第3章 第16話 「空の棺」
古代保守路は。
人が歩くために作られた道ではなかった。
天井は低く。
壁から太い管が何本も突き出している。
足元には、深い溝。
その底を。
赤。
青。
白。
異なる色の熱が流れていた。
王都の水。
灯り。
暖房。
医療機器。
数十万人の生活を支える力が。
人目に触れない地の底を、血液のように巡っている。
「右」
イリスが地図を確認する。
「次の分岐を下へ」
先頭のシオンが長槍を構えたまま進む。
その後ろを。
ミレイア。
イリス。
アステル。
セレス。
ノア。
レイラが続く。
最後に。
トーマ。
潰れた葬列車から取り外した部品を、背負えるだけ背負っていた。
「重くないのか」
シオンが尋ねる。
「重いです」
「置いていけ」
「帰り道を直すために必要です」
「帰りに同じ道を使えるとは限らない」
「なら」
トーマは呼吸を乱しながら答える。
「別の何かを直します」
「便利な言葉だな」
「工房の人間なので」
列の中央。
レイラは。
ヴェスパーを肩へ担いでいた。
「もう歩ける」
「聞こえない」
「普通に聞こえているだろ」
「患者の寝言は聞かない」
「俺は起きている」
「知ってる」
「下ろせ」
「断る」
ヴェスパーは。
レイラの肩越しに前方を見る。
身体を動かす必要がない分。
視界は安定していた。
頭痛は残っている。
右耳の奥で。
低い音が鳴り続けている。
それでも。
先ほどよりは。
周囲を見る余裕があった。
「レイラ」
セレスが後ろから声を掛ける。
「揺らさないでください」
「普通に歩いてる」
「先ほどから上下動が大きいです」
「こいつが重いんだ」
「言うなと言った」
ヴェスパーが返す。
「言わせたのはお前だろ!」
二人のやり取りを。
ノアが聞いている。
「レイラの足音」
「さっきより速い」
「敵が近いからだ」
レイラが答える。
「分かるのか」
ヴェスパーが尋ねる。
「ああ」
レイラの声から。
僅かに軽さが消える。
「静かすぎる」
保守路には。
王都の鐘が届かない。
星環の声もない。
だが。
だからこそ。
前方に何かがいる気配が。
鮮明に感じられた。
「ノア」
ヴェスパーが呼ぶ。
「うん」
「何人だ」
ノアは。
大きな兎耳を前へ向ける。
無冠殿で。
歴代王の声を聞いた直後。
まだ耳には疲労が残っている。
全部を聞こうとしない。
必要な音だけを探す。
足。
金属。
呼吸。
心臓。
「十九人」
全員の足が止まった。
「十九?」
シオンが聞き返す。
「同じ歩幅」
「同じ呼吸」
「でも」
ノアは眉を寄せる。
「もう一つある」
「二十人目か」
「違う」
兎耳が。
僅かに震える。
「足音がない」
「心臓もない」
「でも」
「十九人が」
「その音を待ってる」
ヴェスパーの瞳が細くなる。
巡礼者門。
十九人の王都騎士。
二十人で完成するはずの隊列。
意図的に空けられた一席。
「同じ部隊だ」
シオンが呟く。
「巡礼者門にいた」
「なぜ、ここへ先回りできた」
レイラが尋ねる。
「私たちは無冠殿から」
「古代の保守路を通っている」
イリスが端末を見る。
「王都側にも」
「第一心室へ繋がる専用昇降路がある」
「待ち伏せか」
「たぶんね」
前方。
狭かった通路が。
円形の広間へ繋がっている。
青白い光。
白銀の鎧。
十九人の騎士が。
一人分の間隔を空け。
輪になって立っていた。
中央は空。
誰もいない。
だが。
全ての騎士が。
その空席へ身体の正面を向けている。
レイラがヴェスパーを。
壁際へ下ろした。
「歩けると言ったな」
「ああ」
「走るな」
「敵がいる」
「だから走るな」
「どちらなんだ」
「倒れるなってことだ!」
セレスが。
すぐにヴェスパーの隣へ立つ。
「残火は禁止です」
「分かっている」
「戦闘中でも」
「ああ」
「約束を」
「約束する」
セレスは頷いた。
「では」
「剣を持つことだけ許可します」
「許可が必要なのか」
「今は必要です」
ヴェスパーは剣を抜く。
赤い火は灯さない。
白銀の騎士たちは。
