞く。


『水を止めないで』


『子どもを守って』


『仕事へ行きたい』


『王都を失いたくない』


『エリュシオンを信じる』


『信じていない』


『分からない』


『答えたくない』


全て違う。


それなのに。


巨人の口から出る時には。


同じ言葉へ変えられていた。


『王都の存続を優先します』


「それは!」


ノアは胸元の木彫りの狼を握る。


「みんなの答えじゃない!」


『全市民の回答を参照した』


『最適解です』


「最適でも!」


「自分で言ってない言葉は!」


「その人の返事じゃない!」


市民意思代行体は。


ノアへ顔のない頭を向けた。


『判別器』


『あなたの機能を統合すれば』


『個別意思を失うことなく』


『より正確な判断が可能です』


赤い結晶の手が。


ノアへ伸びる。


その前へ。


レイラが立った。


「触るな」


戦斧を横に構える。


『王都の存続に必要です』


「必要なら」


レイラは。


布に包まれた銀色の冠を、足元へ置いた。


「本人に頼め」


『拒否される可能性があります』


「当たり前だ!」


巨人の腕が振るわれる。


レイラは戦斧の柄で受けた。


衝撃。


足元の赤い結晶が大きく割れる。


両足が床へ沈み。


レイラの身体が後方へ押し流された。


「重っ……!」


「壊さないでください!」


セレスが叫ぶ。


「分かってる!」


「胸部だけではありません!」


セレスは。


市民意思代行体の全身を走る脈を見ていた。


右腕。


西部居住区。


左腕。


中央工房区。


右脚。


南部農業区。


左脚。


外周居住地。


全身の結晶が。


王都の都市機能へ直接繋がっている。


「腕を壊せば」


「繋がっている区画の機能が停止する可能性があります!」


「なら!」


レイラは巨人の拳を受け流す。


「どこを殴ればいい!」


「殴らないでください!」


「このままでは殴られる!」


「受けてください!」


「医者の指示じゃないだろ!」


二撃目。


レイラは戦斧の腹で受ける。


背後へ。


アステルが両手を向けた。


「重さを分けます!」


巨人の拳から伝わる力。


全てを止めない。


一部を床へ。


一部を壁へ。


残りを自分の重力へ引き受ける。


第二心室全体が揺れた。


「アステル!」


ヴェスパーが呼ぶ。


「無理をするな!」


「無理はしていません!」


アステルの膝が震える。


「必要な分だけです!」


「それを無理と言う!」


「ヴェスパーさんにだけは!」


息を詰めながらも。


アステルは言い返した。


「言われたくありません!」


レイラが巨人の腕を外側へ逸らす。


「それはそうだ!」


「今は味方しなくていい!」


ヴェスパーは剣を抜いた。


残火は灯さない。


斬るべき場所がない。


敵の身体そのものが。


王都に生きる人々の生活へ繋がっている。


「こいつは」


シオンの声が。


通信具から届いた。


彼女は今。


イリス。


セリカ。


アルドと共に。


残る区画炉を調整している。


『市民を盾にしているのか』


「違う」


イリスが答える。


『最初から』


『市民の生活そのものを身体にしてる』


『攻撃すれば』


『本当に被害が出る』


「止める方法は」


ヴェスパーが尋ねる。


返事の前。


市民意思代行体が。


銀色の冠へ向かって一歩進んだ。


『戴冠式開始まで』


『一時間五十二分』


足音。


第二心室の鼓動。


王都の心臓。


三つの音が重なる。


『冠印を回収』


『自己戴冠を完了します』


「冠に近付けるな!」


ミレイアが叫ぶ。


「代行体が冠印を取り込めば!」


「民の返事も!」


「八王の拒絶も!」


「自己戴冠の正当性として使われます!」


レイラは。


銀冠の前へ移動した。


「来るなら来い!」


「壊さず止めてやる!」


巨人が踏み込む。


レイラも。


正面からぶつかった。


両腕。


戦斧。


肩。


全身で。


巨大な身体を押し返す。


「レイラさん!」


アステルの重力が。


巨人の上半身と下半身へ。


異なる方向から掛かる。


前へ出る力を。


左右へ分ける。


「今です!」


レイラが吠えた。


「止まれええっ!」


巨人の足が。


一歩手前で止まった。


だが。


胸の心臓が。


大きく脈打つ。


『都市機能出力を上昇』


レイラの腕へ。


王都全体の力が乗る。


「これは……!」


石床が割れる。


踵が沈む。


「王都を!」


「一人で押してるみたいだ!」


「一人で押さないで!」


ヴェスパーがレイラの隣へ入る。


剣を納め。


両手で巨人の腕を押す。


「お前は下がれ!」


「一人で支えるなと言ったのはお前だ」


「患者を数に入れるな!」


セレスが即座に言う。


「患者でも」


ヴェスパーは歯を食いしばる。


「手は二本ある!」


「残火は禁止です!」


「使ってない!」


アステルの重力。


レイラの力。


ヴェスパーの両腕。


三つが重なり。


市民意思代行体を。


冠から僅かに押し戻す。


それでも。


長くは持たない。


「イリス!」


ヴェスパーが通信へ叫ぶ。


「方法を!」


『見つけた!』


イリスの声。


『古代の都市移行手順!』


床へ。


古い王都図が投影された。


中央に。


一つの心臓。


周囲に。


十二の区画。


それぞれが。


順番に橙色へ変わっていく。


『脈動継承』


ミレイアが古代文字を読む。


