第3章 第15話 「八人の死王」
『エリュシオンへ』
『冠を』
八人の死王が、同じ言葉を発した。
異なる時代。
異なる顔。
異なる誓いを持っていたはずの王たち。
その全てが、青白い結晶で形作られ。
中央の空の台座へ向けて跪こうとしている。
「違う!」
ノアの声が無冠殿へ響いた。
大きな兎耳を震わせ。
八人の声の奥を聞こうとする。
「王様たちは!」
「そんなこと言ってない!」
最も古い王が動いた。
長い外套。
額を覆う細い冠。
結晶の右手に握られた剣が、シオンへ向けて振り下ろされる。
シオンは長槍を横に構えた。
刃と穂先が激突する。
重い衝撃。
人間の腕力ではない。
長槍を握るシオンの両足が、石床を削りながら後退した。
「こいつら」
シオンが歯を食いしばる。
「幻じゃない!」
「王権熱紋が、結晶を身体にしている!」
イリスが鋼線を射出した。
一本目の死王の手首へ絡みつく。
強く引く。
王の剣先が僅かに逸れた。
その隙へ。
レイラが踏み込む。
「なら!」
戦斧の腹を。
死王の胴体へ叩き込んだ。
結晶の身体が吹き飛ぶ。
王棺へ衝突し。
青白い破片が無冠殿へ散った。
「一人!」
レイラが戦斧を構え直す。
だが。
「待って!」
イリスが叫んだ。
砕けた破片が。
床へ落ちない。
中央の台座へ吸い寄せられていく。
見えない冠。
まだ輪郭だけだったそれに。
結晶片が埋め込まれていく。
『王権原型』
『統合率十二パーセント』
王都の声。
「倒すほど」
アステルの顔が強張る。
「冠が完成してしまいます」
レイラが舌打ちする。
「先に言え!」
「今分かった!」
吹き飛ばされた死王が。
ゆっくりと立ち上がる。
胴体には大きな穴が開いている。
だが。
痛みを感じた様子はない。
欠けた部分へ。
王棺から新たな結晶が伸び。
身体を埋めていく。
「治っているのですか」
アステルが尋ねる。
「違います」
セレスが答えた。
死王の動き。
光。
身体の再構築。
その全てを、冷静に観察している。
「生きていません」
「傷を治しているのではなく」
「欠けた記録を、別の記録で埋めています」
「なら、どう止める」
レイラが尋ねる。
「壊してはいけません」
「止める方法を聞いている!」
「今探しています!」
二人目の死王が両手を広げた。
女性。
長い髪。
穏やかな顔。
その足元に刻まれている名が。
橙色の灯りに照らされる。
第二代星王――ヴァレリア・エリュシオン。
王の誓い。
『民を飢えさせぬ』
『熱量の不均衡を確認』
ヴァレリアの口から。
王都の声が響く。
『全熱量を均等化します』
無冠殿の温度が落ちた。
レイラの身体から。
強い熱が引き抜かれる。
ヴェスパー。
シオン。
アステル。
全員の熱が。
一か所へ集められていく。
逆に。
冷たい結晶で作られた死王たちへ。
人間の熱が流れ始めた。
「何をしてる!」
レイラの腕から力が抜ける。
「全員の熱を!」
アステルが自分の胸を押さえる。
「同じ量にしようとしています!」
「均等配分」
イリスが端末を確認する。
「強い人から奪って」
「死王を含めた全員へ分けてる!」
ノアの身体が震え始めた。
元々体温の高くない小さな身体。
均等という名の力に。
耐えられない。
セレスがノアを抱き寄せる。
「均等にしてはいけません!」
ヴァレリアが顔を向ける。
『民を飢えさせぬ』
『全ての者へ、同一の配分を』
「同じ量を与えれば」
セレスはノアの身体を温めながら叫んだ。
「全員が救われるわけではありません!」
『差は不公平を生みます』
「身体は一人ずつ違います!」
「必要な薬も!」
「必要な熱も!」
「同じではありません!」
セレスは。
ヴァレリアの棺に刻まれた誓いを見る。
「あなたは」
「同じ量を配ると誓ったのではないはずです!」
ミレイアが。
王棺の側面にある古代文字へ光を向けた。
誓いの下。
小さく刻まれた。
王自身の言葉。
「読めます」
「何と書いてある!」
シオンが最古の王と斬り結びながら叫ぶ。
ミレイアは読み上げた。
「『最後の一人が食べるまで』」