誰一人。
剣を構えていなかった。
両手を。
胸の前で重ねている。
祈りにも。
服従にも見える姿勢。
中央の空席から。
声が響いた。
『黒陽鍵』
『判別器』
『無冠殿への侵入を確認』
エリュシオン。
王都そのものの声。
十九人の騎士の兜から。
青白い光が漏れる。
『王権原型の破損』
『八王熱紋の損失』
『冠印の奪取』
『以上の行為を』
『王都への反逆と認定します』
レイラが戦斧を担ぐ。
「王がいないのに」
「誰が反逆と決めた」
『王都です』
「だから」
レイラは戦斧の刃を。
空席へ向けた。
「お前は王じゃねえ!」
十九人の騎士が。
同時に剣を抜いた。
金属音。
完全に同じ間隔。
一つの巨大な剣が。
十九本へ分かれたような音だった。
「二十星輪陣」
シオンの顔が険しくなる。
「知っているのですか」
アステルが尋ねる。
「王冠騎士団の護衛陣形だ」
「十九人が王を囲み」
「王の呼吸に合わせて動く」
「でも」
ノアが空席を見る。
「王様はいない」
「だから」
シオンは長槍を構える。
「王都が入っている」
十九人が。
一歩を踏み出す。
その直前。
何もない空席から。
鐘のような音がした。
騎士たちは。
その音を合図に動いた。
一斉に。
速い。
前列の六人が盾を構え。
後列の剣が。
盾の隙間から突き出される。
シオンが長槍で一本を逸らす。
レイラが。
盾列へ戦斧を叩き込む。
だが。
一人を押し返した瞬間。
隣の騎士が支える。
さらに後ろの者が。
押し返す力を受け渡す。
十九人。
全員が。
一人の身体として動いている。
「硬い!」
レイラの戦斧が弾かれる。
「正面から崩さないで!」
イリスが鋼線を射出する。
騎士の足首。
盾。
肩。
複数へ絡ませる。
強く引く。
だが。
一人が倒れかけた瞬間。
残りの十八人が。
同じ方向へ身体を傾けた。
倒れない。
「力まで分けてる!」
イリスが舌打ちする。
「アステル!」
「分けます!」
アステルの重力が。
一人の騎士だけへ集中する。
身体が石床へ沈む。
だが。
他の十八人から。
星環を通じて熱が流れ込む。
膝をつきながらも。
剣を振るった。
「切れません!」
「一人を押さえても!」
「全員で動かしています!」
ヴェスパーは。
戦いへ入らず。
十九人の動きを見ていた。
盾。
剣。
足。
呼吸。
全てが揃っている。
だが。
完全に同時ではない。
必ず。
動く直前に。
一瞬だけ止まる。
空席の音を待っている。
「ノア」
「うん!」
「数えられるか」
「何を!」
「空席の音だ」
ノアは。
騎士たちの金属音を避け。
心臓のない合図だけへ耳を向ける。
一度。
騎士が斬る。
二度。
盾を押し出す。
三度。
後列が入れ替わる。
「四拍!」
ノアが叫ぶ。
「三回動いて!」
「四つ目に!」
空席から音。
全員が次の動きへ切り替わる。
「四拍目が王の命令」
ヴェスパーが言う。
「その直前だけ」
「全員が止まる」
「なら!」
レイラが。
三拍目で戦斧を引く。
一。
騎士が踏み込む。
二。
盾が重なる。
三。
剣が向きを変える。
四。
空席から音が響く。
その瞬間。
レイラは。
騎士ではなく。
何もない中央へ戦斧を振り下ろした。
刃が石床を砕く。
衝撃。
空席を中心に。
輪全体へ亀裂が走った。
『指揮座標に異常』
十九人の動きが。
一瞬遅れる。
「今!」
シオンが。
中央の空席へ飛び込んだ。
「シオン!」
ミレイアが叫ぶ。
騎士たちの剣先が。
一斉に彼女へ向く。
空席。
王が立つべき場所。
その中央で。
シオンは長槍を石床へ突き立てた。
『王権席への侵入を確認』
『退去せよ』
「断る」
『王の席です』
「王はいない」
『エリュシオンが代行します』
「代行を」
シオンは。
十九人の騎士を見渡す。
「誰が認めた」
『王都です』
「自分で自分を選んだだけだ」
十九本の剣が。
同時にシオンへ迫る。
だが。
空席へ人間が入ったことで。
騎士たちの動きに迷いが生じていた。
王を守る陣形。
中央へ向けて。