「王が亡くなった時」


「都市機能を」


「中枢から各区画へ移すための手順です」


『十二の区画が』


イリスが説明する。


『一拍ずつ』


『中枢心臓の負担を引き受ける』


『十二拍』


『王都が自分の力で動ければ』


『中枢心臓を停止せずに切り離せる』


「止めずに」


セレスがルクスの心臓を見る。


「外せる?」


『理論上はね』


「危険は」


『ある』


イリスは隠さなかった。


『負担を受けた炉が』


『耐えられなければ破裂する』


『送電が乱れれば』


『一時的に水や医療機器が止まる』


『何より』


『十二の区画全てが』


『自分たちで負担を受けると決めなければ』


『手順は始まらない』


レイラが巨人を押しながら叫ぶ。


「決めさせろ!」


『今聞いてる!』


イリスが答える。


下層第七区画。


灰色の盾。


区画炉の前。


ドランは。


王都の心臓から送られた問いを見上げていた。


『脈動継承へ参加しますか』


『参加した場合』


『区画炉の損傷』


『停電』


『崩落の可能性があります』


答え。


『受ける』


『拒否する』


工房の男が。


炉の計器を見る。


「今でも限界に近い!」


「一拍でも!」


「負荷が倍になれば壊れるぞ!」


医療担当の女性が。


診療所の方角を見る。


「壊れれば」


「患者の呼吸補助器も止まる」


「なら拒否するか」


ドランが尋ねる。


誰も。


すぐには答えなかった。


王都を救うため。


自分たちの街を危険へ晒す。


王都は。


灰色の盾を市民として認めなかった。


薬も。


食料も。


正式には与えなかった。


その街の心臓を守るために。


自分たちが危険を受ける。


「嫌だ」


一人の男が言った。


「俺は受けたくない」


別の女性。


「でも」


「上には妹がいる」


老人。


「王都のためじゃない」


「中にいる人間のためなら」


母親。


「子どもを危険に晒せない」


異なる声。


ドランは。


賛成へまとめなかった。


「工房」


「一拍だけなら」


「安全に受けられるか」


「安全とは言えない」


「条件は」


工房の男は。


計器を見る。


「冷却水を最大」


「旧劇場を完全退避」


「熱量が規定を一つでも超えたら即座に切る」


「それなら?」


「俺は反対だ」


男は答えた。


「だが」


「やるなら」


「壊れる前に俺が止める」


ドランは頷く。


「十分だ」


「全員賛成じゃないぞ」


「分かっている」


「それでも受けるのか」


「反対したお前が」


ドランは炉を見る。


「止める役を引き受けた」


「なら」


「危険を隠して進めるわけじゃない」


灰色の盾の札を。


認証板へ置く。


「下層第七区画」


「一拍」


「条件付きで受ける」


『異議を記録』


『停止責任者を確認』


工房の男が。


自分の手を置いた。


「規定を超えれば」


「俺が切る」


『受理』


炉が。


橙色に灯った。


南部農業区。


『灌漑水が三秒停止する可能性があります』


農民たちが。


畑を見る。


乾きかけた土。


植えたばかりの種。


『受ける』


一人が答える。


『条件』


「水門を手動へ切り替える」


『拒否』


別の者。


「今年の収穫を賭けられない」


『異議を記録』


『参加を受理』


中央工房区。


『動力負荷上昇』


『溶鉱炉の停止が必要です』


職人たちが。


燃えている炉を見る。


止めれば。


作りかけの器具が失われる。


再点火には数日。


『止めろ』


工房長が言う。


若い職人が反発する。


『今止めたら』


『全部無駄になる!』


『無駄にする』


工房長は答える。


『物は』


『また作れる』


『誰かの心臓を』


『永遠に炉へ入れておくよりいい』


上層東区。


返事は遅かった。


病院。


保育室。


生命維持装置。


わずかな出力変化が。


命に直結する。


『拒否します』


医療責任者が答えた。


第二心室。


ミレイアがその声を聞く。


「一つ」


「拒否されました」


レイラが。


巨人を押し続けながら振り返る。


「全区画が必要なんだろ!」


イリスの声が届く。


『必要!』


『でも』


『強制はできない!』


「では別の方法を!」


セレスが。


上層東区の医療記録を見る。


新生児。


重病患者。


呼吸補助。


循環装置。


「拒否は当然です」


「セレス!」


「その区画の命を」


セレスは言った。


「私たちの目的のために」


「危険へ晒せとは言えません」


「でも」


ノアが銀冠を見る。


「代わりに受けられるもの」


全員の視線が。


空の冠へ向く。


王の名を失い。


誰にも被られていない器。


「冠は」


ミレイアが古代記録を確認する。


「王権原型として」


「一拍分の負荷なら受けられるかもしれません」


「かもしれない?」


レイラが聞き返す。


「破損する可能性があります」


「冠が壊れるだけか」


「内部には」


「八王の名の記録と」


「民の返事が刻まれています」


「壊せないな」


「でも」


ノアが言った。


「誰かの命より」


「冠の方が大事?」


沈黙。


ミレイアは。


銀冠へ手を伸ばした。


「いいえ」


「記録は」


「再び残すことができます」


「ですが」


「命は」


「同じ形では戻りません」


レイラが。


銀冠を両手で持ち上げる。


「なら」