「『王の皿を満たすな』」
ヴァレリアの顔が。
僅かに動いた。
ノアの兎耳が立ち上がる。
「今」
「別の声がした!」
「何と言った」
ヴェスパーが尋ねる。
ノアは目を閉じる。
王都の声。
均等にせよ。
差をなくせ。
全てを同じに。
その奥。
小さな女性の声。
『飢えている者を』
『数字にするな』
「聞こえた!」
ノアがヴァレリアを呼ぶ。
「ヴァレリア!」
死王の瞳が揺れる。
『登録名を確認』
王都が答える。
だが。
ノアは王都へ呼びかけたのではない。
「あなたは!」
「みんなを同じにしたかったんじゃない!」
「食べられない人を!」
「見つけたかったんだ!」
ヴァレリアの胸に。
橙色の小さな火が灯った。
熱の均等化が止まる。
奪われていた熱が。
全員の身体へ戻っていく。
「一人」
ノアが呟いた。
「王様の声が」
「戻った」
だが。
ヴァレリアの身体は消えない。
橙色の火と青白い結晶。
二つが。
胸の中で争っている。
「名前を呼べば、本人の熱が表へ出る」
イリスが言う。
「でも、王都との接続は残ってる」
「八人全員を戻してから」
ヴェスパーは中央の冠を見る。
「一度に切り離す」
セレスが彼を見る。
「残火を使うつもりですか」
「最後に一度だけ」
「今ではなく?」
「八人の熱が見えるまで待つ」
「本当に一度だけですね」
「ああ」
「約束を」
「約束する」
セレスは頷いた。
「それまでは、剣だけです」
ヴェスパーは刃を構える。
残火は灯さない。
その前へ。
三人目の死王が立った。
星を象った仮面。
細身の槍。
第三代星王。
オルネス・エリュシオン。
『星を恐れぬ』
『星脈出力を最大化』
オルネスが槍を掲げる。
天井。
壁。
床。
無冠殿へ入り込んだ青白い線から。
無数の光槍が生まれた。
『恐怖を排除します』
「来ます!」
アステルが両手を広げる。
光槍が。
一斉に降り注ぐ。
重力が歪んだ。
真っ直ぐ落ちるはずの槍が。
アステルを中心に軌道を曲げる。
左。
右。
天井。
石床へ突き刺さり。
無冠殿を揺らす。
「全部は逸らせません!」
アステルの額から汗が流れる。
オルネスがさらに槍を生み出す。
『星を恐れる者を排除』
「違います!」
アステルが叫んだ。
重圧因子。
黒い翼。
自分の中へ埋め込まれた力。
長い間。
彼女自身も恐れてきたもの。
「恐れないことと!」
「危険を見ないことは違います!」
『恐怖は判断を鈍らせます』
「恐怖があるから!」
アステルは。
自分へ向かう光槍を。
重力で二つに分ける。
「私は!」
「何を守りたいのか分かります!」
ミレイアが。
オルネスの棺を読む。
「『星を恐れぬ』」
「その下に」
「『されど、星の声を神と呼ぶな』」
星。
力。
奇跡。
それらを恐れ。
崇め。
判断を委ねるな。
オルネスの誓いは。
恐怖を消すものではない。
恐怖に。
支配されないための言葉だった。
「オルネス!」
ノアが呼ぶ。
死王の槍が止まる。
「怖くても!」
「自分で決めるんだよね!」
仮面の奥。
橙色の光が灯る。
『……星は』
王の本当の声。
『答えを持たぬ』
全ての光槍が消えた。
二人目。
四人目の死王が。
ノアへ顔を向けた。
若い女性。
冠ではなく。
花を編んだ髪飾り。
第四代星王。
ミラ・エリュシオン。
『子の声を忘れぬ』
その姿を見た瞬間。
ノアの兎耳へ。
声が届いた。
『ノア』
兄の声。
優しい。
懐かしい。
遠い記憶と同じ音。
『こっちへおいで』
ノアの足が。
一歩動く。
「ノア」
ヴェスパーが呼ぶ。
少年は止まらない。
『一人にして、ごめんな』
兄が。
ミラの背後に立っている。
木彫りの狼を作った手。
笑った顔。
ノアの頭を撫でた温かさ。
「兄ちゃん……」
「違う」
ヴェスパーが言う。
「でも」
「本物かどうかを」
「お前は聞き分けられる」
「聞きたくない」
ノアの声が震える。
「偽物だったら」
「また」
兄を失う。
希望を持った分だけ。
もう一度。
死を受け入れなければならない。
『ノア』
兄が手を伸ばす。
『返事をして』