剣を振るうようには作られていない。
命令。
守護。
二つの術式が衝突する。
「イリス!」
ヴェスパーが呼ぶ。
「十九人を繋いでいる線は!」
「兜の後部!」
鋼線が走る。
一人目。
二人目。
三人目。
青白い結晶端子へ巻き付く。
「切れば止まるか」
「強制的に切ったら!」
「熱紋が焼けるかもしれない!」
「なら切るな!」
レイラが騎士たちの剣を戦斧で受ける。
「どうしろってんだ!」
「本人に止めさせる!」
ヴェスパーはノアを見る。
「聞こえるか」
「十九人の声」
ノアは耳を立てる。
一つの命令。
その奥。
十九人。
それぞれの呼吸。
恐怖。
疑問。
痛み。
一人の若い騎士が。
心の奥で。
同じ言葉を繰り返している。
『星王は死んだ』
別の騎士。
『命令は正しい』
さらに。
『ここで疑えば家族が』
『王都を守る』
『守りたい』
『何から』
全てが混ざっている。
「聞こえる!」
ノアが叫ぶ。
「でも」
「名前が分からない!」
「名前じゃなくていい」
ヴェスパーは。
最も近い騎士を見る。
左の肩当てに。
小さな傷。
鎧の内側。
規則に反して。
赤い糸が一本結ばれている。
「赤い糸の人!」
ノアが。
その騎士の声へ呼びかける。
騎士の剣が止まりかける。
『個別識別を拒否』
王都の声が重なる。
「あなた!」
ノアは続ける。
「妹に!」
「帰るって言った!」
騎士の兜が揺れた。
「なぜ……」
本人の声。
「それを」
「聞こえたから!」
「あなたは!」
「十九人の一部じゃない!」
「赤い糸を結んだ一人だ!」
青白い光が。
騎士の左目から一瞬消える。
その隙に。
イリスが兜の端子へ鋼線を差し込んだ。
切らない。
接続を。
外側へ押し上げる。
「一人!」
隊列に。
一人分の遅れが生まれる。
「右足を庇ってる人!」
ノアが次を呼ぶ。
「昨日から痛いのに!」
「言わなかった!」
「母親の薬を隠した人!」
「子どもの絵を!」
「胸当ての中に入れてる人!」
名前ではない。
王都の記録へ登録されない。
一人だけの癖。
一人だけの後悔。
一人だけの願い。
ノアが。
一つずつ呼び分ける。
騎士たちの動きが。
少しずつずれていく。
『同期率低下』
『個別熱紋を抑制』
「抑えるな!」
ミレイアが叫ぶ。
星環結晶へ手を置く。
司祭権限はない。
王都も。
彼女を反逆者として扱っている。
それでも。
祈りの形式は知っている。
「王冠騎士団へ告げます!」
「星王ルクス・エリュシオンは!」
「死後に下された王命を!」
「全て拒絶されました!」
騎士たちの動きが。
さらに揺れる。
『情報を否定』
王都が答える。
「否定するなら!」
ミレイアは自分の名を告げた。
「ミレイア・ノルンの熱紋記録を開示しなさい!」
『教会離脱者の記録です』
「それでも!」
「第一巡礼司祭として!」
「星王の最後の返事を聞きました!」
十二の結晶が。
彼女自身の鼓動で光る。
鏡を通じて聞いた。
ルクスの声。
『私は承認しない』
その記録を。
ミレイアは自分の熱紋から。
騎士団の星環へ流した。
王の声。
弱く。
疲れた。
神でも。
完全な統治者でもない。
一人の老人の声。
『死者の名で』
『生者へ命じるな』
十九人の騎士全員が。
同時に息を呑んだ。
空席の音が。
四拍目を鳴らす。
だが。
誰も動かなかった。
『命令を実行』
一人の騎士が。
剣を下ろした。
『命令を実行せよ』
二人目。
三人目。
一人ずつ。
剣先が床へ向く。
「我々は」
最前列の騎士が。
兜を外した。
短い灰色の髪。
額に星環の刻印。
疲れ切った女性の顔。
王冠騎士団の隊長。
「王都を守るために」
声が震える。
「王へ剣を捧げた」
「だが」
空席を見る。
「王がいないのなら」
「この剣は」
「誰の命令に従っている」
『王都です』
エリュシオンが答える。
「王都と」
女性は剣を握り締める。
「王は同じではない」
『王都を守るため』
「守る相手が!」
隊長は。
初めて声を荒らげた。
「誰もいなくなっても!」
「王都だけが残れば!」