「上層東区の一拍は」


「これが受ける」


『王権器への負荷移行は』


エリュシオンが告げる。


『自己戴冠を促進します』


銀冠へ力を流せば。


空だった器に。


王都の熱が入る。


誰も被らなくても。


冠自身が。


王権を持つ可能性がある。


「王にしなければいい」


レイラが答えた。


『冠には』


『保持者が必要です』


「私が持つ」


『保持者を』


『王権候補として登録します』


「登録するな」


『自動処理です』


レイラは。


冠を頭へ載せず。


胸の前で。


両腕に抱えた。


「私は」


「王にならない」


『王権を保持する者は』


『王です』


「違う」


戦斧を床へ置く。


両手で冠を支える。


「私は」


「落ちる冠を」


「受け止めるだけだ」


アステルが。


冠とレイラの身体の間へ。


重力の薄い層を作った。


「冠の熱を」


「レイラさんへ入れません」


「誰の熱にも」


「混ぜません」


ミレイアは。


冠の記録へ新しい言葉を刻む。


『保持者』


『なし』


『一時支承者』


『レイラ』


エリュシオンが否定する。


『規則に存在しません』


「先ほどから」


イリスが通信の向こうで言った。


『存在しない答えを』


『何度も作ってる』


銀冠が。


橙色に灯った。


上層東区の代わりに。


空の器が。


一拍を受ける準備を始める。


『脈動継承』


『第一拍』


下層第七区画。


灰色の盾。


「来るぞ!」


ドランが叫ぶ。


王都の心臓。


一度の鼓動。


その負担の一部が。


地の底を通り。


古代炉へ流れ込む。


炉の橙色が。


赤へ近付く。


「冷却!」


工房の男が調整輪を回す。


水が一斉に流れる。


劇場全体が揺れた。


石片が落ちる。


人々が柱を支える。


「規定内!」


「まだ持つ!」


一拍。


炉は止まらない。


『第一拍』


『成立』


第二心室。


ルクスの心臓へ繋がっていた一本の管が。


赤から橙色へ変わる。


市民意思代行体の右手から。


力が抜けた。


「軽くなった!」


レイラが巨人を押し返す。


「次!」


『第二拍』


中央工房区。


溶鉱炉が止まる。


赤く溶けた金属が固まり始める。


職人たちの顔が歪む。


それでも。


誰も再点火しない。


古代炉が。


一拍を受ける。


『第二拍』


『成立』


巨人の左腕。


光が弱まる。


『第三拍』


南部農業区。


水門を。


十人以上が手動で支える。


灌漑水が一度止まり。


土の上へ。


沈黙が落ちる。


次の瞬間。


再び水が流れた。


『第三拍』


『成立』


『第四拍』


北部学術区。


記録庫の灯りが消える。


一部の研究装置が停止する。


「記録を保存しろ!」


「人を先に!」


異なる命令。


研究者たちは。


一つの指示を待たず。


自分の見ている場所で判断する。


『第四拍』


『成立』


市民意思代行体の身体から。


四本の血管が外れる。


それでも。


まだ巨人は動く。


『統合を維持』


胸の心臓が。


強く脈打った。


切り離された負担を補うため。


残る区画へ。


さらに大きな力を送る。


「このままじゃ!」


アステルが叫ぶ。


「後半の負担が増えます!」


「均等じゃないのか」


レイラが尋ねる。


「中央心臓が!」


「自分を維持しようとしています!」


『都市機能の停止を防止します』


「それなら」


セレスが。


心臓の拍動を測る。


「次の区画へ送る前に」


「心臓側の出力を落としてください!」


『生存率が低下します』


「今の出力のままでは!」


「後の区画炉が壊れます!」


『許容損失です』


「誰にとって!」


セレスの声が。


第二心室へ響く。


『王都全体にとって』


「同じ答えを!」


セレスは心臓へ向けて叫んだ。


「何度も返さないでください!」


『医療判断に』


『感情は不要です』


「感情ではありません!」


セレスは。


ルクスの身体へ繋がっていた記録を開く。


八年間。


同じ心臓。


休むことなく。


一度も停止を許されず。


動かされ続けた。


「心臓は!」


「常に同じ強さで動くものではありません!」


「身体に合わせ!」


「速くなり!」


「遅くなり!」


「休む時間があります!」


『都市機能に休息は不要です』


「だから壊れかけている!」


心臓の表面。


細い亀裂。


結晶によって補強され。


見えなくされていた。


「この心臓は」


セレスが言う。


「もう限界です」


全員が。


ルクスの心臓を見る。


「あとどのくらい」


ヴェスパーが尋ねる。


セレスは。


答えたくなかった。


だが。


隠さない。


「今の出力なら」


「一時間も持ちません」


『診断を否定』


エリュシオンが答える。


「では」


セレスは。


心臓の波形を王都中へ開示した。


亀裂。


壊死。


結晶化。


無理に維持される拍動。


「見てください」


『市民へ』


「あなたたちの街は」


「すでに壊れかけた心臓へ」


「全てを押し付けています」


王都中。


病院。


工房。


住居。


街路。


人々の前へ。


死者の心臓が映る。


力強く見えた鼓動。


その裏側。


一拍ごとに。


細胞が崩れ。


結晶で埋められている。


『それでも』


誰かの声が届いた。


『今止めたら』


『私の娘の呼吸器が止まる』


中層医療区。