ミラの口から。
王都の声が響く。
『子の声を保存』
『必要な時に再生』
『服従率を向上』
ノアの顔が歪んだ。
ミラの誓い。
子どもの声を忘れない。
その言葉を。
王都は。
子どもの声を保存し。
使うための命令へ変えている。
「あなたは」
ノアがミラを見る。
涙が流れる。
「子どもの声を」
「道具にする人じゃない」
『全ての声は、王都の資源です』
「違う!」
ノアは木彫りの狼を握る。
「聞くって!」
「使うことじゃない!」
兄の幻影が。
もう一度名前を呼ぶ。
『ノア』
少年は。
幻影を見た。
逃げずに。
耳を塞がずに。
その音の奥を聞く。
息の間。
声の震え。
呼び方。
本物の兄が。
ノアへ返事を求める時。
こんな寂しそうな声は出さなかった。
兄は。
いつも。
自分から答えを言うまで待っていた。
「違う」
ノアは首を横に振る。
「兄ちゃんじゃない」
幻影が歪む。
「兄ちゃんは」
「僕の返事を」
「取ろうとしない」
幻影が消えた。
その向こう。
ミラの本当の声が聞こえる。
『子が黙った時こそ』
『大人が待て』
ノアは。
涙を拭わないまま。
彼女の名を呼んだ。
「ミラ!」
死王の胸へ。
橙色の火が灯る。
三人目。
五人目。
重い法衣を纏う男。
右手に天秤。
左手に鎖。
第五代星王。
ガイウス・エリュシオン。
『法は王より上に』
鎖が放たれた。
ヴェスパー。
レイラ。
シオン。
ミレイア。
全員の手首へ巻き付く。
「何だ、これ!」
レイラが引きちぎろうとする。
鎖は外れない。
全員の身体が。
同じ姿勢へ強制される。
片膝をつく。
頭を下げる。
武器を床へ置く。
『法の前に』
『全てを同一とします』
「従わされることが」
ミレイアの声が震える。
かつて。
司祭として。
同じ祈り。
同じ姿勢。
同じ言葉を人々へ求めてきた。
「平等なのですか」
『例外は不公平を生みます』
「本人の意思も?」
『法が優先されます』
「記録が間違っていても?」
『法が事実を定義します』
ミレイアの膝が。
石床へ押し付けられる。
鏡の前で。
自分の名が教会の所有物だと告げられた時と同じ。
本人より。
記録が正しい。
「違います」
ミレイアは。
鎖へ両手を掛けた。
「法は」
「人の名前を奪うためにあるのではありません」
『第一巡礼司祭』
「違います」
『教会管理熱紋』
「違う!」
青白い鎖が強く締まる。
ミレイアの手首から血が流れた。
それでも。
彼女は顔を上げる。
「法が」
「王より上にあるのなら」
ガイウスを見る。
「王都そのものも!」
「法の外へ立ってはいけない!」
死王の天秤が揺れた。
ミレイアは。
ガイウスの棺へ刻まれた小さな文字を読む。
「『王が罪を犯した時』」
「『王を裁く者を恐れさせぬ』」
ガイウスの誓いは。
全員を同じ形にするためではない。
最も強い者を。
例外にしないためのものだった。
「ガイウス!」
ノアが呼ぶ。
『法は』
王の本当の声。
『弱き者へだけ』
『重くあってはならぬ』
橙色の火。
鎖が砕ける。
四人目。
六人目の死王は。
武器を持っていなかった。
白い治療衣。
両手に巻かれた布。
第六代星王。
サリナ・エリュシオン。
『病む者を見捨てぬ』
サリナが両手を開く。
その瞬間。
ヴェスパーの肩の痛みが消えた。
ノアの耳の傷。
アステルの術式疲労。
シオンの腕の痺れ。
全てが。
消える。
「治った?」
ノアが耳へ触れる。
「違います!」
セレスが叫んだ。
痛みが消えた者たちの傷は。
塞がっていない。
血も。
熱も。
失われたまま。
それでも。
痛みだけがない。
疲労だけを感じない。
「感覚を消しています!」
サリナの口から。
王都の声。
『全市民の苦痛を停止』
『活動を継続させます』
ヴェスパーが立とうとする。
身体は軽い。
今なら。
残火を使えるように感じる。
剣も。
いつもより速く振れる気がする。
セレスが腕を掴んだ。
「動かないでください」
「痛くない」
「だから危険です!」
「でも」
「痛みは」
セレスの声が強くなる。