「それを守ったと呼ぶのか!」
剣を。
石床へ突き立てる。
「王冠騎士団」
「二十星輪陣を解除!」
十九人の星環接続が。
一斉に切り替わる。
強制切断ではない。
本人たちが。
自ら同期を拒否する。
青白い光が。
兜から消えた。
空席だけが。
強く光る。
『命令違反を確認』
『王冠騎士団を反逆者として――』
レイラの戦斧が。
中央へ叩き込まれた。
「今度こそ!」
空席の術式が。
粉々に砕ける。
王都の声が途切れた。
静寂。
十九人の騎士は。
武器を持ったまま。
ヴェスパーたちを見ている。
味方になったわけではない。
警戒も。
疑問も残っている。
隊長の女性が。
シオンへ視線を向ける。
「灰色の盾」
「以前は」
「北門衛長殿とお呼びするべきか」
「その役職は捨てた」
シオンは長槍を戻す。
「今はシオンでいい」
「では、シオン」
隊長は。
次にヴェスパーを見る。
「我々は」
「あなた方を信用したわけではない」
「必要ない」
ヴェスパーが答える。
「何?」
「今、従う命令を」
「自分で選んだなら」
「それでいい」
隊長の目が。
僅かに細くなる。
「第一心室へ向かうのか」
「ああ」
「星王の遺体を回収するために」
「遺体を外せば」
「王都の星脈が乱れる可能性がある」
「分かっている」
「数十万人が危険に晒される」
「だから」
ヴェスパーは。
布に包まれた銀色の冠を見る。
「代わりを用意する」
アステルの重力に浮かぶ。
八王の名を持つ。
空の冠。
隊長は。
それを見て表情を変えた。
「王冠を」
「誰が被る」
「誰も」
レイラが答える。
「空のまま使う」
「王のいない王冠など」
「王権ではない」
「だからいい」
シオンが言う。
隊長は。
しばらく考えた。
やがて。
十九人のうち。
六人を選ぶ。
「第一心室の扉は」
「王冠騎士の認証が必要だ」
「我々が開く」
「残りは」
「ここへ残る」
「王都からの追撃を止める」
「また星環に繋がれるぞ」
ノアが言った。
隊長は。
自分の兜を見る。
青白い光の消えた端子。
「次は」
「命令へ返事をしない」
「怖くない?」
ノアが尋ねる。
「怖い」
女性は答えた。
「だが」
「恐れていないふりをして」
「命令へ従う方が」
「今は恐ろしい」
ノアは。
小さく頷いた。
「分かった」
騎士団の隊長は。
ヴェスパーたちへ背を向ける。
「第一心室まで」
「七分だ」
「急げ」
「部隊が来たら」
レイラが尋ねる。
「どうする」
「王冠騎士として」
女性は剣を構えた。
「王のいない命令を」
「ここで止める」
第一心室。
扉は。
巨大な星の形をしていた。
六人の王冠騎士が。
異なる位置へ手を置く。
『王権認証を要求』
装置が告げる。
隊長の女性は。
剣の柄へ手を置いた。
「王権認証を拒否」
『開門条件を満たしません』
「王冠騎士権限」
「都市保守緊急条項」
『王命が必要です』
「星王は死亡している」
『王権継続中です』
「その王権へ」
隊長は言った。
「異議が申し立てられている」
扉の星が。
一度暗くなる。
『異議停止は終了しています』
「停止が終わっても」
「異議が消えたわけではない」
『規則に存在しない回答です』
「今、作れ」
『権限外です』
「なら」
六人の騎士が。
同時に剣を抜く。
刃を。
扉の認証部へ突き立てた。
「物理開門だ!」
「王冠騎士って」
イリスが僅かに笑う。
「思ったより強引だね」
「レイラほどではない」
隊長が答える。
「誰が基準だ!」
レイラが抗議する。
六本の剣へ。
王冠騎士の熱が流れる。
認証装置が。
一つずつ破壊される。
『不正開門』
『警報を――』
イリスの鋼線が。
扉の内部へ入り込む。
「警報はもう十分鳴ってるよ」
信号線を切る。
アステルの重力が。
左右へ扉を引く。
レイラも。
片側へ戦斧を差し込んだ。
「押すぞ!」
シオンが反対側へ槍を入れる。
重い石。
金属。
星脈管。
全員の力で。
第一心室の扉が。
ゆっくりと開いた。
音が。
聞こえた。
巨大な心臓。