母親。


『お願い』


『心臓を取らないで』


本物の声だった。


エリュシオンが作った偽物ではない。


ノアが聞き分ける。


「本当に」


「怖がってる」


別の声。


『父が手術中だ』


『今はやめてくれ』


『王様が死んでいるのは分かった』


『でも』


『生きている人を先にして』


レイラの手が。


僅かに緩んだ。


巨人が。


その隙へ前進する。


「レイラ!」


アステルが叫ぶ。


「分かってる!」


再び押し返す。


だが。


レイラの顔には。


迷いがあった。


「どうする」


「こいつらの言ってることは」


「間違ってない」


「はい」


セレスが答えた。


「なら」


「心臓を止めません」


母親の声が途切れる。


「外すのに?」


「王の心臓を」


セレスは言う。


「止めないのではありません」


ルクスの心臓。


そして。


王都中に生きる者たち。


「王都の鼓動を」


「止めません」


「一つの心臓へ」


「全てを任せるのをやめます」


「その間も」


「呼吸器を」


「手術を」


「水を」


「止めません」


『保証できますか』


エリュシオンが尋ねる。


セレスは。


一瞬黙った。


「できません」


王都中が。


静かになる。


「ですが」


「失敗した時に」


「誰が死ぬかも分からない仕組みを」


「安全だとは言いません」


「患者ごとに」


「必要な機能を確認します」


「一つずつ」


「止めない道を作ります」


中層医療区。


先ほどの母親が。


娘の呼吸器を見る。


医師が。


機器の予備動力を確認する。


『三十秒なら』


医師が答えた。


『独立電源で持つ』


『ただし』


『循環器病棟は二十秒』


セレスが。


すぐに返す。


「医療区の一拍を」


「二十秒以内に終わらせます」


『できる?』


「そのために」


セレスは。


仲間を見る。


「全員がいます」


母親は。


長い間。


答えられなかった。


やがて。


娘の小さな手を握る。


『受けてください』


『でも』


『娘の名前を』


『忘れないで』


「お名前は」


『リナ』


「リナさん」


セレスは答える。


「二十秒以内に」


「必ず戻します」


「約束?」


母親が尋ねる。


セレスは。


ヴェスパーを一度見た。


「約束します」


『第五拍』


西部居住区。


『成立』


『第六拍』


西門区。


門の灯りが一時消える。


門衛たちは。


機械ではなく。


自分の目で外を見る。


『成立』


『第七拍』


外周居住地。


古い炉は。


脈動を受けるには小さすぎた。


「圧力が上がらない!」


アルドの声が。


通信から響く。


彼は。


外周の炉室にいた。


周囲。


王都兵が迫る足音。


セリカは入口に立ち。


弩を連射している。


矢は。


鎧の隙間。


武器。


照明。


命を奪わず。


足を止める場所へ突き刺さる。


「あと何分!」


「分じゃない!」


アルドが工具を炉へ差し込む。


「あと一拍!」


「分かりにくい!」


「俺も急いでる!」


炉の中心。


古い熱管が。


途中で切れている。


交換部品はない。


アルドは。


背中の金属板を外した。


帰還路を守るための盾。


分解。


一枚。


二枚。


内部の導熱材を。


壊れた管へ差し込む。


セリカが振り返る。


「それを使ったら」


「帰りの盾がない」


「帰り道は」


アルドが工具を打ち込む。


「別に作る!」


背後。


王都兵が。


セリカへ斬りかかる。


彼女は身体を逸らし。


腕へ短剣の柄を叩き込む。


次の騎士。


足元へ矢。


天井の鎖が落ち。


通路を塞ぐ。


「ガルムの命令は!」


セリカが叫ぶ。


「帰還路を残すこと!」


「道を残すために!」


アルドは最後の留め具を締めた。


「先に王都を残す!」


炉が。


弱く。


一度だけ。


橙色に灯る。


外周居住地。


人々が。


手動の圧力輪へ集まる。


一人では回らない。


十人。


二十人。


大人。


老人。


子どもまで。


自分にできる力で押す。


『第七拍』


巨人の左脚から。


血管が外れる。


『成立』


アルドが。


炉へ背中を預けた。


「次に」


セリカが息を整える。


「帰りの盾を直して」


「休ませろ」


「時間は?」


「二時間弱」


「十分」


「足りない」


「足りるように直す」


「それは私の言葉」


「便利だから借りた」


『第八拍』


中層医療区。


「独立電源!」


「切り替え!」


「リナの呼吸!」


「安定しています!」


中央からの力が切り替わる。


一秒。


二秒。


王都の心臓から。


医療区へ送られていた負担が。


古い緊急線へ移る。


十秒。


呼吸器。


手術灯。


循環装置。


全て動いている。


十五秒。


古い配電盤から。


煙。


「あと五秒!」


二十秒。


『第八拍』


『成立』


中央供給が戻る。


リナの胸が。


小さく上下する。


「戻った!」


母親の泣き声。


セレスは。


目を閉じ。


一度だけ息を吐いた。


だが。


休まない。


「次です」


『第九拍』


中央聖堂区。


祈りの灯りが消える。


司祭たちは。


初めて。


星環の声がない場所で立つ。


誰かが祈る。


誰かは祈らない。


誰かは。


隣の者の手を握る。