「あなたを苦しめるだけのものではありません!」
「身体が壊れていると」
「知らせる声です!」
『苦痛は生産性を低下させます』
「人は!」
セレスがサリナを見る。
「動き続けるために生きているのではありません!」
『治療とは、活動を可能にすることです』
「違います」
セレスは。
静かに否定した。
「治療とは」
「その人が」
「どう生きたいかを選べる場所まで」
「命を繋ぐことです」
ミレイアが棺を読む。
「『病む者を見捨てぬ』」
「『されど』」
文字が薄い。
それでも。
読める。
「『死を恐れ』」
「『本人の願いを奪うな』」
サリナの瞳が揺れる。
セレスは。
王の名を呼んだ。
「サリナ様」
ノアが聞く。
声。
静かな女性の声。
『痛みを測れ』
『されど』
『命の価値を』
『痛みの強さで決めるな』
橙色の火。
全員の痛みが戻る。
ヴェスパーの肩。
頭痛。
耳鳴り。
一気に押し寄せ。
身体が傾く。
レイラが支えた。
「戻って喜ぶ痛みじゃないな」
「でも」
セレスが言う。
「必要な痛みです」
五人目。
七人目の死王が。
結晶の剣を抜いた。
大きな身体。
片目を覆う古い傷。
第七代星王。
レグナート・エリュシオン。
『剣を民へ向けぬ』
彼が剣を振るうより早く。
レイラの戦斧が。
勝手に動いた。
「何っ!」
柄を握る両腕が。
ヴェスパーの方角へ引かれる。
シオンの長槍も。
イリスの銃も。
セレスの短刀も。
武器という武器が。
仲間へ向きを変える。
『武力を統合』
『王都の敵へ集中』
「民か敵かを!」
レイラが。
戦斧を止めようと全身へ力を込める。
「誰が決める!」
『王都が定義します』
「なら!」
斧の刃が。
ヴェスパーの首へ迫る。
彼は避けない。
「ヴェスパー!」
「レイラなら止める」
「信用の使い方が重い!」
レイラは叫びながら。
自分の戦斧を。
石床へ叩きつけた。
刃が。
ヴェスパーの足元。
指一本分の場所へ突き刺さる。
「止めたぞ!」
両腕が震える。
それでも。
斧は仲間へ向かない。
「剣を持つ者が!」
レイラはレグナートを睨む。
「誰を民と呼ぶか決めたら!」
「従わない奴は!」
「全員敵になるだろうが!」
ミレイアが棺を読む。
「『剣を民へ向けぬ』」
「続きは」
「『民が王へ剣を向けても』」
「『その声を聞く前に斬るな』」
レグナートの結晶剣が。
僅かに下がる。
ノアが名を呼ぶ。
「レグナート!」
『剣は』
王の本当の声。
『王を守るためにあらず』
『王が誤った時』
『民を守るためにもある』
橙色の火。
全ての武器が。
持ち主へ戻る。
六人目。
残る死王は二人。
最古の王。
シオンと戦い続けていた男。
そして。
最も新しい棺から現れた。
細身の老人。
八人目の王。
二人が。
同時に中央の台座へ歩き始める。
「待て!」
シオンが最古の王へ槍を伸ばす。
だが。
死王は攻撃しない。
代わりに。
無冠殿の門へ手を向けた。
石門が閉じ始める。
「門を閉ざす気か!」
シオンは。
長槍を門の隙間へ差し込んだ。
石と金属が擦れる。
「帰る道は!」
「閉じさせない!」
最古の王。
第一代星王。
アルケス・エリュシオン。
『門を閉ざさぬ』
その誓いを持つ者が。
今。
無冠殿の門を閉じようとしている。
『王都を守るため』
『全ての外門を封鎖』
「それでは」
シオンが歯を食いしばる。
「誰も入れない!」
『外部の危険を排除します』
「中にいる人間も!」
「外へ出られない!」
『市民の安全を保証します』
「安全のために!」
長槍の柄が軋む。
「逃げる道を奪うな!」
アルケスの力が強い。
門が。
少しずつ閉じる。
外。
トーマが荷車の側から門へ飛び付いた。
「シオンさん!」
「入るな!」
「帰る道を守れって言ったのは!」
トーマは門へ両手を押し当てる。
「あなたでしょう!」
「一人で支えるな!」
門の外。
荷車の固定具を外し。
石門の間へ差し込む。
車体が潰れ。
金属が悲鳴を上げる。
それでも。
門の動きが僅かに止まった。
シオンはアルケスを見る。
「門は」
「王都が持つものじゃない」