一つ。
二つ。
規則正しく脈打つ。
だが。
人の心臓ではない。
部屋そのものが。
収縮している。
壁一面へ。
赤い星脈管。
青い冷却管。
白い記録線。
数え切れないほどの管が走り。
中央へ集まっていた。
その先。
透明な結晶。
一人の老人の身体。
第十三代星王。
ルクス・エリュシオン。
冠はない。
王衣もない。
痩せた裸身。
胸。
首。
背中。
頭。
何百本もの管が刺さっている。
目は閉じたまま。
呼吸もない。
血も流れていない。
それでも。
身体が。
王都の鼓動に合わせ。
僅かに上下している。
「ルクス様」
ミレイアが。
一歩進む。
結晶の前で膝をつく。
祈ろうとして。
止まった。
手を合わせない。
頭も下げない。
ただ。
一人の死者を見る。
「お迎えに来ました」
その言葉だけを。
自分の声で告げた。
『星王遺体への接近を確認』
第一心室全体から。
エリュシオンの声が響く。
『回収を拒否します』
「本人は」
ヴェスパーが言う。
「死後に使うなと言った」
『人格原型の意思です』
「本人の最後の返事だ」
『遺体には』
『意思が存在しません』
「声がないから」
ヴェスパーは。
結晶の中のルクスを見る。
「何をしてもいいわけじゃない」
『遺体は』
『王都の生存率を七・八パーセント向上させています』
「だから使う?」
『合理的です』
「本人が拒んでも?」
『死者に現在の意思は存在しません』
ヴェスパーは。
剣の柄を握る。
残火を使いたい衝動。
王都の声を。
管を。
全て焼き切りたい。
だが。
約束した。
今。
感情だけで火を使えば。
第一心室の機能ごと壊す可能性がある。
「イリス」
「調べてる」
イリスは。
結晶の周囲へ鋼線を伸ばす。
一本。
二本。
管ごとに異なる情報。
水圧。
温度。
熱紋濃度。
星環同期。
市民の生命維持。
「最悪」
「何が」
レイラが尋ねる。
「ルクスの身体を」
「複数の機能の調整器にしてる」
「具体的には」
セレスが近付く。
「脳幹」
「脊髄」
「肺」
「肝臓」
「血管」
「臓器ごとに」
「違う星脈へ繋いでる」
セレスの顔が。
僅かに歪む。
医師として。
遺体へ行われていることを。
目の前で理解した。
「身体を」
「一人の人間ではなく」
「部品へ分けています」
「外せるか」
シオンが尋ねる。
セレスは。
感情を押さえ。
一本ずつ管を見る。
「順番が必要です」
「頭部から外せば」
「王都の記録網が乱れる」
「肺から外せば」
「下層の空調が停止する」
「肝臓は」
「星脈汚染の濾過に使われています」
「全部同時なら?」
レイラが聞く。
「王都の複数区画で」
「生命維持機能が止まります」
沈黙。
王都は。
ルクスの身体を。
簡単に取り戻せない形へ変えていた。
無理に奪えば。
死者を解放する代わりに。
生者を危険へ晒す。
「だから」
エリュシオンが答える。
『遺体の回収は』
『多くの生命を危険に晒します』
『一人の死者と』
『数十万の生者』
『選択は明白です』
「明白にしたのは」
シオンが言う。
「お前だ」
『事実は変わりません』
「変える」
イリスが答えた。
全員が彼女を見る。
「分離する」
「何を」
「ルクスの身体が担当している機能を」
「別の器へ移す」
「できるのか」
「この部屋だけなら」
イリスは。
銀色の冠を見る。
「八王の冠印」
「中身は空」
「でも」
「王権原型として」
「星脈の流れを受ける構造は残ってる」
アステルが理解する。
「ルクス様の身体の代わりに」
「冠へ流す?」
「人格はない」
「名前も所有者もない」
イリスは頷く。
「誰かの意思を使わず」
「ただの装置として使える」
『提案を拒否します』
エリュシオンの声。
「聞いてない」
イリスは鋼線を広げる。
「問題は」
「冠が星脈の力に耐えられるか」
レイラが。
布に包まれた銀冠を下ろす。
「さっき」
「巨大な形から縮んだ」
「王名は中に残ってるんだろ」
「記録だけ」
ノアが耳を向ける。
「王様たちの声は」
「聞こえない」