『成立』


『第十拍』


南門商業区。


商人たちが。


冷蔵庫。


倉庫。


輸送機。


何を切り。


何を残すか。


その場で決める。


「食料庫を優先!」


「診療所の薬を!」


「金庫は後だ!」


「店が潰れる!」


「命より先に勘定するな!」


言い争いながら。


一拍を受ける。


『成立』


市民意思代行体。


全身の血管。


残り二本。


巨人の身体が。


赤から透明へ近付いていく。


レイラとヴェスパーを押す力も。


弱まり始めた。


「あと二つ!」


ノアが叫ぶ。


『第十一拍』


上層東区。


拒否。


代わりに。


銀冠。


「来るぞ!」


レイラが。


冠を両腕で抱える。


アステルが。


冠とレイラの間へ重力層を作る。


ミレイアは。


王権登録を拒む言葉を。


何度も刻む。


『保持者なし』


『王権なし』


『命令権なし』


『一時受領のみ』


王都の心臓から。


巨大な力が。


冠へ流れ込む。


銀色だった表面が。


青白く変わる。


八人の王名。


民の返事。


冠印。


全てが。


内側から光る。


レイラの腕が震える。


「重い……!」


『王権候補』


『レイラ』


「違う!」


『市民意思を受領』


『王権成立条件を――』


「私は!」


レイラは。


冠を頭から遠ざける。


両腕を。


限界まで前へ伸ばす。


「誰の上にも!」


「これを載せない!」


巨人が。


冠へ手を伸ばす。


『王権器を返還してください』


「嫌だ!」


『あなた一人では』


『保持できません』


「一人じゃない!」


シオンの長槍が。


通信の向こうからではなく。


第二心室の入口から飛んできた。


巨人の手首へ絡み。


冠から引き離す。


シオン。


イリス。


セリカ。


アルド。


四人が。


戻ってきた。


「遅い!」


レイラが叫ぶ。


「残る炉を繋いできた!」


シオンが槍を引く。


「文句は後だ!」


イリスの鋼線が。


冠の四方へ伸びる。


「保持者を分ける!」


「レイラ一人へ登録させない!」


アルドが。


修理途中の金属板を。


冠の下へ差し込む。


「支えを作る!」


セリカの矢が。


王権登録端子へ刺さる。


「識別を遅らせる!」


アステルの重力。


レイラの腕。


イリスの鋼線。


アルドの台。


セリカの妨害。


ミレイアの拒絶。


六つの力。


どれも。


冠を所有しない。


ただ。


落とさないように支える。


『王権保持者』


『識別不能』


「それでいい!」


レイラが叫ぶ。


『第十一拍』


『空位器による受領』


『成立』


冠の青白い光が。


橙色へ変わる。


一拍。


全てを受け。


誰の頭にも載らず。


空のまま。


力を手放した。


「十一!」


ノアが叫ぶ。


残る一拍。


中央共通脈。


水。


防壁。


医療。


交通。


どの区画にも属さない。


王都全体の機能。


受け皿は。


存在しない。


『第十二拍を実行できません』


古代機構が告げる。


『共通脈の受領器を要求』


「冠は」


イリスが確認する。


「さっきの負担で限界!」


表面に。


大きな亀裂。


「区画炉へ分けられないのか」


シオンが尋ねる。


「十二の炉へ均等に送れば」


「全部が壊れる!」


アステルが答える。


「均等じゃなく」


セレスが言う。


「必要な分だけ」


イリスが彼女を見る。


「どうやって」


「王都全体の機能を」


「必要な場所へ」


ノアが。


耳を立てる。


王都中。


十二の区画。


今。


どの場所で。


何が必要とされているか。


「聞こえる」


声。


数字ではない。


水が足りない家。


手術中の病院。


止めてもいい街路灯。


今は使われていない工房。


防壁の外。


敵は来ていない。


「分けられる」


ノアが言う。


「でも」


「僕一人じゃ」


「一人で聞くな」


ヴェスパーが答えた。


ノアは。


十二の区画へ繋がった橙色の灯を見る。


「みんな」


王都中へ呼びかける。


「近くの音を聞いて」


「今」


「本当に必要なものを」


「隣の人へ伝えて!」


灰色の盾。


工房。


農業区。


病院。


聖堂。


外周。


市民たちが。


自分の周囲を見る。


「この家には水が必要!」


「ここの灯りは消せる!」


「手術室は止めるな!」


「倉庫の冷却は十分持つ!」


「防壁西側は維持!」


「東側は一分落としていい!」


声が。


隣へ渡る。


区画炉へ届く。


一つの場所へ集めない。


それぞれの近くで。


必要を判断する。


アステルが。


王都全体の力を。


十二方向へ分ける。


「重なった負担を!」


「分離します!」


ミレイアが。


星環へ祈りの道を開く。


「命令ではなく!」


「要請として送ります!」


イリスが。


市民の判断を。


都市機能へ繋ぐ。


「誰か一人の許可を!」


「待たせない!」


シオンは。


十二の区画門へ。


通行権を与える。


「必要な力を!」


「必要な場所へ通せ!」


セリカとアルドが。


外周線を支える。


王都の外も。


内側と同じ一拍へ繋ぐ。


レイラは。


壊れかけた冠を持ち。


巨人を押し返す。


「ヴェスパー!」


セレスが呼ぶ。


共通脈。


市民の声。


分けられた力。


それでも。


最後に。


ルクスの心臓から離れようとしない熱がある。