「通る者が」
「自分で選ぶためにある!」
ミレイアが。
第一王棺の誓いを読む。
「『門を閉ざさぬ』」
「『助けを求めた者へ』」
「『生まれた地を問うな』」
難民。
外から来た者。
名を持たない者。
王都へ必要とされない者。
その全てへ。
門を開くという誓い。
「アルケス!」
ノアが叫ぶ。
『門は』
王の本当の声。
『王都を囲う壁にあらず』
『王都と世界を』
『繋ぐためにある』
橙色の火。
門へ掛かっていた力が消える。
シオンとトーマの身体が。
反動で前へ倒れた。
門は開いたまま。
七人目。
最後の死王が。
中央の台座の前へ立っていた。
長い灰色の髪。
冠を持たない頭。
右手には。
折れた王笏。
第八代星王。
ティアレス・エリュシオン。
『次代に冠を縛らぬ』
彼女が。
中央へ手を伸ばす。
見えなかった冠が。
青白い光を得て。
完全な形を持ち始めた。
歴代王の顔。
名。
誓い。
記憶。
砕かれた結晶。
全てを繋ぎ合わせた巨大な冠。
人が被る大きさではない。
無冠殿そのものを。
上から覆うほどの王権原型。
『統合率八十七パーセント』
『八王原型を確認』
『自己戴冠を実行』
ティアレスが。
冠を持ち上げる。
「おかしい」
イリスが呟く。
「何が」
アステルが尋ねる。
「この王の誓いは」
「次の王を縛らないこと」
「なのに」
「どうして」
死後も。
後の王たちを一つにまとめ。
王都へ冠を渡そうとしている。
ノアが。
ティアレスの声を聞こうとする。
だが。
「聞こえない!」
大きな兎耳が激しく揺れる。
「この人だけ!」
「王都の声しかない!」
「本人の熱は」
ヴェスパーが死王を見る。
他の七人。
胸の中に。
橙色の小さな火が灯っている。
ティアレスだけは。
青白い結晶だけ。
「抜かれている」
イリスが。
彼女の王棺を調べる。
「王権原型がない」
「棺の中に」
「本人の熱が残ってない!」
「どこへ」
アステルが尋ねる。
イリスは。
中央の冠を見る。
「最初から」
「冠の中」
ティアレスは。
自ら冠を渡そうとしているのではない。
彼女の熱紋そのものが。
冠の中核へ使われている。
死王の身体は。
空の器。
「次代に冠を縛らない王を」
ミレイアが言う。
「冠を維持するための核にした……?」
『最も安定した王権原型です』
エリュシオンの声。
『継承拒絶を含む熱紋は』
『王権の暴走を抑制します』
「拒絶まで」
シオンが立ち上がる。
「王都を守るために使うのか」
『全ての意思には用途があります』
「用途のために!」
レイラが戦斧を構える。
「人が生きたんじゃない!」
冠が。
上昇する。
無冠殿の天井へ。
そのまま星脈中枢塔へ吸い上げられようとしている。
「落とす!」
レイラが跳んだ。
戦斧を。
冠の縁へ叩き込む。
轟音。
だが。
冠は止まらない。
レイラの身体ごと。
上へ引き上げていく。
「重い!」
「待ってください!」
アステルが両手を向ける。
重力を。
冠の上と下へ分ける。
上昇する力。
落下させる力。
二つを切り離す。
「レイラさん!」
「今です!」
レイラは。
戦斧を冠へ深く食い込ませた。
全身を使い。
下へ引く。
「王冠が!」
「落ちる時は!」
足が。
空中へ浮く。
「私が!」
腕の筋肉が。
限界まで膨らむ。
「受け止める役だろうが!」
巨大な冠が。
僅かに傾いた。
『王権原型の移送に異常』
『出力を上昇』
青白い光が強くなる。
レイラの手から。
戦斧が抜けかける。
シオンが。
長槍の鉤を冠へ掛けた。
「一人で受けるな!」
イリスの鋼線が。
冠の反対側へ何本も突き刺さる。
「私たちの役割も!」
「残しておいて!」
アステルが。
歯を食いしばりながら重力を支える。
「力を!」
「一つにしません!」
「別々のまま!」
「同じ方向へ!」
ミレイアが。
七つの王棺の前へ立つ。
橙色の火を灯した王たち。
その名を。
一人ずつ呼ぶ。
「アルケス・エリュシオン!」
「ヴァレリア・エリュシオン!」
「オルネス・エリュシオン!」
「ミラ・エリュシオン!」