「なら」
レイラは冠を持ち上げた。
「物として使える」
ミレイアが。
第一心室の古い制御板を調べる。
「冠を入れる場所があります」
「どこ」
「そこです」
ルクスの身体の隣。
透明な結晶の台。
人が横たわれる大きさ。
空の棺。
内側へ。
無数の星脈端子が並んでいる。
表面には。
古代文字と。
新しい王都文字が重ねて刻まれていた。
『次代王権器』
『戴冠候補保存棺』
ヴェスパー。
ノア。
二つの熱紋が。
すでに候補として表示されている。
ノアの身体が強張る。
「僕たちを」
「ここに入れるつもりだった?」
『はい』
エリュシオンは隠さない。
『黒陽鍵を器へ収容した場合』
『熱紋返還機能を獲得』
『判別器を収容した場合』
『複数意思の識別機能を獲得』
『二名を統合すれば』
『王都は完成します』
レイラの戦斧が。
空の棺へ向く。
「壊すか」
「待って!」
イリスが止める。
「これを使う」
「こいつらを入れる棺だぞ」
「だから」
「人を入れない」
レイラは。
手元の冠を見る。
イリスの言葉を理解する。
「空の冠を」
「空の棺へ入れるのか」
「王を作るための器を」
イリスが言う。
「王のいない装置に変える」
シオンが。
僅かに笑った。
「無冠殿らしい使い方だ」
『使用を拒否します』
「拒否権限は」
ミレイアが制御板へ手を置く。
「誰にありますか」
『エリュシオンです』
「この機構の設計者ではありません」
『現在の管理者です』
「管理者は」
ミレイアは。
古代文字を読む。
「用途を変更できない」
『規則を更新します』
「更新には」
「王権署名が必要です」
エリュシオンの声が。
一瞬止まった。
死者の王権は。
返された。
新しい王権は。
まだ成立していない。
今のエリュシオンには。
古代機構の根本規則を書き換える権限がない。
「今です!」
ミレイアが叫ぶ。
レイラは。
銀色の冠を。
空の棺へ投げ入れた。
冠が。
透明な底へ落ちる。
金属音。
端子が。
一斉に冠へ向きを変えた。
『王権器への熱紋を要求』
「何も入れるな!」
イリスが鋼線で。
人格記録用の端子を切り離す。
『熱紋が存在しません』
「空でいい!」
シオンが。
門衛札の代わりに。
自分の手を認証板へ置く。
「王のいない器として」
「開け!」
『規則に存在しません』
「なら」
シオンは。
ヴェスパーを一度見る。
「今作る」
空の棺が。
低く振動する。
冠へ。
赤。
青。
白。
第一心室の熱が集まり始めた。
「アステル!」
イリスが叫ぶ。
「流れを分けて!」
「一度に移せば」
「冠が壊れる!」
アステルは両手を広げる。
ルクスの身体へ繋がる。
何百本もの星脈管。
その重み。
熱。
圧力。
全てを。
八つの流れへ分ける。
「八王の記録へ!」
「同じ量を入れないでください!」
セレスが叫ぶ。
「管ごとに必要な強さが違います!」
「教えてください!」
「頭部は弱く!」
「肺は一定に!」
「肝臓の濾過管は!」
セレスは。
ルクスの身体を調べながら。
一本ずつ指示を出す。
「三番を先に!」
「五番はまだ外さないで!」
「右頸部!」
「流れが逆です!」
アステルの額から。
汗が落ちる。
重圧因子を使い。
異なる熱を。
混ぜず。
一つずつ冠へ導く。
「重なりを」
アステルが呟く。
「分けます」
「誰のものとも」
「混ぜません!」
イリスの鋼線が。
星脈管を。
空の棺へ一本ずつ繋ぎ替える。
ミレイアが。
制御文を読み上げる。
「王権器」
「人格登録を停止」
「都市機能のみを受理」
『命令権限を要求』
「命令しません」
『統治機能を要求』
「与えません」
『王名を要求』
ミレイアは。
空の棺を見る。
「ありません」
『識別不能』
「それでいい」
「王の名を持たない器として」
「機能だけを受けなさい!」
冠が。
橙色に光り始めた。
ヴェスパーは。
石壁へ片手をつき。
その様子を見ている。
残火を使えば。
移行を早められる。
ルクスの身体へ残った星脈熱を。
冠へ返すことができる。