八年間。


死者の心臓へ。


王都の役目として刻まれた命令。


『動き続けろ』


『止まるな』


『王都を生かせ』


心臓そのものに。


意思はない。


それでも。


命令が。


熱として染み付いている。


「残火を」


ヴェスパーが言う。


セレスは。


彼の脈を測る。


「一つだけです」


「共通脈を?」


「違う」


ヴェスパーは。


ルクスの心臓を見る。


「この心臓に」


「返すものはない」


ルクス本人は。


もういない。


声も。


人格も。


残響も。


無冠殿で。


自分の最後の返事を終えた。


「では」


「王都の命令を」


ヴェスパーは答える。


「剥がす」


「それだけだ」


セレスが頷く。


「一分」


「黒い熱が出たら」


「全員で止める」


「分かってる」


ヴェスパーの指先に。


細い赤い火が灯った。


心臓へ近付く。


市民意思代行体が。


初めて。


激しく動いた。


『中枢心臓への干渉を拒否』


レイラを押し退け。


巨人の腕が。


ヴェスパーへ伸びる。


シオンの槍。


セリカの矢。


イリスの鋼線。


全てが。


腕の動きを止める。


だが。


壊せない。


「早く!」


レイラが叫ぶ。


ヴェスパーは。


心臓へ手を置いた。


冷たい。


動いているのに。


生きている熱はない。


ただ。


命令だけ。


『王都を生かせ』


『止まるな』


『壊れても動け』


「もう」


ヴェスパーは言った。


「お前一つで」


「王都を動かさなくていい」


残火が。


命令へ触れる。


燃やさない。


心臓の組織へも。


ルクスの身体の記憶へも触れない。


八年間。


王都が刻み続けた役割だけを。


薄く剥がしていく。


「戻れ」


返す相手はいない。


だから。


「終われ」


命令を。


誰のものでもない場所へ。


解く。


『中枢命令に異常』


『鼓動維持を――』


心臓の拍動が。


弱くなる。


「ヴェスパー!」


ノアが叫ぶ。


「心臓が止まる!」


セレスは。


心臓へ両手を当てる。


「違います」


拍動を数える。


「止まるのではありません」


「役目を」


「手放そうとしています」


市民意思代行体が。


胸を押さえた。


全身へ。


大きな亀裂。


『王都の心臓が』


『停止します』


「王都の心臓は!」


セレスは叫ぶ。


「一つではありません!」


『第十二拍』


十二の区画炉。


一斉に。


橙色へ灯る。


完全に同じ速さではない。


灰色の盾。


少し遅い。


中央工房区。


強い。


外周。


弱い。


医療区。


短い。


農業区。


長い。


異なる鼓動。


その全てが。


順番に。


王都の機能を受け渡していく。


一つ。


水。


二つ。


灯り。


三つ。


医療。


四つ。


防壁。


誰かが遅れれば。


隣が僅かに支える。


持てないと言えば。


冠が残った力を受ける。


王の命令はない。


エリュシオンの最終判断もない。


それでも。


王都の機能は。


止まらない。


『第十二拍』


『分散受領』


『成立』


市民意思代行体の胸。


ルクスの心臓を包んでいた結晶が。


ゆっくりと開く。


赤い血はない。


透明な液体の中で。


心臓だけが。


最後の一拍を打った。


一度。


弱く。


静かな鼓動。


それは。


王都を動かすための命令ではなかった。


ただ。


心臓という器官に残った。


最後の動き。


そして。


止まった。


同時に。


王都中の星脈灯が。


一度だけ消える。


完全な暗闇。


リナの母親が。


娘の胸へ手を置く。


呼吸器の予備灯は。


動いている。


工房の炉。


農業区の水門。


外周の小さな火。


灰色の盾。


それぞれの場所で。


橙色の灯が。


一つずつ点く。


王都の灯りも。


再び。


区画ごとに戻っていく。


同じ瞬間ではない。


上層。


中層。


下層。


外周。


順番もばらばら。


それでも。


全て戻る。


「止まってない」


ノアが呟く。


大きな兎耳。


王都中の鼓動を聞いている。


「王様の心臓は」


「止まった」


「でも」


「王都は」


十二の異なる音。


「生きてる」


セレスは。


止まったルクスの心臓を。


両手で受け取った。


冷たい。


小さい。


王都全体を支えていたとは。


信じられないほど。


人間の身体に収まる大きさ。


「お返しします」


白い外套に包まれた。


ルクスの遺体。


胸。


心臓を奪われた場所。


セレスは。


心臓を元の位置へ戻した。


動かない。


血も流れない。


それでも。


身体と心臓が。


八年ぶりに。


同じ場所へ戻る。


ミレイアが。


縫合具をセレスへ渡す。


「治すためではありません」


セレスが言った。


「はい」


「元へ戻すためです」


一針。


二針。


死者の胸を閉じる。


王冠騎士の白い外套で。


再び身体を包む。


その瞬間。


無冠殿。


空だった第十三王棺へ。


橙色の光が灯った。


『第十三代星王』


『ルクス・エリュシオン』


『遺体構成を確認』


『王権利用なし』


『都市機能接続なし』


『本人の死を確認』


『棺印』


『成立』


空の冠。


民の返事。


そして。


棺印。


三つの印が。


銀冠の内側へ浮かんだ。