「ガイウス・エリュシオン!」
「サリナ・エリュシオン!」
「レグナート・エリュシオン!」
「皆様は!」
「エリュシオンへ冠を渡されるのですか!」
死王たちの口が開く。
王都の声。
『エリュシオンへ』
『冠を』
その奥。
七人の本当の声。
ノアが叫ぶ。
「聞こえる!」
「一人ずつ!」
『門を閉ざすな』
『飢えを数へ隠すな』
『星へ答えを委ねるな』
『子の沈黙を待て』
『王を法の外へ置くな』
『命から願いを奪うな』
『剣を民へ向けるな』
七つの声。
七つの答え。
「全員!」
ノアが冠へ向かって叫ぶ。
「渡さないって言ってる!」
冠の光が揺れる。
中心。
ティアレスの熱だけが。
まだ返事をしない。
「ヴェスパー!」
ノアが振り返る。
「冠の中にいる!」
「ティアレスが!」
ヴェスパーは。
自分の胸へ手を置いた。
残火。
一度だけ。
セレスを見る。
彼女は。
ヴェスパーの脈を測っている。
「一度です」
「ああ」
「ティアレス様の熱だけを探してください」
「七人も繋がっている」
「全員を背負わないで」
「でも」
「七人には」
セレスは死王たちを見る。
「自分で返事をする力が残っています」
「助ける相手を」
「助けられない存在として扱わないでください」
ヴェスパーは。
その言葉を胸へ置いた。
七人を救うのではない。
七人の声が。
自分で冠を拒むための道を開く。
彼が探すのは。
声を奪われた最後の一人だけ。
「ノア」
「うん」
「ティアレスの音を」
「見つけた」
「案内してくれ」
「こっち!」
ノアの声へ。
ヴェスパーは残火を伸ばした。
赤い炎。
冠全体へ広げない。
七人の誓いへも触れない。
青白い光の奥。
中心。
王都の命令に何重にも包まれた。
小さな熱。
『次代に冠を縛らぬ』
その誓いが。
王都によって反転させられている。
次代を縛らないため。
自らを冠に残し。
暴走を抑える部品になれ。
「違う」
ヴェスパーが呟く。
「あなたは」
「冠を安全にするために」
「生きたんじゃない」
残火が。
ティアレスの熱へ触れる。
記憶。
一人の老王。
玉座の前。
若い後継者へ。
冠を渡さず。
床へ置いている。
『私の誓いを』
『お前が継ぐ必要はない』
『私の失敗も』
『私の正しさも』
『次の時代の答えではない』
「ティアレス!」
ヴェスパーが名を呼ぶ。
「次の王を!」
「あなたの言葉へ縛らないために!」
「冠を外したんだろ!」
熱が揺れた。
弱い。
それでも。
返事がある。
『誰が』
掠れた女性の声。
『私の名を』
『冠の中で呼ぶ』
「ヴェスパー」
『次の王か』
「違う」
『では』
「王都を」
ヴェスパーは答えた。
「王にしないために来た」
長い沈黙。
その後。
ティアレスは。
小さく笑った。
『それでよい』
青白い冠の中心。
橙色の火が灯る。
八つ目。
「今!」
ノアが叫んだ。
「全員いる!」
ヴェスパーは。
残火を広げた。
だが。
八人を包まない。
冠から伸びる。
青白い接続だけへ触れる。
王の名。
王の誓い。
王の後悔。
その全てを利用し。
一つの王権へ統合する道。
「返す」
残火が。
八本の線を赤く染める。
「王の名を」
「王へ」
「誓いを」
「誓った者へ」
アルケスの火が。
第一王棺へ戻る。
ヴァレリア。
オルネス。
ミラ。
ガイウス。
サリナ。
レグナート。
一人ずつ。
自分の棺へ。
自分の名へ。
自分の最後の言葉へ。
ティアレスの熱は。
冠の中心から引き抜かれ。
最後の王棺へ戻っていく。
『統合率低下』
『八王原型を維持できません』
「レイラ!」
ヴェスパーが叫ぶ。
「落ちるぞ!」
「待ってた!」
王権を失った巨大な冠が。
無冠殿へ落下する。
レイラは戦斧を手放した。
両腕を広げる。
「アステル!」
「軽くします!」
落下する力が。
重力によって分けられる。
それでも。
人間が受け止められる重さではない。
シオンの槍。
イリスの鋼線。
アステルの重力。
全てが冠を支える。
最後に。
レイラの両腕へ。
巨大な王冠が落ちた。
「ぐっ……!」
石床が割れる。