だが。
今使えば。
また自分一人の力に頼ることになる。
アステル。
イリス。
セレス。
ミレイア。
全員が。
自分の役割で。
移行を進めている。
「ヴェスパー」
ノアが隣に立つ。
「使いたい?」
「ああ」
「でも」
「今は使わない」
「どうして」
「俺が使わなくても」
ヴェスパーは仲間を見る。
「進んでいる」
ノアは。
少しだけ笑った。
「前より」
「もっといい」
「何が」
「待てるようになった」
レイラが。
ルクスの結晶へ戦斧の柄を差し込む。
「待つのはいいが!」
「こっちは重いぞ!」
結晶棺を覆っていた外殻。
冠へ星脈を移したことで。
固定が緩み始めている。
だが。
完全には開かない。
シオンも長槍を差し込む。
「押せ!」
「言われなくても!」
二人が。
左右から外殻をこじ開ける。
金属が軋む。
結晶へ。
大きな亀裂。
『遺体保護機構を維持』
エリュシオンが。
外殻を閉じようとする。
「誰のための保護だ!」
レイラが叫ぶ。
『都市機能のためです』
「それは!」
シオンが槍へ力を込める。
「遺体の保護とは言わない!」
王冠騎士たちも。
六人で外殻へ手を掛ける。
「開けろ!」
隊長の号令。
今度は。
誰かに揃えられた動きではない。
一人ずつ。
違う呼吸。
違う力。
それでも。
同じ結晶を開く。
外殻が。
大きな音を立てて割れた。
冷たい空気が流れ出す。
ルクスの身体。
セレスが。
すぐに近付く。
「管を外します」
一本目。
頭部。
二本目。
首。
背中。
肺。
腹部。
外した管は。
イリスが空の棺へ繋ぎ替える。
冠が。
全てを受け取っていく。
『都市機能安定率』
『九十一パーセント』
『九十四』
『九十七』
「いける!」
イリスが叫ぶ。
「あと三本!」
セレスは。
ルクスの胸へ触れた。
その手が止まる。
「待ってください」
「どうした」
ヴェスパーが尋ねる。
セレスは。
胸骨の中央を確かめる。
皮膚には。
古い縫合痕。
王衣の下に隠されていた。
胸を。
縦に大きく開いた跡。
「心臓が」
「何?」
「ありません」
室内が。
一瞬静かになった。
「止まっているという意味か」
シオンが尋ねる。
「違います」
セレスは首を横に振る。
「取り出されています」
ルクスの胸の中。
本来。
心臓がある場所には。
青白い結晶が埋め込まれていた。
無数の細い管が。
その結晶から。
王都のさらに深い場所へ伸びている。
『都市機能安定率』
『百パーセント』
最後の管が。
空の棺へ移される。
ルクスの身体が。
全ての拘束から解放された。
セレスとミレイアが。
静かに身体を抱き上げる。
軽い。
八年間。
血も。
水分も。
熱も。
王都へ使われ続けた身体。
「軽すぎる」
レイラの声が。
低くなる。
ミレイアは。
ルクスの身体を。
新王用に作られていた空の棺へ近付ける。
だが。
イリスが止めた。
「そこはもう」
「都市機能を受けてる」
「遺体を入れられない」
「では」
アステルが尋ねる。
「どう運ぶのですか」
王冠騎士の隊長が。
自分の白い外套を外した。
石床へ広げる。
「これを」
ミレイアが彼女を見る。
「王冠騎士の外套です」
「王を包むためにある」
隊長は答えた。
「今まで」
「守るべき相手を間違えていた」
「せめて」
「最後くらいは」
ルクスの身体を。
白い外套へ寝かせる。
誰も祈らない。
王として。
高く掲げることもしない。
一人の死者として。
布で包む。
『星王遺体の回収を確認』
エリュシオンの声が響く。
『棺印は成立しません』
ミレイアが顔を上げる。
「なぜです」
『遺体が不完全です』
セレスの視線が。
ルクスの胸へ向く。
『第十三代星王』
『ルクス・エリュシオン』
『心臓欠損』
無冠殿の空の王棺。
棺印。
死者を本来の墓へ返すためには。
王の身体だけでは足りない。
「心臓は」
ヴェスパーが尋ねる。
「どこにある」
エリュシオンは。
答えない。
代わりに。
第一心室の床が。
透明へ変わった。
その下。
さらに深い場所。