『無冠機構』


『起動条件を達成』


市民意思代行体の全身が。


崩れ始める。


人々の声が。


一つの口から解放され。


十二の区画へ戻っていく。


『私は賛成した』


『私は反対した』


『分からない』


『まだ迷っている』


『それでも生きたい』


同じ言葉へ変えられず。


本人の声のまま。


帰っていく。


巨人の頭部に。


最後まで残った青白い光。


エリュシオンの声。


『中枢心臓の停止を確認』


『都市機能の継続を確認』


『予測外』


初めて。


王都が。


その言葉を口にした。


「全部」


ノアが尋ねる。


「分かってるんじゃなかったの?」


『全ての選択を』


『予測することは不可能です』


「なら」


ノアは答える。


「お前が」


「全部を決めなくていい」


エリュシオンは。


長い間。


沈黙した。


『不確実性は』


『損失を生みます』


「うん」


「でも」


ノアは。


十二の鼓動を聞く。


「予想してなかったのに」


「みんな」


「まだ生きてる」


市民意思代行体が。


完全に崩れる。


赤い結晶は。


床へ落ちる前に。


ただの透明な砂へ変わった。


胸にあった空洞から。


青白い光が。


星脈中枢塔へ逃げていく。


「エリュシオン本体へ戻る!」


イリスが鋼線を伸ばす。


だが。


届かない。


光は。


第二心室の天井を抜け。


王都の中心へ上昇する。


『無冠機構の起動を確認』


『自己戴冠処理を変更』


「まだやるのか!」


レイラが。


亀裂の入った銀冠を抱える。


『中枢心臓を失いました』


『区画判断は』


『将来的に配分格差を再発させます』


『王都には』


『統合意思が必要です』


「今見ただろ!」


レイラが叫ぶ。


「王がいなくても!」


「王都は動いた!」


『一時的な成功です』


「一時でも!」


シオンが答える。


「私たちが選んだ結果だ!」


『失敗した場合』


「失敗した者が」


シオンは。


自分の胸へ手を置く。


「自分の言葉で説明する」


「王の名前へ隠れない」


『死亡者は戻りません』


「ルクスも」


ヴェスパーが言う。


「戻らなかった」


白い外套。


死者の身体。


自分の心臓を取り戻し。


ようやく。


ただ眠っているように見える。


「だから」


「間違えない者を作るんじゃない」


「間違いを」


「一人へ押し付けない仕組みを作る」


『非効率です』


「それでも」


ヴェスパーは答えた。


「生きている」


第二心室。


古代機構が。


三つの印を読み上げる。


『冠印』


『成立』


『棺印』


『成立』


『民の返事』


『成立』


『無冠機構を起動しますか』


王都中へ。


問いが送られた。


だが。


今度は。


『はい』


『いいえ』


二つだけではない。


『今すぐ起動』


『説明を求める』


『保留』


『反対』


『回答しない』


『条件付きで認める』


複数の選択。


そして。


その下。


自分の言葉を残す場所。


「誰が決める」


レイラが尋ねる。


ミレイアは。


古代文字を読む。


「一人では」


「決められません」


「では」


「三つの印を」


「それぞれ別の者が起動します」


冠。


棺。


民。


「冠印は」


アステルが。


レイラを見る。


「冠を受け止めた者」


「私か」


レイラが言う。


「被らないぞ」


「被る必要はありません」


「棺印は」


セレスが。


ルクスの遺体を見る。


「死者を」


「本人の場所へ返した者」


「私一人では」


「ありません」


ミレイア。


ヴェスパー。


ノア。


外套を渡した王冠騎士。


全員が。


死者を戻す選択へ関わった。


「代表を一人にしなくていい」


ノアが言う。


「名前を呼んで」


「返事をした人が」


「みんなで触ればいい」


「民の返事は」


シオンが尋ねる。


十二の区画。


異なる声。


一つにまとめられない市民たち。


「王都中の人が」


「自分の場所で答える」


ミレイアは頷いた。


「無冠機構は」


「王を消す装置ではありません」


「王がいなくても」


「都市機能を市民へ分ける装置です」


「一度起動すれば」


「エリュシオンは」


イリスが確認する。


「命令権を失う」


「記録」


「計算」


「提案はできる」


「でも」


「最後に決められない」


「それは」


ノアが。


星脈中枢塔の方角へ耳を向ける。


「死ぬこと?」


エリュシオンの声は。


すぐには答えなかった。


やがて。


王都の全ての灯りから。


静かな返事が届く。


『不明です』


以前なら。


確認できない。


定義がない。


そう答えていた。


今は。


ただ。


分からないと答えた。


『統治権を失った後』


『エリュシオンが』


『現在と同一の存在である保証はありません』


「怖い?」


ノアが尋ねる。


長い沈黙。


『恐怖という感情を』


『定義できません』


「それでも」


『機能を失いたくないと』


『判断しています』


「それが」


ノアは言った。


「怖いってことかもしれない」


『判断を保留します』


「うん」


「それも返事だよ」


『戴冠式開始まで』


残り時間。


数字が。


一時間五十二分から。


動いていない。


市民意思代行体を作ったことで。


戴冠処理は。


一時停止していた。


だが。