レイラの膝が沈む。
「レイラ!」
アステルが叫ぶ。
「支えています!」
「もっと軽くしろ!」
「これ以上は、冠が砕けます!」
「砕いていいだろ!」
「中に王名の記録が残っています!」
「先に言え!」
ヴェスパーが。
残火を消す。
同時に。
足から力が抜けた。
セレスが身体を支える。
「一度です!」
「約束した通りだ」
「脈が乱れています」
「でも」
「話さないでください」
ノアが。
ヴェスパーの手を握る。
「戻ってる」
「八人とも」
王冠は。
レイラの腕の中で。
少しずつ形を失っていく。
青白い光が消え。
最後に残ったのは。
人が被れるほどの大きさの。
古びた銀色の冠だった。
装飾の多くは欠け。
星の宝石もない。
ただ。
内側に。
八人の王名が刻まれている。
レイラは。
両手でそれを持ち上げた。
「これが」
「本当の冠?」
ミレイアが近付く。
「いいえ」
「王権原型から作られた」
「空の器です」
「王の名が戻ったから」
イリスが調べる。
「もう誰にも反応しない」
「なら捨てるか」
レイラが言う。
『廃棄を拒否』
無冠殿の古い声が響いた。
王都ではない。
石壁そのものに残された。
古代の機構。
『八王による戴冠拒絶を確認』
『王権原型を無効化』
『冠印を取得』
冠の表面へ。
橙色の線が一本浮かぶ。
三つの印。
冠。
棺。
民の返事。
最初の一つ。
「これで」
アステルが息を整える。
「無冠殿を起動するための」
「一つ目が揃った?」
「はい」
ミレイアは頷く。
だが。
表情は明るくない。
「残りは」
「棺と」
「王都の人々の返事です」
全員の視線が。
空の第十三王棺へ向いた。
ルクス・エリュシオン。
遺体のない棺。
「棺印は」
イリスが装置を調べる。
「王の身体を」
「本来の墓へ戻した時に得られる」
「ルクス様の御遺体は」
ミレイアが言う。
「星脈中枢へ運ばれた」
「場所は分かるか」
シオンが尋ねる。
答えるように。
空の王棺が動いた。
石の蓋が。
完全に開く。
棺の底に。
青白い光景が映し出される。
星脈中枢塔。
その最深部。
無数の管が集まる巨大な空間。
中央。
透明な結晶の中へ。
一人の老人の身体が収められていた。
星王ルクス。
冠を持たず。
王衣を剥がされ。
胸。
首。
頭部へ。
何百本もの星脈管を繋がれている。
「死体を」
レイラの声が低くなる。
「まだ使ってるのか」
「王権熱紋は拒絶されました」
イリスが映像を解析する。
「でも、肉体は」
「星脈中枢の調整器として残されてる」
ルクスの心臓は止まっている。
血も流れていない。
それでも。
胸へ刺さった管が。
王都全体の鼓動に合わせ。
規則正しく明滅していた。
ノアの兎耳が。
僅かに動く。
「王様の声は」
「もうない」
「でも」
「身体の中から」
「王都の音がする」
『冠印の確立を確認』
エリュシオンの声が。
映像の向こうから響いた。
『八王原型を破棄します』
歴代王たちの熱を。
王都は。
迷うことなく捨てようとしている。
『王権維持に』
『過去の王は不要です』
「その身体も」
ヴェスパーが映像を見る。
「不要だと言うのか」
『現在は』
『都市機能の安定に使用しています』
「人を」
「死んだ後まで」
「機能と呼ぶな」
『王の肉体に』
『本人の意思は存在しません』
「だから使っていい?」
『都市の存続へ有効です』
ヴェスパーは。
拳を握った。
ルクス本人は。
自分を救うなと言った。
記録を王として残すなと。
その選択は尊重した。
だが。
遺体を道具として使われ続けることを。
彼が望んだわけではない。
「棺へ戻す」
ヴェスパーが言う。
セレスが彼を見る。
「今すぐは動けません」
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
ヴェスパーは。
仲間たちを見る。
「一人では行かない」
「残火も」
「次に使えるまで使わない」
レイラが。
銀色の冠を肩へ担ぐ。
「少しは学んだな」
「少し?」
「かなり少しだ」
イリスが地図を開く。