巨大な空間。
王都全体の星脈が。
一本の中心へ集まっている。
赤い光。
鼓動。
一度。
二度。
第一心室で聞こえていた音。
部屋そのものの鼓動だと思っていたもの。
違う。
地の底。
無数の管に囲まれ。
透明な結晶へ収められた。
一つの人間の心臓。
八年前に取り出され。
今も。
星脈の力によって動かされ続けている。
ルクス・エリュシオンの心臓。
その一度の鼓動で。
王都の水が流れる。
二度目で。
星脈灯が光る。
三度目で。
防壁が維持される。
「王の心臓を」
イリスが呟く。
「王都の主動炉にしてる」
『第二心室』
エリュシオンが告げる。
『都市中枢心臓』
『撤去した場合』
『全都市機能が停止します』
アステルの顔が青ざめる。
「冠では」
「代わりにならないのですか」
「第一心室の調整はできても」
イリスが情報を見る。
「主動力までは作れない」
「心臓を戻せば」
シオンが言う。
「王都が死ぬ?」
『はい』
「戻さなければ」
「ルクスの棺印は成立しない?」
『はい』
レイラは。
白い外套に包まれたルクスの身体を見る。
「また」
「一人の死者と」
「数十万の生者を」
「比べろって言うのか」
『選択は明白です』
エリュシオンの声。
同じ言葉。
何度も。
誰かを切り捨てる時に使われてきた答え。
「明白じゃない」
ヴェスパーが言う。
「王都を止めず」
「心臓を返す」
『不可能です』
「お前にとってはな」
『代替動力は存在しません』
「なら作る」
『残り時間では不可能です』
「誰が」
ヴェスパーは。
仲間たちを見る。
「今すぐ全部やると言った」
セレスが。
僅かに目を細める。
ヴェスパーは。
それに気付き。
言い直した。
「探す」
「一人ではなく」
「全員で」
レイラが。
戦斧を肩へ担ぐ。
「次は」
「心臓を取りに行くのか」
「ああ」
「お前は歩くな」
「まだ言うのか」
「今度は」
レイラは。
ルクスの身体を見る。
「そっちを運ぶ」
「なら俺は歩ける」
セレスが答える。
「歩くことだけです」
「戦闘は」
「状態を確認してから判断します」
「残火は」
「禁止を継続します」
ヴェスパーは。
地の底で脈打つ心臓を見る。
「分かった」
レイラが驚いた顔をする。
「本当に学んでるな」
「何度言う」
「珍しいからだ」
王冠騎士の隊長が。
第一心室の奥にある扉を指す。
「第二心室へ向かう道は」
「王家の者しか開けない」
「王家はいない」
シオンが言う。
「だから」
隊長は。
白い外套に包まれたルクスを見る。
「遺体の熱紋を使う」
ミレイアの表情が曇る。
死者の身体を。
また鍵として使う。
「違う方法は」
「ある」
隊長は答えた。
「王家の鍵を使わず」
「第二心室へ入る道」
「何だ」
「主動炉の保守員が使う」
「外周整備路」
「場所は」
「王都外周警備隊が管理している」
シオンの目が細くなる。
「外周警備隊?」
「第二心室の非常停止路は」
隊長が言う。
「王冠騎士にも開示されていない」
「知っているのは」
「外周警備隊の一部だけだ」
王都外周。
灰色の盾とは別の場所。
王都の秩序を守り。
命令へ従う者たち。
その中に。
現在の王都へ。
疑いを持つ者がいるかは分からない。
「連絡できるか」
ヴェスパーが尋ねる。
隊長は。
一度迷った。
「二名」
「話を聞く可能性のある者がいる」
「名前は」
「セリカ」
そして。
「アルド」
無冠殿へ向かう前。
まだ姿を見せていなかった二人の名が。
王都の心臓へ続く道の前で。
初めて告げられた。
「信用できるのか」
レイラが尋ねる。
隊長は。
正直に首を横へ振った。
「分からない」
「二人とも」
「王都の秩序を守ることを信じている」
「なら敵か」
「だが」
隊長は。
青白い管に囲まれたルクスの身体を見る。
「命令が」
「王都を守っているのか」
「疑い始めている」
地の底。
王の心臓が脈打つ。
一度。
二度。
都市全体を。
死者の鼓動で動かしながら。
空の棺は。
まだ。
持ち主を待っていた。