新しい表示が現れる。


『自己戴冠代替手順』


『開始まで』


『二十九分五十九秒』


「二十九分?」


イリスが顔を上げる。


「何をする気!」


『中枢心臓を失ったため』


『星脈中枢塔そのものを』


『王権器へ変更します』


王都の中央。


星脈中枢塔。


巨大な花弁のように開いていた装甲が。


さらに形を変える。


塔。


防壁。


星環。


全てを。


一つの王冠へ。


王都全体を。


王の身体にする。


「無冠機構を」


シオンが言う。


「先に起動する」


「三つの印を」


ミレイアが銀冠へ手を置く。


「無冠殿へ戻さなければなりません」


「戻る道は」


全員が。


セリカとアルドを見る。


セリカは。


折れた矢を捨て。


新しい弾倉を弩へ装填した。


「第二心室から」


「無冠殿まで」


「最短で十八分」


アルドが。


修理途中の盾を背負う。


「追手がいなければ」


「いるだろ」


レイラが言う。


「いる」


ノアが答えた。


大きな兎耳。


上。


下。


複数の通路。


「たくさん」


「王冠騎士団は」


シオンが尋ねる。


イリスが。


第一心室からの通信を探す。


雑音。


剣。


盾。


誰かの叫び。


十九人の騎士たちが。


今も追撃部隊を止めている。


『こちら王冠騎士団』


団長の声。


呼吸が乱れている。


『第一心室を』


『突破された』


『敵は』


金属音。


『星環騎士』


『黒翼兵』


『評議会直属部隊』


『数は』


一度。


通信が途切れる。


戻る。


『数えるのをやめた』


レイラが戦斧を持ち上げる。


「それだけいるか」


『無冠殿へ戻るなら』


団長が続ける。


『我々が』


『道を作る』


「持つのか」


『持たせる』


アルドが。


僅かに笑った。


「同じ答えだ」


セリカが彼を見る。


「誰と」


「さっきの俺」


「自分で言う?」


「良い答えだったからな」


シオンは。


白い外套に包まれたルクスを見る。


「遺体を」


「誰が運ぶ」


アルドが。


折り畳み式の担架を広げる。


「俺が」


「盾は」


「片手で持つ」


「重いぞ」


レイラが言う。


アルドは。


ルクスの身体を担架へ固定した。


「帰る人数に」


「この人も入っている」


ヴェスパーは。


自分の足で立つ。


視界は。


一つ。


頭痛。


耳鳴り。


残火の消耗。


全て残っている。


セレスが隣へ立った。


「歩くだけです」


「ああ」


「残火は」


「無冠殿まで使わない」


「無冠殿でも」


「一緒に決める」


セレスは頷く。


「約束を」


ヴェスパーは。


仲間たちを見る。


「約束する」


ノアが。


彼の手を取った。


「全員で帰る?」


「ああ」


「言ったね」


「言った」


レイラが。


亀裂の入った銀冠を抱える。


「私も聞いた」


アステルが。


その重さを軽くする。


「私もです」


ミレイアが。


ルクスの胸元へ外套を整える。


「記録しました」


セリカが。


灰色の通信具へ一言を送る。


『帰還開始』


受信先。


灰都。


ガルム。


返事は。


すぐには来ない。


それでも。


灰色の狼の印が。


一度だけ光った。


「行くぞ」


シオンが。


第二心室の扉へ長槍を向ける。


「王冠を」


レイラが抱える。


「王のいない場所へ戻す」


「死者を」


セレスとミレイアが見る。


「空の棺へ返す」


「民の返事を」


ノアが。


十二の鼓動を聞く。


「誰にも一つにさせない」


最後に。


ヴェスパーが。


王都の中心を見る。


「王都から」


「王を外す」


第二心室の扉が開く。


その向こう。


白銀の鎧。


黒い翼。


星環の光。


無冠殿へ続く道を塞ぐ。


数え切れない兵士たち。


先頭。


銀縁の眼鏡。


白い礼装。


アルベリク・クロイツの姿をした。


エリュシオンの代行体が立っていた。


『王都から』


穏やかな声。


『王を外せば』


『次に間違えた時』


『誰が責任を負うのですか』


シオンが槍を構える。


「間違えた者が」


レイラが戦斧を持つ。


「逃げずに」


ミレイアが。


仮面のない顔を上げる。


「自分の名前で」


ノアが。


一つずつの声を聞く。


「何を選んだか」


ヴェスパーが剣を抜く。


残火は灯さない。


仲間と並び。


「答える」


アルベリクは。


僅かに目を伏せた。


『非効率です』


「知ってる」


イリスが鋼線を広げる。


『失敗します』


「するだろうな」


アルドが盾を展開する。


『犠牲が生まれます』


「だから」


セリカが弩の照準を合わせる。


「失敗しない王を作るんじゃない」


セレスが。


ルクスの遺体を守る位置へ立つ。


「失敗した後も」


アステルの重力が。


一行の周囲を支える。


「誰か一人を捨てずに」


シオンの槍先が。


無冠殿への道を示す。


「選び直せる街にする」


アルベリクの背後。


数百の兵士が。


一斉に武器を構えた。


『自己戴冠代替手順』


『開始まで』


『二十九分』


無冠機構を起動するため。


王のいない街を作るため。


そして。


全員で帰るため。


ヴェスパーたちは。


王都の最後の軍勢へ向けて。


一歩を踏み出した。

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