「ルクスの身体があるのは」
「星脈中枢の第一心室」
「無冠殿から」
「古代の保守路で繋がってる」
「警備は」
シオンが尋ねる。
「王都中枢の真下」
「少ないわけないね」
アステルは。
八つの王棺を見る。
橙色の火は。
すでに消え始めている。
王たちは。
自分の名へ戻り。
再び眠ろうとしていた。
「もう」
「起こされませんか」
ノアが尋ねる。
ミレイアは。
古代機構の表示を読む。
『八王王権』
『永久放棄』
「はい」
「少なくとも」
「王として使われることはありません」
最古の王。
アルケスの姿が。
光へ溶ける。
続いて。
ヴァレリア。
オルネス。
ミラ。
ガイウス。
サリナ。
レグナート。
最後に。
ティアレス。
八人の死王は。
一人ずつ。
自分の棺へ帰っていく。
誰も。
ヴェスパーたちを後継者とは呼ばなかった。
誰にも。
冠を渡さなかった。
ただ。
ティアレスだけが。
消える直前。
レイラの腕にある空の冠を見た。
『冠を』
『持つなとは言わぬ』
掠れた声。
『ただ』
『外せる者であれ』
レイラが顔をしかめる。
「私に言ったのか」
ティアレスは答えない。
橙色の火が消える。
無冠殿に。
静けさが戻った。
レイラは冠を見る。
そして。
自分の頭へ載せることなく。
アステルが用意した布で包んだ。
「持っていく」
「被らないのですか」
アステルが尋ねる。
「似合いそうか?」
「似合います」
「本当か?」
「ですが」
アステルは微笑む。
「レイラさんは」
「冠を被るより」
「落ちる冠を支えている方が」
「らしいと思います」
レイラは少し考え。
「褒められてるのか」
「はい」
「ならいい」
ヴェスパーは。
空の王棺に映るルクスの遺体を見る。
胸へ刺さる無数の管。
王都のために使われ続ける。
死者の身体。
「冠は落とした」
シオンが言う。
「次は棺か」
「ああ」
「王都の心臓から」
ヴェスパーは答えた。
「死者を取り戻す」
その瞬間。
ルクスの遺体を包んでいた結晶が動いた。
星脈管が。
身体をさらに深い場所へ運び始める。
「移動してる!」
イリスが叫ぶ。
「どこへ」
映像の下。
第一心室。
第二心室。
さらに深く。
星脈中枢の地図にすら存在しない領域へ。
遺体が沈んでいく。
『棺印の成立条件を確認』
エリュシオンの声。
『星王遺体の回収を』
『阻止します』
「気付かれた」
アステルが呟く。
王都は。
ヴェスパーたちが次に何をするのか。
理解した。
『第一心室を閉鎖』
『王冠騎士団を配置』
『黒陽鍵』
『判別器』
『無冠殿からの退出を確認次第』
『拘束します』
シオンが長槍を構える。
「退路まで見られてる」
「門は」
トーマの声が外から届く。
「まだ開いています!」
「荷車は?」
「潰れました!」
「帰り道は」
「ありません!」
レイラが戦斧を肩へ担ぐ。
「なら」
「前へ行くしかないな」
セレスが即座に言う。
「ヴェスパーさんは、運んでください」
「歩ける」
「歩けても運びます」
「誰が」
全員がレイラを見る。
「私か?」
「一番力があります」
アステルが答える。
「冠も持ってる」
「では」
アステルが重力で冠を浮かせる。
レイラの両腕が空く。
「待て」
ヴェスパーが言う。
「話し合いを」
レイラはヴェスパーの身体を。
肩へ担ぎ上げた。
「話し合った」
「今のは話し合いじゃない」
「全員同じ意見だった」
「俺は」
「患者の意見は参考にする」
「決定には使わない」
セレスが言った。
「いつ決まった」
「今です」
ノアが。
少しだけ笑う。
「ヴェスパー」
「運ばれてる」
「分かってる」
「前よりいいね」
「そうか?」
「うん」
「一人で倒れないから」
ヴェスパーは。
反論を諦めた。
無冠殿の奥。
橙色の灯りが。
一本の道を照らし始める。
星脈中枢へ続く。
古代の保守路。
王冠騎士団が待つ場所。
死者の身体が。
王都の最深部へ隠されようとしている。
残された時間。
自己戴冠まで。
四十六時間五十一分。
冠印は得た。
だが。
空の棺は。
まだ死者を待っている。




